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瞼を開けたルチルは、虚ろな顔で見覚えのある天蓋を見た。
「ルチル?」
視界を覆うようなアズラ王太子殿下の顔に、天蓋が見えなくなる。
「目が覚めた? どこか痛いところはない?」
「アズラ様……私……どうして王宮に?」
「説明するよ。起きられる?」
小さく頷くと、アズラ王太子殿下の腕が背中とベッドの間に入ってきた。
支えられながらゆっくりと起き上がると、カーネもいたようで水を差し出してくれる。
1口飲むと、体に行き渡る冷たい水が美味しく、コップ1杯飲み切ってしまった。
「ミソカは無事なんでしょうか?」
「うん、大丈夫だよ。ミソカは客室で休んでいるよ」
「よかった……」
コップをカーネに渡すと、空いた手をアズラ王太子殿下に握られた。
「急な話になるけど、ルチルはこのまま王宮に住むことになったよ」
「え?」
「申し訳ないけど、アヴェートワ公爵家の騎士団には任せられないと判断したんだ。これは、アヴェートワ前公爵や公爵にも拒否権はない」
「ど、どうしてですか?」
「護衛騎士の彼らからも、ルチルより先に起きたミソカからも、話は聞いている。ルチルが護衛騎士に待つように言ったって」
そうか。
彼らは、あたしの側にいなかったことで怒られたんだ。
昔に1度、デュモルが怒られているのに……
どうしてあたしは、大丈夫だって軽く思っちゃうんだろう……
「私が悪いのです。彼らは悪くありません」
「そうだね。ルチルも悪い。でも、彼らも悪い。ルチルから離れてしまったんだから。馬が借りられないのなら、彼らの誰か1人が馬車でアヴェートワ公爵家に行って、転移陣を使えるようにすればよかったんだよ。そういう案が浮かばないのも、護衛騎士として許容し難い」
そうか……そういう方法もあったのか……
「でもそれは、私も思い付きませんでしたし……」
「ねぇ、ルチル。指輪があったから今回は何とか間に合った。でもね、無かった場合のことを考えてみて。ルチルは今ここにいないかもしれない。ミソカは殺されていたかもしれない。
指輪は素晴らしいよ。でも、指輪を過信して怠慢になるのはいけないよ」
アズラ様の言う通りだ……
あたしは、何度も指輪の力ありきで考えていた。
ミソカはそんな感じしなかったのに。
「それでも……悪いのは私であって、護衛騎士たちでは……」
「僕は、ルチルも悪いって言ってるよ。ルチル、自分の立場を重く理解して。四大公爵家の娘で王太子の婚約者、その上、この世に1人しかいない金色の魔法の使い手なんだよ。どれだけ存在価値があるか分かる?」
「……はい」
アズラ王太子殿下が初めて、ルチルに対して呆れたように息を吐き出した。
「全然分かってないよね。ルチルは、護衛騎士から絶対離れてはいけなかった。護衛騎士も、絶対ルチルから離れてはいけなかった。でなければ、何のための護衛騎士なの。ルチルは彼らから仕事を取り上げているのと一緒で、彼らは仕事をサボっているのと同じだ」
アズラ王太子殿下の言葉が、心にも耳にも痛い。
「お説教は今はこのくらいにして、ルチルからも話を聞いていい?」
いつもなら心配してくれたり慰めてくれるアズラ王太子殿下に怒られて、どれだけ自分が浅はかだったのか思い知らされた。
心の中はどんよりと曇って大雨だが、泣かないように頑張って、起こった事を説明した。
アズラ王太子殿下の怒気があるため息に、ルチルは身を縮こませる。
「もう1人いたのか……気づかなかった。ルチルはその男の姿は見ていないんだね?」
「はい。声だけしか……」
「話し方はどうだったとか思い出せる? 訛りがあったとかない?」
「いえ、流暢な共通語でした」
「そう、分かった。僕は今の話と、ルチルが起きたことを知らせに行ってくるね。ルチルはゆっくり休んでて」
繋いでいた手をポンポンと叩いて、アズラ王太子殿下は1度も振り返らず部屋を出ていった。
背中だけを見送るのは、初めてに近いかもしれない。
めっちゃ怒ってたー。
1回も微笑んでくれなかった。
あたしが全て悪い……誘拐を気をつけるって約束していたのに……
でも、まさかナギュー公爵家からアヴェートワ公爵家の間で起こるなんて思わないじゃない。
って、この考え方がダメなんだよね。
はぁ……まだまだ前世の感覚に引っ張られがちだよね……
もう一庶民じゃなくて、常に誰かに狙われている四大公爵家の娘で、王太子の婚約者、その上この世に1人しかいない金色の魔法の使い手なんだから、護衛騎士というSPに守られなきゃいけないのに……
でも、みんなが過大評価しているだけで、金色の魔法って魔法じゃないんだよー。
文句言ったら反省してないって、また怒られるんだろうけど。
反省はしてるよ。
あのルチルバカなアズラ様を怒らせちゃったんだから。
でも、でもさ、もっと優しくしてくれてもよかったと思わない?
あんなに怖い思いしたのにさ。
アズラ様に抱きしめてほしかったなぁ……
ドアがノックされ、返事をすると、オニキス伯爵令息が入ってきた。
意外な人物に目を丸くしてしまう。
「あれ? 無事だ」
笑いながらベッドサイドの椅子に腰掛けるオニキス伯爵令息に、少しだけ心が軽くなる。
人の笑顔というものは、笑顔を貼り付けて防御もできるし、歪んだ笑顔で攻撃することもできるが、本来誰かの心を温めるものだ。
アズラ王太子殿下の笑顔にいつも癒されていたのだと、改めて実感した。
「皆さんに助けてもらったから無事ですよ。伝書鳩ありがとうございました。助けてもらえるって安心しました」
「俺が言ったのは誘拐された時のことじゃなくて、さっき殿下と話したはずなのに無事だってことだよ」
「怒られましたよ……」
「それはそうでしょ。ルチル嬢って、ほんっといつも危機感ないもんね。一緒に遊んだりする時、不思議に思ってたんだよね」
「そんなにないですか?」
「うん。全くこれっぽちもない。時々、平民かって思う」
うっ……痛いところを突いてくる……
「それもあって、学園では殿下が一切離れないようにしてるんだろうけど」
「それもあって?」
アズラ様はただ一緒にいたいという、ルチルバカなだけなのでは?
「そうだよ。本当なら放課後の時間、全部執務したいはずだよ。いつも睡眠時間削って夜中やってるんだから。
殿下はもの凄いルチル嬢が好きだけど、きちんといつまでにどれぐらいの時間があるか分かってる。会いたいけど、会えなくても仕方ないってちゃんと分かってる。
夏休みと秋休みは、いい例じゃない?」
そんな……あたしは、アズラ様の足を引っ張っていたのか……
「それにさ、今回の秋休みの間にどうして殿下が医学の勉強してるかというと、ルチル嬢のためなんだよ」
「私のため?」
「次にルチル嬢が眠ってしまった時に、すぐに対応できるようにだって。長期休暇なのに、ほとんど寝ないで勉強と執務をしてるんだよ。ルチル嬢、狂気的に愛されているよね」
そんな理由だったとは……
アズラ様の中でトラウマは薄れることなく、濃くなっているのかも……
ミルクのせいだったとはいえ、目の前で眠ってしまってもいるし……
「時間が足りないからって、狂気的に愛しているルチル嬢に会わず勉学に励んでいたのに、ルチル嬢が消えたって報告が入るんだよ。殿下は、どんな気持ちだったろうね」
ああ、あたし、オニキス様にも怒られているのか……
浅はかすぎると、何も考えずに行動しすぎだと……
もっとアズラ様を気遣えと……
「あのシトリン嬢も、自分が領地に誘ったからだって泣いてたらしいよ。俺は、シトリン嬢は何も悪くないと思うんだけどね」
「……はい」
悪いのは、あたしです……
本当にごめんなさい……
「しかもさ、見つかったら見つかったで、服は焼け焦げているわ、髪の毛短くなってるわ、首に噛み跡とキスマークあるわ。もうさすがに殿下が可哀想だったよ」
はい……ごめ……
ん? 首に噛み跡とキスマーク??
あの時かー!!!
「だからルチル嬢が起きたら、あの殿下でさえもルチル嬢襲っちゃうかなと思ったんだよね。まぁ、実際は注意しただけみたいだね。理性の塊すぎて、逆に怖いわ」
「オニキス様、色々教えていただきありがとうございます」
「いいえ。面倒臭いけど、俺がルチル嬢の護衛に選ばれちゃったからね。今きちんと分かってもらえないと、後から苦労するからさ」
「……オニキス様が護衛?」
「そうだよ。だから、ここにいるしね。俺そこまで強くないから、本当無茶しないでね」
「それなのに護衛?」
「うん。何かあった時に、すぐに伝書鳩飛ばせるようにだって。こんな能力、身につけなければよかったよ」
「うっ……ごめんなさい……」
「本当に悪いって思ってる? 俺、秋休み前半は、彼女と過ごす予定だったんだよ。それなのに、もう会えなくなった。ひどいよねぇ」
相当怒ってらっしゃる……
「私が王宮にいる時は、会いに行かれ一一
「ほんっと! 護衛騎士が何か分かってなさすぎる!! 怒るよ!!!」
ひーん! もう怒ってるよー!
そこからは、1から護衛騎士とは何たるかを何度も説明された。
ルチルのお腹が鳴って、ようやくお説教は終わったのだった。




