第4章 第4節 金色の月(第1項)
「ほら、背筋伸ばして。
足元を見ない。
腕上げてぇ、相手を見て。
はい、合わせて。」
舞踏室にサンサの声が響く。
わたしは彼女の声を聞きながら、
身体の動きを意識しても、
手足は思い通りに動かない。
常に下を見ながら足を意識しないと、
2本の足が絡み合って転びかける。
「回りますよ。」と、レナタが囁く。
目の前で一緒に踊っているレナタが、
わたしから手を離すと、勢いで回転する。
遠心力で彼女の銀髪が広がる。
その動きを注視してしまい、
足を動かす音の位置が
また分からなくなった。
気づけば演奏は終わり、
他のドレイプやフランジも踊りを止めた。
2階にある舞踏室は、
食堂と浴場を足した床面積の広間で、
いまは熱気に満ちている。
天井に設けられたガラス窓から
光が降り注ぎ、室内は明るく、暑い。
舞踏室では踊るひとだけではなく、
一部のドレイプやフランジは、
それぞれの楽器を手にしていた。
褐色の艶が眩しい弦楽器は、
太さの異なる弦を震わせる為、
棹に馬の尾毛を張った短い弓を使う。
テミニンの持つ手のひら程度の打楽器は、
一人で踊りながら軽快に打ち鳴らす。
娼婦という仕事は、客に媚び、
貴族の館に呼ばれるという。
娼婦が客を楽しませる手段の一つに、
こうした演奏や踊りを求められるので、
舞踏室での遊びは研鑽に繋がる。
舞踏室ではみんな、
演奏や足の運びに多少の失敗があっても、
楽しく弾き、踊ることを重視していた。
メノーの胸当ての件は、
オーブにいるフルリーンを呼ぶことで、
一先ず解散になった。
面談室を出ると、
酔っ払ったドレイプのミュパに絡まれ、
わたし達全員が舞踏室に入れられた。
新たな参加者の登場に楽器が奏でられ、
サンサに背中を押されたわたしは、
こうしてレナタと踊ることになった。
わたし達を連れてきたミュパは、
彼女の背よりも長いクッションを抱いて
床に寝ている。
彼女の食み出たお腹に
レデがタオルを掛けていた。
壁に取り付けられた姿見以外に、
舞踏室に豪奢なものはなにもないけれど、
サンダルで床を踏むと軽い音が鳴り響き、
空間には音の彩りが生まれる。
「おつかれぇ。どうだった?」
踊り終えたわたし達をメノーが出迎えた。
彼女は厨房から料理と杯を持っている。
「踊りって注意点が多くて、
本で読むより難しいんだね。」
「踊り慣れたら、身体は
自然と動いて楽しいものよ。」
「初めてにしては上手ですよ。
スーなんて酷かったんですから。」
レナタは言って一人で頷く。
「レナを振り回してたものね。」
「信じ難いけれど、想像できる…。」
「ニクスはこれ好き?」
メノーが木製のお皿をわたしに差し出した。
お皿の上には、薄く輪切りにしてから
四等分に切られた真赤なネイプの上に、
白いソースが掛けられている。
「レナタも食べる?」
「あっ。これは食べません。」
レナタは一瞥して、
メノーの食べ物を拒否した。
「分水街のネイプって、
癖がなくておいしいのにね。」
家畜の餌とも呼ばれるネイプは
スープにもよく入れられている根菜。
館が出すネイプは歯応えがよく、
特有の青臭さがないので食べやすい。
――レナタの嫌いな食べ物
でもないよね?
疑問を抱きながら、
ネイプを摘んで舌に乗せた。
ソースの甘さが口に広がり、
噛めば気持ちのいい音が鳴る。
「かっ…なに…これ?」
噛んだ途端にソースが辛く感じ、
舌に空気が触れると辛さが増す。
甘いソースの中に、隠された
香辛料が舌先を刺激して、髪の毛の穴が、
全て開くような感覚に襲われる。
「あははっ。おかしいわねぇ。」
「赤ネイプの酢漬けは知らなかったの?
ニクスは辛い食べ物は、
まだ食べられないのね。
スパイスティーもダメだったわね。」
メノーとサンサ、他のドレイプも
わたしの反応を楽しんでいる。
笑っているメノーが持っていた杯を
わたしは手にし、急いで口の中を流した。
「あーニクス! ダメよっ。」
木の杯に満たされた蜂蜜色の液体は、
口に含んだ瞬間、木の匂いが鼻腔に広がり、
咥内は苦味に支配される。
「わっ、うぇ…。」
苦味は口の中だけに留まらず、
喉や鼻、呼気からも癖の残る
酒の臭気が充満する。
身体は反射で酒を拒絶して、
口を開けた状態で、液体を
床に吐き出してしまった。
「メノーってば、
お酒を渡してはダメよ。」
「えぇー?
だってぇこれ、サンサのお酒を
ニクスが持って行ったのよ?」
「ジュースでは、ないの…?」
メノーがよく口にしているバイテスに、
クァンを混ぜたジュースと勘違いして、
誤って酒を飲んでしまった。
鼻の中や目の奥、頭頂を突き刺す痛み。
酒とも呼べない液体が鼻から垂れて、
後から蜂蜜の匂いが鼻腔に広がる。
「こちらで拭いてください。」
「ルービィに露見したら、
また飲食物の持ち込みを、
禁止されてしまうわね。」
サンサが笑う。
――また…。
レナタの手によって、
わたしは顔面を布で拭かれる。
「酒ってこんなに苦いんだ…。
もう絶対に飲まないわ。」
「あなた達が成年を迎えれば、
きっとまた飲むわよ。」
「お酒を飲んで踊ると、
景色が変わって見えて楽しいよ。」
「メノーはしばらく
飲むのは止しなさいよ。」
「はぁい。」
メノーが酒を口にしている姿は、
わたしは一度も見たことがない。
「サンサも、酒を飲むんだね。」
わたしが飲み違えた杯をサンサが手にした。
「付き合いで飲む時もあるわよ。
10年前ならエルテルで、
あの酔っ払いに負けたくなかったから、
お城の貯蔵を無くすくらい飲んだわよ。
わたしはいくら飲んでも酔わないもの。」
サンサは杯の中身をひと口で飲み干した。
「おいしいものなんですか?」
「価値はひとそれぞれよ。
飲んでもいないレナが、
飲むひとを否定できないわよ。」
「えぇ…でも…。」
レナタは視線を下げて肯定できずにいる。
「身近に酔っ払いが居るんだから、
仕方がないわよ。
ニクスも迷惑してるのよねぇ。」
酔っ払っていたハーフガンを示し、
メノーに同意を求められている。
「お酒は判断を鈍らせ、
肉体の成長を阻害するけれど、
それが原因で昔から禁じられても、
親しまれるだけの理由があるのよ。」
「サンサはあいつに甘いわよねぇ。」
メノーやレナタは不満を見せ、
怒っているようにも見える。
「そのひとは、
敢えて判断を鈍らせたいから飲むの?」
「ふぅん。
察しが良いのも考えものね。」
彼女はわたしを横目に見て頷いた。
室内では再び演奏が始まる。
「レナ、もう踊らないの?」
「ちょっと疲れてしまいました。」
レナタは床に座って、
わたしの吐き出した酒を拭く
動作を繰り返す。
「ニクスはサンサと踊ってあげて。」
「えぇー。」
「なにが不満なのよ。
ほら、いくわよ。」
サンサに引っ張られるわたしを見ると、
レナタの口元が緩んでいた。
舞踏室の中央でサンサと向き合う。
「離れないで、身体を寄せて。」
互いのお腹が触れ合う距離になると、
足元も見えずに動き方が分からなくなる。
彼女の腰と背中に
わたしは両手を添えさせられた。
チュニックを着る彼女の身体は、
メノーに比べて細く控えめと言えるけれど、
手で触れると見た目よりも腰回りは広い。
「どうせ見えないから、足は見ない。
わたしを男と想定して、
娼婦みたいにもっと抱き寄せて。」
「踊り難くしないでよ。
わたしは娼婦ではないんだよ。」
「わたしも娼婦ではないわよ。
踊りというのは相手を見て動く、
言葉を介さない対話なのよ。」
音の節に合わせ、
サンサの身体が後ろに引く。
サンサの腕に背中を抱かれたわたしは、
彼女の手の、微細な力加減に合わせて、
重心を一体にして前に足を運ぶ。
サンサが視線を変えて腰を捻れば、
次にどちらに動くのか分かった。
見えないけれど彼女の足の動きは鋭く、
床を踏めば演奏に合わせて軽快な音が鳴る。
サンサの踊り自体が、
一つの楽器の演奏になっていた。
「上手になってるわね。」
「わっ。間違えた?」
「失敗しても足は止めず、
自信を持って踊りなさい。
ただの踊りなのだから、
奏者と一緒に楽しめばいいのよ。
娼婦団の女のように勇ましくね。」
「知らないよ。」
素気無く言うと、サンサは顔を寄せる。
「レナに気に入られたわね。」
彼女は踊りながらわたしに呼び掛ける。
レナタより年上のわたしは、
フランジの模範になる彼女から、
失望されないように努めた。
わたしの中にある理想からは遠く、
わたしは十全ではなかった。
レナタに教えられた仕事は満足にできず、
本で学んだことを活かせることもできない。
「どうかな? あれ。」また足を間違えた。
「あの子を守ってあげてね。」
「レナタはそんなっ、
幼い子供ではないよ。」
スーが以前、わたしに対して使った言葉を、
今度はレナタに対してサンサに伝えた。
「わたしにそんな力は無いし、
わたしより律儀にしてるもの。
わっ。ちょっと?」
「ふふっ。
わたしもルービィと同じね。
わたし達からしたら、
あなたもスーもみんな幼い子供よ。」
「レナタの護衛ならグーグスとか。あっ。」
「グルグスよ。」サンサが訂正する。
「グゥグス…。」正しく発音できない。
「大陸の名前は発音し難いわよねぇ。
わたしも最初は苦労したわよ。
南部言葉のせいかしらね。」
「ハーフガンって、ひとに頼んだら?
護衛ではないって言ってた、けれど。」
「酔っ払いは護衛ではなくて騎士よ。
騎士というのはエルテルの領主から、
土地を与えられた貴族の肩書きね。」
「それなら、どうして、あ。
あのひとは、こんな館に、居るの?」
喋りながら踊るのは難しい。
サンサの動きに合わせることで、
初めてのわたしでも踊っていられる。
「領主エリクの言いつけだもの。
義理堅いのか、不義理なのか。
10年もこちらに居ないで、
帰ればいいのに。」
「それならサンサは、どうしてここに?
なにか、目的があるの?」
「…ふぅん。それは、
幼い子供の将来の為ね。」
言って銀色の目が冷たく笑う。
サンサはわたしから身体を離し、
その場で回転すると演奏が終わった。
「あら、なんなのその顔。
ニクスはわたしを信じてないのね。」
サンサの腰に触れていた自分の手を見て、
手と共に視線を下ろした。
「…信用は行動からでしょ?」
黙って頷くサンサ。
以降、サンサはなにも言わなくなった。
それから夕暮れの鐘が鳴るまで、
わたしはレナタが望むまま踊って過ごした。
――レナタを守ってなんてわたしに言って、
サンサのなにを考えているのかしら。
疑問の中でレナタは藍色の丸い目を細め、
わたしと一緒に踊りながら、
柔らかく笑っていた。
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