小話
彼女と初めて会ったのは、主国である帝国の立太子の儀の時だった。
「きゃあ、ごめんなさい」
慌てていたのか、廊下を歩いていた私に勢い良く後ろからぶつかってきたのだ。驚いて振り返ると、腰のあたりに抱き着く少女がいた。
「ちょっとだけ隠していて」
私が誰だかわからないだろうに、そういって顔を隠す。その理由もすぐに理解した。後ろから侍女が探し回っていたのだ。侍女は私がいることに気が付くと、慌てて礼を取る。王族の印をつけていたのに気が付いたのだろう。侍女は他の場所へ主を探しにその場を後にした。
「もう行ったよ」
「……本当に?」
彼女はそっと後ろから出てくる。しがみついていた手を放し、見上げてきた。とても美しい紫の瞳をしていた。その瞳の色に、隣国ルアーディズ国の王女だと判断する。この特徴のある瞳の色は王族にしか現れないのだ。
「お兄さま、ありがとう」
「侍女から逃げるなんて、感心しないな」
「でも、お兄さまも庇ってくださったでしょう?」
事も無げに言う様に、笑みを零した。
「だが、危ないことを仕出かそうとしているのを黙っているわけにはいかない」
「危ないことなんて、しないもの」
頬を膨らませる少女が可愛くて、思わず頭を撫でた。柔らかなその銀髪の感触につい指に巻き付けてしまう。
「本当かな?」
「う……」
じっと見つめると、誤魔化せきれないのか、彼女はうろうろと視線を彷徨わせる。しばらく黙っていたが、諦めたようにため息をついた。
「大人しく戻ります」
「どこに行きたかったの?」
「王宮の庭に薔薇が咲いているって聞いて」
薔薇、と聞いて納得した。本来ならば解放していない場所であったが、今日は立太子の儀。祝いに合わせて、いつもよりも一般に開放されていた。もちろん、不審者が入り込まない様に警備はなされているが、誰もが入れる場所に他国の王族が行くことは褒められたことではない。
「薔薇なら君の国にもあるだろう?」
「そうだけど。この時期にしか咲かない薔薇があるの」
「どうしても行きたい?」
行きたいのだろう。黙って俯いてしまう。少し考えてから、彼女の手を取った。
「ではまず母君に行くことを伝えないと。君の侍女が罰せられる」
「え?連れて行ってくれるの?」
「ちゃんと母君に許可を貰ってからだ」
思わぬ提案が嬉しかったのだろう。ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべた。
「こっちよ」
母親に早く許可をもらいたいのか、ぐいぐいと引っ張る様にして歩き始めた。
******
さんざん、小言を聞いてからようやく許可が下りた。本当ならばもっと小言を言いたかったに違いないが、私がいたから大分短かったようだ。説教も慣れているのか、神妙な顔をしているだけであまり聞いていないようにも見えた。
「うふふ、よかった」
満面の笑みを浮かべて彼女は歩く。私も彼女の歩調に合わせながら、手を繋いで歩いた。
「お兄さまはここの薔薇園を見たことある?」
「いや、ないな」
「この薔薇園はね、紫の薔薇が咲くのよ」
紫の薔薇、と聞いて首を傾げた。どこにでも咲いているわけではないが、珍しい色でもないからだ。それに気が付いたのか、得意そうに説明する。
「その薔薇はね、青い薔薇の中に一つだけ紫の薔薇になるの」
「そうなのか?」
「そうなの。青い薔薇の中に紫があるのが見たいの」
紫の薔薇、とはきっと彼女の色を言っているのだろう。
だけど、青?
母国では気候上、青い薔薇はよほどの手入れをしないと咲くことはないが、彼女の国では特別な色でもない。それこそ赤い薔薇と同じくらい平民の庭にも咲いている。
「お兄さまだけに教えてあげる。青い薔薇はね、わたしの大好きな人からもらった初めてのお花なの」
「なるほど。それで特別なのか」
少女らしい夢のある思い出に思わず笑った。その笑いが気に入らなかったのか、彼女はぷいっと顔をそむけてしまった。
「どうせ子供っぽいもの」
「まだ子供だからいいんじゃないか?」
ますますふくれっ面になった。ころころ変わる表情がおかしくて、ついつい揶揄いすぎてしまう。
「ほら、ついたよ。お姫様」
気取って手を差し出すと、つんとした態度で手を置いた。そのままエスコートして件の薔薇園へと入っていく。
薔薇園は見事だった。見ごたえのある赤い大輪の薔薇から、ほんのりと小さく可憐に咲くピンクの薔薇。様々な花々がそれぞれを引き立てるように咲いていた。
「こっちだわ」
手を引かれて進むと、奥まった一角に青い薔薇だけが咲いている場所にたどり着いた。その透明感のある青い薔薇は見る者を圧倒した。
「あ、本当にあった」
驚いた声を上げたのは彼女だった。私の手を放し、見つけた紫の薔薇へと駆け寄った。少し手前で足を止めると青い薔薇の中にある一凛の薄い紫の薔薇を見つめて首を傾げた。
思っていたのと違っていたのだろう。少しがっかりした感じだ。そんな彼女を慰めようと、膝を折り視線を合わせた。
「青い薔薇の色が違ったかな?」
「う……お兄さま、気が付いていたの」
「君の王子様の色に囲まれていたかったの?」
図星なのか、真っ赤になる。
「ジェイドの色は紫紺だもん。青じゃない」
「ふうん。じゃあ、私の色の中に君がいるんだね」
「お兄さまの色?」
不思議そうに聞き返してくるので、笑みを深めた。そっと手のひらを上にして小さく魔力を集めると薔薇と同じ濃い青色が揺らめく。
「本当だ」
「私は君のような可愛らしい女の子を抱きしめているようで嬉しいけどね」
そう茶化して、そっと抱きしめた。
「絶対にお兄さまは女性の敵だわ!」
「そんなことはないよ」
「そんなことあるわ。だって子供のわたしにそんなこと言うんだもの」
拗ねているような口ぶりがおかしくて、つい笑ってしまう。
「もういい!」
「ごめん、ごめん。お詫びにこれからお祭りに連れて行ってあげる」
「え?」
驚いたように目をぱちくりさせている。立ち上がると、そっと阻害認識の魔術を展開する。
「行きたくない?」
「行きたい!!!」
拗ねていた気持ちはどこかに行ってしまったのか嬉しそうに瞳を輝かせて手を握りしめた。
******
問題は山積だった。
与えられた執務室の椅子に座って、ため息を漏らした。
婚約者だったクレアがやはり出産に耐えきれず、亡くなった。子ができるのも、かなりぎりぎりだった。何とか魔石で魔力を補充していたが、それでもクレアは助からなかった。
子供は喜ぶべきことに男の子であったが、生まれて間もないのに母がいない。
母となるべき相手を見つけなくてはならないくなったのだが。
これまたいい相手がいなかった。
この国……エスファ国は長年、王族の役割を無視してきたため、魔力の釣り合う相手を見つけるのが困難だ。クレアもようやくといった感じで子ができたのに、他の令嬢では無理だろう。生まれたばかりの赤子がいる状態で他国の王女を娶ることも難しい。
こんなことなら初めから他国へ打診をしておけばよかったかと思い、それはないとすぐさま否定した。
あの両親が他国の王女を息子の妃として受け入れるとは考え難かった。特に母親は自分よりも優れた女性を王族に加えることはしないだろう。たった一人しか産めなかったのに、矜持だけは無駄に高い。クレアにさえ嫉妬していたほどだ。
「ダグラス」
ぼんやりと考え込んでいた私の名を呼ぶ声に顔を上げた。いつの間にか、母である王妃がいる。
「赤子には母親が必要だわ」
「わかっています」
「クレアには妹がいたでしょう?」
「はい?」
何が言いたいのか理解できずに、唖然とした。まじまじと見つめていると、王妃は満面の笑みを浮かべている。
「同じ家の娘よ。丁度いいでしょう」
「待ってください。クレアには王家に嫁ぐだけの魔力が何とかありましたが、キャサリンでは難しいと思います」
「キャサリンに可能性がないわけではないでしょう?魔石で魔力を補充してもいい。万が一、子ができなくても問題ないありません。すでに王子はいるのだから」
そういう問題じゃない。
そう怒鳴りつけたかったが、言ったところで母親が理解するとは思えなかった。拳を握りしめ、どう反論するかを考える。
「すでに陛下から許可は貰っています。健気なことに姉の残した子を姉の代わりに育てたいと涙ながらに語ってくれました」
「は?」
キャサリンを思い出し、それはないだろうと心の中で呟いた。善良なクレアと違ってキャサリンは権力欲の塊だ。私に対する好意だって、見た目が優れているからと次期国王であるという処だけだ。しかも、今後も王族を産む可能性が低い王妃を置くなんて。
怒りでどうにかなりそうだった。子供を産むのがどちらでもいいのなら、もっと心休まる女性がいいと思うのはいけないのだろうか。
ふと、そこで何故か帝国であった少女を思い出した。同じ王族のせいか、媚びることもなく恐縮することもなく。無邪気に色々と話し、くるくると表情を変える。彼女は8歳のはずだ。
年の差12歳。少し年が離れているが、10年も経てば……。
忙しく記憶にある他国の王族を思い描く。どの国にも年の近い王女はいる。少女の国でも従姉が数名いたはずだ。大体の年と適齢期を考えると、ある可能性を見出した。
「わかりました。キャサリンを妃にします。ただし、母親としての役割は全うしてもらいますよ」
「それでいいわ」
満足そうに王妃が部屋から去っていった。残された私は思わずほの暗い笑みを浮かべた。
10年だ。
10年あれば両親も排することもできるし、キャサリンもどうにかなるだろう。
10年くらいなら結界も一人で維持できるはずだ。
少女と見た青い薔薇の中の一凛の紫の薔薇。
それが二人の関係を表しているようだった。
Fin.
少し犯罪臭がしますが物語ということで。