【影の選別】
「じゃ、始めるっすよ♡」
じゅぴが指をひと振りすると――
足元の黒い魔方陣が回転を始め、空間そのものが“沈む”ように沈黙する。
兵たちの足元から、微かな“濁り”のような気配が広がる。
「最初は、“現地兵向けの最低難度”の訓練っす」
「この“影導線走行”――見えない影の通路を読み取って、
正しいルートを走り切ればクリア。……まぁ、簡単っすよ?」
簡単――と言いながら、じゅぴの指先がくるりと空をなぞると、
兵たちの足元から、細く黒い“裂け目”のような線が現れた。
しかし、それは次の瞬間、全ての者にとって“異常”と化す。
「……足が……沈む……!?」
「ぬかるみ……いや、違う……これ、魔力が吸われてる……!」
「な、なんだこの空間……ッ!?」
まるで“意識”があるかのように、地面がうねり、足を絡め取り、重圧をかける。
呼吸が浅くなる。魔力が渦巻くこの“空間そのもの”が、彼らを試していた。
「一歩間違えると、魔力が崩れて脚ごと持ってかれるっすよ? がんばれ〜♡」
じゅぴは楽しそうに手を振るが、その瞳だけは“本気”で全員を見ていた。
「動きの遅いやつ、注意散漫なやつ、影から目を逸らしたやつ。
ここでは全部“死因”になるっす。そういうとこ、ちゃんと見せてほしいっす♡」
兵たちはそれでも、歯を食いしばって前に進んだ。
だが、これは“最低難度”。
ここがネザリア。
ただの“通路走破訓練”ですら――王国の常識を、遥かに超えていた。
(ここから“影”を学べるか。それとも、振り落とされるか)
じゅぴの視線は静かに、しかし鋭く――
新たな“影候補”たちの一挙手一投足を、見逃さなかった。
続く地獄の時間の中で、
兵たちの中に、“何かが目覚める者”と――“限界を知る者”とが、分かれ始めていた。
訓練――“導線走行”。
それはただ“走る”だけの訓練ではない。
影の気配、空間の歪み、魔力の密度を読み取り、正しい“生存の経路”を瞬時に選ぶ。
足元はうねり、重力が歪む。
錯覚と現実の区別も曖昧な中で――兵たちは、それでも走っていた。
だが――
「くそっ……足が……!」
一人の兵が、バランスを崩した。
足を取られ、肩から地面に叩きつけられる。
「魔力が……引かれて……!」
そのまま飲み込まれそうになる足元の“影”――
そこに、冷ややかな声が落ちる。
「一度崩れたら、もう“不要”ってことっすねぇ」
じゅぴだった。
彼女は笑っていなかった。ただ、事実だけを述べるように。
「影は“甘え”を許さないっすよ?
そのまま沈むなら、“選別完了”っす」
周囲の兵たちが息を呑む。
その瞬間――
「立て」
鋭く、短く、低い声が響いた。
グレンだった。
誰よりも素早く、その兵の元へ駆け寄り、肩を引き上げる。
「お前が倒れるのは勝手だ。だが、“俺の判断で”見捨てられるまでは、勝手に死ぬな」
「た、隊長……!」
「今は――走れ。それだけ考えろ」
兵はうなずき、再び足を踏み出す。
それを見届けたじゅぴは、ふふっと口元を緩めた。
「……へぇ。そうくるんだ?
“せつな”の前に立つだけあるっすね、隊長」
その一方で――
別の一人が、異質な動きを見せていた。
その兵は、一見して平凡だった。
だが、影の導線を踏み外すことなく、全身を滑らせるように駆けていく。
「……お?」
じゅぴがその動きに気づいた。
「こいつ、意識してるわけじゃない……
“見てる”んじゃなくて、“感じてる”っすね。影の流れを」
呼吸、脚運び、魔力の流し方。
すべてが訓練ではなく、“本能”の領域に近づきつつあった。
「……一人、当たり。っと」
じゅぴはポン、と片手を叩いた。
しばらくして訓練は終了した。
汗を滴らせ、呼吸を乱しながらも、兵たちは立っていた。
それを見届けたじゅぴは、グレンの元に歩み寄る。
「ま、初日としては――悪くないっす。
倒れそうなやつ、使えるやつ、どうしようもないやつ、だいたい見えたっすね」
「で?」
「今から、せつなに報告してくるっす♡」
くるりとターンし、指をひらひら振りながら、じゅぴは闇の奥へと消えていった。
(ふふ……“影の芽”、あるじゃん)
こうして、王国兵たちの“初日”は終わった。
だがそれは、“影としての選別”の始まりに過ぎなかった。
この地で生き残るとは、“変わる”ことを意味する――
それを、彼らはまだ知らない。




