年賀状がわり
とある噂を聞いたことがある。花街の老舗、緑青館に間借りしている薬屋。そこにじいさんだかばあさんだかわからない主人がいて、悩みを相談すると瞬く間に解決してくれるという。
正直、眉唾ものであったが、商隠の心境としては藁にもすがる気持ちだった。なので慣れぬ花街の門戸を叩くのに躊躇はなかった。
「いらっしゃいませ」
薬屋にいたのはじいさんでもばあさんでもなく、娘だった。年は十をいくつか過ぎた頃か、薬屋にいなければ禿として働いていると思っただろう。それとも、主人の代わりに禿が駄賃でも貰って店番をしているのだろうか。
「……ここの主人は?」
商隠は娘に聞いた。
「今日はお休み。何の薬ですか? 簡単な傷薬から、思わぬことでお相手を孕ませたときの堕胎剤まで、ろくでもないお薬もたんと揃えております」
「……」
娘と侮ってはいけなかった。花街で育った子どもは、完全に世間擦れしていた。
「そんなんじゃない。ここの主人に相談を――」
商隠が言い切る前に娘は戸を閉めた。商隠は、吃驚して一瞬止まり、慌てて戸を開ける。
「なぜ閉める⁉」
「ここは薬屋。客じゃなきゃ相手にする必要もなし。さあさ、帰った帰った。それとも男衆に無理やり追い出されたいか?」
「……」
とりつく島もない。商隠は、そっと後ろを見る。屈強な男たちが商隠の腕を掴む。
「く、薬をくれ! とりあえず風邪薬」
「まいど」
戸の隙間から、目を細めて明らかな愛想笑いを向ける娘。商隠は薬屋の入口に座り、深く息を吐くが、まだ男衆の腕は離れない。
「それで相談というのが――」
「薬はどんなものが良いでしょうか? 一番いいものと、次にいいものと、まあ普通のものがありますが」
「……一番いいものを頼む」
「まいど」
どんだけ守銭奴なのだろうか。ようやく男衆の腕が離れた。
「話を取り次いでくれるか?」
「何のことかわかりませんが、薬を用意している間に、独り言を話す分には問題ないですよ」
「……」
つまり話は聞くが、相談に乗るとは言っていない。しかも、聞くのは主人ではなく、この娘というわけだ。
元々、藁を掴むつもりでいたのだ。高い薬を買ったついでに愚痴をこぼしたことにするしかない。商隠はぽつぽつと数日前にあったことを話しだす。
〇●〇
俺の妹は、かなりの器量良しで、とある文官の妻になった。その文官は末っ子だが、才能ある奴で親に代わって長男夫婦に可愛がられていた。なんで正月に妹と旦那はその長男夫婦の家に招かれたんだよ。
長男夫婦は、ご馳走を振る舞って、妹は嫁として手伝った。芸達者な妹は、見たこともない料理を作って驚かせた。ただ、その親戚一同は目新しいものを食べるのを嫌がり、口にしたのは妹とその夫、それから健啖家の長男だけだった。
そして、その晩、長男が腹痛を訴えた。普段、何を食べても腹を壊さぬ男が腹痛を訴える。冷酒を一升飲んでも腹を壊さぬ男だ。何が悪かったのかと言ったら、妹の料理が疑われた。
妹が作った料理以外、親戚一同が食べた。だから悪くない。
だが妹の作った料理だけは、妹夫婦と長男しか食べていない。妹夫婦が長男に毒を盛り、遺産を狙ったのではないかと疑われた。長男夫婦には子どもがおらず、末っ子を我が子のように育てたからだ。
もちろん、妹もその旦那も言いがかりだと主張した。でも、親戚は黙っておらず、長男夫婦もまた何が原因かはっきりしないので、弟夫婦を庇うことができない。
そういうわけで、妹は長男夫婦の家で閉じ込められている。疑いがはれなければ、役人に突き出されるんだ。
〇●〇
「へえ」
娘はさして興味なさそうに返事をした。
商隠はむっとしたが、元々あてにしたわけじゃない。高い風邪薬を買って損したと思うしかない。
「冷酒を一升飲むんですね。その日もやったのですか?」
「ちょっと待ってくれ」
商隠は懐から記帳を取り出す。
「飲んでるな。勢いで一気飲みしている」
「もしかして、食べた物を記録していますか?」
「ああ」
娘が興味を持ったので、記帳を見せてやる。
「まず酒から始まって、正月らしく魚料理、餃子に、年糕、団子ですか」
「大体、食べたものは書いている。下の数字が食べた量だ。あくまで記憶にある限りなので正確じゃないし、たぶん控え目に書いている」
「ふーん。本当に健啖家ですね。あと食べた順番通りに書いていますか?」
「……たぶんな。酒の席で皆、記憶が曖昧だから大体」
娘は、記帳を商隠に返すと引き出しを漁った。何を取り出したかと思えば固くなった年糕だった。
「これがなんだ?」
「年糕は冷えると固まります。栄養価が高い年糕ですが、固くなれば体に吸収できない。さらに、ねばねばしていて他の食材とくっつきます」
「……だから?」
娘は半眼になり、察しの悪い商隠を見た。なんだか腹立たしいが、とても大切なことを言っているようなので、床に銭を置く。
「薬追加で」
娘は銭を受け取ると、大きく息を吐き、口を開く。
「年糕を食べます。ねばねばした年糕はそれまで食べた食材にべったりくっ付きます。そのくっついたところで冷たい酒が一気に流し込まれたら、年糕が冷えて固まります」
「ということは?」
「腹の中で消化できない大きな塊が腸に詰まるわけです。長男夫婦と親戚には、柔らかい年糕に冷たい水をかけて固まるところを見せてあげたらどうでしょうか?」
商隠は目を見開き立ち上がる。懐にあるなけなしの残りの銭を置くと、薬屋を出て行った。
「あー、兄さん助かったわ」
妹の一琳は腕を回しつつ歩いていた。
「おまえが変わった物を作るからだぞ。もっと万人向けの料理を作れ」
「あー、これだから兄さんは頭が固い。お義兄さんは美味しかったからまた作ってくれって言ってくれたわよ」
「そりゃ、孫にでも接するつもりの社交辞令だ」
「ひっど」
一琳がすねるので、商隠は笑う。一琳の夫は、妻の無罪がわかったとなったところで職場に呼び出された。同じ役人でも、商隠のような閑職ではなく、生え抜きの精鋭なのだ。
「ところで、兄さん。あの知識ってどこから仕入れてきたの?」
「なんのことだか?」
「しらばっくれるの? 四書五経以外の知識が兄さんにあるとは思えないんだけど」
「兄さんを莫迦にしているだろ?」
「ねー、誰から聞いたの? 教えてー」
「知らん、知ってたとしても言わん」
商隠は、絶対口にしなかった。好奇心旺盛な一琳のことだ、話をすれば花街の薬屋に向かうと言うだろう。
役人の妻になった女が花街に向かうのはどう考えても体裁が悪い。旦那の名誉のためにも黙っていようと思った。
ただ、商隠は一つ困ったことがあった。
「なあ一琳」
「何?」
「風邪薬、いいものがあるんだが買わないか?」
「はあ?」
商隠の懐は冬の寒空のように冷たかった。
 




