◯序
以前同タイトルを掲載していましたがリテイク且つ完結まで行きましたので再投稿です。よろしくお願いします。
完結してるのでほぼ毎日投稿(タイマー設定で午前11時を目標)します。
薄暗く、埃が舞う小さな部屋の真ん中で、天井から吊るされた鎖で両手を釣られて身動きが取れない。
ティオは改めて状況を確認する。自分以外にこの部屋に居る人間は一人だけ、私を運んできたお供の人間達はいないようだ。
これはいわゆる絶望的な状況だ。地に足はついているが、身体はあまり言うことを聞くつもりは無いらしい。
これが恐怖か、いや、焦りか。身体のエラーとは別に、視界と思考の方は少しはクリアになっている。正気を保つということは出来ているらしい。
人間というのは絶望的な状況になると、神というものに祈るらしい。今回はそれに該当するようだが、彼らはこう言う時にいい顔をしてくれるものではないと、頭の中の残酷なメモリーが告げている。神は安直には助けてはくれない。その理由もわかってしまった気もする。
なぜなら、目の前の女自身が神に感謝しているからだ。人間というのは度し難い。
「あぁ、神さまありがとうございます。この顔にしてからツキが巡っています」
あぁ、整形か、簡単なことだ。何故よりにもよってエマの顔なのか。これを聞くことで、自分は皆の役に立つかもしれない。
「おい、なんでその顔にしたんだ?メイドの土産に教えてくれないか?」
あら?冥土じゃなくて?メイドになってくれるの?嬉しいわぁ。と彼女は右手を振り抜き、ティオの左頬を殴る。
彼女には悪いがエリより段違いで弱いし遅い。痛いのは痛いが、芯はずらせたと思っている。でも、口の中を切った、生暖かい液体が口の中に流れ出る。舌で傷口を舐めてみる。
血の味がする、と表現されるが、この極限状態で味がわかる方がおかしいんだと体感して初めてわかる。感覚として出血はしているが、味どうこうの話ではない。
「あの人が惚れた女だったからよ!」
同じ軌道で殴られる。弱い。だが、殴り慣れてはいる様だ。
エマも捜査官だからどこかで接点があったのだろうか、しかし秘密のお姉ちゃんファイルにはこの妾に関する情報は一個もなかった。
わからない。何もわからない。
「私は、私が愛されるためならなんだってする!」
今度は左手でみぞおちを殴られる。受け流せなかったので、左手はめり込み、お腹の底から気持ち悪さが込み上げる。なんだこれ。
「でも、そうよ、ここまでしたら…」
彼女は右手を開いては閉じ、握り込む感覚を確認している。目つきはすごく澱んでいて、瞳は揺れている。
「私って、誰なんだろうね、あなたくらい可愛いのを見ちゃうとイライラするのよ」
鋭い一撃だった、真っ直ぐ糸を引く様に右拳が頬にぶち当たり、メガネごとティオの顔を吹き飛ばす。
体温が五度下がった気がする、首から下の神経接続が切れた気がする、自分の体が液体になったように崩れ落ちる。
立つ、立たないの次元ではない、吊るされているから倒れないだけの状況。
「あぁ、やっぱり綺麗だわ、天然モノだわ」
彼女の左手が右頬をつたう、気持ち悪い。吊るされているだけに自分は何もできない、ただ見るだけ。澱んだ瞳、でも一つ気づいたことがある。
しかし、これを言ったら激昂するだろうなというのがわかった。あぁ、逆撫でするって言うのはこういう事ですか。確証を得るために言ってしまおうか、一瞬思考が止まる。
その時、ふと思い出した。メモリーにはあったはずなのにすっかり忘れていた。
「あんまり考えたくあらへんけど、ほんまに死にそうになったら、左奥歯にスイッチ入れとくから、いい感じに噛んだらええで、そんときは誰かがなんとかするから」
ユキが言っていた事を思い出す。なんで今まで忘れてたのか。
捕まる前の、ピアスから音声が途絶えた時にやっても良かったかな。人って言うのは忘れる事ができるんだ。また一つ人になってしまったのかな。
あー、でもあれだ、噛み合わせがおかしいから、噛めないや。仕方ない。やるしかない。
そう決めた時、視界が急におかしくなった、自分が居るのは、締め切られて光が一部からしか差し込まない部屋。隙間から差し込む光に照らされた塵のひとつひとつが見える。かの女の、エマとは違う網膜の線まではっきり見える、そして何より音が聞こえない。メモリーにあるある事象と一致する。ゾーンというものだ。見たいものすべてにピントが合う。
ゾーンに入った挑戦的な目つきがバレたのだろう、彼女は激昂し、大声を出しているが全く聞こえない。でも、何を言っているのかは理解できる。
だから、自分はそこに言葉を重ねる。自分の言葉なのに聞き取れない、しかし、相手には伝わった。
「なんだ、自分と一緒じゃないか」
先程の鋭い突きとは違う、自身の感情だけを込めた打撃、踏み込みも大雑把、手の引きも荒い、繰り出される拳も歪んでいる。親指の付け根が一番前に出ている。
音の無い世界で確かに、激昂と絶叫がのった、人の感情が乗った拳が迫ってくる。
なすべきことはわかる。この拳を左奥歯に当てるのだ。
目線を切るな、最後まで見ろ。噛み合わせを意識しろ、必要以上に力むな。顔を差し出し、必ず当てろ。ビビるな自分。
見えている、わかっている、このまま行けば大丈夫、神に祈る意味はない。ここで、自分で掴み取る。
「〜っ!!」
頬という、うっすいクッションがあったとしても、こちらの歯と皮膚、相手の拳の骨とでは、私の歯に分があったのだろう。明らかに彼女は痛そうに手を抑える。聴覚が戻り、手をしばる鎖の音、絶叫する女の声が聞こえる。歯は欠けただろうが、スイッチが押されたという手応えはあった。明らかにこの位置情報は無防備に広範囲に広がったと確信する。
あとは、耐えるだけ、助けはくる。あの人たちは口や態度が悪いが嘘はつかない。彼女は激昂のさらに上、どこまでも自分を小馬鹿にした小娘に怒りをぶつけてくる。注射器を取り出す、薬漬けにするつもりだ。先の打撃で体に力の入らないティオの右肩に乱暴に刺す。
「残念だったわ、もっといい子だったら良かったのに」
注射器のピストンに改めて指をかける。その時だった、部屋の扉が吹き飛び、人型の何かが倒れて来る。
「貴方ぁ!」
彼女は瞬時に判断した様だ、この薄明かりの中で、転がってきた人影を自分の愛すべき者と認識できる、これはある意味、愛なのではと思ってしまう。
「うっさいわ!ボケェ!うちの娘に何してくれとんじゃ!こんの!ボケ!コラァ!!」
関西弁で怒鳴り込んできたのは、美少女おじさん。ユキだった。
あぁ、助かった。エリさんもサヤカさんも一緒だ、良かったぁ。
ティオの意識はここで切れている。




