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ハルノオト  作者: 深瀬 空乃
一章 長い冬
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遥か遠くの靄の向こう

 それから暫くは、話に花を咲かせた。サヤカはそろそろ齢十六になること、マコトは十六の誕生日を迎えたばかりだということ。好き嫌いが特にないサヤカに対して、マコトは辛いものが食べられないのだということ。サヤカには妹、マコトには弟と、ふたりとも下に兄弟がいるということ。騎士見習いは何をしているんですか、と尋ねた時だけ、困ったように笑って誤魔化されてしまったけれど。

「手首、そろそろ……」

「あ、そうでした」

 溶けた雪が水滴となり、サヤカの腕を滴っていたが話すのに夢中で気が付いていなかった。心臓より上にしておけといわれた腕も、いつのまにか下に向いて積もった雪に触れている。

 マコトがサヤカの手を取ると、感覚がほとんど失われた肌が少しくすぐったかった。マコトは慣れた手つきで包帯を巻いていく。左手首がしっかりと固定されるのはすぐのことだった。

「ありがとうございます、マコトさん」

「いえ」

 顔の前で手を振って見せたマコト。サヤカが軽くお辞儀をしながら立ち上がる。鞄を背負いなおし、何かを憂うように遠くを見つめるマコトに手を差し伸べた。

「あっちに、見晴らしのよさそうな崖があります」

「…………はい?」

「行きましょう」

 無事なほうの右手で、立ち上がりかけていたマコトの手を無理やり引いた。さっき、狼に追いかけられていた時とは逆の状況だ。さっきとは緊迫感も空気もなにもかも、違うけれど。マコトは転びそうになって情けない声をあげながらもサヤカについてきていた。

 サヤカは帽子を固定されたほうの手で押さえながら、跳ねるような走りで森を駆け抜けた。荷物が揺れ、マコトの剣が揺れ、がしゃがしゃと音を立てる。

 凍り付いてしまいそうな寒さの中、汗をかくんじゃないかと思うくらい顔が火照り、息が切れた。なにかから逃げるだとか、急いでいるだとか、そんな口実なしに全力で走るのは久しぶりで、サヤカは笑顔がこぼれる。サヤカの後ろをついてきているマコトの表情は窺えないが、途中から疑問や驚きの声は途切れていた。

 サヤカは森が開けるところまで走りきると、ゆっくりと止まった。息が切れて、二人ともなにも話せない。しばらく、雪に溶けるように二人の息遣いだけが響いていた。満足げな表情のサヤカに、マコトはまだ目を白黒とさせ、状況が呑み込めていないようだった。

 やがて、マコトがサヤカに声をかける。

「どうしたんです、急に……」

「ちょっと走りたくなって」

「そんな無茶苦茶な」

「全力疾走した後って、気持ちいいじゃないですか」

 その言葉に、マコトは呆れたように、それでいて心底楽しそうに顔をほころばせた。「久々です、こんなの」と続けた。

 サヤカはゆったりと歩いて、崖からの景色が綺麗に見える位置まで移動した。マコトもそのあとを追う。その途中、素早く方位磁石を確認していたのを、サヤカは見とがめた。

 下を向いていたマコトに、「ほら」とサヤカが指を差した。

「ここからなら──やっぱり見えます。王都」

「え、」

「王都というか、お城が、ですけど」

 いくつかの山と、それから道中に通るであろう町が、ふたりの視界を埋めていた。それから、その山の向こうに小さく臨む海。そして、この国の中心である、王都のその城が覗いていた。一番大きな部分の天辺が見えている。そして、王都の端にひっそりと建つ『四季の塔』も少し見えていた。遠く靄の向こう、マコトは自分の故郷を思い出す。

 何を言うのもわすれ、マコトはぼうっとその景色を見つめた。

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