第10話 あの方は……どなた?
カルメンに粉をかけられ迷惑したリオ兄様を含め、ロベルト様やカリスト様も同様だろう。男性達はせめてもの「紳士としての礼儀」を貫いて目をそらし、女性達は扇で顔を隠しながら「見苦しい」と眉をひそめた。
赤ワインでべったり濡れた彼女のドレスは身体に張りつき、貧相な胸元やくびれのない腰を露わにした。スリット部分のフリルが張りついたことで、太腿まで見えている。はしたなく見苦しいと表現するよりも、裸で人前に飛び出した痴女だった。
瓶から庇ってもらったとき、リオ兄様の背中かと思った。婚約者だったクラウディオは向こうで目を見開いて硬直しているし、父様は広間にいない。消去法で、妹と婚約者を守ろうとした兄しか思い浮かばなかったのだ。しかし明らかに兄より背の高い男性だった。
庇ってくれた背中に声をかける。いきなり触れるのは失礼なので、そっとハンカチを差し出す。ドレス用にレースで縁どられた華やかなハンカチで、彼の肩に飛んだワインを拭いてもらおうと思ったのだ。
「あの……ありがとうございました」
「よい、ケガはないか?」
上位者特有の傲慢な言葉遣いだが、不思議と嫌悪はなかった。それどころか耳に届いた声はいつまでも聞いていたい心地よい響きだ。助けてもらったことも手伝い、好感度が高まった。
「はい。お気遣い重ねて感謝申し上げます。肩にワインが飛んでおりますので、こちらをお使いくださいませ」
そこでようやく男性が振り返った。鮮やかな金髪の青年は、まだ若く見える。リオ兄様くらいかしら。異国の衣装なのか、見たことがない服だった。大量の金銀糸の刺繍が施された衣装は見事で、招待された他国の王侯貴族なのだろうと頬を緩める。
褐色の肌にかかる金髪は眩しいほど光を弾き、瞳も同じ金色だった。髪色が少し銀に近いのに対し、瞳の色は赤みがかった深い色だ。甘い吐息が漏れるほど整った顔の青年は、軽く頷いてハンカチを受け取ってくれた。
触れそうで触れなかった指先を、惜しいと思いながら目で追ってしまう。はしたない行為だと自分を戒めた。手にしたハンカチで肩のワインを拭いた青年を見ていると……親友が安堵の声を上げる。
「ああ、私の大切なティファが無事でよかったわ」
親友の声に我に返る。
「本当に無事で良かったわね。でもあの方、どなたかしら」
招待客なら伯母様が知っているはずだ。しかし当の伯母様が首をかしげる状況に、カルメンの行いに目が逸れた貴族達もざわめき始めた。
「見たことのない方だ」
「一度お見掛けしたら忘れられないわね」
「どちらの王族でしょうか」
貴族ではなく王族と判断されたのは、整った外見や見事な刺繍の衣装だろう。ハンカチで肩を拭く仕草も洗練されており、女性達からうっとりと甘い吐息が漏れた。
「テュフォン様!」
必死に追いかけたと全身で物語る父の姿は、汗が伝うものの紳士らしさを維持している。襟のボタンを一つ外しただけで、公爵の体面を保つぎりぎりの姿だった。




