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金貨の娘  作者: 美穂
第8章 泥濘の澱

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第8章 第1節 賓客の賜(第1項)

挿絵(By みてみん)



黒(くろ)猫(ねこ)のアルが鳴(な)いた。



「ニクス。

 あなたどこを見(み)てるの?」



サンサに呼(よ)ばれ、

彼(かの)女(じょ)の顔(かお)に焦(しょう)点(てん)を合(あ)わせた。



挿絵(By みてみん)



わたしは上(うえ)を向(む)いて口(くち)が半(はん)開(びら)きだったので、

虚(うつ)ろを見(み)ているとサンサは思(おも)ったらしい。



パン生(き)地(じ)に粉(こな)を撒(ま)き散(ち)らしたような――、

雲(くも)が引(ひ)き伸(の)ばされた空(そら)を見(み)上(あ)げながら、

わたしは考(かんが)えごとをしていた。



「閃(ひらめ)いたんだよ。」



「出(だ)した本(ほん)は片(かた)付(づ)けなさいよ。


 ルービィがこれを見(み)たら、

 またわたしが叱(しか)られるわ。」



「叱(しか)ってくれるひとが居(い)るのは

 良(い)いことだよね。」



彼(かの)女(じょ)の言(こと)葉(ば)をわたしの便(べん)宜(ぎ)で解(かい)釈(しゃく)すると

深(ふか)い溜(た)め息(いき)で返(かえ)された。



休(きゅう)養(よう)日(び)の朝(ちょう)食(しょく)後(ご)。



わたしは日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)のテーブルに

書(しょ)室(しつ)にあった気(き)になる本(ほん)を集(あつ)め、

読(よ)めるだけを広(ひろ)げていた。



挿絵(By みてみん)



誰(だれ)も書(しょ)室(しつ)の本(ほん)を読(よ)まないし、

昼(ちゅう)食(しょく)の前(まえ)には本(ほん)を片(かた)付(づ)けるつもりでいた。



サンサもスーも片(かた)付(づ)けないひとなのに、

彼(かの)女(じょ)の方(ほう)から事(じ)前(ぜん)に促(うなが)してきた。



サンサはここで外(がい)出(しゅつ)の用(よう)意(い)を始(はじ)めた。



スーは朝(ちょう)食(しょく)を終(お)えるとすぐに出(で)掛(か)けて、

日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)はわたしだけになる。



「大(たい)陸(りく)と島(しま)の歴(れき)史(し)書(しょ)ばかりね。


 今日(きょう)は寒(さむ)くなるから、

 部屋(へや)で読(よ)みなさいよ。」



冬(ふゆ)が近(ちか)付(づ)いて影(かげ)が長(なが)く伸(の)びてきたので、

日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)の天(てん)蓋(がい)が外(はず)された。



太(ふと)腿(もも)の上(うえ)で寝(ね)ている白(しろ)猫(ねこ)のイオスが、

熾(おき)火(び)の代(か)わりをしてくれる。



挿絵(By みてみん)



庭(にわ)に吹(ふ)き下(お)ろす風(かぜ)の冷(つめ)たさに、

身体(からだ)が細(こま)かく震(ふる)えた。



気(き)に入(い)っている赤(あか)色(いろ)の上(うわ)着(ぎ)でも、

裾(すそ)は短(みじか)くて冷(つめ)たい風(かぜ)を通(とお)してしまう。



「本(ほん)を読(よ)みたいのなら、

 書(しょ)室(しつ)で読(よ)んだほうがいいわね。


 今日(きょう)は風(かぜ)が出(で)るわよ。」



上(うわ)着(ぎ)を肩(かた)にして飾(しょく)緒(しょ)で繋(つな)ぎ留(と)めて、

パイル生(き)地(じ)の頭巾(フード)と宝飾巾(ヴェール)で

風(かぜ)を防(ふせ)いでいる。



義(ぎ)腕(わん)の上(うえ)にしたアームカバーも、

季(き)節(せつ)に合(あ)わせて厚(あつ)手(で)のものになっている。



「それで、なにが閃(ひらめ)いたの?」



彼(かの)女(じょ)はいつもの北(きた)側(がわ)の椅(い)子(す)に座(すわ)り、

冷(つめ)たい銀(ぎん)の瞳(ひとみ)でわたしを見(み)つめる。



「エリクと話(はなし)をして気(き)付(づ)いたんだよ。


 わたしはソーマの物(もの)語(がたり)は読(よ)んでても、

 島(しま)の歴(れき)史(し)を知(し)らないから。」



「自(じ)分(ぶん)の無(む)知(ち)に気(き)付(づ)くなんて。


 会(かい)談(だん)をさせた成(せい)果(か)ね。」



サンサの東(とう)部(ぶ)風(ふう)の冗(じょう)談(だん)に笑(わら)わず話(はなし)を進(すす)める。



「大(たい)陸(りく)語(ご)の北(ほく)部(ぶ)入(にゅう)植(しょく)記(き)録(ろく)に、

 管(かん)理(り)者(しゃ)って出(で)てくるよね?」



「えぇ。禁(きん)足(そく)地(ち)に居(い)るわね。」



正(せい)統(とう)記(き)の理(り)解(かい)を深(ふか)める為(ため)に、

サンサから勧(すす)められた原(げん)語(ご)の本(ほん)にだけ、

管(かん)理(り)者(しゃ)という人(じん)物(ぶつ)が出(で)てくる。



――禁(きん)足(そく)地(ち)でソーマ達(たち)の前(まえ)に

  現(あらわ)れたとされる管(かん)理(り)者(しゃ)。



――本(ほん)には民(みん)族(ぞく)や容(よう)姿(し)も書(か)かれず、

  訳(やく)本(ほん)には登(とう)場(じょう)しないのよね。



――フルリーンの住(す)んでいたオーブでは、

  管(かん)理(り)者(しゃ)とニースを混(こん)同(どう)して畏(い)敬(けい)してる。



「この島(しま)に最(さい)初(しょ)から牛(うし)や羊(ひつじ)、

 馬(うま)が棲(す)んでたのは、

 先(せん)住(じゅう)民(みん)が運(はこ)び入(い)れて

 管(かん)理(り)してたからだと思(おも)う。


 入(にゅう)植(しょく)者(しゃ)達(たち)は先(せん)住(じゅう)民(みん)、

 氏(し)族(ぞく)の住(す)んでいるネルタの湖(みずうみ)を

 禁(きん)足(そく)地(ち)にした可(か)能(のう)性(せい)があるよね。」



彼(かの)女(じょ)は銀(ぎん)の瞳(ひとみ)を細(ほそ)めて僅(わず)かに首(くび)を捻(ひね)る。



「ニクスはネルタに居(い)た頃(ころ)、

 誰(だれ)から文(も)字《じ》を教(おそ)わったの?」



「え? 司(し)書(しょ)のひとだよ。」



「司(し)書(しょ)官(かん)? 名(な)前(まえ)は覚(おぼ)えてる? 家(か)名(めい)は?」



「ゴレムって呼(よ)んでた。

 家(か)名(めい)までは知(し)らないよ。」



挿絵(By みてみん)



テーブルに座(すわ)ったアルが

サンサに向(む)かって鳴(な)く。



「ゴレム…。あぁ、ナルキック族(ぞく)の者(もの)ね。

 顔(かお)を見(み)たことがあるわ。」



サンサは母(ぼ)指(し)でアルの額(ひたい)を撫(な)でた。



「サンサってネルタに居(い)たことあるんだ。」



「20年(ねん)前(まえ)に行(い)ったことがある、

 という程(てい)度(ど)で詳(くわ)しくはないわよ。


 彼(かれ)はあなたをなんて呼(よ)んでたの?

 お姫(ひめ)様(さま)? お嬢(じょう)様(さま)? ご落(らく)胤(いん)?」



「そんな呼(よ)ばれ方(かた)はされないよ。


 そのまま『ニクス』だよ。」



「友(ゆう)好(こう)的(てき)なのね。


 話(はなし)が逸(そ)れてたわ。

 なんの話(はなし)だったかしら?」



「この管(かん)理(り)者(しゃ)って先(せん)住(じゅう)民(みん)だと思(おも)う。」



わたしは開(ひら)いていた本(ほん)の該(がい)当(とう)箇(か)所(しょ)を見(み)せる。



「あぁ、その結(けつ)論(ろん)ありきの話(はなし)ね。」



サンサはテーブルを指(ゆび)先(さき)で小(こ)突(づ)いて、

話(はなし)を続(つづ)ける。



彼(かの)女(じょ)の膝(ひざ)の上(うえ)に降(お)りたアルが、

わたしの顔(かお)を覗(のぞ)いてきた。



「ゴレムは思(し)想(そう)家(か)ではないわよね。


 科(か)学(がく)の5段(だん)階(かい)法(ほう)を述(の)べなさい。」



「なに、突(とつ)然(ぜん)…。


 観(かん)察(さつ)、推(すい)論(ろん)、仮(か)説(せつ)…、検(けん)証(しょう)、考(こう)察(さつ)?」



2進(しん)法(ほう)で中(ちゅう)指(し)と母(ぼ)指(し)を立(た)て、5個(こ)になる。



列(れっ)挙(きょ)した内(ない)容(よう)にサンサも頷(うなず)く。



見(み)て、予(よ)想(そう)して、仮(か)定(てい)を置(お)き、

証(しょう)拠(こ)立(だ)て、その事(じ)実(じつ)を示(しめ)す。



これが科(か)学(がく)の5段(だん)階(かい)法(ほう)として、

いまも幅(はば)広(ひろ)い分(ぶん)野(や)に残(のこ)っている。



古(こ)代(だい)から標(ひょう)準(じゅん)を定(さだ)めて区(く)分(わ)けした

学(がく)問(もん)のことを、広(ひろ)くは科(か)学(がく)という。



標(ひょう)準(じゅん)とは容(よう)量(りょう)、重(じゅう)量(りょう)、距(きょ)離(り)、角(かく)度(ど)などの

取(と)り決(き)めのことを示(しめ)す。



科(か)学(がく)とは5段(だん)階(かい)法(ほう)を繰(く)り返(かえ)し、理(り)論(ろん)付(づ)け、

現(げん)象(しょう)に物(もの)差(さ)しや天(てん)秤(びん)の錘(おもり)といった、

標(ひょう)準(じゅん)を作(つく)ることにある。



標(ひょう)準(じゅん)を設(もう)けることで、

共(きょう)通(つう)化(か)されて利(り)便(べん)性(せい)を向(こう)上(じょう)させ、

公(こう)平(へい)性(せい)を持(も)たせることができる。



物(ぶつ)理(り)、天(てん)体(たい)の運(うん)行(こう)、生(い)き物(もの)、

農(のう)業(ぎょう)や医(い)療(りょう)には標(ひょう)準(じゅん)がある。



魂(たましい)などの思(し)想(そう)は観(かん)測(そく)者(しゃ)の主(しゅ)観(かん)が強(つよ)く、

客(きゃっ)観(かん)性(せい)に欠(か)けて、標(ひょう)準(じゅん)がないので、

科(か)学(がく)とは呼(よ)ばれない。



「本(ほん)が世(よ)の全(すべ)てではないわよ。


 推(すい)論(ろん)として導(みちび)くにしても欠(けっ)点(てん)ばかりね。

 検(けん)証(しょう)も考(こう)察(さつ)もされてないもの。


 先(せん)住(じゅう)民(みん)という仮(か)説(せつ)を立(た)てたのは、

 あなたがネルタの出(しゅっ)身(しん)だからかしら。


 物(もの)語(がたり)として書(か)いた内(ない)容(よう)は

 事(じ)実(じつ)ではないわね。


 根(こん)拠(きょ)もなしに捏(ねつ)造(ぞう)された歴(れき)史(し)は

 願(がん)望(ぼう)の創(そう)作(さく)よ。


 ニクスは今(こん)度(ど)、わたしの劇(げき)場(じょう)の

 戯(ぎ)曲(きょく)でも書(か)いてみる?」



――確(たし)かに、これは願(がん)望(ぼう)だわ…。



――管(かん)理(り)者(しゃ)は大(たい)陸(りく)語(ご)の北(ほく)部(ぶ)入(にゅう)植(しょく)記(き)録(ろく)以(い)外(がい)で

  記(き)述(じゅつ)されてはいなかった。



――知(し)ってたはずの5段(だん)階(かい)法(ほう)も無(む)視(し)して、

  曖(あい)昧(まい)な存(そん)在(ざい)の管(かん)理(り)者(しゃ)なんてものに

  希(き)望(ぼう)を抱(いだ)いてしまったのね…。



指(し)摘(てき)に恥(は)ずかしくなって、

イオスを持(も)ち上(あ)げて顔(かお)を埋(うず)めた。



「着(ちゃく)眼(がん)点(てん)は評(ひょう)価(か)に値(あたい)するわね。」



慰(なぐさ)めの言(こと)葉(ば)をかけたサンサが、

アルの前(まえ)足(あし)を取(と)るとミャオと鳴(な)いた。



「次(つぎ)は法(ほう)の歴(れき)史(し)でも調(しら)べてみたら?


 ソーマの訴(そ)訟(しょう)記(き)録(ろく)と

 照(て)らし合(あ)わせる作(さ)業(ぎょう)も愉(たの)しいわよ。」



「ソーマって実(じつ)在(ざい)するの?」



入(にゅう)植(しょく)に纏(まつ)わる本(ほん)は誇(こ)張(ちょう)表(ひょう)現(げん)が多(おお)く、

現(げん)実(じつ)離(ばな)れした内(ない)容(よう)に実(じつ)在(ざい)感(かん)は薄(うす)れた。



「入(にゅう)植(しょく)の記(き)録(ろく)は神(しん)話(わ)でもないし

 ソーマは神(かみ)でもないわよ。」



「法(ほう)律(りつ)の棚(たな)にある本(ほん)は

 難(むずか)しそうで読(よ)んでなかった。」



「知(し)らないものがあるのは良(い)いわね。


 なにも知(し)らない状(じょう)態(たい)で愉(たの)しめるのよ。

 羨(うらや)ましいわ。」



彼(かの)女(じょ)はファウナと同(おな)じことを言(い)う。



「わたしはこれから劇(げき)場(じょう)に

 舞(ぶ)台(たい)の準(じゅん)備(び)で出(で)掛(か)けるから。


 戯(ぎ)曲(きょく)を書(か)く気(き)があるのなら

 連(つ)れて行(い)ってあげるわよ。


 テーブルを片(かた)付(づ)けたらね。


 スーのベッドみたいにしないでよね。」



「行(い)ってらっしゃい。」



サンサの誘(さそ)いを断(ことわ)ると

北(きた)の出(で)口(ぐち)から館(やかた)を出(で)たはずの彼(かの)女(じょ)が、

また出(で)口(ぐち)から日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)に戻(もど)ってきた。



「早(はや)かったね。」



「ねぇニクスっ。

 ルービィってば酷(ひど)いのよ。」



「今(こん)度(ど)はなにをやらかして叱(しか)られたの?」



憤(いきどお)った真似(まね)をした彼(かの)女(じょ)は、

二人(ふたり)の少(しょう)女(じょ)を連(つ)れてきた。



「孤(こ)児(じ)院(いん)から預(あず)かってきたから、

 館(やかた)を案(あん)内(ない)しておいてなんて、

 これから出(で)掛(か)けるわたしに言(い)うのよ。」



「あぁ、選(せん)考(こう)会(かい)の…。」



一人(ひとり)は見(み)覚(おぼ)えがあった。



孤(こ)児(じ)院(いん)の選(せん)考(こう)会(かい)で最(さい)後(ご)に選(えら)んだ、

刺(とげ)々(とげ)しい風(ふう)采(さい)のある赤(あか)い髪(かみ)の少(しょう)女(じょ)、

トリンが暗(くら)い目(め)でわたしを見(み)る。



挿絵(By みてみん)



もう一人(ひとり)の黒(くろ)髪(かみ)の子(こ)は、

ずっと笑(え)顔(がお)を絶(た)やさずサンサを見(み)ている。



明(あか)るい褐(かっ)色(しょく)の瞳(ひとみ)を輝(かがや)かせているこの子(こ)は、

夜(よる)の館(やかた)に憧(あこが)れを抱(いだ)く孤(こ)児(じ)院(いん)の孤(こ)児(じ)ではない。



黒(くろ)色(いろ)の質(しつ)の良(よ)い上(うわ)着(ぎ)とチュニック、

胸(むな)元(もと)には金(きん)糸(し)の飾(しょく)緒(しょ)を渡(わた)らせて、

彼(かの)女(じょ)の高(こう)貴(き)な身(み)分(ぶん)を示(しめ)していた。



「ニクスに二人(ふたり)を任(まか)せてもいいかしら。」



「…拒(きょ)否(ひ)する権(けん)利(り)は無(な)いもの。」



「ふふっ。頼(たの)むわね。」



孤(こ)児(じ)院(いん)の選(せん)考(こう)会(かい)で

わたしがトリンを推(お)したこともあり、

適(てき)任(にん)ではなくとも責(せき)任(にん)を感(かん)じて了(りょう)承(しょう)した。



サンサは二人(ふたり)を日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)に残(のこ)し、

改(あらた)めて館(やかた)を出(で)ていった。



「わたしの名(な)前(まえ)はニクスよ。


 こちらは部屋(へや)で飼(か)ってるイオス。


 ちなみにサンサが抱(かか)えてた

 金(こん)色(じき)の目(め)をした黒(くろ)猫(ねこ)は

 アルというわ。」



イオスを抱(だ)き上(あ)げると、ビャオォと

掠(かす)れた声(こえ)で鳴(な)いて自(じ)己(こ)紹(しょう)介(かい)をする。



「みなさん、女(め)神(がみ)様(さま)のお名(な)前(まえ)ですわね。」



チュニックの少(しょう)女(じょ)が上(じょう)品(ひん)に発(はつ)音(おん)する。



わたしは夜(よる)の女(め)神(がみ)、イオスは暁(あかつき)の女(め)神(がみ)。



遥(よう)遠(えん)代(だい)より昔(むかし)、

古(こ)代(だい)の神(しん)話(わ)の知(ち)識(しき)がなければ気(き)付(づ)けない。



ただし彼(かの)女(じょ)は勘(かん)違(ちが)いしている。



アルの名(な)前(まえ)は、

狩(しゅ)猟(りょう)と貞(てい)潔(けつ)の女(め)神(がみ)が由(ゆ)来(らい)ではない。



要(よう)塞(さい)の町(まち)を意(い)味(み)する古(こ)代(だい)語(ご)が由(ゆ)来(らい)と

サンサは言(い)っていた。



古(こ)代(だい)語(ご)に関(かん)する資(し)料(りょう)は書(しょ)室(しつ)に無(な)く、

少(しょう)女(じょ)の見(けん)解(かい)をわたしは否(ひ)定(てい)できない。



「二人(ふたり)は互(たが)いを

 知(し)ってるでしょうけれど、

 改(あらた)めて名(な)前(まえ)を教(おし)えてくれる?」



「トリン。16歳(さい)。」



――もう成(せい)年(ねん)なのね。



孤(こ)児(じ)院(いん)に居(い)られるのは

成(せい)年(ねん)になる16歳(さい)までで、

保(ほ)護(ご)されてすぐ成(せい)年(ねん)になった場(ば)合(あい)でも

恩(おん)情(じょう)で1年(ねん)間(かん)の猶(ゆう)予(よ)が与(あた)えられる。



彼(かの)女(じょ)はなにか理(り)由(ゆう)があって孤(こ)児(じ)院(いん)に入(はい)り、

その猶(ゆう)予(よ)期(き)間(かん)にフランジに選(えら)ばれた。



オーナーのルービィが孤(こ)児(じ)の中(なか)から、

成(せい)年(ねん)の彼(かの)女(じょ)をドレイプにする為(ため)に

優(ゆう)先(せん)させた事(じ)情(じょう)が想(そう)像(ぞう)できる。



「私(わたし)の名(な)前(まえ)はムネモスです。

 女(め)神(がみ)様(さま)と同(おな)じ名(な)前(まえ)ですが、

 権(けん)能(のう)も持(も)たないただの14歳(さい)です。」



「あなた、年(とし)下(した)だったの?」



ムネモスは濃(こ)い黒(くろ)眉(まゆ)に細(ほそ)長(なが)い唇(くちびる)で、

トリンに微(び)笑(しょう)してえくぼを見(み)せる。



挿絵(By みてみん)



ムネモスはトリンに比(くら)べ、

肉(にく)付(づ)きも良(よ)くて背(せ)も高(たか)いので、

わたしよりも年(とし)上(うえ)に見(み)えた。



ムネモスも記(き)憶(おく)を司(つかさど)る女(め)神(がみ)の名(な)前(まえ)で、

領(りょう)主(しゅ)の娘(むすめ)であれば彼(かの)女(じょ)はその名(な)が似(に)合(あ)う。



「私(わたし)はまだ未(み)熟(じゅく)で

 気(き)の利(き)かない点(てん)があると思(おも)いますが、

 ご指(し)導(どう)のほどよろしくお願(ねが)いします。


 お願(ねが)いしますね、ニクス姉(ねえ)様(さま)。」



「姉(ねえ)様(さま)?」



驚(おどろ)くわたしに、

ムネモスは瞬(まばた)きをして、深(ふか)く頷(うなず)く。



トリンからも疑(うたが)いの目(め)を向(む)けられる。



「わたしはあなたの姉(あね)ではないわ。」



「お互(たが)いに娼(しょう)婦(ふ)のお手伝(てつだ)いでしたのなら、

 姉(し)妹(まい)関(かん)係(けい)ではありませんか?


 ルービィも言(い)っていました。」



オーナーの名(な)前(まえ)を出(だ)されると諌(あさ)め難(にく)い。



「年(ねん)齢(れい)の近(ちか)い子(こ)も多(おお)いと聞(き)きましたから

 心(こころ)強(づよ)いですね。」



「孤(こ)児(じ)ばかりなんだから、

 姉(し)妹(まい)でも家(か)族(ぞく)でもないわよ。」



トリンは、ムネモスなど気(き)にせず言(い)い放(はな)つ。



トリンの意(い)見(けん)に同(どう)意(い)しかけ、

わたしは肯(こう)定(てい)に至(いた)らない説(せつ)明(めい)をした。



「娼(しょう)婦(ふ)ではなくてドレイプと呼(よ)ぶべきね。


 わたし達(たち)はそのドレイプの手伝(てつだ)いをする

 ただのフランジよ。」



「犬(いぬ)の尻尾(しっぽ)を踏(ふ)んでしまったんですね…。」



ムネモスが奇(き)妙(みょう)な言(い)い回(まわ)しで、

わたしを犬(いぬ)に例(たと)えて失(しつ)礼(れい)なことを呟(つぶや)く。



「フランジのあんたは

 なにをしてるの? ここで。」



トリンはわたしの後(うし)ろにある、

テーブルに積(つ)んだ本(ほん)を見(み)ている。



「歴(れき)史(し)の本(ほん)で勉(べん)強(きょう)をしていたのよ。


 外(そと)は寒(さむ)いからこれからの時(じ)期(き)は

 室(しつ)内(ない)で読(よ)むべきね。」



「普(ふ)段(だん)、この館(やかた)でなにをしているの?

 って聞(き)いたつもりだけれど。」



彼(かの)女(じょ)の疑(ぎ)問(もん)に首(くび)を縦(たて)に振(ふ)る。



首(しゅ)肯(こう)したものの、

わたしは孤(こ)児(じ)院(いん)から来(き)たフランジとは違(ちが)い、

館(やかた)に遅(おく)れて入(はい)って体(たい)力(りょく)も知(ち)識(しき)もないので、

まともな仕(し)事(ごと)も与(あた)えられていない。



――なにもしていないとは言(い)えないわよね。



「なにか、私(わたし)にできる

 お仕(し)事(ごと)はありますか?」



ムネモスは上(うわ)着(ぎ)の袖(そで)を捲(まく)り、

労(ろう)働(どう)意(い)欲(よく)を見(み)せる。



「え? …無(な)いわよ。」



彼(かの)女(じょ)が想(そう)像(ぞう)している下(した)働(ばたら)きの労(ろう)働(どう)は、

ドレイプを目(め)指(ざ)して働(はたら)くフランジには

求(もと)められていない。



「メグ。」



トレイに杯(さかづき)と瓶(かめ)を持(も)って

日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)にやってきた、

従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)のメグを呼(よ)んだ。



銀(ぎん)髪(ぱつ)を真(ま)ん中(なか)で分(わ)けて額(ひたい)を出(だ)すメグは、

わたしに呼(よ)ばれると、嬉(うれ)しそうに近(ちか)付(づ)く。



挿絵(By みてみん)



「なぁに? あぁ、新(あたら)しい子(こ)ね。

 選(せん)考(こう)会(かい)の?」



メグの口(くち)元(もと)が隠(かく)せないほど緩(ゆる)んでいる。



「トリンとムネモスよ。


 新(あたら)しくフランジが入(はい)ることは、

 もう知(し)ってるのかしら。」



「オーナーから知(し)らされてるわよ。


 これから家(か)具(ぐ)職(しょく)人(にん)が来(く)るから、

 キーアとナディが片(かた)付(づ)けに

 取(と)り掛(か)かってるわ。


 仕(し)事(ごと)の部屋(へや)割(わ)りもサャーミ、スレマ、

 カサドラの春(はる)の3人(にん)で決(き)めてたわよ。


 8人(にん)も来(く)るなんて賑(にぎ)やかになるわね。


 みんな楽(たの)しみにしてるのよ。」



わたしがなにかを言(い)うまでもなく、

メグは頭(あたま)を深(ふか)く丁(てい)寧(ねい)に下(さ)げて、

食(しょく)堂(どう)に入(はい)っていった。



水(みず)の入(はい)った杯(さかづき)を二人(ふたり)に渡(わた)す。



「ニクス姉(ねえ)様(さま)は、

 この館(やかた)の偉(えら)いひとなのですか?」



「メグはオーナーが雇(やと)ってる

 館(やかた)に住(す)む従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)よ。


 わたしは二人(ふたり)と同(おな)じフランジ。」



「でしたら使(し)用(よう)人(にん)なんですね。」



「使(し)用(よう)人(にん)でも奴(ど)隷(れい)でもないわ。


 ここの従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)は仕(し)事(ごと)が決(き)まってるから、

 命(めい)令(れい)してはいけないわよ。


 それにここで働(はたら)くひとは、

 ドレイプ以(い)外(がい)は飾(しょく)緒(しょ)を垂(た)らさないの。


 仕(し)事(ごと)の妨(さまた)げになるものね。


 フランジもしないわね。」



「それは?」



わたしの帯(おび)紐(ひも)に結(むす)んだ

青(せい)銅(どう)の鍵(かぎ)を指(し)示(じ)したトリン。



「これは飾(しょく)緒(しょ)ではなくて、ただの鍵(かぎ)の紐(ひも)よ。


 ドレイプの服(ふく)をしまっておく衣(い)装(しょう)室(しつ)を、

 わたしが管(かん)理(り)させられてるの。


 言(こと)葉(ば)で説(せつ)明(めい)するよりも

 実(じっ)際(さい)に見(み)たほうが早(はや)いわよね。


 ついでに軽(かる)く館(やかた)を案(あん)内(ない)するわ。

 まだ見(み)てないでしょ?」



熾(おき)火(び)代(が)わりのイオスを持(も)ち運(はこ)び、

二人(ふたり)に館(やかた)を見(み)せることにした。




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