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あの夏の日のこと  作者: 小日向 冬馬
9/9

~事件 解決~


 明くる日の火曜日、学校に塩谷の姿は無かった。


 天音は複雑な心境で一日を過ごし、下校時間を迎える。


 「塩谷、今日も来なかったね……天音と何かあったの?」


 心配そうに覗き込む麻里佳の顔に、天音は力無い笑顔で「別に……」と返した。


 「そう」


 天音の表情から何かを察した麻里佳は、それ以上の詮索はしなかった。


 「帰ろうか」


 天音がランドセルを背負うと、「うん」と頷き、麻里佳もそれに続く。

 天音と麻里佳が重い足取りで児童玄関を出て、校門まで来ると、大人に声を掛けられた。


 「天音さん、これはどう言う事なの?」


 眉を顰めた園崎が天音を待ち構えていた。

 暗い顔の天音が園崎を見上げて言う。


 「……それが真犯人ですよ」

 「だって……それじゃあ……」


 天音の言葉に困惑を隠し切れず、態度に表す園崎に天音が語る。


 「真相をお話しします。私を車に乗せてください」

 「私も行く!」


 刑事の車に乗ろうとする天音について、麻里佳も手を挙げる。

 駄々を捏ねる麻里佳に刑事は仕方無く頷き、二人を車に乗せて走り出した。



 車は塩谷の家に到着すると、天音が車から降りて、祈るような気持ちで、塩谷家のインターホンを押す。


 「はい」


 しばらくして顔を出したのは、塩谷の母だった。


 「少し宜しいですか?」


 天音が唐突に言うと、塩谷の母も天音が誰か分かったらしく、「どうぞ」と中へ招き入れた。

 その後に刑事達と麻里佳も続いて入る。


 家の中は引っ越しの準備のため、あちこちに段ボール箱が積まれていた。

 塩谷の母は応接間に天音達を通して、ソファーに載っていた段ボール箱を退かして、天音達を座らせた。


 「少しお待ちください」


 そう言って席を外そうとする塩谷の母を、天音が立ち上がって制止する。


 「お構い無く、ゆっくりするつもりはありません」


 天音の冷淡な口調に、塩谷の母が「そうですか」と戸惑いながらソファーに腰を下ろした。


 「ご主人が逮捕されて、どう思いますか?」


 天音は何の前置きも無く、話を切り出す。


 「どう……って言われても、信じられないわ」


 塩谷の母も単刀直入な天音の質問に、たどたどしく答えた。


 「大丈夫です。ご主人は犯人ではありません」


 天音が塩谷の母に笑顔を向けると、塩谷の母の目に動揺が窺える。


 「犯人は貴方が一番良くご存知の方ですよ。ねぇ、塩谷雅美さん」


 天音の射抜くような視線に戦慄する塩谷雅美は、震える両手で口を覆いながら惚けて見せる。


 「だ、誰の事かしら」


 最早、隠し切れないほど動揺している塩谷雅美に、天音はゆっくりと語り始めた。


 「私は警察の方と共に、現場を見て思いました……何故、犯人は遺体を吊るすのに踏み台を使わなければならなかったのか……」


 天音の論理を黙って聴く一同は、穏やかに話を進める天音を見つめる。


 「犯人が大人の男性なら、わざわざ踏み台を使わなくても梁にロープは掛けられたでしょう。腕力もある訳ですし、死体を吊るせる長さのロープです。投げ上げたっていいんですから」


 天音の言葉に成木が反応した。

 まさに自分が抱いた疑問を天音が解き明かしてくれるのだ。


 「犯人は足りなかった。力も身長も……」


 塩谷雅美の体がビクンと弾ける。

 それを尻目に、固唾を呑んで天音の推理を待つ一同。


 「私は廃屋の状況から、被害者があの場で生活していて、あの場には通って来る男性がいると推理しました……。その男性は付近に住む既婚者で、被害者が敬愛する人物であると……」


 天音の推理にみるみる青ざめていく塩谷雅美を刑事達は見つめている。


 「その人物こそ、貴方の夫、塩谷俊文氏だった。そして、警察に逮捕され、自白もしています」

 「じゃあ……」


 震える声で塩谷雅美が話し出すのを、天音は右手で制した。


 「では何故、塩谷俊文氏は遺体自体を隠滅しなかったのでしょう?そもそも、あの廃屋に被害者が住んでいる事は誰にも知られていないんです。わざわざ自殺に見せ掛ける意味は無い」


 天音の言葉で息を呑む塩谷雅美を、天音は見透かしたような目で見つめた。


 「あれは犯人が塩谷俊文氏に宛てたメッセージなんです。だから、自殺に見せ掛けた……他の誰かに見付けられないように、玄関に楔まで打って……」


 天音の全てを知っているような眼差し、言動に、塩谷雅美の体は硬直し、ただ凍えたように震えている。


 「犯人は塩谷雅美さん。貴方ですね?」


 天音の核心を突いた言葉で、一同は絶叫する。


 「……天音、それって」


 麻里佳も動揺し、天音に縋り付く。


 「最初に気付いたのは、貴方が麻里佳の報告を受けて駆け付けた時です。貴方は確かに言った。『首吊り死体まで見つけるなんて』……と。麻里佳と加原は死体が首を吊っていた事なんて知らなかったのに」


 塩谷雅美の体にゾワゾワと悪寒が走る。


 「私は知らない!そんな場所も、そんな人も!」


 塩谷雅美が立ち上がって身を捩る。そんな必死の抗議を天音が気にも留めず、落ち着いた口調で続ける。


 「私は廃屋を見て、被害者が住んでいたと推理しましたが、何処か違和感があった。その違和感は何だろうと……」


 そう言って、天音が刑事に掌を差し出すと、刑事は一枚の紙を手渡した。


 「あの廃屋の居間の窓ガラスが割れていた。そうなんです。あんな山奥で窓ガラスが無い所があったら、虫が入ってきて、とても住めませんよね?」

 「じゃあ、あの破片って……」


 麻里佳が昨日の事を思い出して呟くと、天音は無言で頷く。


 「あの窓ガラスが割れたのは、犯行が行われた日だった……。被害者と口論になった貴方は、激昂して、出された御茶を湯呑みごと投げ付けた……。それが窓ガラスの破片と共にあった陶器の破片でした」


 そう言いながら、天音は刑事から受け取った紙を突き付ける。


 「破片から採取された指紋と、過去に交通違反で採られた貴方の指紋が一致しました。まだ言い逃れなさいますか?」


 天音に提示された物的証拠に、塩谷雅美はガックリと膝を突いた。


 「お願いします。塩谷は……孝文君は、強い子です……。どんなに辛い事があっても孝文君は逃げたりしない!……だから…だから貴方も自分の犯した罪から逃げないでください!」


 天音は両目から大粒の涙を流しながら頭を下げた。

 天音の悲痛な叫びが届いたのか、塩谷雅美は優しい笑みを湛えて、天音の方を見つめた。


 「……分かったわ。貴方の言う通りね……。もう少しで私は、取り返しのつかない罪まで犯す所だった」


 そう言って、塩谷雅美は涙を溢した。

 その涙はカーペットに滲んで大きな染みを作った。


 「ありがとう、貴方のお陰で、私は人間でいられるチャンスをもらえた……。私は大切な息子を、汚れたこの手で育ててしまう所だった……」


 ワナワナと震えた両手で顔を覆い隠し、塩谷雅美は大声で咽び泣いた。


 一頻り泣いた後、塩谷雅美は刑事達に両手を差し出したが、園崎が首を二、三度横に振った。


 「貴方は逃げたりしないでしょ?」


 そう微笑み返すと、塩谷雅美は深々と頭を下げた。


 車に乗せられる際に、塩谷雅美は天音に向かって言った。


 「伊織川天音さん。孝文を宜しくお願いします」


 塩谷雅美の言葉に、天音が小さく頷いて見せると、塩谷雅美は満足そうに微笑んで、車は去って行った。

 車を見送った天音と麻里佳は強い悲嘆を感じながら家路に着いた。


 あの後、塩谷俊文は釈放され、母の実家に行っていた塩谷孝文は父の元へと戻った。


 塩谷俊文は息子に、かつての教え子であった被害者の精神的ケアのために、二重生活を送っていた事を話したそうだ。


 被害者は元々、精神が弱く、家庭内にも大きな問題があった。


 社会に出てからも仕事の悩みや職場の人間関係、恋人の裏切り等が重なり、ついに精神を病んでしまっていたらしい。


 そこで再会した塩谷俊文が、人から隔離したあの廃屋で、彼女を精神的に支えながら、社会復帰を応援していたそうだ。


 そんな生活をしている内に、彼女は塩谷俊文に恋愛感情を持ってしまった。


 もちろん、塩谷俊文は彼女を傷付けないように拒絶していたが、妻に彼女の事が発覚してしまった。


 妻は夫に内緒で彼女に会いに行き、そして、あの悲劇が起こってしまったと言うのが、事の真相だった。


 こうして、あの夏の日の悲しい事件の幕は降りた。



 事件から二週間後の8月上旬、空に一番星が現れる夕暮れ時、夏祭りに出掛けるために、麻里佳は淡いブルーの浴衣を着て、マンション前に立っていた。


 「麻里佳ぁー!」


 麻里佳が声の方に目をやると、普段着の加原が歩いてやって来た。


 「大樹!」


 麻里佳も加原に手を振ると、加原の後ろの人影に気付いた。

 麻里佳は満面の笑みを向けて、人影に声を掛けた。


 「来てくれたんだね、塩谷!」


 塩谷は照れ臭そうに頭を掻きながら、「あぁ」と笑顔を返した。


 あの後すぐ、塩谷の両親は離婚し、父親に引き取られた。

 父親は責任を取り、教師の職を辞して、環境を変えようとしたが、塩谷の懇願で、引っ越しは取り止め、引き続き石川小学校に通う事になったのだ。


 「あれ、伊織川ロボは?」


 加原が麻里佳を指差しながら言うと、麻里佳のボディーブローが炸裂する。


 「天音ならまだよ!……てか、天音の悪口言うな」


 麻里佳の強烈な一撃に、体を丸める加原を無視して待っていると、


 「お待たせ、麻里佳」


 マンションから普段の姿の天音が出て来る。


 「天音!浴衣着て来てって言ったじゃん」


 頬を膨らます麻里佳に、天音は申し訳なさそうに笑いながら頭を掻いた。


 「ゴメンゴメン。私、浴衣持って無いんだ」

 「もうっ!何か私だけ張り切っちゃってるみたいじゃない!」

 「張り切っちゃってんじゃねーか」


 麻里佳を指差してケタケタ笑う加原に、麻里佳の脳天幹竹割りが入る。


 加原には学習能力が欠如しているらしい。


 「じゃあ、行こうか!」


 塩谷が出発を促すと、天音の首もとに麻里佳の目が留まる。


 「天音……それって」


 麻里佳が指を差すと、天音はサッと背を向けた。


 「何でも無いわよ!」


 そう言って、そのまま先陣を切って歩き出した天音の胸には、綺麗な光を瞬かせる紫色のペンダントが揺れていた。






 『あの夏の日のこと』


         《了》

    ご挨拶


 この度は、拙著の作品を読んで頂き、誠にありがとうございました。



 永らく読み専だった私も一念発起して、拙いながらもなんとか書き終えた今作でしたが、如何だったでしょうか。


 この作品のコンセプトは『ミステリ初心者の方も気軽に楽しめる推理小説』です。


 ミステリは読んだ事無いけど、楽しめた!または、つまらなかったと感じた方もいらっしゃったと思います。



 読み易さを追求したため、物足りなさを感じた方は申し訳ありませんでした。


 これが私の技量です。



 今回、この処女作からシリーズとして、懲りずに何作かを発表予定でおりますので、気に入って頂けた方は、是非、今後もお付き合いください。



 この作品を最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。



 読者様に敬意を込めて。



     小日向 冬馬

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