禁足地に近い川の分岐点、
治水の分水街は農地が無くとも栄えた。
この街を統治するメーニェの氏族に、
治水の権能が与えられた。
水が豊富にあり、大陸の移民で溢れ、
奴隷や罪人が運ばれ、娯楽に富んでいた。
西のカヴァで作られたオル銅貨が広まって、
赤土の丘では日が落ちるまで
処刑が行われる。
賭場と娼館は昼も夜もなく営まれると、
高額な税が徴収された。
街の北にある闘技場では毎日、
無法者達が暴れ、安い命を賭けあった。
勝利した奴隷には自由を、
敗北には等しく死が与えられる。
欺騙を働き、暴力と欲望が街を支配した。
無法者達ばかりの街であっても、
ソーマの死によって法ができた。
議会は街より南を禁足地と定め、
許可のない開拓や居住を禁止した。
この法で、東部3領と洞窟港は
禁足地への不可侵の条約を締結した。
本を持ち、法を司るソーマの像は
この頃になって作られたもの。
法の街と周囲に布告する目的があった。
法律を作る者がいれば、法律を守らせ、
法律で裁き、法律に従う者が現れる。
法律の抜け道を見つけ、公然と歩く者、
法律を破る者も、街には多く出た。
商売敵の殺害を依頼する貴族。
貴族に犯されたと嘘をつく街娼。
子供を誘拐し、身代金を要求する盗賊。
闘技場では、興行主による
不正な賭博が横行していた。
多くの犯罪の中に、
法律に関わる議員も瀆職していた。
ネルタの湖周辺に住む無法者達も現れ、
魚油まで交易も行われた。
浄水場の労働者が、
盗賊に襲われる事件も起きた。
捕まえた盗賊は自らをネルタ族と名乗った。
その頭目は自分を正統な神の子と称し、
英雄不在の混沌の時代にあって
ソーマの子孫を詐称する。
荒れ地を国にしたカヴァの氏族を真似て、
ネルタの湖周辺を占領して国とした無法者。
南は天蓋山、東西はオーブと
カヴァの山脈に囲われた細く狭い土地。

ネルタ族は複数の民族の集まりで
その境界は曖昧だった。
ネルタの湖畔に住み着いた無法者は
豊かな下流の街、分水街との併呑を企んだ。
条約を無視して
土地と水を占領する無法者の横暴は、
周辺地域に軋轢を生んだ。
分水街は無法者の侵略を阻止すべく、
街の南側から円形に囲む防壁を築く。
東部のエルテル領は水資源を確保する為、
分水街を支援して東側への支流を増やした。
この工事の影響で、
西側のカヴァは干害に遭う。
分水街から流れてくるはずの川が涸れ、
カヴァの王子は街で偵察を行った。
偵察の最中、その王子は軽挙が原因で
ネルタ側の人間に捕まってしまった。
彼はこの事件で
捕虜王子と呼ばれることになる。
この王子には腹違いの妹が居た。
カヴァの王と娼婦のあいだに生まれた娘で、
彼の代わりに無法者の地に差し出された。
王女の名前をサンスァラという。
『天蓋山に掛かる雪よりも純真で、
銀髪は陽光よりも強く輝き、
絶世の美女であった。』
カヴァの公文書にまで記されている、
妾出の王女でも誇張は多大に含まれる。
サンスァラの献身により王子は解放され、
彼は異母妹に大切な指輪を預けた。
ネルタに送られたサンスァラは、
政略で婚姻を結ぶと思われていた。
サンスァラは不運にも、
暴虐なネルタの王子によって
殺されてしまう。
当時のネルタ周辺で革命が起き、
国家の意志統一が図られた。
彼女は革命の巻き添えにあったとされる。
カヴァには捕虜王子が預けた指輪と共に、
彼女の右腕だけが国に帰ってきた。
それがおよそ20年前。
◆
献身の王女の死。
カヴァの王は娘の死を悼み、
職人に白金像を作らせた。
ネルタとカヴァとの関係は悪化する。
国土が山脈に隔てられ、山間のカヴァには
ネルタを直接攻める手段を持たなかった。
分水街は堅牢な防壁が築かれ、
街道を経由することも出来ず、
カヴァの行軍は山を越える他に道がない。
ネルタの地で起きた第1次革命では、
一部の民族が粛清され、
分水街に難民を増やした。
防壁の外にあった近郊の集落が焼かれ、
街道を通る馬車は襲われ、
各地で略奪が広まる。
分水街では飢えた難民と、
かれらに偽装したネルタの兵士との判別は
困難とされた。
ネルタ族に近い赤髪というだけで
無関係の民衆が暴力を振るわれ、
金品を奪われ、家を焼かれるなどの
犯罪が街に増加した。
社会は疲弊し、民衆の感情の発露先は
必然的に下流へと向かった。
街には大量の死者が出て、
生き残った子供は売り買いされた。
こうして堆積した理不尽の代償は高く、
責任者である総督が支払うことになる。
――分水街の総督が殺された。
総督の家族も盗賊に襲われ、
正統な後継者を失った。
挿げ替えられた新たな総督は法を掲げ、
民衆にさらなる混乱を与えた。
この新総督の悪政で、
ネルタを勢い付かせる事態へと発展する。
それから間もなく
ネルタに第2次革命が起き、
歴史が繰り返された。
各地で犯罪と疫病と
死体が溢れるこの頃には、
赤土の丘での処刑の娯楽は衰退し、
新たな高級娼館が建てられていた。
南西部のカヴァとネルタが
睨み合っているあいだに、
東部では疫病が広まっていく。
ペタは疫病の発生を秘匿し、
エルテル風邪と呼ばれたこの病が
各地に恐慌を引き起こす。
最初の1年で多数の病死者を出し、
作物の収穫が遅れるだけでは済まずに、
疫病は周辺の領地にも影響を及ぼした。
貴族は武力を集めて収奪を行い、
民衆は組織を作って略奪に走り、
泥水を求めて殺し合いが起きた。
食べる物を失い、女子供が売られ、
盗賊が増え、道に死体が転がった。
この恐慌が原因で、エルテル領は
メーニェの氏族との連絡が断たれる。
氏族からの支援を失いつつあったところに
エルテル領主が病臥し、新たな領主の元に
南のオーブ領が別の疫病を引き起こした。
恐慌にあっても、
ネルタは湖周辺の支配の正当性を
主張し続ける。
サンスァラ王女が殺されたカヴァは
ネルタに対する報復に執着し、
変わらず敵対の意志を示し続けた。
エルテル、オーブ、ペタの東部3領は、
疫病の蔓延により介入もしない。
分水街は防壁の中で享楽に耽り、
新たな総督は法の陰で
ネルタを支援していた。
カヴァとネルタの啀み合いは続き、
長期化した対立で両国は貧窮していく。
カヴァでは捕虜王子が復讐の為、
ネルタを討つ準備を進めていた。
王子は長い年月を掛けて
ネルタを隔てる山脈を削り、
軍が進む道を作った。
『山をも穿つ、カヴァの執念。』
こう謳われたカヴァは、
西の端から湖までを繋ぐ山道を進軍し、
冬の僅か十数日でネルタを破った。
20年に亘る戦争は、カヴァが勝利を収める。
戦争が終結しても、
失った生活が元に戻ることはない。
戦争の傷跡は各地に深く残り、
欠損したものは修復さえできない。
戦争と疫病の混乱が治まりつつあると、
島に長らく干渉して来なかった
メーニェの氏族が踏み入った。
赤土の丘に建てられた高級娼館の、
美貌と叡智に優れたドレイプの元に、
赤髪の孤児が一人やってくる。
島にはまだ、残り火が燻り続ける。

◆ 断章 『絶海の孤』 おわり