第6章 第5節 十二の歴(第3項)
離宮の出入り口になっている南側にも、
扉を挟むようにして二つの絵がある。
左手には炎に包まれる猪の怪物、
右手には火を吐く巨大な蜥蜴の怪物と
戦うソーマの姿が描かれている。
これはまだ本で読んだことはない。
「竜という伝説の生き物です。」
竜は神話にも登場する。
神話の竜は、精霊達が庭園で飼っている
100の頭を持つ蛇の姿で星座にもある。
この星座はゼズ島からは観測できない。
洞窟港の外の海には竜が存在して、
外敵からゼズ島を守っている
と信じられていた。
「実在しない創造の生き物だよ。
本当に火を吹いたら
唇が火傷するからね。」
スーの補足にレナタが想像して笑っている。
「『愚者は炎を崇める』っていうよね。」
「ねえ、それ。
確か前も聞いたけれど、
『獣は火を畏れ、賢者は炎を操る。』
って、こちらでは言わないの?」
わたしの言葉に
スーとレナタは顔を見合わせる。
「島の南部では言いますね。
炎を操る竜は
神々に姿を変えられた蛮族です。
カヴァやオーブで竜を討伐したソーマが、
土地を支配したので領主になりました。」
「カヴァは王様だね。
大陸では動物を繍旗に使うからかな。
南方のクレワは大鹿の角、
北方のソーンは大蜥蜴。
中央のラギリは
大陸を飲み込む大蛇。」
「エルテルは犬ですよね。」
「繍旗は大陸由来だから
エルテルは忠実な牧羊犬だね。
半島のエンカーは頭蓋骨。
メーニェの繍旗はラッガだもん
統一はされてないね。」
スーの説明にレナタは頷く。
わたしは島の歴史に疎く、
主に描かれた動物を探して見て回る。
ラッガは船を係留したロープから
鼠の侵入を防止する為の円錐型の道具で、
洞窟港での猫の俗称だと
ファウナが説明してくれた。
猫の姿は壁画に描かれていない。
「あれ…?」
わたしは周囲を見渡す。
「どうしたの?」
北側に洞窟港、ゼズ山脈、メルセ領、
東にはエルテル領、オーブ領、西に分水街、
南西にはカヴァ、出入り口は竜の絵。
半球形の南側には、
天蓋山が薄く描かれている。
けれどその麓、
ネルタの湖を描いた絵はない。
「あれは…?」
わたしは出入り口の上部を指示した。
柱から光の当たらない場所に、
真黒なモザイク画が埋められている。
光の加減で薄い裂け目が入って見えた。
「あれも絵なのかな?
13枚目? なにかしらね。」
「あ、もしかして、
星鳥の群れですか?」
と、レナタが推論を口にした。
そんな話を彼女に以前したことがあった。
「禁足地よ。」
芯のある、掠れた声が離宮に響いた。
わたし達が揃って上を見ていると、
正面に初老の女のひとが立っていた。
「わっ!」
驚いたレナタがわたしの後ろに隠れる。
「こんにちは。アイリア。
来客中だったから、
こっちで待たせてもらってたよ。
あれが禁足地?」
白髪交じりの赤髪を持つアイリアは、
青紫色に染められたキャシュクを着る。
「大変長らくお待たせしました。」
わたしくらい小柄なアイリアは、
深く頭を下げてさらに小さくなる。
「二人を紹介するね。
こっちは私と同室のニクス。
と、こっちの子はイオスね。」
イオスがビャオと鳴いて挨拶をしたので、
わたしは狭い額を指で撫でる。
「この子は知ってると思うけど、
メノーの部屋のフランジで。」
「はっ、はじめまして、アイリア画工。
本日は、貴重なお時間をいただき、
ありがとうございます。
館のモザイク画をずっと見て育って、
それから、美術館で新作があれば、
必ず見に行きます。
あの、お会いできて、光栄です。」
「…レナタね。」
彼女の自己紹介から
一呼吸置いてスーが続けた。
レナタは床に片膝を突いて、
頭を垂れる古代の挨拶の姿勢から
動けずにいた。
紹介に割り込んだ失態に気付いたレナタは、
わたしを見て顔を赤くする。
「へぇ、建物の中に
こんな作品があんのか。」
アイリアの後ろに銀色の女が立つ。
「フルリーン?」と、わたしが名前を呼ぶ。
アイリアも驚いて振り向いた。
フルリーンの後ろで困り顔のマーリャが
また深く頭を下げている。
オーブ領主の息女、
黒装束姿のフルリーンが離宮に現れたので
わたしも驚いていた。
「スーとニクスだ。
玄関に見覚えのある
大陸人の護衛が居たからな。」
「アイリアの先客って
フルリーンだったんだね。」
アイリアの急な来客とは彼女のことだった。
今日もフルリーンは
棒と車輪を付けた旅行鞄を牽いている。
「いえ…。その…。」
アイリアは目を逸らして言葉を濁す。
「あたしが急に訪ねてきたんだよ。
工房で使ってる道具を見たくてな。
あのテーブルを作った画工だろ?
こんなのも作ったのか。」
離宮の内部を初めて見たフルリーンは、
炎に包まれる猪を見て興奮する。
「…ニクス、あちらはどなたですか?」
怪訝な顔を浮かべるレナタが
わたしに耳打ちする。
「レナタも知ってるフルリーンだよ。
オーブのサンサだって。」
「サンサ?」
彼女は瞬きを繰り返した。
「先々代の領主グレイに名付けられた。
正式な名前はオーブ・ネク・サンサだが、
いまはフルリーンを名乗ってる。
あんたは?」
「あっ。あの…。」
レナタはわたしの後ろで怯えている。
「彼女はレナタよ。
わたしと同じ館のフランジ。」
紹介を忘れられたイオスが抗議で鳴いた。
「この子はイオスね。」
「よろしくな。
ニクスと同じ娼婦の見習いか?
また、さらに小さく見えるな。
分水街は貧しいのか?」
「彼女はまだ10歳だもの。
あなたの発育の良さと
比べてしまうのは誰だって酷よ。」
レナタは10歳でも、メノーの部屋の
フランジだけあって発育は良い方だった。
傭兵相手でも物怖じしないフルリーンが、
まだ16歳という方が信じられない。
「へぇ。10歳で? 10歳…?」
彼女は訊ねて首を捻ると、
両腕を組んでレナタを見つめる。
「…なんでしょうか?」とレナタ。
レナタはドレイプの中でも最年少なので、
いまも自分の身長に悩んでいる。
「話が逸れてるよ。」と、スーが指摘する。
「あ、あの絵の話ね。」
キャシュクを掴んで怯えるレナタの
前に立ってわたしは黒い絵を指示した。
「それでアイリア。
どうしてあそこだけ真黒なの?」
「なんだあれ?」
「禁足地だって。」
スーは分水街を囲む防壁より南を
禁足地と呼ぶ。
防壁より南のネルタで育ったわたしは、
天蓋山の麓の深い森を禁足地と呼んでいた。
「あぁ、それなら雷霆か?」
フルリーンの言葉に
アイリアは口元を緩ませて深い皺を作った。
「はい。雷霆です。」
「雷霆? …って四時の?」
「残り3枚の手札で、
100を作ることだね。」
スーがレナタにも分かるように説明した。
四時の札遊びで手札の残りが
3枚の時に、
100の値を作って手札を無くすことを
雷霆と呼ぶ。
初めて四時をした時に雷霆を作ったのに、
スーには00の2枚で解除されて、
勝ちが取り消されてしまった。
彼女はさらに正しい説明をした。
「禁足地に踏み込んだソーマは
落雷に遭って死んだ、
とする説があるんだよ。
それを雷霆って呼んだんだって。」
「球電に指示でもしたのかしら…。」
呟きながら、わたしはどこかで聞いた
似たような話を思い出そうとしたけれど、
目の前の絵に引き込まれていった。
「…確かに青白い筋が見えるね。」
黒色のガラスはやや青く、
割れ目が繋がっていて光の筋が浮かぶ。
雷の仕組みは本で読んだことがある。
雲の中に集まった水の粒子が冷えて凍り、
氷晶同士が擦れ合うと雷素を溜め込む。
集まった雷素は空気を熱し、
強烈な発光をする現象を雷と呼ぶ。
雲の中で放出された雷素が、
圧の低い地面へと伸びると落雷になる。
雷素の放出で瞬時に熱せられた空気は
鍋底で沸く泡のように急激に膨張し、
音が波を作って耳へと伝わる。
フランジはこの音を
竜の鳴き声と呼んで怯えていた。
「あれが見えません…。」
呟くレナタ。
わたしと大差のない身長の彼女でも、
扉の上の白い筋は見えない高さでもない。
「ほいよ。見えるか?」
「わっ! あの! ちょっと?」
レナタはフルリーンに両脇を掴まれて
持ち上げられた。
この光景は玉石の庭で見た覚えがある。
「あった! ありましたよ!
もう見えましたから降ろしてください!」
「フルリーン。
突然そんなことやったら驚くでしょ?」
彼女と同じことをレナタにしたスーが言う。
「そっか。悪かったな。」
「いえ。」
彼女はドレスを直す動きで感情を静める。
「レナタ。なにがあったの?」
「セリーニです。セリーニ。」
興奮気味に言うレナタ。
黒色のガラスを見ただけの彼女が、
なにを言いたいのか分からない。
「セリーニって、
月の女神の名前だよね?
それがどうしたの?」
「女神が山に住む人間に惚れて、
そいつを眠らせて不老不死に
しちまう話だったよな。」
「そんな怖い話だったかしら?」
「なんだか違いますけれど…。」
月の女神セリーニは、惚れた男が
寿命の限られた人間であることを嘆き、
神の力でその男に不老不死を与える。
しかし不老不死にした代償で、
男は永遠の眠りについてしまう。
この神話がオーブ領では、
神の存在を畏れさせる話へと変わっていた。
レナタの発見に頷くスーは分かった様子で、
わたしもフルリーンもスーの顔を見た。
「二つ重なった丸だね。」
スーは両手の母指と示指で輪を作って、
それを半分ほど重ねる。
「太陽に照らされる月の模様。
これを月の女神のセリーニっていうの。
車輪って説もあるね。
北の川向こうには
セリーニの神殿もあるんだよ?」
「メノーのモザイク画や、
日陰の庭のテーブルにも
入ってるんです。」
「知らなかったわ。
ガラスの奥になにか描いてある
とは思って毎日見てたのにね。」
「わたしも最近になって
サンサから教わりました。
アイリアの作品に、
全て入っているという話は
本当だったんですね。」
アイリアはレナタの言葉に笑顔を向ける。
「銘にしたってネルタの繍旗だろ?
なんでそんなの入れてんだ?」
フルリーンは当然の疑問を呟く。
ネルタが掲げていた並んだ輪の繍旗は
セリーニの模様に似た図柄で、
広大な湖の形が由来だと
司書官のゴレムから教わった。
月の女神との関係は聞いたことがない。
彼女は椅子に腰を下ろし、
穏やかな口調で語る。
「初めて会ったのは10年も前なのね。
この銘にしている図柄は
ネルタの湖ではなくて、
わたしが売っていたお守りなのです。」
「お守り?」
「無産街で働く娼婦達に、
月の女神を描いてたんですよ。
他にも安く手軽に描けて売れる
二つの輪を描いただけの図柄が、
いまのわたしの絵の銘になりました。
その頃かしら。
夫のマルフを通じて
サンサから声が掛かってね。
それも5年も前になるわね。
『枯れない花を咲かせたい。』
なんておかしなことを言うものだから。
昔からおかしなひとよね。」
「枯れない花…ですか?」
「メノーの部屋のモザイク画のことよね。」
『枯れない花』を謎解きと理解して、
彼女の作ったメノーの壁画を思い浮かべた。
「あの絵が、枯れない花なんですか?」
レナタが驚き、わたしに訊ねてきた。
「だって館にある壁画は、
メノーのモザイク画しか
見たことないもの。」
アイリアはわたしの見解に
口元を緩ませる。
「サンサの詩的な表現なんて、
教養の無いわたしには
分からなかったの。」
苦笑するアイリアに
レナタも乾いた笑いを浮かべる。
「ガラス石を使った図柄は
作った経験があったけど、
モザイク壁画の依頼なんて
一度もなかったのよ。」
アイリアの話に、
今度はレナタが柔らかな頬を膨らませて
力強く頷く。
「あの壁画が完成した時に
サンサが放った言葉を、
いまでも思い返すわよ。
それこそ雷霆よ。」
彼女の表情は明るく、声が弾んでいる。
「サンサのことですから、
酷いことを言ったんですね?」
「『あなたの絵は色気がないから、
娼館には似合わないわね。』
なんてね。」
「サンサってばダメよっ!」
憤ってみせるレナタ。
「本当に酷かった。」わたしも呆れた。
絵を見て回っていたフルリーンも
話を耳にして奥で哄笑する。
それも過去の話の一部に過ぎない。
アイリアは気にもせずに続ける。
「理由を訊ねたのよ
『あなたの絵には気品があるから、
肩書きに関係なく評価されるわよ。』
なんて言うのだから驚いたわ。」
「あの絵で人気が出たんだもんね。」
スーの言葉に彼女は思い出して、
口元を隠して小刻みに肩を揺らした。
「『もっと色々な本を読めば、
想像と表現が膨らむわよ。』
って、本まで押し付けてきてね。
おかげでこの作品が完成したわ…。」
彼女は椅子に座ったまま、
離宮の中に飾られたモザイク画を
遠い目で眺めた。
それから視線を戻した。
「ソーマは本当に雷で死んだのかしら?」
アイリアはわたし達に
一つの疑問を投げかけた。
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