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ハルノオト  作者: 深瀬 空乃
四章 決断の時
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羨望

 夜明けの直前に、シュカの小屋が見えてきた。こくりこくりと船を漕ぎながらも、マコトに手を引かれて何とかここまでやってきたサヤカに、最後までシュリが申し訳なさそうにしている。

 あれだね、とナフェリアが小屋を指さした。

「まあ、早い時間だけどそれこそ叩いてでも起きてもらおう。シュリに会ったら目も覚めるだろうよ」

「…………本当に、シュカに会えるんだね」

「よし、走るか! いくぞシュリ!」

「えっ!? ちょ、ちょっとまってよミコト!」

 五人のほかにはなんびとたりともいない、静やかな森に足音が響いていた。ナフェリアが後を追いかけて走り始める。手を取られて走り始めたシュリが振り返ると、サヤカも頭をふるふると思い切りよく振ると、走ってついてくる様子だった。

 ミコトが楽し気に呪文を紡いで、まるで道を示す灯篭のように空中に火を灯した。シュリが行く先へ広がって、そして最後尾のサヤカが通り過ぎると消えるその魔法に、思わず目を奪われる。こりゃすごいねえ、とナフェリアが他人事のように呟いた。

 どきりどきり、と鼓動が早まる。手を繋いでいるミコトにも、後ろをついて走る三人にもその大きな音が伝わってしまいそうで、思わず胸を押さえた。冷たい森の空気が肺を埋め、体温をゆっくりと下げていくくせに、どんどん頬は上気する。

 会えるのだ、ずっと待ち望んでいた相手に。沢山の奇跡が積み重なって、夢のような夜明けが来るのだ。

 小屋の扉は閉まっていた。シュリの到着に遅れることなくナフェリアが追い付いて、すぐにサヤカとマコトも辿り着いた。流石のサヤカも、走れば目は覚めたようだ。

「ほら、行くぞ」

 ミコトがシュリに笑いかけた。こくりと頷いて、扉をノックしようとしたシュリは、自分の足が竦むのが分かった。ここまで来たというのに、最後の一歩がまるで縫い留められたように動けない。サヤカもその異変に気が付いたらしく、息を整えながら名前を呼ばれた。ナフェリアがそんなシュリを一瞥する。

 シュカも、シュリを忘れていないことはわかっていた。楽し気に姉のことを話していたというのも、サヤカたちから聞いた。ならば何も恐れることはないはずなのに、今ここで頽れてしまいそうなほどに、足が震える。白い息を吐いて、それがただ虚空に溶けていくのを何度か見守ったあたりで、ナフェリアがすっと前に出る。

 彼女は思い切りよく、小屋の扉を叩いた。割れてしまいそうなほどの音を立てて、扉が揺れる。ナフェリアは軋む扉に頓着せず、それを何度か繰り返した。

 がたがたと、扉の向こうで気配が動いた。びくりと肩を揺らすシュリに、ミコトがつないだ手をぎゅっと強く握る。サヤカがそっと歩を進め、シュリの隣を陣取った。少し寂し気な笑みで、シュリを励ますように笑う。

 扉の向こうで警戒している気配に、ナフェリアが声を張った。

「夜半にすまないね、シュカ。ナツだよ」

「……ナフェリアさん?」

「少し急ぎの用があったんだ。起こしといて今更なんだけど、ちょっといいかい?」

「アルジュとマナに、なにか?」

「いや、シュカに」

「俺に? ……ああ、すみません。今開けます」

 眠そうで、シュリの記憶の中のシュカよりも低い声だった。体を強張らせたシュリに、サヤカが大丈夫、と小さく言う。

 鍵が開く音がして、ドアノブがゆっくりと回る。気だるそうに扉の向こうに待っていたのは、薄い茶の髪をした少年・シュカ。扉の先に待っていたのがナフェリアだけでないことにすぐ気が付き、怪訝そうな顔をしたのちに、ふとシュリのほうを見る。まさか、とつぶやいた後に、目がゆっくりと見開かれる。

 森の向こう側では、太陽が顔を出していた。どうやら、普通に歩くよりも時間がかかっていたようだった。夜半と言ったけれど、もう目を覚ます時間だったなとナフェリアは思う。後ろにいる気配は、ぴたりと息をするのを止めてしまっているようだった。ナフェリアがゆっくりと退いて、扉を開けた体勢のまま石像と化したシュカへの道をまっすぐ開ける。ふたりの姉弟の間に、もう三歩も距離は残っていない。

 とん、と背中を押したのはサヤカだった。彼女はいつもの優しい笑顔のままに、シュリの呼吸を再開させる。それをきっかけに、弾かれたように駆け寄ったシュリは、勢いよくシュカに飛びついた。勢いを受け止めきれず、シュカが思い切り床に尻もちをつく。シュリも地面に膝を思い切り打ち付けていたが、気にしてもいない様子だった。抱きしめかえすのも忘れて、シュカが問う。

「……姉さん?」

「うん、シュカ」

「……ほんとに? 俺の夢とかじゃなくて?」

「朝だもん。夢なんかじゃないよ」

 シュカが、ナフェリアをゆっくりと見上げた。

 子供たちを助けるときに、一時的な避難場所として──そして、自分の幻惑魔法を使って彼らを助ける手助けをする代わりの願いだった。いつかどこかで自分の姉を見つけたのならば、ここにいると伝えてくれと。それは一生涯かけても叶うかわからないささやかな願いで、いわば願掛けのようなもので。シュカはまさか本当に姉と会えるなんて思っていなかったのに。たった数日でシュカの願いは叶ってしまった。

 寝惚けて見ている夢じゃないかと未だ疑っていたくせに、この体を包むぬくもりに思わず涙が零れる。生きている、触れられる、声が聞こえる。ようやく事の次第を理解して、シュカはおそるおそるシュリの背に手をまわした。ぎゅうと強く、その柔らかで細い体を抱きしめれば、シュリが堰を切ったように泣き出した。

 ミコトがシュリのそばまで来てしゃがむと、ぐしゃぐしゃと無遠慮に頭を撫でた。シュカよりも幾分か濃いシュリの髪の、二つ結びの片側がほどけた。嗚咽が小屋に響いては消えていく。

 それを見ていたサヤカが、ゆっくりと口角を上げた。まるで眩しいものを見るかのように目を細め、風に掻き消えてしまいそうなほど小さく呟く。

 マコトだけが、それを聞いていた。

「…………いいなあ、家族」

 マコトはその日初めて、その薄桃色の目にかつての自分と同じ翳りを見たような──そんな気がした。

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