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値札の向こう側 ―新人古物買取査定員 神谷悠真の記録―  作者: 神谷 悠真


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第一話 憧れと始まり

# 第一話 憧れと始まり


午前七時二十五分。

春の朝だというのに風は少し冷たかった。

都内有数の高級ホテル。

ガラス張りのエントランスの前で、神谷悠真は立ち止まった。


磨き上げられたガラスに映る自分の姿。

慣れないリクルートスーツ。

締め慣れていないネクタイ。

何度も確認したはずなのに、もう一度ネクタイの結び目を整える。


神谷悠真(心の声):大丈夫、落ち着け。今日から社会人なんだから。


胸ポケットには入社案内。

スマホには母親から届いたメッセージ。


『頑張ってね』


たったそれだけ。

だが、その短い言葉が妙に心に残った。


神谷悠真:頑張るしかないか。


小さく呟き、自動ドアをくぐる。

ホテルのロビーには既に多くの新卒社員が集まっていた。

黒いスーツ。

緊張した表情。

期待と不安が入り混じった空気。


神谷悠真(心の声):すごいな……みんな頭良さそうだ。本当に俺なんかで大丈夫かな。


その時だった。


???:顔、固くない?


突然声を掛けられる。

振り向くと、ショートカットの女性が笑っていた。


一ノ瀬美月:緊張してるでしょ?

神谷悠真:そんなに分かる?

一ノ瀬美月:めちゃくちゃ分かる。

神谷悠真:そっちもじゃん。

一ノ瀬美月:バレた?


二人とも思わず笑う。

それだけで少し肩の力が抜けた。


一ノ瀬美月:一ノ瀬美月です。

神谷悠真:神谷悠真です。

一ノ瀬美月:同期だね。

神谷悠真:よろしく。


やがて案内が始まり、大ホールへ移動する。

その瞬間、神谷は思わず足を止めた。


神谷悠真:うわ……


巨大なステージ。

天井から吊り下がる豪華なシャンデリア。

大型スクリーン。

何百席も並ぶ会場。

まるでテレビ番組の授賞式だった。


一ノ瀬美月:入社式ってこんな豪華なの?

神谷悠真:俺も初めて見る……


席へ着く。


ざわめき、期待、緊張。

会場全体が独特の熱気に包まれていた。

すると照明が落ちる。


司会:皆様、本日はご入社おめでとうございます。

   これより株式会社リユースリンク入社式を執り行います。


会場が静まる。

そして。


司会:代表取締役社長 九条玲司よりご挨拶申し上げます。


その瞬間だった。

役員たちが一斉に立ち上がる。

空気が変わった。

会場後方の扉が開く。


神谷悠真(心の声):社長……


ゆっくりと一人の男が歩いてくる。

五十代、細身。

高級時計もしていない。

ブランド品で固めてもいない。

だが、不思議な存在感があった。


社員A:社長だ。

社員B:久しぶりに見たな。

社員C:相変わらずオーラあるな……


九条玲司は壇上へ上がる。

会場全体を見渡した。

その視線だけで空気が締まる。


九条玲司:皆さん、本日は入社おめでとうございます。


静かな声だった。

だが、不思議と耳に届く。


九条玲司:皆さんは今日から古物買取という仕事に携わります。

     世の中には様々な仕事があります。物を作る仕事。物を売る仕事。人を助ける仕事。

     我々の仕事は少し特殊です。


会場が静まり返る。


九条玲司:我々は物を買う仕事ではありません。


神谷悠真(心の声):え……?


九条玲司:人の人生に触れる仕事です。


その言葉が胸に刺さる。


九条玲司:遺品整理。相続。引っ越し。離婚。

     人が物を手放す時には必ず理由があります。

     だから私は社員にこう伝えています。

     物を見る前に人を見なさい。


神谷悠真(心の声):物を見る前に人を……


九条玲司:その積み重ねがお客様の信頼になります。

     そして会社の成長になります。

     皆さんの成長を楽しみにしています。


割れんばかりの拍手が起こる。


神谷悠真(心の声):かっこいいな……こんな人の下で働けるのか。


司会:続きまして昨年度営業成績優秀者表彰を執り行います。


会場の空気が再び変わる。

大型スクリーンにランキングが映し出される。


第三位。


第二位。


そして――


司会:全国営業成績第一位。


司会:東京支店 鷹野誠司。


歓声。拍手。どよめき。


神谷悠真(心の声):東京支店……


壇上へ一人の男が歩く。

三十代前半。

黒髪、端正な顔立ち、派手さはない。

しかし圧倒的な存在感があった。


社員A:また鷹野さんか。

社員B:三連覇だぞ。

社員C:化け物だよ。


神谷悠真(心の声):三連覇……?


司会:年間契約件数全国第一位。

   年間粗利全国第一位。

   顧客アンケート評価全国第一位。


会場がざわつく。


神谷悠真:全部一位……?

一ノ瀬美月:そんなことある?

高橋陸:だからトップなんだろ。


社長・九条玲司:鷹野くん。

鷹野誠司:はい。


社長・九条玲司:何か一言あるかな。

鷹野は少し考えた後、マイクを握った。


鷹野誠司:特別なことはしていません。


会場が静まる。


鷹野誠司:お客様の話を聞いただけです。

     物を見る前に人を見る。

     それだけです。


神谷悠真(心の声):社長と同じことを……


その言葉だけが妙に心に残った。


司会:こちらが全国一位の景品です。


差し出されたのはロレックスの箱だった。


会場から歓声が上がる。


鷹野は箱を開く。

ロレックスは、ライトを受けて輝いていた。


そして、ほんの一瞬だけ…眉を下げた。


嬉しそうでもない、誇らしそうでもない。どこか懐かしむような表情。


神谷悠真(心の声):……?


鷹野が席に戻る。


神谷悠真(心の声):ロレックスを受け取ったとき……なんであんな顔したんだ……?


その疑問はすぐに忘れることになる。

少なくとも、この時は。


まさか数年後、あのロレックスが鷹野誠司という男の本心を知る鍵になるとは思いもしなかった。


そして、半年後。

神谷悠真は鷹野誠司の部下になる。


その時、今日聞いた言葉の意味を知ることになるのだった。

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