第8章 第1節 賓客の賜(第4項)
「1番部屋のドレイプだったメノーの、
フランジをしていたレナタといいます。
いまは画工の下で生徒をしながら
この館から通っていますが、
明日から工房に住むことになります。」
「え、明日っ?」
トリンとムネモスを紹介したわたしが、
レナタの告白に驚いてしまった。
「メノーも引退するのに、
フランジでもなく画工見習いのレナが、
館に居てはおかしいでしょう?」
サンサが言ってレナタの頭を撫でると、
彼女はその手を掴んで嫌がる。
「レナタ妹様は――。」
「妹様っ?」
おかしな敬称にレナタも首を捻る。
「エルテルでは年下の娘が相手でも、
敬称を付けて呼ぶのよ。
わたしはそれが嫌で嫌で。」
サンサが身震いしてみせる。
「サンサも妹様なんですか?」
「お姉様はサンサお姉様です。」
「ムネモスも止めなさい。」
「はい。
ニクス姉ぇ…から注意されました。
今後は気をつけます。」
談笑する席の傍らで、
わたしが厨房から食事の用意をしていると、
トリンからの視線を感じた。
「あんたはサンサの下女だったの?」
「わたしはお姫様ではないもの。
テーブルに座るフランジの年長者は、
常に年少の規範になるのよ。
誰かがしてくれなくても、
自分がすべきことだものね。
従者や乳母が、お姫様に代わって
食事や睡眠をしてくれても、
あなたは満たされないでしょ?」
わたしの冗談を聞いて、
サンサだけが笑っている。
少し東部風だったのかもしれない。
「明日からは、
トリンもムネモスも見て覚えてね。
いま手伝っても構わないわよ。」
「トリンはもう成年なのだから、
早くドレイプになりたいのかしら。」
サンサが捓うように言う。
「え? えぇ…。」肯定するトリン。
――トリンは嘘をついている。
彼女は誰とも目を合わせず、
テーブルの下で自分の手を揉む。
「それは楽しみねぇ。」
サンサは目を細めて微笑を浮かべ、
空々しい期待を懸けた。
「…ムネモス。
弟はいまどうしてるの?」
「トリン。この館では、
出自は訊ねない決まりですよ。」
「レナタ妹様。
構いませんよ、私のことなら。
私に興味を持っていただいたのは、
好奇心の顕われなのですから。」
「好奇心なのかしら。」とサンサ。
彼女の疑念にわたしも頭の中で頷く。
――トリンは話を逸らしたいんでしょうね。
「弟のクロノはいま、あちらに居ますよ。」
ムネモスは、エルテル領のある
東の方向に指先を向けた。
「逆ね。西は反対側よ。」
「間違えてしまいました。
クロノはあちらに居ます。」
「西?」眉間に力を入れるトリン。
「銅細工や浮き彫りで有名な国ですね。」
「館の食器も、
カヴァのものを使ってるわよ。」
「えっ? 知らなかった…。」
レナタはサンサの前で素の表情を覗かせる。
彼女は改めて食器を両手にして見つめた。
「ふふっ。
食堂で使ってる食器は、
市場でも買えるオーブの物よ。」
「また騙したの?」
疑うレナタにわたしは言う。
「お客さんに提供する時は
カヴァで作った物だってね。
食堂で使ってる物は、
みんなが落として歪ませたり、
エルテルの陶磁器も割ったりするから。」
「アイリアはカヴァの浮き彫りを
収集されてるんですよ。」
「カヴァのお城にある
サンスァラ王女の白金像は、
一度この目で拝見したいと思います。
王が泣くほどの美しさ、
とまで謳われているんですよ。」
「あぁ…あれね。」とサンサが呆れる。
「美術館で展示しませんかね。」
「国宝とまで言われているものは、
難しいと思いますよ。」
カヴァの話で盛り上がるムネモスとレナタ。
カヴァの話題に
不快感を隠せずにいるトリンは、
彼女達とは真逆の感情を覗かせていた。
◆
「ムネモスはどうしてこの館に来たの?」
夕食を終えてサンサと部屋に戻ってから、
二人になってすぐに彼女に訊ねた。
「あなたなら想像はつくでしょう?」
「わたしの想像は答えではないからね。
エルテル領から彼女を匿うのなら、
ここでなくても良かったのに。
それに弟とも母とも別れてる。」
「あなたの想像の通り、
エルテルの領内には、
急進的な考えのひとも居るのよ。」
「でもカヴァにクロノを送るのは
理解し難いよ。」
「エリクが死に、
新たに領主になった
弟のタルヴォまで死ねば、
次はどうなるかしら?
タルヴォの息子が継ぐべきか、
クロノに継がせるべきか。
そんな想像の余地があるだけでも、
領内は荒れてしまうものよ。」
――想像の余地…。
アイリアが入植十二画の13枚目に描いた
真黒な『雷霆』のモザイク画。
アイリアはソーマの死因となった雷霆に
親殺しという仮説を立てた。
「ムネモスはどうしてこの館に?」
エリクが大切にしていた娘を、
娼館に預けるのは常軌を逸する。
――サンサはなにか企んでいる。
彼女は2匹の猫の背を、
ブラシで交互に撫でて言う。
「先代領主の娘とはいえ、
領内で男児を産むのは困るわよね。
ムネモスが14歳でも、
初経を済ませていれば
いつか赤子を孕む可能性がある。
男児を産んだとしても、
ムネモスが政略に意見できるほどの
権能は与えられない。
彼女の子供を正統後継者にして、
次の政略の道具にするだけよ。
政治的な価値がムネモスにはある。
クロノを西に流したのは似た扱いでも
より複雑よね。
彼を領内に残して
地位を簒奪されては迷惑だもの。
近隣のオーブやメルセでは、
派閥によっては良し悪しが出てしまう。」
サンサの導き出した想定は、
わたしの想像と一致していた。
「クロノをカヴァに送り、
彼女をこの館に入れる判断をしたのは、
エリクに考えがあってのことよ。」
「サンサはこれで良かったと思う?」
「際限のない理想を述べるとするなら、
エリクは不老不死になって
神を名乗るべきだったかしら。」
「それ、暴論…というより理外の理だよ。」
苦笑する彼女にアルが鳴き、
それに続いてイオスも鳴いた。
「タルヴォはあなたが妄想するような、
利己的なひとではないわよ。
…あなたの想像通り、
エリクより政治に長けているわね。」
「エリクが墓掘り領主だから?」
「彼は自虐が過ぎるのも問題ね。
ムネモスの身を案じているのなら、
妄想ではなくて、自分の目で見たものを
判断すればいいわ。」
「サンサはまたなにか企んでるのね。」
わたしの言葉に反応して、
イオスがミァオと呼び掛けた。
部屋の扉が開けられ、
帰ってきたスーが
わたしのベッドに飛び込んできた。
「ただいまー。ニクス。
あ、サンサ、アルにイオスも。
みんな居たんだ。」
「おかえりなさい。」
「おかえり。遅かったわね。」
「見て、完成したよ。
収穫祭までに間に合って良かったぁ。」
旅行鞄から本を取り出す。
彼女は頬にインクをつけていたので、
指で拭ってみると綺麗に剥がれ落ちた。
「あ、取れた。」
日に焼けた地肌に黒が移っている。
「高級ゼラチン入りだもんね。
ニクスも見て。」
褐色の染めた革の装丁に
女体がレリーフになって、
柔らかな肉質が浮かび上がっている。
「『男の為の学術書』?」
綴られた羊皮紙の表紙にはメノーの姿が、
レナタの滑らかな 線で描かれている。
足を組んで座る裸の彼女は
長い髪で乳頭を隠し、
下腹部には頭蓋骨を抱く。
修辞された文章で書かれる内容は、
女の肉体、性器の構造、月経の仕組み、
それから性交の手引きだった。
「…これ、猥本だわっ!」
「天体物理は知らなくても、
猥本は知ってるのね。」
サンサが言うとスーも笑って頷く。
猥本についてはファウナから教わっていた。
「これはオーナーが書いたんだよ。
ほら、妊娠と出産の仕組みまで
詳しく書いてあるんだよ。」
スーが羊皮紙を捲ると、
寝転がるメノーの絵があった。
「なんなの? 学術書って。」
「うちに来る、来たがるお客さんが、
知っておくべき基本知識を綴ったのよ。
『この本を買わずして、
夜の館に入るべからず。』って、
ルービィが豪語してたわ。
高い本を売るなら賢ぶった本の方が、
お金を持ってる相手には有効よ。」
「『女体の学術書』なんて題にしても、
専門性が高くて誰も買わないもんね。
図書館にある似た本でも
お堅い医学書だから、
借りるひとはいないんだってね。」
「医学書の装丁に似せた猥本なら、
相手はお金を惜しまないのよ。」
「それでレナタの絵なんだ。」
「綺麗に描かれてるよね。」
「うん。
この絵欲しさに、
買ってくれると思う。」
「この本はあなたに貸してる
『正統記』にも近い性質の本よ。」
「思想本だよ? この本。」
わたしの棚の下に置いたままの本を見た。
「ええ。
もう読んだのよね。
ルービィの本には、
あんな思想は欠片もないわね。」
「ねえ、それでどんな本だったの?」
わたしは首を横に振った。
「理解が足りないんだと思う。
古くて奇妙な大陸語だし、
迂遠な言い回しが多くて、
意味が読み取り難いんだよ。
スーにはまだ良く説明できない。」
「この猥本を読んで、
理解を深めればいいわよ。」
サンサは東部の冗談を言って声を弾ませる。
「これは見本で、
明日には工場に持って行くんだよ。」
「見本が完成したのなら、
ニクスが寂しがらなくて済みそうね。」
捓うサンサに
わたしはなにも言い返さない。
「サンサは? 公演の準備はどうなの?」
「スーは毎年劇場に行かないでしょ?」
スーがわたしを見た。
「今年はねぇ…。
ニクスと一緒に行ってみよう思うんだ。
フルリーンは行かないんだって。
レナタはマルフとアイリアと、
一緒に行くみたいだし。」
「ふーん。
興味が湧いたのなら良いと思うわよ。
座長に席の確保を頼んでおくわ。」
「やったー。楽しみだね。」
演劇は見たこともないし
劇場すら知らないけれど、
スーが喜んでいるのでわたしも頷いた。
「ニクスも勉強を続けているもの、
新しく来る子達の勉強会も頼むわね。」
「あ…。忘れてた…。」
間もなく孤児院から選ばれた孤児が、
フランジとして館にやってくるのに、
まだなにも準備をしていなかった。
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