第4章 第2節 放言の子(第2項)
「フランジが許可も無しに
客の手紙を読むなんて、
当然許されないに決まってるだろ。
それを新入りにやらせてやるんだよ。」
許可されない話を、
自信を持って提案する彼女は、
言って想像を楽しんでいる。
「ファウナは認証管理をしてるから、
手紙が読めるのよね。」
「その通り。補佐だがな。
そこで、私の仕事と交代しないか?
新入りはボナの部屋で働くんだ。」
「ファウナはなにをするの?」
「私はサンサの部屋に入る。」
彼女が白猫の背中を撫でると、
白猫は驚いて倒れ、両足を空に向けた。
「サンサの部屋ならこいつを飼えるからな。
おまけに私は仕事をしなくて済む。」
――欲が透けて、論理が破綻しているわ。
「…わたしはボナの部屋で、
認証管理、手紙を読むの?」
「補佐だって言ってるだろ。
手紙を読んで選別したり、
館に来る客を調べたりな。
貴族の手紙は、大陸語の本の
引用も多くて勉強になるし、
大陸語も身に付くぞ。」
大陸語が読めないわたしは、
彼女の甘言に耳を傾けてしまう。
「わたしにできるものなの?」
「質問ばかりだな。
私なんてセセラに習って、
すぐ出来たんだぞ。」
「ファウナは優秀だって
みんな言ってたわ。
教養が備わってるからでしょ?」
「事実を述べても
確定事項は覆らないぞ。
しばらくしたら館も閑散期に入るから、
私からボナに相談しておく。」
――サンサもわたしに、認証管理の仕事を
やらせようとしてたわね…。
「それならわたしからも、
サンサに言っておくわ。」
「良し良し。」
ファウナは踟いなく地面に座り、
食事を終えて、遊びたがる白猫を
摘み上げて抱いた。
白猫は彼女の手を相手に遊んでいる。
「それまで新入りが餌の用意をしたり、
御不浄なんかの躾もするんだぞ。
サンサの部屋にはアルも居るから、
1匹増えたってなにも言われないだろ。」
「えっ?
閑散期に入ってからでしょ?」
「そんな先まで餌無しだと死ぬだろ?
駱駝でもないんだから。
新入りは猫すら知らないのか?」
「詳しくはないわ。
動物は本でしか知らなくて。」
「それならサンサにでも聞けばいい。
飼い方の本は倉庫にあるぞ。
去勢か解剖学の本だったかな?」
「去勢も解剖もしないよ?」
ファウナは頷くけれど、
わたしはそんな趣味も興味もない。
彼女の足のあいだで白猫は、
身体が捻じれた状態で寝はじめた。
「こいつの名前はどうする?」
「まだ飼うなんて言ってないよ。
それにわたしが頼んでも、
サンサが許可しないはずだわ。」
「サンサって厳しくないだろ?
倉庫なんてガラクタだらけで、
どう見たって怠け者なんだから、
押し通せばなんとかなるだろ。」
予想で断定されたものの、
想像がついてしまい否定できない。
「涙を流して同情を乞え。
こいつが飢えて死ぬんだぞって。」
「そこまでしないよ。」
「サンサのフランジなんだから、
演技くらいできるだろ。」
サンサのフランジになったわたしだけれど、
演技を求められたりはしない。
演劇を見たこともないせいか、
下女の真似をして笑われた
苦い経験だけがある。
ファウナは溜め息を吐く演技をした。
「この子ってなんて呼べばいいの?
雄? 雌?」
「雌だよ。
『証人』は無いだろ?
アルも確か雌だろ?
名前が無ければ、
ラッガって呼べば反応するぞ。」
「ラッガって、それ名前でしょ?」
わたしをこの館に連れてきた獣の男が、
サンサにそう呼ばれていた。
ファウナは顎を突き出して鼻で笑う。
「洞窟港を知らないんなら無理もないか。
港に留めた船は、波に流されないように、
柱にロープで係留するだろ?
ロープは太くて頑丈で、
係留索って呼ぶ。
しばらく停泊してると、
係留索から鼠が侵入してくるんだ。
鼠は食料以外にも服や本、
テーブルや椅子の足、壁や柱まで囓るし、
病気を持ってたりすんだよ。
で、そいつの侵入を防ぐ為に、
係留索に取り付ける板のことを、
鼠除けって意味でラッガって呼ぶ。
硬い木材を円錐型に削って、
研磨した板を取り付けるんだよ。
メーニェの繍旗にもなってて――、
大陸地図は見たことないか?」
「ゼズ島の隣にあるっていう島?」
「本国とか本島って呼ばれたりする島だ。」
このゼズ島から
西に離れた小島、メーニェ。
円の中心から鋭角に欠けた図柄を、
繍旗に掲げたその国の名前は、
『なにもない』を意味する。
大陸側の地図の記憶は曖昧で、
繍旗の図柄の由来は
本に書かれていない。
ネルタの湖と同じく、オルタと呼ばれる
水溜り程度の窪地を繍旗の図柄にしたと、
司書官のゴレムは独自の解釈をしていた。
「ラッガって名前で良いの?」
「だからラッガは猫だって!
船乗りが、猫を船に乗せて
鼠除けとして呼んだのが、
『北部入植記録』に書かれてて、
それで混同されてんだよ。」
「なに? 北部入植記録って?」
「お姫様の癖に、
歴史書も読んでないのか?
サンサの部屋のフランジは、
ソーマの本も知らないのか?
いや、有名な本のはずだし、
名前くらい聞いたことあるだろ。
新入りはニクスではなくて、
『ニース』だな。」
――あっ!
呼ばれた瞬間、頭の中に
殴打にも似た衝撃を受けて、
懐かしい気持ちになった。
けれどその感情は灰色の靄が漂い、
すぐ別の疑問に覆われていく。
「ねぇ、ニースってここでも使うの?
ファウナはどういう意味で使うの?」
『ニース』という言葉は、
この館では誰も使っていない。
「ニースに正しい意味はないぞ。
スーは鄙言だって言うんだ。
貴族は知ってても使わないんだと。」
「司書からはニースのことを、
『普通ではない』って習ったわ。」
「その司書様ってどんな偉いひとだ?
分水街で名の知れた学者様か?
『変わっている』とか『おかしい』とか、
地方特有の便宜的解釈だろ。」
「便宜的?」
「言い換えたんだよ、間に合わせで。
言葉ってのは、計算なんかとは違う、
思想の分野で正解がないからな
北部入植記録にあるニースも、
その意味を『分からないもの』って
記述してたくらいだ。
他人の考え、動物の行動、宇宙…。
他になにかあったかな。
『東部開拓史』にもあったから、
それを読んだ可能性があるな。
『ゼズ島冒険記』にも同じ記述がある。
あれはなかなか痛快だよな。」
「どの本も読んだことないわ。」
知らない本の名前が次々と出てきて、
彼女の読書量を知ったのと同時に、
わたしの知識の浅さを思い知らされる。
浅い眠りから覚めた白猫は、
ファウナの腕の中で元気に暴れている。
淡いピンク色の鼻を彼女の身体に寄せた。
「まだ読んだことがないっていうなら、
未知の状態で楽しめるわけだ。
それは羨ましいな。
いや、それよりも
名前を決めるって話だ。
猫なら人間らしくする必要はないし、
難しく考えなくていいぞ。」
「いますぐには思い浮かばないわ。
それにまずはサンサに相談しないと。」
「おかしな名前を付けられても
知らないぞ。」
「それよりも、
ファウナの認証管理って、
手紙を読むだけなの?」
わたしにとっては猫の名前よりも、
そちらの方が重要になる。
「補佐だって言ってるだろ。
ドレイプの気を引く為に
客は色々な手紙を送ってくるが、
認証管理の仕事をやるからにはまず、
手紙の内容を誰かに喋ったらダメだぞ。
絶対にな。」
「誰にも?」
「館の人間はよく『流言は好まず。』
って言ってるだろ?」
「流言…、って噂のことだよね?」
「あれ、これも知らないなんて、
スーはなにも教えてないのか?
『病は口から。』は?
いくらなんでもこれくらい知ってるか。
新入りが果樹園に入ってクァンを取った…
と、これは例え話だぞ。
そんなことを私が触れ回ってたら、
私の心象は良くないだろ?」
「嘘ならまだしも、こうして
果樹園に入ってるのが事実でも?」
「事実は本人か、観察者にしか
分からないだろ。」
ファウナは言って口角を上げる。
「噂が巡り巡って大事になるんだよ。
悪口が囁かれる娼館なんて、
きっと誰も近寄らないぞ。
客が持って来た事実でも、
自分の目で確認しない限りは噂、
もしくは気を引く為の嘘かもしれない。
他人の言葉に鍵はかけられないもんな。
ドレイプは耳を塞ぎ、目を閉じ、噤む。
『私は興味ありませんわよ。』
『聞きたくありませんわ。』ってな。
それは認証管理の仕事でなくても、
普段とやってることは同じだろ?」
わたしは首を縦に振る。
丁寧に説明されても、
認証管理という仕事の責任に、
不安は拭えない。
「はい。後はよろしく。」
「えっ? ちょっと待って。」
突然ファウナから白猫を渡された。
白猫も驚いて、
抱いているわたしの右腕を
鋭い爪で引っ掻いた。
「痛っ!」
「こらぁっ!」
ファウナが大声で叱りつけ、
額を指先で叩くと白猫は驚き、
目を見開いて静かに寝転がる。
彼女が躾けた成果が出ていた。
「悪さしたらその場ですぐに叱るんだぞ。
ダメなことを言葉で説明したって、
動物相手には通じないからな。」
「わたしが叱られたかと思って驚いたわ。」
「叱るなんて浅ましくて出来ない?
新入りはまだお姫様のつもりか?」
その冗談に、わたしは噤んで見せる。
腕には縦に赤い膨らみの引っ掻き傷ができ、
所々に血が滲んでいる。
「ふふっ。いまさらだけど、
『出自を問わず』とも言うな。
こんな場所でなんだったが、
二人きりで話せて良かったよ。」
「うん。わたしも。」
わたしが館から逃げる前に、
玄関で会った彼女とこうして話ができたら、
良かったのかもしれない。
「また話を聞かせて。」
「今度は仕事をする時にな。」
「う…。」
ファウナは空になった小皿を重ねて、
手を振ってそのまま別れた。
塞がった両手の中で叱られた白猫は、
仰向けになってまた暴れている。
――この子、どうしよう…。
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