「硬貨の偽造は重罪と聞いたわ。
製造していたオーブに、
責任を取らせることもできたのよね。」
「そこに利は無かろう。」
エリクが顎髭を撫でる。
「正しさより利益を選んだ。
というよりも、選ばされたのかしら。」
サンサの言動を考えれば、
彼には選ばなければならない理由が
その時にはあった。
「暮相の戦争を顧みてのことだ。
疫病によって各地で略奪が起き、
貧困と格差が拡大し、
大勢の人間が死んだ。」
――恐慌ね。
四時の札遊びで知った
この言葉の意味はスーから聞き、
当時の記録も書室にあった。
文字として記された内容では想像が及ばず、
頭の中には灰色の靄が漂ってしまう。
「外交の話は退屈だろう。
他領と折衝を行わないオーブが、
あのままカヴァのように孤立するか、
ネルタのように独裁に走られても、
エルテルにとって利益はない。」
「互いに手を組むだけの
理由ができたのね。」
「犬には首輪をせねばならん。」
声を低くし、
静かに言い放ったエリクの眼光は鋭い。
「だが偽造をそのまま黙認しても、
いずれ綻びが生じるであろうし、
既得権益に居座る貴族らは、
良い顔をしないだろう。
二つの領主が責任を回避する為、
オーブの分家であるオーネック家が、
この街でルース硬貨の流通を開始させた。
いまの代表はマイダスか。
後は知っての通り、
古い大陸硬貨は、各領地の銀行が、
ルース硬貨へ交換を行ったわけだ。」
事情やお金の仕組みは知らないまま、
話の流れを妨げないように首を縦に振った。
「サンサを養子にしたのも、
オーブと友好な関係を築く為かしら?
それともこの娼館で、
誰にも買うことのできないドレイプを
名乗り出してから?」
「どちらも違うな。
話は遡るがサンサにな、
ワシの妻に子ができない理由を
訊ねたんだ。」
「…夫人はなにかの病気だったの?」
「その原因もワシにあった。」
エリクは言うと目を伏せて、
垂れてきた自分の前髪を後ろに撫でる。
「疫病の報告には全部目を通し、
各地の略奪の鎮圧には指示を出し、
月に一度、義務で妻と肌を重ねるのだ
だがいつまで経っても子供ができない。
それでサンサに相談をすると、
これも彼女に酷く叱られた。
妻のベリーも一緒に、臣下らの前でな。
想像できないだろう。
無理もない。」
過去の出来事を振り返り、
自虐的に乾いた笑いを浮かべる。
「彼女はワシに言い放った。
『もっと自慰に精励しなさい!
ベリーのせいにするな!』
と。」
「はぁ…。」
唖然としたわたしを見て、
彼は笑い過ぎて咽ていた。
東部の冗談は判断が難しい。
「いや、誇張表現だな。
激しい言い方ではなかったが、
もっと品性に欠けた言葉だな。」
――あれより酷い言葉ってなんなのかしら。
「夜の館は、下品は禁止よ。」
「なるほど、ここは娼館とは違うのか。
次に言う機会があれば気をつけよう。」
布を口に当てて、咳払いを挟んだ。
「それで彼女は、適当な理由を並べて
弟のタルヴォに仕事を押し付けると、
ワシに石塔を建てろと言ったのだ。」
「石塔? 鐘楼ではなく?」
鐘楼は時刻や火災を知らせるものでも、
石塔ではただの墓標にしかならず、
活用方法は限られる。
「分水街の鐘楼ほど立派なものではないさ。
先代領主、エドバードと、
疫病で死んだ領民達の墓だ。
貴族が領民と同じ墓などと反発もあった。
石塔一つ建てても、
権利を脅かされる道理もないと、
サンサが貴族を口喧しく説き伏せた。
『死を受け入れろ。』とな。
土地を拓き、作物を育てるのは、
その地に生きる者達の仕事だ。
領主としてやるべきことは、
病と死を埋めて隠すことではなく、
領民に魂の拠り所を与えることだった。
エルバードの遺骨と遺灰を、
領民の遺灰と共に石塔に収めた。
ワシもやがてそこに入るだろう。
墓穴の王の完成だ。」
彼はまた笑えない冗談を言って笑う。
「仕事が減ったからか、
ベリーも子供を授かったが、
産まれたのは男女の双子だった。」
双子が産まれる場合、
一つの受精卵の核が分裂すると、
二人の子供の性別は必ず同じになる。
二人は同じ設計図を持っている、
と医学書に書かれていた。
これを一卵性双生児という。
同じ設計図を持つこの双子は、
顔や性格まで似ているという。
人間は二つの卵巣と一つの子宮を持ち、
受精した卵子を胎内、その子宮内で
300日近く掛けて育てた胎児を娩出する。
二つの卵子が同時に受精すると、
産まれた子の性別が異なる場合もある。
「二卵性双生児ね。」
性別が異なれば設計図も異なる。
性別が同じだったとしても、
顔や性格、成長速度が異なれば、
二卵性双生児という可能性もある。
――後継者が生まれて男女が別れていた。
――それだけで済む単純な話なのかしら。
権力を持つ者の子供、
統治者の子であれば、
性別は別れていた方が良い。
氏族で地位や土地は相続・分譲できても、
権利までは均等に分割できない。
その為、産まれてきた子の、
どちらかを殺してしまうことも多くある。
同じ氏族同士であっても、
男が前提で、産まれた順、健康状態、
親の違いで与えられる権利は差別される。
この序列に、
正しく従う者であれば問題はない。
家名を継がせられない者からは、
逆心の恐れもある。
理想としては先の子が男であり、
以降は女が望ましいとされる。
――エリクの弟はすでに子がいて、
成年だとすると…。
「ワシにとっては待望の子供で、
妻のベリーも喜び、
子供達の服を好き放題作った。
子育ては苦労させたが、
ワシ達はサンサのおかげで、
満たされていったよ。」
わたしの懸念は出過ぎた思考で、
エリクは穏やかな声で話を続ける。
「サンサから教わったシルクの生産も、
長い年月が掛かったが、ようやく、
量産を確立することができた。
彼女はなんでも知っていても、
足りないものがあった。」
「犬と同じ忠誠心かしら?」
「ははっ。確かに。
正解ではあるが、間違っている。」
わたしの冗談ではない意見に、
納得しかけたエリクは笑った後に、
体裁を保つべく咳払いをした。
「犬には首輪を、と言ったのは
先代、エドバードの口癖だ。
右腕も無く女でその上、飾緒も無い。
オーブのグレイ老は、
彼女に地位を与えなかった。
領民には人望があったが、
彼女には後ろ盾が無くあの性質だろう?
褒美とはいえ領地を与えては、
貴族から反発を生む。」
「だから養子なのね。
エルテル・セポ・サンサ。
仮初めの身分と肩書き。
それなら総督の地位も、
与えられないものね。」
養子にしたところで身分は与えられず、
領主としての地位は継承できない。
「最初は騎士をつけて、
領内を自由にさせた。
当然、オーブの賢女に対する
監視を兼ねてのことだ。」
「それがどうしてこの街に?
追放したの?」
「ははっ。
タルヴォも同じ諫言をしてくれた。
その方が正しかったのかもしれんな。
娼婦を名乗っているなど、
エルテルを侮辱する行為だとな。」
「言われていたのね…。」
顔も知らない弟の思考に安堵した。
「扱いに考え倦ねていると、
彼女から手紙が来た。
分水街のゴミ屋が、
堆肥を用意するというのだ。」
「マルフの?」
「あぁ。
いまは総督だったな。
無産街の紐無しが、
よくもあれほど偉くなれたものだ。
サンサの口添えがなければ、
堆肥などは受け入れなかった。
彼女の企みを疑い、
行動一つを諫めても意味はない。
元の責任は後見人のワシにある。
それならば、領地に病を広めたワシが、
謗られるだけで済むだろう。
妻のベリーは妙な例えをしたよ。
『犬に首輪ではなく、
猫に飾緒を与えた。』のだと。
なるほどな。
その野猫は、
大陸の金貨よりも価値があった。」
「分水街で遊び歩いてた、
放蕩娘ではなかったのね。」
「人聞きが悪いわね。」
「わっ。」
サンサの昔話に集中して、
本人が近寄ったことに気付かなかった。
「裁判以外で弁明は受け付けないわよ。」
「元はと言えば、サンサのお客さんなのに。
サンサが居ないのが悪いんだよ。」
サンサに抗議しても聞く耳を持たない。
わたしは立って彼女に席を譲った。
西側の椅子で寝ていた
イオスを抱いて起こすと、
鳴いてわたしに抗議する。
「ふむ。良い匂いがするね。
サンサが料理したのかい?」
「いいえ。
この街で一番優れた厨房長に
注文しただけよ。」
「サンサは厨房への出入りは禁止なのよ。」
「なるほど。
『やらかした』のかい?
サンサにとっての、
禁足地というわけか。」
エリクが笑いかけてきたので、
わたしも首を縦に振り、彼の冗談を笑った。
「ちょっとニクス。
エリクに奇妙なこと吹き込まないでよ。」
「信用は行動から、でしょ。」
サンサは言い返せず、
エリクは哄笑してまた咳き込んだ。
「サンサ。お客さん?」
「おかえり、スー。
レナも一緒なのね。」
アイリアの工房に通う二人が、
珍しく夕暮れ前に館に帰ってきた。

分水街の防壁の外に
エルテルの騎士団が来て、
街の中が騒がしいせいで
アイリアが二人を早めに帰らせた。
「レナも来なさい。
ベリーの服で
いつもお世話になってるものね。
エルテルの領主で、
わたしの養父のエリクが来たのよ。」
「ようこそ、夜の館へ。」
礼儀正しく挨拶をするレナタに倣い、
スーも彼女の真似をした。
「あそこのエルテルの騎士様にも
椅子を用意してあげて。
今日はここで一緒に夕食にしましょう。」
「ハーフガンも、一緒に?」
レナタがわたしの顔を見る。
「スーとニクスは厨房で料理を、
レナは椅子を運んできて。
みんな手を洗ってきなさい。」
「…分かりました。」
わたしが同席するせいか、
ハーフガンを好いていない為か、
レナタは不承不承に返事をした。
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