第7章 第1節 黄金の蜜(第2項)
「ウント。」
サンサに連れられて玄関を出ると、
彼女は護衛棟の前で退屈していた
護衛になったばかりの少年を呼びつけた。
「んだよ。」
呼ばれて目を輝かせた彼だけれど、
護衛として帯同しない相手とわかると
すぐに沈んだ目へと変わった。
銀の髪を今日も周囲に向けて尖らせて、
周囲を刺しかねない姿は近寄りがたい。
与えられたばかりの剣を、
大切に握って離さない。
護衛棟で残っているところを察するに、
ディーゴにさえ許されなかったらしい。
「ウントはグルグスと力比べをして、
彼に勝てたことあるかしら?」
「グーグス相手なら絶対負けねえ!」
サンサは笑顔を作って喜び頷く。
護衛の中でも巨体のグルグス相手に、
力比べで勝てるひとはまず居ない。
「対等でもないのね。
それならグルグスに頼むはずの仕事は
あなたには無理ねぇ。
やれる自信が無いのなら
他のひとを呼んで貰える?」
「はぁ? できるがぁ?
なにすりゃいいよ?」
サンサはウントの対抗心を擽る。
彼は立ち上がって剣を振り回し、
破れた袖は見ているだけで肌寒い。
「その剣に頼らなければ
出来ない仕事でもないわよ。
護衛になら出来る力仕事だもの。
それを置いたらついてきなさい。
剣を持たされないグルグスを
呼んで来てもいいわよ。」
サンサから繰り返される挑発。
ウントは両手にしている剣を見てから
彼女に唆されて頷いた。
サンサはウントとわたしを彼女の倉庫こと、
書室の前に連れ出した。
「この部屋の道具を外に出して欲しいの。
壁際の棚にある本を、
フランジでも自由に取り出せるようにね。
力だけではなく繊細さも必要よ?
こればかりはグルグスではなく、
ウントにしか頼めないのよ。
エルテルの騎士も、
大切な道具を力任せにしたせいで
壊してしまったのよね。」
曲軸の折れた道具。
扇風機の歯車を回す際に
ハーフガンに命じたサンサが原因なのに、
その失敗をこの場に居ない彼に擦り付ける。
「おらっ! 簡単だろ?」
手前にあった四角柱の鉄の管。
花汲みに使った壊れた往復ポンプを、
踟いなく素手で掴んで玉石の上に置いた。
――洗ったから問題ないはずだけれど。
「次はもっと大きいわよ。
あなただけで出来るかしら。
ニクスに手伝って貰えば?」
「こんなもん一人で出来るぞ。」
意地を張って倉庫に入っていく。
「やっぱり男の子は頼もしいわね。
それならこの仕事は
あなたに任せるわ。
なにか破壊した時か、
全て終えた時に呼びなさい。
日陰の庭で待ってるから。」
「おう。昼飯前に終わらせてやる!」
意気揚々とウントが叫んでいても
ガラクタは崩れて、なにかが壊れる
激しい音が聞こえる。
「さぁ、ここは任せてあげましょう。」
「それでいいの…?」
ウントを唆す一部始終を見せられた。
◆
日陰の庭に戻って、いつもの椅子に座る。
館の巡回を終わらせたアルとイオスも
日陰の庭にやってきた。
イオスはわたしの太腿に乗ると、
前足で踏みつけてすぐに丸くなり始めた。
サンサがわたしを
部屋から連れ出したのには、
なにかしらの理由がある。
――ウントの唆し方を
教えたかったわけではない、はず。
――よね?
サンサの顔を見ると
彼女の方から質問が出た。
「メノーが休みで勉強会がないと、
あなたも退屈でしょう?」
「メノーはもう安定期に入ってるのね。
サンサは彼女の相手を知っているの?
予定は冬? 春?」
「もう察しはついてるのね。
護衛や従業員ではないわよ。
メノーは誰にも
教えはしないでしょうね。」
「サンサは知ってるってことね。」
彼女は口の前で示指を立てると、
口角を上げて笑みを浮かべる。
――『流言は好まず。』ね。
「それで短いあいだだったけれど、
勉強会で教えてたメノーの後任に
ニクスを指名したいのよ。」
「どうして?
サンサがやりなよ。
他にも適任が居るんだし。」
「適任? あなたよりも?」
「…スーとかボナやファウナの方が、
わたしよりも賢いもの。」
「ファウナには難しいわね。
あの子達は他人が理解できない理由を
考えたり共感したりはしないもの。
スーはニクスと相性が良いだけよ。
他の子は耐えられないでしょうね。」
「レデとジールが教えるのは?
彼女達は館を辞めるから?」
2番3番部屋のレデとジールの姉妹。
ファウナが以前、そんな噂を口にしていた。
「流言は好まず、よ。
ファウナが言ってたのね。
ミュパといい、
あの子達の言葉に
鍵はかけられないものかしら。」
決まりを破った人物を言い当てたサンサは
鳴いたアルに向かって頷く。
「学ぶことと教えることは別なのよ。
不安がらなくても心配ないわね。
誰もニクスから学ぼうなんて
姿勢を取るはずないもの。
ドレイプで人気のメノーと
比べるまでもなく。」
「さっきのウントみたいに
わたしを唆そうとしてるの?」
「唆すって…、
穿った見方をするわね。
わたしはあなたを評価してるのよ。
スーやファウナ以外のフランジで、
『ゼズ島冒険記』を読んだ子は
いまのドレイプにも居ないのよ。
あなたはあの本をどう読めた?」
質問の狙いが分からず、
わたしは考えて言葉を選んだ。
「…男のひと向けだよね。
ソーマが島を開拓しても、
水の奪い合いで派閥を争ったり、
不貞を訴えられても勝ったりして。
たぶんこれはハーフガン将軍のような…、
ソーマって英雄を作って広める本だね。」
読んだ本の内容は、アイリアの離宮にあった
入植十二画に描かれている内容も多かった。
「大水害の後で開拓者のソーマが
奴隷を連れて分水街に着いてからは、
冒険家へと本の趣向も変わってる。
書いたひとが変わったんだと思う。
創造の竜との戦いは
特に現実離れしていて、
最後の方は――。」
「ニース?」
サンサの言葉にわたしは首を縦に振る。
入植十二画に描かれた真黒な絵。
禁足地から先の景色は、
本にも描かれていない。
――普通ではない。分からないもの。
ネルタの司書官をしていたゴレムは、
『普通ではない』と説明してくれた。
ファウナは『分からないもの』と説明した。
「オーブのフルリーンはニースのことを、
神みたいな畏怖する存在だって
言ってたよ。」
「ニースは神の名前ではないわね。
禁足地に踏み入れたものは雷霆を受ける。
ニースはその仕組みの一つかしら。
あなたにそれを見せることはできても、
言葉や文字で簡単に説明はできないわ。
どの本にも正確な説明や、
適切な言葉がないのよ。」
「ソーマはどうして死んだの?」
「洞窟港の発見から、港の建設、
エルテル、メルセ、オーブの開拓、
大水害までに何年経ってると思うの?
大水害は入植暦60年のことよね。
大陸から来たソーマが実在したのなら、
本を書いてたひともその頃には
老いてとっくに死んでるわよ。」
「不老不死だったりして。」
「神話のセリーニね。
本に書かれる不老不死なんて甘い蜜も、
地を這う赤子には毒というものよ。」
不老不死なんて理外の理を述べても、
神話を知るサンサは別の言葉で返してくる。
彼女の独特の言い回しは、
大陸の詩歌から多く引用していた。
「本を書いたひとは、
物語を終わらせる目的で
ソーマの死を描いたの?」
「終わりのない娯楽ほど、
退屈なものはないわよ。
ソーマは雷霆で死ぬ。
創造された物語は、
四時の札遊びでいうところの
00の解除と呼べるものね。
ソーマは死んでこそ語り継がれる。」
彼女の説明に根拠はないのに、
理解できて納得してしまう。
「ソーマはやっぱり創造の人物なんだ。」
「実在を疑うのなら、
ニクスも得意にしてる
便宜的な見方でもしましょうか。」
言ってサンサが口角を上げる。
「永久不滅の指導者だったソーマの死、
喪失によって入植者達は禁足地を畏れる。
狩猟を行うオーブ族は、
禁足地を神の領域という扱いにしたのよ。
カヴァなんて蜥蜴に火を吹かせて、
子供達を畏がらせてるわ。」
「サンサみたいなことするんだ。」
「酷い言い方するわね。
歴史の教訓が活きなかったのが、
あなた達の祖先、ネルタ族ね。
あなたに貸してるあの本は、
ネルタ族が結束を高める目的で
書いた本なのよ。」
「え? そんな狙いの本なの?」
読み終えたばかりの本なのに、
わたしはそんな所感を抱かなかった。
「もう読み終わったんでしょ?」
「一度読んだだけで
理解まではできてないよ。」
「本を読んだ感想は
ひとそれぞれでいいのよ。
わたしはわたし、あなたはあなた。
意見の統合なんて試みるだけ無駄よ。
荒れ地…ではなかったわね、
話に王の服を着せる必要はないわ。」
彼女はネルタ風の言い回しをする。
「ネルタの『正統記』を理解したいのなら、
もっと手頃な本があるわよ。」
「俗な本?」
訊ねると彼女は目を細める。
「『感情論』と『北部入植記録』の
大陸語の本ね。」
「大陸語の? エンカーン?」
「エンカーンで書かれてある本でも、
内容はそれほど難しくはないわ。
あなたが読んだ『ゼズ島冒険記』の
元になった本だから、
読み比べもできるはずよ。
感情論は思想本の一種で、
これも難しい本では無いわね。」
感情論は難しい本だった記憶がある。
「感情論は以前に一度、
目にしたことはあるよ。
島の言葉だった気がするけれど。」
「ネルタで?
そんな本も保管してたのね。
焼いてるものと思ってたわ。」
わたしが塔を出る時には、
彼女の想像通り本は全て燃やされた。
「話が逸れたわね。
フランジには難しい本でも
あなたなら読み聞かせられるでしょ。」
「勉強会で、
ただの物語の本を読むの?
わたしが?」
「さらに言えば俗な本が良いわね。
大陸語で書かれた本というだけで、
大陸語を教えても誰も読まないのよ。
スーの棚にある天体物理の本は
ニクスも読まないでしょ?」
指摘されてわたしは喉から奇妙な声が出た。
「だってあれは専門書だもの…。」
スーの高い方の棚に置かれてある本も、
本人からは読んで良いとは言われている。
でもその本は内容が高度で難しくて、
いまでも手に取ることはない。
「あなたは勉強会で、
ドレイプやフランジが
普段読まない物語の本の話を、
してあげればいいのよ。
スーのように本の中身を
違えず覚える必要もないわよ。」
「スーと同じには無理だよ。
そんなことでいいの?」
「貴族が好んで読む本の内容を、
賤しい娼婦のようなドレイプが知っている
というだけでもお客さんは喜ぶのよ。
知識の広さ、理解の深さはひとそれぞれ。
勉強会という場が提供する
共通した知識は
彼女達に標準を与えられる。
それにフランジの観点で教えられるのは、
あなた以外の適任は居ないわ。」
サンサはそんな自分の言葉を、
首を横に振って否定した。
「ドレイプの為、フランジの為、
というのも正確ではないわね。
あなたはいつでも
館を去ることができる。
わたしはお願いしかできないのよ。
これは勉強会を始めた
わたしの身勝手ね。」
――狡いっ!
サンサに向けて叫びたい気持ちを堪えた。
責任を押し付けてきたわけではない。
「サンサやスーやメノーを真似して、
わたしが勉強会をやっても、
失敗は想像できるよ…。」
わたしは首を横に振る。
なにもないわたしに委ね、
サンサから仕事を頼まれたのは
初めてのことだった気がした。
「でもみんなに本を読むくらいなら…。」
サンサからの提案を承諾する。
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