第4章 第3節 虚偽の実(第2項)
日陰の庭の北にある部屋は、
フランジの掃除道具置き場になっている。
ここにはもう一つの名前があった。
――面談室…。
窓からの光は黒色のカーテンに遮られ、
木製のテーブルの上に置かれた
ランタンの灯火が一つ。
その火を囲んで、4人が座る。
レナタの正面にはメノーが座り、
わたしの正面にはサンサが座る。
全員が一つの光に照らされている。
部屋を覆う暗闇の静けさに、
わたしは唾を飲んだ。
「館の決まりを破ったフランジ、レナタ!」
メノーの声が空気を震わせ、
ガラスの風防の中にある、
ランタンの火を揺らした。
わたしが呼ばれたわけでもないのに、
レナタと同じく背筋を伸ばす。
「フランジの戒めを述べなさい!」
メノーがテーブルの天板を指先で小突くと、
その動作にサンサの口元が歪む。
「…盗みを働いてはいけません。
嘘をついてはいけません。
罪を共にしてはいけません。」
わたしはフランジの戒めというものを、
誰からも教わっていない。
恐怖と緊張で震えるレナタを横目に、
暗闇の中のサンサは、口角を上げて
笑みを抑えきれずにいる。
ドレイプとフランジの住む夜の館は、
血縁のない孤児の集まる生活共同体。
窃盗や欺騙、脅迫などの犯罪を看過しては、
他人同士の生活はすぐに崩壊してしまう。
「レナタ。
あなたは罰を逃れる為に、
他のフランジに
罪を被せようとしましたね。」
「はい…。」
フランジが入ってはいけない果樹園で、
クァンを取ったレナタは嘘をついた。
――わたしも同罪ね。
『罪を共にしてはいけない。』
これはわたしにも該当する。
わたしよりも幼いレナタにだけ、
罪を擦り付けるのも気が引けた。
「サンサはレナタを陥れたのね?」
「あら、人聞きが悪いわね。
レナの理性が欲に負けたのよ。」
「わたし達は別にレナタの行為を、
叱ろうなんて思ってないわ。」
「えっ?」
「…どういうことですか?」
困惑するわたし達を見てから、
サンサとメノーの二人は、
目を合わせて笑う。
「果樹園に入ってはいけないって
決めたのは、ずいぶん昔の話ねぇ。」
「クァンが苗木の頃だもの。
形骸化した決まりなのよ。
その名残りで、いまもフランジの
立ち入りを禁止してるの。」
「苗木の頃から知ってるレナタは、
それをちゃんと守ってたのよねぇ。」
「間違えて毒を食べるからって、
昔ノーラは言ってましたよ。」
ノーラというのは、
メノーより前に居たドレイプの名前。
「クァンが食べられるのは春から夏まで、
オレームの収穫は夏の終わりから冬前よ。
クァンは新たに実っても、
酸味が強くて食べられないの。
時期は異なるし実の形も違うから、
間違えて食べる心配はないでしょ。」
「サンサはわたしを騙して、
初物のクァンを食べさせたわよ。
あの酸っぱいクァンを。」
メノーは口を窄めて言った。
「取って渡したのはノーラよ。」
メノーを騙したことをサンサは否定しない。
「木登りなんてされたら、
枝は折れて枯れてしまうし、
木から落ちて事故に遭われても困るもの。
折れてもいいのは、館の外に植えてある
あのミュームくらいよね。」
「折ったりしたら、
そこから腐ったりしないの?」
「ミュームは、折れたところから
病気の耐性を持つのよ。
ルービィがドレイプやフランジの
健康を願って植えたのに、
エイワズが酒宴の口実に使うのよ。」
ミュームの花は館に来た日に咲いていて、
花を観賞する酒宴も開かれていた。
エイワズと言う名前の人物とわたしは、
すでに会っているのかもしれない。
「話が逸れたわね。
レナが素直に育っていて安心したわ。
本当に入ってはいけない場所には、
柵でもして鍵をかけておくわよ。
レナが木登りする子に育っていたら、
ルービィが木を全て切り落とす、
なんて言ってたのよ。」
それを聞いてメノーが笑う。
サンサはレナタの前髪を撫でた。
「決まりを破って木登りをしても、
馬に乗って蹴られてもいい。
ニクスを真似して嘘をついて、
館を抜け出しても構わないわよ。」
「そこでわたしを
引き合いに出さないでよ。」
サンサの言葉にわたしが口を挟むと、
彼女は口角を上げて喜ぶ。
「もう、嘘は言いません。」
「レナタがまたいつか、
館の決まりを破ったら、
将来サンサみたいなドレイプに
なってしまうものねぇ。」
「レナの、誠実で素直で律儀なところは
わたしに似てるのよ。」
「えぇ…?」
サンサの言葉に耳を疑った。
「冗談よ。」メノーが言ってサンサが笑う。
「サンサみたいになっては
ダメなんですか?」
二人のドレイプはまた哄笑した。
◆
「それで二人はこんな部屋に連れてきて、
レナタに悪巧みを教えようとしたの?」
笑い合う二人に、
わたしは呆れて訊ねた。
「これよ。これ。」
サンサは肩に掛けていた赤く輝く布、
シルクをランタンの前に置いた。
「メノー、脱いで。」
「はぁい。」
サンサから急な要求をされても、
メノーは踟わず帯紐を外して
キャシュクと肌着を脱いだ。
彼女の立派な乳房が、
ランタンによって下から照らされる。
「それが今回の物ですか?」
「えぇ。」サンサが頷く。
「いつもやってるの?」
『今回の物』ということは、
メノーを脱がせる恒例の会合らしい。
レナタはメノーの服を折り重ね、
この状況でも平然としている。
――二人に騙されてたのに。
「たまにオーブから届くんですよ。」
「ニクスはメノーを手伝ってあげて。」
メノーはシルクの布を手にし、
両の乳房に当て包み込んだ。
「前を支えてるから後ろを結んでぇ。
肩と脇から出てるやつねぇ。」
白い背中に垂れた革製の紐を、
脇に垂れる紐で結び合わせる。
「こう? あれ、こっち?」
左脇の紐と右脇の紐を水平に結ぶ。
肩の紐を結んでも紐が長く、
乳房の重みで布が垂れ落ちてしまう。
持ち上げて結ぶだけで革紐を摘む指が痛い。
「これ、どうするのが正しいのかしらねぇ。
ニクスは胸当てを見たことある?」
「見たのは初めて。」首を横に振る。
わたしは胸当てを知らない。
二等辺三角形をした2枚の布。
シルクの生地は別として、
布の少ない貧相な服は、
奴隷やネルタの孤児でも着ない。
「普通に暮らしてても、知らないわよ。」
「オーブでは、女の射手が着ける
道具だそうですよ。」
「革製で、胸甲くらいには重いのよ。
弓の弦が乳房に引っ掛からないようにね。
それがあっても引いた弦が胸に当たれば、
とても痛いって言うわね。」
「これからメノーが弓を引くの?
こんな格好で?」
わたしはこの目的を
いま一つ理解していない。
「ふふふっ。
サンサが言っても腕も胸も無いから、
分からないわよねぇ。」
「それは冗談ではなく、
侮辱と受け取るべきね。
不敬の罪に問うわよ。
ふふっ。」
言ったサンサは自ら笑ってしまい、
メノーの発言を冗談として受け取った。
「メノーの胸は大きくて、
重さで垂れてしまうんです。
それで胸の形を保つ為に、
胸当てで支える新しい肌着です。」
「革の胸当ては胸を守る為ね。
闘技場にいる女の競技選手は、
布を巻いて胸を潰して固定するだけ。
収穫祭では女は肌の露出を増やして、
下垂の防止で布を巻いて踊るわよ。」
「…外で脱ぐの? 風紀は?」
「脱がないわよ。
こんな風に当然のように脱いではダメよ。
今日みたいなお祭りの日は、
服が肌着だけの最低限の露出でも、
外出が許されているのよ。
『神への感謝を捧げる。』
という口実で、脱ぐ理由になるの。
当然、全裸はダメで、
女は上裸も許されないわ。
風紀を乱すものね。」
「露出する時点で乱れてるわよねぇ。」
それをメノーが言うのでレナタが笑う。
「気分が高揚して脱ぐひとも居るけれど、
捕まって一晩は檻の中よ。
決まりを破れば悪目立ちするし、
人攫いにも遭うわね。」
「人攫い…。」レナタが呟く。
「西側の連中ね。
ニクスも一度、襲われたでしょ?」
館を抜け出た日に、
ユヴィルの傭兵という酔っ払いの二人は、
わたしを攫おうとしてサンサに殺された。
――獣の男は人攫いではないのかしら。
わたしをこの館に連れてきた、
体毛に覆われたラッガを思い浮かべていた。
「どう? メノー。」
肩の紐を引っ張って両の乳房を持ち上げ、
根元の方で結んでみたものの、
硬い革の紐で擦れた首が赤い線を描く。
「今回は形がいつものと違うわねぇ。」
「変わった形ですね。」
メノーの乳房を覆った肌触りの良い布は、
2枚の二等辺三角形の、鋭角な先端同士を
向かい合わせて、重なり合う形をしている。
「以前の物は、どんな形だったの?」
「球状の木材を二つに割って、
中を削っただけの物がありましたよ。」
「あの食器は最低よね。
でも今回の物は『フルリーン』名義よ。
おじいはもう引退したのかしら。」
「これ、良いわねぇ。」
胸当てをしたメノーが軽く跳ねると、
両の乳房が胸当てと共に激しく揺れた。
するとわたしの結び方が緩くて、
紐が解けて乳房が露わになった。
「あ、ダメよ。
首も擦れて痛いわ。」
「革紐だからね。
オーブは装具に革を使いたがるのよ。
紐を変えましょう。」
「革よりリボンが良いわ。」
「背中で結ぶのは、
付け外しも手間ですよね。」
紐を結ぶのに苦労していたわたしを見て、
レナタが指摘した。
「改善の余地があるのは良いわね。」
「胸に帯布を巻いて、
帯紐で固定するのはダメなんだ。」
わたしは自分の腰に巻いた帯布を指示する。
「それだと胸を強調できないもの。」
「強調?」
――メノーは元から大きいのに…。
メノーの乳房はわたしの顔ほどもある。
「男を欲情させる為に、
煽情的なのが欲しいんだって。」
「寄せれば明暗が出来て、
胸を豊かに見せられるのよ。」
その理由に納得して首を縦に振り、
それからサンサの胸元を見て訊ねた。
「サンサが欲しいの?」
「わたしとメノーを比較しないでよ。」
わたしの疑問にレナタが笑ってしまい、
彼女はサンサに頬を抓られていた。
「いはぃ~。」
レナタは痛がりながら喜んでいる。
ドレイプの中で最年長のサンサでも、
少女に見える外見は相応に控えめだった。
「これはねぇ、
館だけで使うものではないのよ。
わたしはこの街の女が全員、
胸当てを付けた方が良いと思うの。
これがあれば胸が肌着と擦れないし、
胸の形を保てれば垂れなくなるでしょ?」
メノーは声を弾ませて語り、
わたしが背中に結んだ革紐を取ろうとする。
「意見はもっと言っていいわよ。
ニクスにはわたし達なんかよりもずっと
柔軟でおかしな案を期待してるわ。」
「偉大なる発明に、
失敗は付き物って言うんですよ。」
サンサの言葉を借りたレナタが、
言ってまた笑う。
今度は髪を荒く撫でられていた。
「同じひと同士で言い合っても、
閃きには限界があるものね。」
レナタは部屋にある道具箱から針と糸、
握り鋏を取り出した。
胸当てに取り付けられた革紐を外し、
彼女はその紐で適切な長さを測り、
リボンを付けて試行錯誤を始める。
「レナタは器用ね。」
「これを考えたひとの方が上手ですよ。
縫い方も丁寧で、職人なんでしょうか。」
作業をしながらレナタは少し興奮している。
「ありがと、レナタ。
これなら紐が痛くないよ。」
「誰かが背中に回って
結ばないといけないことに、
変わりないわね。」
「それならわたしの意見よりも、
これを作ったフルリーンが居たら、
もっと良い案が出ると思うよ。」
卑下した意見だったのに、
サンサは思わぬ方向でそれを喜んだ。
「良い考えね。
おじいは分水街まで来ないから、
呼ぶなんて考えつかなかったわ。」
「作ったひとが居たら、
もっと改善しやすくなりますね。」
「それにしても、フルリーンって
銘は怪しいわね。
この名前、オーブでは使われないし、
遥遠代に発見された集合体の総称なのよ。
おじいしか知らないはずよ。
ニクスは知ってる?」
「知らないよ。
銘を問う以前に、
倉庫のガラクタなんて、
成功品があるかどうかも怪しいのに。」
わたしのこの一言が原因で、
サンサの左隣りに居たレナタの髪は
さらに酷い状態になった。
「もぉー、ニクスが言ったんですよ。」
「それなら共犯のニクスも、
撫で回さないとね。」
「嫌っ。止めて! 嫌だって!」
サンサによって頭を掻き乱され、
レナタと揃いの髪型になった。
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