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黒と交わる恋模様  作者: もりといぶき
【菜月の章 混じりて藍となる】
14/14

中学1年・5月(4)





体育館での練習は、バレー部全体が集中力に欠けていた。

練習も終盤になると顧問の先生が顔を出した。2、3年生は試合を想定した実践的な練習メニューに取り組むも、いつになくミスが続発して先生から厳しい叱責を受ける。

先輩たちが集中できない原因が自分にあると思うと、菜月は申し訳なさでいっぱいになった。


練習後。



「あのさ、ちょっと……今日はもう頭回りそうにないから、一晩冷静になって、明日改めて一回話し合うのでいいかな?」



キャプテンの提案に反対意見はあがらない。

肉体的にも精神的にも疲労困憊になっていたバレー部員(特に2、3年生)は二つ返事で了承する。

それぞれが重い体を引きずって帰り支度をはじめた。


練習の後半はボール拾いをしていた1年生は菜月も含めてまだまだ元気ではあったが、先輩たちを前にしてさすがにいつものテンションでのお喋りはできそうになかった。



「……ごめん、練習前に怒鳴っちゃって」


「ううん、わたしのほうも無神経なこと言ってゴメンね」



話しづらい空気のなかでも最低限の和解は成立した。

同級生はもっと成見の話を聞きたそうにうずうずしていたけれど、上級生の目もあって今日のところは質問責めをまぬがれた。





解散後、菜月はいつもの通学路を途中でそれて成見の家に立ち寄った。

山手の新興住宅地に建つ高層マンションに、成見は住んでいる。


菜月がインターフォンを鳴らすと、成見はすぐにエントランスに降りてきた。



「やあ菜月、練習お疲れ様」



いつもとなんら変わらない、軽い挨拶。

放課後の校舎での一件を完全にスルーされて怒りが再燃する。



「わたし以外の女を口説いてんじゃないわよ」



冗談とも本気とも取れる口調。菜月がこんなことを言えるのは、成見とふたりきりのときだけだ。

成見もそこはちゃんと理解しているので、ぶつけられた言葉は言い訳せずに全部を受け止める。



「うん、それについては反省してる。あんな気持ち悪いこともうしないよ」


「気持ち悪いって、アンタねぇ……」



自分から近づいていったくせに、キャプテンとの時間をそんなふうに言い切るのか。

がくりと肩を落とした菜月の横を通り抜け、成見はマンションの外へと誘う。



「送っていくから帰りながら話そう。あんまり遅くなったら菜月の家の人が心配するよ」


「……そっちはどうなのよ」


「俺んちはいつもどおり。母親は夜勤で父親は出張中だから、今日はひとりだし帰るのが遅くなっても大丈夫だよ」



一晩自分ひとりで家で過ごすことを当然とする成見が、菜月はときどき心配になる。少なくとも小学3年生になって知り合った時にはもう、成見の両親は家庭よりも仕事を優先していた。

ひとり息子の成見いわく、家族仲は悪くないとのことだが……、それは成見が両親の前では本性を隠して「理想の息子」を演じているだけではないか。


家庭の事情なんてものは人それぞれだ。菜月は自分の母からも「よそ様の家のことに容易な気持ちで口出ししてはいけません」と常日頃から言われている。

おせっかいでご近所さんから慕われている母でさえ、ああ見えて他人の家庭のことにズカズカ踏み込もうとはしない。母が習得しているご近所さんとの適正な距離感というのを、娘の菜月はよくわかっていなかった。

それでも、自分がとやかく言うことじゃないと承知していても、夜に誰もいない家で過ごすのは寂しいと思ってしまう菜月だった。



「夕飯は?」


「それはちゃんと用意してくれてる。心配してくれてありがとう」



ここで成見がカップラーメンとか言い出したら、ウチで食べないかって誘えるんだけど……。成見の両親は自分の息子に誰かが手を差し伸べる隙を与えない。

もやもやを心の底に押し込めて、気持ちを切り替える。



「自転車、待ってるから取ってきたら?」



ここから菜月の家まで徒歩で片道30分はかかる。行きはふたりだから歩きでいいとしても、帰りは自転車を使ってさっさと帰宅したいだろうに。


マンションの駐輪場の方向をチラリと見た成見が軽く悩む。



「んー……、歩きたい気分だからいいや」


「……夜遊びなんかしないでよ」


「しないしない。それにまだ深夜徘徊って時間じゃないよ」



まったく信用ならなかったが、ひとまず今は言及しないでおく。

自転車を押しながら急な下り坂を成見と肩を並べて歩く。菜月はチラリと横目で成見を盗み見て、気まずそうに口を開いた。



「バレー部のこと、黙ってて悪かったわ。恋愛禁止の部則は入部してから知ったのだけど、正直、なんとかなると思って甘くみてた」



人に頼らずどうにかする気でいた。思い上がりもいいところだ。他人を自分の望みどおりに動かす力なんて、菜月にあるはずがない。



「成見が知ったら何やらかすかわかったもんじゃないから、先輩たちを説得できるまで言わないつもりだったけど……」



がくりと菜月が肩を落とす。



「結局成見はわたしが言わなくてもやらかすのよね」


「ひどい言い方だなぁ、俺って全然信頼されてないんだ」



傷ついた風に見せかけて、成見の口調は棒読みもいいところだ。



「過去の行いを思い出して、自分に信頼される要素があるか考えてみたらどうかしら」


「うわあそれ言っちゃう? ……まぁでも、そんな信用ならない奴、目を離しちゃだめだよ」


「そうね。反省してるわ」



中学生になったら運動部に入る。菜月が小学6年生のころから決めていたことだ。

小学校卒業。そして中学校に入学。その言葉の響きから、進学したら自分は大人に近づけるのだと信じていた。勉強も部活も——恋も、全部を完璧にできる理想の大人に。


甘い見通しだったと、今ならわかる。

結局「中学生」という肩書きを手に入れただけで、菜月はちっとも変われなかった。



「部活のことはアンタたちが何かしてくる前に、わたしが解決しなきゃいけなかった」



そうでなければ運動部に入った意味がなくなる。


ふぅん……と、成見がつまらなそうに鼻を鳴らした。



「まだそんなこと言ってるんだ。もう諦めたらいいのに」



ふたりの間にわずかな緊張感が生じる。

挑むように菜月は横目で隣を歩く男を鋭く睨め付けた。



「おあいにく様。甘やかされた状態を当たり前にしたくないの」



身の回りで起きる問題は自分でどうにかしなくても、成見たちがどうにかしてくれる。そんな環境が小学生のときからずっと続いてきた。

たしかに成見は頼りになる。何でもかんでも面倒なことは彼に任せていたら、菜月はこれからもずっと嫌なことから逃げていられる。——無力感と劣等感にさえ目を瞑れば、こんなに楽な生き方は他にないだろう。



「成見たちのいない環境で、何かをやり切ることができたら、ちょっとは自分に自信がつくかなって思ったの。……あと、わたしの周りって無茶苦茶なのしかいないから、普通の感覚を忘れたくないってのもあったし……」


「菜月が普通!? 何言ってるの? 無理無理、それは結衣の幼馴染やってた時点でとっくに手遅れ——」


「そんなわけあるか」



爆笑があまりにもムカついたから肘で脇腹を小突いておいた。

成見が前屈みになって腹を押さえる。菜月の肘鉄が痛かったわけではないだろう。コイツはただ上戸に入って腹筋が攣っているだけだ。


むくれた菜月に「ごめんごめん」と、引き笑いの合間に謝る。しかしまったく気持ちがこもってないのが丸わかりだ。

菜月はますます拗ねて成見からそっぽを向いた。



「ホントにごめんって。そうだね、あの暴走機関車どもが崖から落ちてかないようにブレーキかけられるのは、菜月だけだもんね」


「不快だから笑いながらフォローしないで」



キツめに言うと成見は「オッケー」と涙目で深呼吸をする。落ち着いたところで菜月も顔を戻して成見を見た。



「笑ってごめん。……でも、菜月のそういうブレないところ、俺好きだよ。真面目で自分に厳しいところも」


「…………そ」



コイツは、毎回不意打ちでさらりと恥ずかしいことを言ってくる。

照れ隠しにチェックするにはまだ早い、遠くの信号を眺めた。


その大通りを横断する交差点まで、会話はなかった。まだ何も話はついていないというのに、収まるところに収まって空気を乱したくなくてなかなか本題に切り出せない。

成見のほうも今にも鼻歌を歌い出しそうなくらい上機嫌に、二人きりの沈黙を楽しんでいたようだ。


菜月がチラリと視線を向けたのが合図となった。

成見はわずかに肩をすくめて口を開く。



「部活のことだけど、菜月がどうしようもないことを一人で頑張ろうとしないなら、俺は応援するよ」



てっきりこれを機にさっさと退部届けをバレー部に出して戻ってこいと言われるのではと覚悟していた菜月は、思わず足を止めて成見を凝視した。


ギリギリ渡れそうだった信号が点滅して赤に変わる。






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