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4人のメンヘラと青春  作者: 炬燵蜜柑
3/3

3話目

仕事なめてましたいやほんと遅れて申し訳ない

大多数の男子生徒が、憧れの「女子生徒との登下校」と聞けばそれこそ胸が高鳴るものなのではないのだろうか。俺もその御多聞に漏れず、その言葉の響きだけでご飯三杯は食べれる・・・いや、それは誇張だけど。

ともかく、それくらい甘美な響きがそのワードにはある。

あるのだが、今回に限ってはその限りではない。

何故かと言えば、この長瀬という女生徒の身辺を、噂ながら知ってしまっているからだった。

当然、レズなのかどうとかそういうことではない。それは高校から広まった噂なのであって、俺が知っているのはそんな最近のうわさではなかった。

「うん、いい天気ね。いや、こんな日に勉強しないといけないなんて、本当受験生って億劫だわ」

自転車を漕ぎながら、長瀬は言った。その表情は本当にこの天気を楽しんでいるようで、そこに裏表はまるで感じない。うん、こいつはそういうやつなのだ。裏表がない。毒を吐くときもあるけれど、基本的にはポジティブで良い奴なのだという印象は子どものころから変わっていない。

「そうな。今日昼寝でもしたら楽しいだろうに」

「不健康ね。昼寝なんて雨の日でも出来るじゃん。こういう日は~そうね、買い物に行ったり、買い物に行ったり、買い物に行ったり?」

「買い物にしか行ってねーけどお前の休みの日って買い物で出来てんの?」

「まあ、そうね。休みの日は図書館に行ったりもするけど、日ごろはずっと外にいるから」

「そっか」

そこは詳しく聞かない方がいいかもしれない。俺の中の警笛がそれ以上の言葉を許さなかった。

「おっと」

交通量が多い大通りの手前でブレーキをかける。自然、隣でブレーキをかけた。

ふと、自転車を漕いでいる足が目に入った。女子高生の生足というのが本当はどれだけの価値があるものかは俺はまだ理解できていないけれど、それでも、ん、いいな、と思うには十分な代物だ。部活禁止なクラスではあるから筋肉はついていないが、それでも節制を怠らない艶めかしい太ももは、正直言ってたまらないの一言ではある。

ほんの少し目立つ、足の痣を除けば、だが。

「どこ見てんのよ」

「え? 太もも?」

「うわスケベ!? 浅岡ってそういうキャラだったの?!」

「スケベも何も。はっきり言って男の大多数は間違いなくそういうキャラだぞ」

「うわー……そこまで明け透けだと男らしいと思うより逆に引くわー……」

太ももを手で隠しながら完全に害虫を見る目で見られた。

正直、その仕草が一番かわいいと思った。

「何にやついてんの」

「いや、別に」

「やめろ! なんか頭の中で色々妄想されてそう! 今まさに年頃の男の頭の中で可憐な私が毒牙に!?」

「お望みとあらば……」

「妄想すんな!」

アハハハ、とさわやかな笑顔で突っ込みを入れる長瀬を見て、こいつは本当に俺が知っている長瀬なのだろうか、と疑ってしまった。

長瀬香月は、DVを受けている。

もちろん、確定、というわけではない。疑わしい証拠が多いというだけで、誰もそれが本当かはどうか調べることはしなかった。それは中学から変わらない。

どこまでひどいDVなのかは分からない。少なくとも、体育も何もない時に痣が出来てきたりしているのを見たことがあるし、水泳の授業は毎回休んでいた。その理由を教師は問い詰めた一方で、特に何のペナルティもなかったことがその噂を確定させた。

俺がその噂を聞いたきっかけは実に単純なことで、好きな女生徒の水着姿を拝んでみたいと思い、周囲に色々聞いていたところ、その噂にたどり着いたのだった。うむ。我ながら中学生のころから随分大人びた思考をしていたと思う。いや、おっさん化してるとは断じて思わない。うん。

だからこそ、こんな女の子が本当にその噂の渦中の人間なのだろうかと、本気で疑わしい。そんな家庭環境の中で、こんな人間が育つのだろうか。

「お、信号変わったぜ、行こう行こう」

「おお」

また上機嫌に自転車を漕ぎだす長瀬に、俺はただただついて行った。大通りを越え、両脇に畑がある小道を走り、東名高速道路をくぐって、大きな川がすぐ右手に見えた。川の両脇は既に散った桜が青い芽を付けており、所々に季節外れの桃色の花が見える。

おー綺麗だねーなんて、呑気というか、なんというか。

身長が160センチと女性としては大き目の身長に、がりがりというよりは若干肉付きの良い、だが、太くはない絶妙なバランスを保ちつつ、出るところは出て引っ込むところは引っ込む、体つきで言えば贔屓目になるがそれこそそこらのアイドルと何ら遜色はないその容姿に、笑顔が似合う顔が乗っていて、あまつさえ川沿いを笑顔で自転車で走り抜けてるなんてもうなんていうかこれは一枚の絵画なんじゃないかとか、そんな感想を持ってしまった。

「何だ何だ。さっきからじっとこっちを見つめやがって。照れるじゃないか」

「いや、何ていうか、絵になるなって」

「そう? 絵になる? そんなこと初めていわれたな。いやはや照れるぜ。にゃはは」

そう言いつつ自転車を漕ぐ横顔は、まるで照れた様子はない。おそらく、この手の言葉は言われ慣れているんだろう。

川沿いから一本横にずれると、今度は別の大通りが顔を出す。この辺りは小学校や中学校の学区の範囲内で、自然、交通量も人の行き来も増えていく。さっきまでの田舎道では人一人見れなかったが、文化部の部活帰りなのか、それともただグダグダと時間を使っていただけなのか、制服姿の男女がちらほら見かけれる。

俺の家はここから約5分もいらないところにあるし、そして長瀬の家も、ここから8分程度のところにある。

「さ、ちょっとアイス買って公園で駄弁ろうぜい」

「アイス、ねぇ」

ここらでアイスと言えば、コンビニか30のアイスクリームくらいだ。だが、話の流れ的に恐らく後者だろう。サーティのアイス、美味しいんだけどな。高いんだよな。特に中学の頃は体育会系の部活なんてやってたもんだから、帰り際のアイスにサーティのアイスなんて贅沢、それこそ夢みたいだったな。ポッピングシャワーが好きだった。

だが、高校生にもなるとある程度のお小遣いもあるし、問題ないか。そう言って誘導されるままにサーティの中に入った。入った瞬間に分かるバニラビーンズの匂い。あぁ。これだよこれ。中学の頃はこの匂いに悩殺されたんだっけ。

「ラブポーション一つと……浅岡は?」

「ポッピングシャワー」

「一つずつ下さい。あ、お代は一緒でいいです。いいよね、浅岡?」

奢る流れだった。

渋々財布の中から千円を取りだし、長瀬に渡した。長瀬がハイテンションでお金を払うと店員がアイスをよそうお玉みたいな器具を片手にいそいそと準備をし始めた。

その間に色々なアイスを見る時間が出来た。ああ、何か色々な種類増えてるな。男でサーティに入ることなんて滅多にない。来るのも1年ぶりか、2年ぶりくらいではなかろうか。新商品くらい増えてるのは当たり前か。

「ふんふふーんふーん、あいすあいすー♪」

そして隣で鼻声交じりに笑顔で横に揺れてるかわいい生き物一名。

なにこれ、可愛い、これはやばい。これは破壊力高いわ。ちょっとにこにこ無防備にしてますけど貴方、あなたが揺れるとその上半身にぶら下げた二つの大きなものも揺れてなんかこう目のやり場に困るっていうかああもうかわいいなこれもう。

「ん? どしたの?」

そんな邪な視線にまるで気づかないとでもいうかのように、上機嫌100%の笑顔をこちらに向けてきた長瀬に、俺はとっさに視線をそらした。

「いや、いろんな種類増えたなって思ってさ」

「あ、浅岡来るの久しぶりなの? なんかハンバーガー屋じゃないけどさ。あれと同じようなスパンで季節ものとか結構出るんだよ? 完全な新商品っていうのは結構珍しいけどね」

「へえ。ああ、ハロウィンだったら芋とか、そういう感じなのか」

「そうそう。あー今日ここに寄れるとは思ってもみなかったなー。いやー私アイスには目がなくてさー。ありがとうね浅岡!」

一言もアイス奢るなんて言ってないまま巻き込まれた形だが、もうここまで幸せそうな笑顔を見せつけられてその上で断る事はさすがに俺にはできない。いいよ、安いものだよ、何て格好つけて、店員さんの手元を見ることにした。

店員さんの手は細く、しなやかで、慣れた手つきでお玉のようなものをつかってすいすいとアイスをくみ取り、カップに入れていった。しかし実に良い手のライン。ほっそ。手首に見えている少し高めの腕時計がなかなかいいアクセントになっている。肌しっろ。

「このお玉みたいなのってなんていうんだろうな」

「知らないの浅岡? ディッシャーって言うんだよ。ね? 水瀬ちゃん」

「え?」

「ええ。さすが長瀬さんですね。博識ですわ」

声の主を見る。今まさに盛り付けている店員。専用の帽子に紛れ、髪は見えないが、圧倒的な美肌は見て取れた。高い身長にそれ以上の威圧感を持ち合わせた生粋の女王様と言っても過言ではない、水瀬香月の姿がそこにあった。

でも可愛いエプロンのせいで威厳は半減している。っていうかこのギャップ……。

カシャ。

「ちょ、何撮ってんのよ! ここはそういう店じゃないんだけど!」

「いや、ちょっと。これはもうなんか、反射的に? ほら。なんか撮らなきゃいけないものみたいな」

「やめてよね! 一応私たちの学校、バイト禁止って言ってるんだから! せっかく遠くのバイト先にしてるのに意味なくなっちゃうじゃない! 停学とかになったら許さないからね!」

「大丈夫大丈夫。そこらへん分かってるやつにしか広めないし」

「広めるの前提で撮るのやめなさい! あ! 今LINEか何か使ってるだろ! 操作をやめなさい!」

「ちっ……バレたか」

流れるような手つきで純にラインで写真を送ろうとしていたが、断念。こういうの、あいつ好きそうだったのにな。まあ、明日見せてあげればいいか。

「おーい、水瀬ちゃーん。言葉遣い、気を付けてねー」

「はーい。店長、すいません。知り合いが来てたもので。直します」

後ろから聞こえる声に慌てて反応しながら、水瀬はお釣りの計算に入った。

「水瀬ちゃんは頑張り屋だねぇ。授業終わりにアルバイトなんて、そんなことしてたら私体壊しちゃいそうだよ。受験勉強もあるのに」

「そんな、とんでもない。物覚えだけは良かったものですから、授業なんて聞かずに休んでいるだけですし……」

ポッと、頬を赤らめながら明らかに俺よりも水増しする雌一匹。

ポッてなんだポッって。少女か。あと差別すんな。

「……」

「な、何だよ。何も言ってないだろ」

「……」

こちらをゴキブリを見るかの様にしばらく見た後、水瀬はぺいっという効果音とともに俺のアイスを半分戻した。

「おいっ!?」

「ゴキブリにはこれくらいがお似合いよ」

「ゴキブリって言った?! 店長!? この店員さんひどいよ!?」

「おーーーーい? 水瀬さーん?」

「はい店長! お客様の聞き間違いです! 大丈夫です! あんた……いつか殺す」

「こらこら水瀬ちゃん。今日は私がこいつ連れまわしちゃってるからさ。悪いんだけど普通のお客様と同じ扱いしてあげてよ」

「長瀬さんがそう言うなら……」

渋々という言葉が態度に出るならばまさにこういった態度なのだろうという億劫さで、水瀬はアイスの量を元に戻した。

「お店の中じゃあれだから、外で食べよう? 浅岡。水瀬ちゃん、またあとでね」

「はい。長瀬さん。終わったらいつものように連絡しますね」

「うん。いつもありがとね。じゃあね」

そう言って、店を出る長瀬の後に続く。後ろから異様な殺気というか、不穏な気配を感じるが気づかないことにしておく。

「さて、どこで食べよっかな……この辺りだと……そうだな、海側にいこっか。あっちの方に公園あったし、何なら海沿い歩いてもいいし」

「海か」

海沿いはあまり好きではなかった。海独特の匂いが正直、あまり好きになれない。

特に雨の日はひどい。魚か虫か、それ以外なのかよくわからないが、何かが腐ったような臭いがする。俺の家は海に近いので、雨が降るたびにうんざりした。

「何、浅岡は海嫌いなの?」

「うーん。まあ、臭いし」

「あはは、そうだよねー。私は慣れちゃったから、別に気にしないけど、子供のときは苦手だったな」

ショートの髪の耳元にかかった髪を、手で軽くかきあげ、長瀬は言った。

なんかすごいセクシーだ。無自覚に唾をのんでいただ。

「なんだなんだ。見惚れてるのか」

「いや、そういうんじゃないけど」

「そういう時は、嘘でも見とれてるって言われた方が嬉しいなぁ……」

「すごいセクシーで思わず欲情した」

「そこまでは言われたくないかな?!? なんか浅岡そんなキャラだっけ?! ぶっ壊れてるね?!」

「いや、元々こういうキャラだけど」

特別、かかわったことがないだけで、俺のスタンスは基本中学校からは変わっていない。

小学校だとさすがに純朴だったはずだが(というか、そう願いたいが)。

「自転車だとアイス持ちにくいし……歩いていこっか。浅岡、散歩は好き?」

「嫌いじゃない。というか、正直ありがたいかな。今は体力づくりをしなきゃいけないし」

「ああ、そっか。警察官の試験だもんね。体力テストもあるよね、そりゃ」

アイスを一口頬張りながら、長瀬は言った。凄い笑顔だ。もう、上機嫌ここに極まり、みたいな。

「そうそう。今日からマラソンでも始めないとな」

「いいね。スポーツマンだね。うちもなー。部活とか自由だったら良いのにね。すごく楽しいのに」

「青春を謳歌できないよなぁ。なんか、学校終わってからすぐ塾行って、なんて。味気ない」

「本当にね。いやー。私も青い春送って見たかったよ。こう、誰かに告白されたりしたりとか」

実際、そういった浮ついた話はこの女には無縁だった。誰か近づこうとするものなら、あの店員よろしく、全力で排除する輩がいるからだ。

単純にそういった話に縁がないのとはまた少し違う話だが、結果的に恋人ができないことには変わりはないので突っ込みはなしにしておく。

「そうだよなぁ。美人マネージャーとムフフな展開したかった」

「浅岡のキャラ大体わかってきたけど、そのまま社会に出たら君、きっとそのうちセクハラで捕まるよ」

マジでか。

「この辺りも懐かしいね。中学の時は馴染み深かったんだけどな」

ふと周囲を見渡す。確かに、懐かしい風景だ。この辺りは通っていた中学にほど近い。部活帰りに遊んだ地域。懐かしいといってもそれこそ、3年前には毎日でもうろついていた場所だし、そもそも高校への通り道に近いので、比較的見慣れた景色ではある。だというのに、懐かしいね、と言われると、確かになぁ、なんて思ってしまうのは俺が単純だからなのだろう。

「中学の頃は部活三昧だったのにな。あの頃の体力を引き継いでいたら、きっと体力テストも余裕なのに」

「ほう。そんなに部活部活してる生徒だったっけ、浅岡は」

「いや、実はそこまで本気ではやってなかった」

「ダメじゃん」

アハハハ、と笑いながら、長瀬は本当に楽しそうに俺の前を歩いて行った。

果たしてどこまでが本当なのだろう。噂で人を判断しては良くないとは思うが、それにしたって聞いている話と今目の前にいる女の子の態度が違い過ぎていて、何を信じたらいいのか、良くわからなくなっていた。

「水瀬ちゃんね」

「うん?」

「水瀬ちゃん、私のためにこんなところまでアルバイトしに来てるんだ。家は学校と逆方向なのに、わざわざこっちまで来てくれるんだよ。バイト終わりに必ず私の家の近くの公園に来てくれて、色々話を聞いてくれるの」

「……それは」

「良い子でしょ? だからねー。私は水瀬ちゃんが大好きなんだ。ううん、水瀬ちゃんだけじゃない。山内さんも上木さんも、ちょくちょくこっちに来てくれるんだ。山内さんなんて学校挟んで自転車でも40分くらいかかるのにね。だから私はみんなが大好きなんだ」

「……」

何故、とは聞けなかった。それは長瀬の境遇を知っている人間ならば、長瀬の側の人間であるならば、それくらいやっていてもおかしくはないと思ったから。

「浅岡は、私のこと、知ってるよね?」

ドキリとした。心臓が、信じられないほど大きな鼓動を上げた。

「どこまで知ってるかな?」

振り返ってこちらを見る長瀬の目は、ほんの少しも笑っていなかった。

口元は緩んでいるのに、目は、ほんの少しも笑っていない。

そのギャップに、背筋が少し寒くなった。

「DVを受けているっていう話だけは、知っている」

「その噂はね。正しいんだ。もし浅岡が人を噂だけで判断しちゃいけない、なんて真面目君な事を思っていたのだとしたら、それは間違いだよ。火がないところに煙は立たない。少なくとも、悲しいことにそういうことなんだよね、これが」

「………」

何も言えなかった。言うことが出来なかった。金縛りにあったように、頭の中の思考が停止しているのがわかった。だって、何が言えるだろう。

こんなことを言ってくる女の子に、少なくとも、自分よりも遥かに不幸な境遇であると思える女の子に、一体何が言えるだろう。かける言葉を持っている人間がいるなら、教えてほしいくらいだった。

「あはは。そんなに困ることないよ。別に、浅岡を困らせたくてこんな話をしてるんじゃないし」

交番の隣を歩き、大通りをさらに南側へ進む。長瀬はこちらを振り向くことなく、警官に軽く挨拶をして信号を渡った。警官は少し顔見知りなようで、どこか微妙な面持ちで挨拶を返していた。長瀬に続いて俺も会釈してあいさつを交わすと、少し驚いたように挨拶を返してくれた。

ずんずんと進んでいく長瀬に、ただ黙々と着いていく。どういった言葉を開けばいいのか、皆目見当もつかないまま、ただただ金魚のフンの様についていくことしかできなかった。

「今の人ね、実は結構面倒見てくれてたんだ。まあ色々あって警察の力を借りるっていう選択肢がなくなっちゃったんだけど、たまに海を散歩してるとアイスとか色々買ってきてくれるの」

「良い人なんだな」

「そうそう。私は周囲の人には恵まれているんだ。ラッキーガールだよね」

周囲の人には。

その言葉のイントネーションに、少し重みを感じた。

交番を通り過ぎて3分ほどで海に着いた。舗装されたコンクリートの坂道を下ると、もうこの地域に住んでいる人はうんざりするほど見知っている砂浜だ。所々ゴミが落ちているが、周囲の小学校の生徒たちが人海戦術で定期的に清掃に入るので、ゴミの山みたいなものは見当たらない。

砂浜の前は旧国道が通っており、海だというのにやけに車の音がうるさく、情緒も何も感じない。海とはいっても遊泳禁止の地域で、夏でも冬でも、人が集まることはほとんどない。

小学校の頃は授業の一環としての海岸清掃という名のボランティアという名の教師の授業放棄の時間が本当に嫌だった。だって、少なくともごみを捨てているのは自分たちではないし、だというのに、貴重な授業時間がなくなる。小学校の頃は自習の時間がやけに多く、それこそある一定以上の問題を解いた人は休み時間と同様、外で遊んでいいよと教師に言われることがあった。

一方で海岸清掃はそう言ったこともなく、ただひたすらにゴミを拾い続けるだけで、さらに海岸は犬の散歩コースに適しているせいか所々にある犬の糞を踏んだりと、それこそまるでいいイメージはなかった。

教師たちは海綺麗だねーなんて騒いでいたが、そんな綺麗さを味わうほどの落ち着きは、当時の自分にはなかった。

「海、きれいだねー」

後方で絶えない車の音を気にしないとでもいうかのように、長瀬は言った。

「実はあんまり、海は好きじゃないんだ」

「そうなの? 私は逃げ場所がなかったからなぁ。街で時間をつぶすお金もないし、公園だと皆に変な目で見られるし。ほら、ここらへんってほとんど人来ないじゃない? だから時間をつぶすにはちょうど良くてさ」

「確かに、このあたりでは人が集まりにくいな。雨の日とか、臭いひどいし」

「そうだよね。あの臭いは未だに苦手だけどなぁ。それでも、家にいるよりはマシ」

溶け始めているアイスを一口、口に頬張りながら長瀬は言った。その表情はほんの少しも曇っていなかった。

そのしぐさを見て、まるで鉄の仮面の様に思えて背筋が寒くなった。この女の子の常日ごろ見せている表情は、一体どこまでが本心なのだろう? さも裏表がなさそうな天真爛漫さとはあまりにも差がありすぎる。

「ごめん、話がずれちゃったね。何を話そうと思ったんだっけ……そうそう。自分の進路の話だった」

そういえば、そもそもそれを話すために一緒に帰ってきたんだっけ。驚くことが多すぎて、元々の目的を忘れてしまっていた。

「私は、とにかくあの家を出たいの。高校まではどうにもならなかったけど、大学からは一人暮らしを出来る。奨学金がもらえれば自分一人で生活できるし、もう親とかかわらなくて済む。成人しちゃえばそれこそ、関係ないっていうこともできるし」

にこにこと、アイスを食べながら、さらりと彼女はそう言った。

「なんで、そんなに」

「何で、って言われても。当たり前じゃない? 私は今まで我慢に我慢をしていたの。暴力を受けてなお楽しんでいられるほど私は強くはないわ。本当に辛かった」

ほんの少しも、微動だにしない頬の緩みが、冗談を言っていないと、言っているような気がした。

怖い。この女の子の、精神の在り方が、とても怖い。

そんなことを語りながら、まるで悲しいそぶりを見せない。そんな状態でも、笑顔を振りまいている。

なのに、呟く彼女の、目はほんの少しも、笑ってはいないのだ。

「だから県外へ出ようと思ってるの。県外ならどこでもいい。東京でもいいし、千葉でもいいし、長野でも愛知でも、何でもいいんだ。とにかくここから、私は自分の家から離れたくてしょうがないの」

「……そりゃ、難儀だな」

「そんなことないわ。だって、あと一年だもの。今まで何年我慢してきたと思ってるの?」

「いや、そういうことじゃなくて。長瀬は、何かやりたいことがあるっていうわけじゃなく、生きるために外に出るんだなって」

「そうね……そうなの。そうなのよね。痛いところをつくね。浅岡。警察官っていうより、刑事に向いてるのかもね」

アイスを頬張り、はあ、とため息を吐いて、長瀬は続けた。

「その通りなのよ。だから、浅岡と話したかったんだ」

「どういう意味?」

「言葉通りの意味よ。私はさ、浅岡が言った通り、今の家から逃げたいだけなんだ。だから、将来何かやりたいとか、そういうポジティブな理由で外に出るわけじゃないの。なりたいものなんかより、逃げたいものがあるから、そこまでどうしても考えが行かないのよね」

「……別に、そんなに大したものじゃ」

「大したものよ。だって、やりたいことがこの年ではっきり決まっているなんて、なかなかいるものじゃないもの。少なくとも、私の周りにはいなかったわ」

私の周り、と聞いて浮かぶのはあの三人。確かに、彼女らが何かになろうという話は聞いたことはない。

噂の的になるほどの彼女らにそう言った意思があるのなら、こぞって噂の的になるだろうに。

「ねえ、何で警察官になろうなんて思ったの?」

「何で、って、言われてもな」

「何でもいいの。教えてほしいな。実はさ、今、こういう風に自分の道を決めてることを、いいのかな、って思っちゃってるんだ。逃げるのは決めているのだけど、それからの事を考えるとさ……どうしようかな、って不安になるんだ」

だからこそ、俺と話したい、なんて思ったのか。

「とは言うものの、決めていたのは割と早いんだよな」

何故警察官になろうと思ったのか。そう言われれば、自分でも確固たる理由はない気がしてきた。

「いろんな職業を調べたけど、自分がなるなら、これがいいな、っていうか。なんていうか」

「何でこれがいい、なんて思ったの?」

先ほどと違い、目を輝かせて、こちらを見てきた。近い。顔近い。

「自分がなるとしたら、これかな。って」

「なるとしたら……って、なんか変な表現ね」

まじまじとこちらを見ている目が、こちらの瞳を捉えて来て離さない。どうも、納得いく答えがない限り、この状況は何も変わらなさそうだ。

「俺はさ、小学校の高学年。五年生だったかな。その頃に、両親が離婚しているんだ。母親が俺と妹を引き取って終わって」

「そうなの。ごめん、そういう人になんて言っていいか、分からないけれど」

「気にしなくていいって。もう自分の中では区切りがついているし、話したかったのはそこじゃなくて……ああ、そうそう。離婚した父親は『正しい』人だったんだ」

「正しい?」

「そう。酒も飲み過ぎない。たばこは吸わない。家族を大事にしていたし、犯罪何てしなかった。それこそ、記憶の限りでは信号無視すらもしていなかった。だいぶ貯金はあったみたいだし、遊ぶ金よりも自分の家族に使うお金の方を重要視していた」

「なんか、それだけ聞くと立派なお父さんね」

「事実、立派だったと思う。『自立した大人になりなさい』、『そのために、人に迷惑をかけないようにしなさい』、『そして出来るのなら誰かを守れるようになりなさい』父親が口を酸っぱくして、その言葉の意味すらも分からない小学生の自分に良く語っていたよ。そして、父親はその言葉を実践していると思っていた」

「……そう、なんとなくわかってきた」

「そう? 結局、離婚の原因はさ、父親の浮気だったんだ。あんなことを言いながら、父親はただ一つだけ正しくなかった。そこを間違わなければ、今もきっと、家族水入らずで過ごせていたはずなのに。だから、俺は正しくありたくて」

「正しさの見本のような、警察官に憧れた……っていうことなのね」

「そう、なのかな。気づいたら、それ以外の選択肢がなかったっていうか」

「なるほどね……でも、それは浅岡がやりたいことっていうわけじゃ、なさそうね」

「えっ……」

「なんだか、私と似てる気がするもの……残念。私が求めている答えじゃなかったわ。ほら、アイス溶けちゃうよ? 食べないの?」

つられてアイスを口に運ぶ。パチパチと口の中ではじける炭酸ガスの刺激が心地いい。

「浅岡はさ。きっとなりたいんじゃないのよね」

「どういうこと?」

「なんとなく。ならなきゃいけないっていう理由で選択してるんだと思うの。やりたい。っていう理由じゃ、ないのよね。今の環境から逃げたい私と、自分が思っていた正しさから逃げれない浅岡と、大して違いが無いように思えるの」

「……それは、どういう意味?」

「仲良くなれそうね、っていう話よ。アイス、美味しかったわ。ありがとう。私はここで水瀬のバイトが終わるまで待ってるけど、浅岡はどうするの?」

「そうだな。ここで待っている理由もないし……家で勉強でもしておくよ」

「そう? じゃあ、また今度ね。浅岡とは、もっといろいろ話したいな」

そう言って、またねと手を振る彼女に背を向けた。

残りのアイスを口の中にかっこんで、残るカップを掌でつぶした。

指の隙間から垂れる液体になったアイスを舐めながら、ほんの少しイライラしていることに気づいた。

ちらりと後ろを見る。彼女はもうこちらに興味をなくしたかのように、海をただ見つめ佇んでいる。

『正しさから逃げれない』

その言葉が胸に残って、まるでぐるぐると自分の体の中を侵食しているように感じた。

一体、それの何が悪いのか。

回答が出来ない問いが、悶々と頭の中から離れなかった。

自分でもびっくりしてますが全然続きます

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