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オニキス伯爵令息が休暇でいないので、ルチルは近衛騎士を3人つれて移動をしている。
今日は、ガーネ侯爵令嬢に会う日だ。
王宮の応接室に着くと、泣き腫らしただろう顔のガーネ侯爵令嬢がいた。
誰の恋にも肩入れしていないと思うが、どうしようもなく心が痛む。
「ルチル様、お願いします。ポニャリンスキ領であった全てのことを教えてください」
挨拶の後、カーネが淹れてくれたお茶を飲む間もなく、立ち上がって頭を下げられた。
「ガーネ様。座ってください。ゆっくりお話いたしましょう」
「すみません……」
座ってくれたが、今にも泣き出してしまいそうに見える。
「ジャス様からは、何か聞かれましたか?」
「いいえ。尋ねても、エンジェ様を好きだからとしか答えてくれませんでした」
まぁ、それが全てなんだけど。
納得いかないよねぇ。
好きな人がいる素振りさえなかったんだもんね。
ルチルは、ゆっくりと旅行であったことを話した。
エンジェ辺境伯令嬢が酷い目にあったことは話したが、話してくれた昔話はしていない。
お礼を泣きながら言われた時に、急に告白をしていたという風に話した。
そして、エンジェ辺境伯令嬢が断った理由と、それでもと食らいついたジャス公爵令息のことを。
「いつから……好きだったんでしょう……」
「そういう話はされていませんでしたわ」
「爵位を継いだら結婚って……馬鹿なんだから……」
失恋をした子に、かけてあげられる言葉なんてあるんだろうか。
「まだ候補だよ。卒業まで頑張れば、振り向いてもらえるよ」なんて、ただの気休めだ。
ただの無責任だ。
きっとガーネ様は、今まで頑張ってきたはずだ。
その上で、今好きな人がいるからと突きつけられたのだ。
「頑張れ」なんて言えるわけがない。
「他にもいい男がいるよ」なんて、以ての外だ。
好きな人を、ジャス様を、侮辱しているのと同じになる。
それこそ運命の恋が、雷並みの衝撃で脳天をぶち抜かなければ、切り替えなんてできるはずがない。
「どうして……私じゃ駄目だったんでしょうか……」
「好きな方がいたからですわ」
「私が誰よりも……好きなはずなのに……」
案外、誰もが好きに対して思うことだろう。
自分が誰よりも好きなのにと。
その対象が、人なのか、物なのか、キャラクターなのか、はたまた食べ物なのかは、人それぞれだろうけど。
好きな人以外にも、母親の取り合い、友達の取り合い、おもちゃの取り合い、食べ物の取り合い、同担拒否等、色々あると思う。
口に出さずに思うだけの人もいるだろう。
「私の方が好きなのに」は傲慢のように感じるけど、あたしは執着と変わらないと思っている。
今と違う角度から世界を見てみたら、世界は広がって色んな人と接することができる。
違う年齢、違う国の人と交流する人もいるだろう。
今まで感じていた世界が、見ていた景色が、聞こえていた音が増えるのだ。
心という器は無限ではない。
入れられる容量は大きくならない。
好きな人で占めていた割合に、他の人や物が入りはじめれば「私が誰よりも好きなのに」という気持ちは薄れていくだろう。
それでも「私が誰よりも好きなのに」が薄くならなければ、器から色んな好きなモノがこぼれ落ちて、最後には何が好きだったのか分からなくなるだろう。
心が疲弊するからだ。
心の疲れに気づかなければ、心は壊れるだろう。
器の中身は空っぽになってしまう。
執着とは怖いものだ。
だからといって、執着を否定するわけじゃない。
1つの気持ちの形だろうし、1つを深く愛せることは才能だと思う。
ただ、心が疲弊するまで盲目になり、心を壊すことが問題なのだ。
この世界の貴族の恋愛は、それに似ている部分がある。
パーティーに出れば出会いが多いように思うけど、実はそこまで多くない。
知り合いで固まるからだ。
特に夜会に出ていない、まだ働いてもいない子供に新しい出会いなんてない。
それにまずは、家格が釣り合うかどうかで判断している。
そんな状態で、家格が釣り合う幼馴染がカッコいいとくれば好きになるだろう。
ずっと婚約者候補でいたんだから、最後には結婚できるだろうと思うだろう。
きっとずっと夢見てきたんだろう。
そして今、心という器にヒビが入りはじめているのかもしれない。
「私の方が好きなのに」が、溢れ出しているんだろう。
「両親から……頑張れば……待っていれば……ジャスと結婚できると……スファンおじさまは、私を……気に入ってくれているから……大丈夫だと……」
なんでこうも貴族の大人たちは、上の家格との婚姻に必死なんだか。
いや、ただ単に、ガーネ様を元気づけようとして言っただけなのかも。
ご両親のことを知らないのに決めつけはよくないよね。
ごめんなさい。
「ルチル様は……どう思われますか? ……私に……希望はあるんでしょうか?」
この手の相談は、「大丈夫ですよ。頑張れば振り向いてくれますよ」と答えてほしいものだろう。
ジャス様に好きな人がいなければ、そう言って応援したい。
でも、現実はジャス様に好きな人がいるのだ。
「まだ付き合ってないんだからセーフでしょ」と言う人もいるだろう。
足掻いて、振り向いてもらえれば報われるというもの。
でも、あたしの中でそれをしていいのは、好きな人の好きな相手が好きな人を嫌っている場合や、実ってはいけない恋の場合や、どうしても実らない恋の時だけだ。
この場合、エンジェ様がジャス様を嫌っていれば、ぜひとも足掻いてジャス様の心を射止めてほしいと思う。
でも、エンジェ様はジャス様を嫌っていないし、声が好きだと言っている。
実ってはいけない恋ではないし、どうしても実らない恋でもない。
「私よりもガーネ様の方が、ジャス様のことをよくご存知かと思いますわ」
「そう……ですね……」
泣かないように耐えているガーネ侯爵令嬢の体が震えている。
「何でも思っていることを話してください。この場でのことは誰にも言いません。言葉にするだけで気持ちの整理ができたりするものですよ」
「応援するよ」と言えなくて、ごめんね。
その代わり、何時間でも話を聞くよ。
思う存分発散させて、少しでも器の中身を減らして。
器が壊れないように、貯めようとしている気持ちを吐き出して。
そのお手伝いは率先してするからね。
かすかに聞こえるか聞こえないかのような声で、ガーネ侯爵令嬢はジャス公爵令息との思い出を話しはじめた。
初めは苦手だったこと、言葉は少ないけど優しいところに惹かれたこと、真面目に剣術を練習しているところが好きなこと。
他にも、たくさん話してくれた。
ルチルは時折相槌を打ちながら静かに聞いていた。
うんうん、そうかそうか。
話が段々と際どくなっていく。
なるほど?
ジャス様がシトリン様のことを好きなら、勝てると思っていたと。
あの子は性格が悪いからと。
エンジェ様はいい子すぎるから、周りからの妬みに耐えられないと思うと。
そんな姿を見たくないと。
それに、今更諦められないと。
急に「エンジェ様が好きだ」と言われても困ると。
いやー、新事実。
ガーネ様、周りを見下しすぎてませんか?
明るくて周りに親切にしているから優しい人だと思っていたら、私の方が優れているから教えてあげるわって人だったとは。
まぁ、自分に絶対の自信がつくほど、今まで頑張ってきたってことだと思うけど。
それに、今は失恋の苦しみで、心に毒が溜まりすぎているんだろう。
人は自分が幸せじゃないと、周りの幸せを願う余裕はないからね。
ああ、文句に変わってきてしまった。
気分が晴れるまで大人しく聞いていよう。
「今まで頑張ってきたのに、この仕打ち酷くないですか?」と怒りが落ち着くとスッキリしたようで、「今までみたいに頑張ります。やっぱり諦められませんから」と笑顔で帰っていった。
これ、オニキス様にめっちゃ怒られるパターンだ。
あたし、変なこと言ってないよね?
煽ってないよね?
何も起こりませんように……
恋に正解はありませんから、好きって本当に難しいですよね。
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