第7章 第4節 石塔の主(第1項)
館に戻る道中、珍妙な格好の人間を見た。
頭から手足まで甲冑をした男が、
東に向かって走っている。
その走る速度は非常に遅く、
子供達が囲んで男を捓っていた。
声援を浴びているところを見ると、
街の兵士ではないらしい。
他にも道端で甲羅のような盾を
背負ったまま倒れていたひとは、
巨大な亀の真似でもなかった。
――なにかのお祭り?
「がははっ!
戦ってもねえのに倒れちまってら。」
「エルテルの騎士団が攻めてきたらしい。」
「まぁた戦争だってよぉ。」
「ゴミ屋は東門を閉じねえのか。」
「んなことされたら商売できなくなる。」
頭巾と宝飾巾をしたサンサに、
知らない男達が話し掛けて議論を交わす。
フランジのわたしが近くに立つので、
サンサは夜の館の、真当なドレイプと
勘違いされている。
「馬は、使わないんだね。」
喋りながら深く息を吐く。
「自弁した甲冑や道具を
自慢してるのよ。
倉庫で眠っていたのを
引っ張り出したんでしょうね。」
戦争というのに緊張もなく、
街道は賑やかで理解に苦しむ。
「男達は戦争を、
立身出世の道具や
娯楽と勘違いしているのよ。
戦争を知るあなたからすれば、
愚かな民衆に見えるでしょうね。」
サンサのその言葉を耳にしても、
わたしは首肯も否定もできない。
赤土の丘を登って館の南側、
出口に辿り着いた。
「距離を歩いて疲れたでしょう。」
「脹脛が痛い。」
わたしは歩いていただけなのに、
足は痛いし腕も上がらない。
イオスは途中でわたしに乗るのを諦めて、
疲れ切ったわたしの前を歩いた。
「本ばかり読んでるからよ。
部屋まであと少しだから精励なさい。
ヤゴウはもう休んでいいわよ。
今日はお疲れ様。
寝る前に必ず歯を磨きなさいよ。」
「おう、お疲れ。」
元気なヤゴウは護衛棟に戻っていく。
「はぁ、もうダメ。」
開放された出口の扉に寄り掛かり、
中に入って上着を脱ぐ。
背中に滲む汗が上着までも湿らせる。
ノーラが用意してくれた、
塩の効いたポッポの揚げ菓子のおかげで、
汗はすぐには引かない。
疲れて跪くと、
出口の中にはハーフガンと、
その隣に知らない男が居た。
「ひっ…!」
わたしはすぐに上着を戻した。
「久しぶりね。エリク。
あなた、帰ってなかったの?」
「道中で騎士団を引き連れて、
お前を連れ戻そうとしてるんでな。
こっちまで案内したんだよ。」
「外が賑やかなのはあなたのせいね。」
「すまんな、二人とも。
ワシに付き合わせて。
アルも久しいな。」
アルがサンサの腕の中でミャオと鳴く。
――エルテル領の領主、エリク。
サンサの養親。
暗い出口で背中を丸めて長椅子に座り、
疲れた様子の薄白い顔がわたしを見上げる。
黒髪に覗く白髪、
口の周りに立派な髭を蓄えていた。
街でよく見かけるキャシュクに
身を包んで民衆に偽装していても、
彼には似合っていなかった。
マルフみたいに長い飾緒や黄金の腕輪、
指輪程度の豪奢な装飾すらも無い。
布地はエルテル産の上質なもので、
彼には虚飾の必要もなかった。
肉の無い腕に骨太い指で、
犬の頭を模した長い杖を握っている。
装飾で杖を持つ人間はこの街に多くない。
黒色の細い目がわたしを見つめる。
「この子はわたしのフランジで。」
「…ナルシャの、ニクスです。」
「ニクス…ほぅ。
夜の女神だな?
では、この子か。」
彼はハーフガンを見てなにか示し合わせる。
「なにに対して頷いてるのよ。
エリクまで、
わたしの隠し子なんて
妙な勘違いしないでよ。
この子はただの孤児よ。」
サンサは二人に呆れて溜め息を吐く。
「領主が騎士団を連れて家出とはね。
来る前に手紙くらい送りなさいよね。」
「家出と言うならお前の方だろう。
ワシの断りもなく、
分水街の娼館に住み着いて。
10年経っても帰って来はしない。」
「子供ではないのだからいいでしょう。
こうして文句も言わずに、
護衛の騎士を従えさせてあげてるのよ。」
「お前に従ったわけじゃねえ。
お前達に館を追い出されたばかりだぞ。」
ハーフガンが口を挟んでも、
サンサは耳を傾けない。
彼はわたしと四時の札遊びに負けて、
エルテル領に帰ることになっていた。
わたしが彼を追い出したわけでもない。
「手紙で命令したところで、
エルテルに帰りはしないだろう。」
「あなたが押し付けてきた使者のおかげで、
わたしも色々と予定が狂ったのよ。
それにしても農繁期に来るなんてね。
タルヴォに影響されて、
娼館通いの趣味でもできたの?」
「とんでもない。
そんなことをすれば
ベリーに離縁されてしまう。」
「変わらず仲が良くて安心したわ。
ふふっ。」
首を横に振る彼をサンサは笑う。
「お前のせいで頭が上がらんよ。
家督を弟に譲ると告げたら
叱られたばかりだ。」
「その年齢になっても
叱ってくれるひとが居るのは良いわね。」
苦笑して咳き込むエリクに、
彼女は平然と言い放つ。
「ぐむぅ。お前の言う通りだったな。」
「言ったでしょうよ。」
エリクの背中を擦るハーフガンが、
目を閉じて深く頷き同調する。
「なによ、二人揃って。
連絡も無しに会いに来て、
わたしが驚くと思ったの?」
「お前を迎えに来たんだ。
夜には野営地に戻らねばならん。
騒ぎが大きくなっては
紐無し総督も困るだろう。
サンサよ。
エルテルに帰ってワシに代わり、
弟を支えてやって欲しい。」
――これ以上は立ち聞きになるわね。
「サンサ、わたしは部屋に戻るよ。」
彼女に告げたのは失敗だった。
「待ちなさい、ニクス。
夜までなら丁度いいわね。
わたしがエリクの為に、
料理を作ってあげるわ。」
「サンサの手料理だって?」
彼女の提案にエリクの方が驚く。
「精励して食べて貰うわよ。」
「料理ってのは
精励して食べるもんじゃねえだろ。」
ハーフガンは当たり前のことを言っても、
彼女は気にも留めない。
それからサンサはわたしを見た。
「料理が出来るまでのあいだ、
ニクスはこちらのお客さんを相手して。
いいわね。」
「え? 待って!」
「後は頼むわね。
わたしの大切なお客さんよ。
失礼のないようにね。」
服に滲んだ汗の冷たさに
わたしは身震いした。
◆
北の出口からお客さんを連れて
庭に入ると、認証管理の癖で
ハンドベルを鳴らしてしまった。
休養日ということを忘れて、
フランジも柱の影に隠れる。
出口近くにはコンクリートの上で、
ストロー帽にクッションを抱え、
寝転がって草抜きする従業員のナディ。
予期しなかった鐘の音に、
転寝をしていた彼女は驚き、
奇声を放つと慌てて頭を下げた。
――ごめんね、ナディ…。
休養日は他にお客さんも居らず、
ハンドベルで知らせる必要もなかった。
出口から入り、
エリクを日陰の庭へと案内する。
サンサは日陰の庭の椅子に座らずに
食堂に入ってしまう。
取り残されたわたしは、
テーブルの南側の椅子を彼の為に引く。
エリクは腰を下ろして深く息を吐き、
軽く咳をしてからわたしを見つめてきた。
彼の後方で騎士のハーフガンが腕を組み、
足に焦燥を浮かべてわたしを睨んでくる。
――まだわたしに恨みがあるのかしら…。
「…お料理ができるまで、
四時の札遊びでもしましょうか。」
「いや、いい。
ニクスだったか。
夜の館に夜の女神の名だな。
覚えやすい偽名だ。
お前も座りなさい。
疲れているんだろう。」
力の無い掠れた声でも芯があり、
エルテル領主の威厳を発揮する。
主客転倒なこの相手を、
わたしの責任で対応できるはずはない。
アルとイオスは揃って、
東西側の椅子に跳び乗って
席を占拠された。
わたしはサンサの代理として、
北側の椅子に座って向き合うことになる。
「お互い知らない者同士だ。
共通の話題といえばサンサだろう。」
「サンサ…。
あっここではサンサと呼ぶように
言われてまして…。」
「エルテルでも同じだ。
昔から相手の肩書き程度で
気後れしない豪胆な女だった。
お前も普段通りにするといい。
ワシのこともエリクと呼びなさい。」
戸惑うわたしに、
エリクは腕を組み威厳を見せて強要する。
――言葉と態度が一致していないわ。
「分水街まで足を伸ばしたんだ。
こんなに堅苦しくては
仕事をさせられている気分だ。
ここは客を楽しませる夜の館だろう?」
彼から注文をされたところで、
わたしは飲めない酒を提供したり、
できもしない楽器や踊りを
披露するつもりもない。
「…あの、お言葉ですが、
わたしはまだ15歳のフランジですから、
望みとあれば法に触れますよ。」
「ふははっ。確かにっ。
こんな立派な娼館が建つより前は
法の街の刑場だったか。
目下の相手といっても
無理を押し付けてはいかんな。」
エリクの要望を拒絶したものの、
彼は不満を見せずに一笑に付した。
法を持ち出したわたしも、
この街の法に詳しくないのを
彼に見透かされていた。
「サンサは普段なにをしている?」
「ここに座って、接客…
ここではただ会談をして、
お客さんは帰られます。
娼婦…ドレイプの
仕事はしていません。その…。」
「報告は受けている。
ワシの養子という肩書きを利用して、
誰にも買うことのできないドレイプを謳い
客から金を集めているとな。
他にはないか?」
「他は…。
手紙を書いていたり、本を読んだり…。
以前は休養日にフランジ、
ここで働く孤児達に向けて
勉強会を開いていました。」
「他には?」エリクの表情は険しい。
「えぇ…。
今日は休養日なので、
館が支援している孤児院に行き、
以前働いていたひとの経営する食堂へ、
挨拶に行きました。」
「それも知っている。
弟のお気に入りだろう。
他にはないのか?」
彼はテーブルに乗り出す勢いで、
わたしに顔を近付けて要求を続ける。
ガラクタ倉庫の不始末を叱られて、
ロープで縛られて遊んでいたことや、
犬に怯える不名誉な話は省略した。
サンサの名誉を毀損せずに、
話せる内容が思い浮かばない。
彼女が厨房から追い出されてくれたら
説明も省ける。
――館に半年程度しかいないわたしより、
エリクの方が彼女に詳しいはずだわ。
「あの…、エリク卿はなぜ、
サンサを養子に迎え入れたのですか?」
「サンサから聞いてはいないか。
自分の話はせんからな。
わたしは主客転倒の状況を利用して、
エリクから話を聞く側に回った。
「ん? 聞きたいか?」
「え…えぇ…、はい。」
彼に問い詰められて
失礼を働くよりは良いと思って、
軽い気持ちで首を縦に振ってしまう。
「ふぅん。そんなに聞きたいか。」
エリクは髭に触れ、
顎を突き出し、金色の目を細める。
サンサはオーブに居たということ以外、
わたしはまだ彼女について知らなかった。
彼差女の経歴は、本に記されてはいない。
「サンサがエルテルに来たのは、
ワシが領主になって間もない頃だ。
15年も昔になれば、
まだ白髪も髭もなかった。
いや、あったな。
あれは大変な時期だった。」
エリクは咳払いを一つして、
サンサとの過去を語り始めた。
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