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ハルノオト  作者: 深瀬 空乃
一章 長い冬
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冬の相棒

「──綺麗ですね」

「………ええ」

「綺麗なものを見ると、気持ちって晴れませんか?」

 マコトは、その言葉にサヤカを振り向いた。自分の隣でうつくしく微笑んでいる彼女は、帽子のつばに手をかけて、少しだけくいと持ち上げた。

 サヤカの首飾りの宝石のような、彼女の薄桃色のひとみがマコトに反射する。桜色に色づく唇が、ゆったりと言葉を紡いでいた。

「なんだか、悩んでいるようだったから。……あと、私がお礼を言いそこなっていたので」

「お礼?」

「狼から助けてくれたお礼。私ばっかりお礼の言葉をねだっておいて、肝心の私が子供じみたお礼だけで済ませるなんて、やっぱりだめですよね」

「そんな……気にしなくて、いいのに」

「私が気になるから、だめです。あの時は本当にありがとうございました」

 マコトより少し背の低いサヤカは、そのささやかな分だけ顔を上げてマコトの目を見つめた。透き通った茶の髪が、崖から吹き上げる風にはためく。

 マコトが、雰囲気にのまれてつい、零した。

「…………僕がいながら、僕の失態で……サヤカさんに怪我をさせてしまった」

「ああ、これですか?」

 こんなの気にしなくていいのに、と軽い調子でサヤカが言う。

 マコトは昨晩の洞窟でのやりとりのように、サヤカと同じ言葉を返した。

「僕が気になるから、だめです」

 一瞬きょとんとした顔をしたサヤカが、眉を下げながら笑う。サヤカにも、その気持ちはよくわかる。相手がいいといっても、自分が納得できないのだ。たとえばそれが、とっても些細なことだとしても。

「僕は、騎士見習い──です。僕は騎士になりたいんです」

「……それがマコトさんの夢、なんですか」

「命を賭して誰かを守り抜きたいです。…………夢、なのかもしれません」

 サヤカに、夢はない。

 ただ家を飛び出して、ただ漠然と旅をしているだけだ。別段それに卑屈になっているわけではないけれど、ただ、こうも夢にまっすぐなひとを見れば眩しく思えてしまうのは確かだ。サヤカの、羨望とささやかな嫉妬のまなざしがマコトを刺す。

 マコトは続ける。

「悩みといえば、そうです。あなたに怪我をさせてしまったこと」

「そんな大層なものじゃないのに。こんなの、放っておけば治ります。……でも、それじゃ納得しないんですよね」

「……この先もし、その怪我のせいであなたが不自由することがあれば、手助けしたいと思うくらいには」

 マコトは、笑えるくらい生真面目で、真摯な人なのだとわかった。サヤカは少しだけ悩んで、頬を掻いて髪を耳にかけ、それから斜め上に逸らしていた目をマコトに向ける。旅をしていれば捻挫なんて誰にでも起こることで、負担に感じることでもないのにやけに責任を負いたがる彼に、なんて言おうか。

「じゃあ、一緒に行きませんか」

「サヤカさんがいいなら、ぜひ。僕に手助けできることがあれば、なんでも言って……」

「それじゃあ、私があなたの主みたいじゃないですか」

「そのくらいの考え方でいいですよ」

 根っからの従者気質なのか、お人好しが過ぎるのかそんなことを言い出す彼に、サヤカは告げる。

「私が怪我をしたのは、私の破天荒のせいです。それに、あなたは私を守ってくれた。十分に対等です」

「……対等」

「そうだなあ…………相棒、とかどうです。私の怪我が治るまででいいから、お互いに助け合って旅をする、相棒」

 どうしても私に負い目があるなら、と続けたサヤカに、不満げな表情をちらりとのぞかせていたマコトが視線を動かした。今日の一連の流れのどこに、マコトがあれほど責任を感じる箇所があったのか、サヤカにはわからないけれど、まさかマコトを傍に侍らせたいなんていう願望はサヤカにはない。

「私の仲間になって、一緒に行ってください、マコトさん。『サヤカさんがいいなら』じゃなくて、マコトさんの意思で」

 マコトは、しばらく黙り込んでいた。何と答えようか迷っているようで、目があちらへ行ったりこちらへ行ったりと忙しそうだ。

 王都を望む景色をふたりじめしながら、サヤカは贅沢な時間に浸っていた。

 やがて、マコトがくしゃりと笑う。

「……まいりました」

「…………勝負なんてしてないですよ?」

「一緒に行きましょう。僕の負けです」

 ぽかんとしたサヤカに、マコトが楽しそうに笑う。

「なんだか、悩んでいたのが馬鹿らしく思えてきました。……僕はただ、あなたと一緒に旅をしてみたかっただけなのかもしれない」

「……それなら、交渉成立ですね。──一緒に行きましょう」

「僕があなたを守ります」

「じゃあ私も、あなたを守ります」

 サヤカは、崖を背にそう言って笑う。彼女の後ろで太陽が輝いていた。肌寒い風が吹き荒れて、ゆったりとサヤカを攫っていく──マコトはそんな風に感じた。雪に溶けてどこかへ行ってしまいそうだ。

 透明な沈黙がふたりの間に流れていった。一拍置いて、サヤカが続ける。

「とりあえず、そうだなあ……敬語、やめてみませんか」

「……そう、だね。サヤカ」

「うん、よろしく!」

 マコト、とサヤカが紡いだ。その声は冬に熔けていくように、ゆっくりとかき消えていった。

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