歴史書の中で、指導者ソーマの名前が
輪郭を見せはじめる。
『四時の札遊び』を考案したとされる人物。
彼の活躍は、いくつもの本に記されている。
ソーマに比べ、メーニェ島海戦で活躍した
ハーフガン将軍の記録は、創作を含めても
決して多いとは言えない。
将軍の活躍は
ゼズ島への上陸を前に途切れてしまう。
ゼズの北端には狭い洞窟があり、
ソーマ達はそこから島への上陸に成功した。
入植暦の始まり。
その洞窟には
ハーフガン将軍の名前が付けられた。
荒れ狂うゼズの近海であっても
上陸を果たしたナルキアの民は、
これより海の支配者を名乗った。
『ナルキアの民は優れた操舵術を持ち、
荒波は揺り籠も同然とする。』
こうした誇張は、
歴史書でも主観と思想が混じって頻出する。
大陸とゼズ島のあいだを流れる、
寒暖二つの海流の影響で海は荒れる。
冬が過ぎれば船は北の岩礁を抜けられ、
かれらの優れた操舵術で
狭い洞窟からの上陸が可能になっていた。
洞窟港が築かれるその地は、
波の穏やかな入り江と狭い砂浜があった。

かれらの眼前には巨大な壁が、
東西に延々と伸びるゼズ山脈。
『我々の上陸を拒むようであった。』
と、誇張が止むことはない。
指導者ソーマと従者達は洞窟から東へ、
道とも川とも呼べない傾斜を上って、
島の東側に豊穣と安住の地を見つけた。
牛が草を食み、羊が群れを成し、
馬が子を連れ、兎が耳を立てる。
ソーマ達はその地を拓いて、集落を作った。
そこがメーニェ最初の領地、
エルテルと記載されている。

エルテル領から南に進んだ、
森と山に囲われた狩り場を持つオーブ領。

エルテル領と洞窟港を結ぶ
ゼズ山脈の麓では、養蜂を行い、
中腹にはペタのお城を建つ。

ゼズ島にできた領地の開拓と、
一つの港の建設を支援したのが
メーニェの氏族になる。
この氏族が、開拓に求められる学者と、
労働力になる農民と奴隷、大陸の書物、
そして金貨という文明を与えた。
ゼズ島の入り口になる洞窟港を、
メーニェの氏族がいまも守り続けている。
貴族も奴隷も、貴賤貧富を問わず、
豊穣、平穏、安住の地を望み、
欲望を抱く者達が上陸していった。
欲がかれらの思考を止め、
争いは土地を変えても続いた。
開拓という、過酷な労働から
逃げ出そうとする者も居た。
ゼズ島はメーニェの氏族以外、
出ることの叶わない島だった。
島からの脱出を試みた船は
荒れた海に阻まれ、ナルキア海賊に
全部沈められていった。
メーニェの氏族は洞窟港を秘匿し、
入植者達に氏族以外との貿易どころか
大陸へ戻ることも法律で禁じた。
開拓を優先するソーマ、
東部3領と洞窟港は法律に従い、
氏族からの庇護と恩恵を受けて、
貢ぎ物を送り続けた。
いくつもの本に描かれるソーマは、
いくつもの顔を持つ。
指導者ソーマという名前も、
ソーンの出身や流刑者など諸説ある。
地名のソーンと、人名のソーマを
混同した書物も珍しくはない。
ソーマの出自についての疑問は
氏族による思想の歪みが事実を歪め、
議論が激化すると、決まって暴力という
最終手段で解決が図られてしまう。
大陸では伝道師や盗賊、政治犯となり、
海では海賊、船長、賭博師と書かれ、
島では労働者、牧者、開拓者であり、
森の猟師や射手、人々の指導者となった。
ソーマが素描されたという羊皮紙も残り、
壁画や石像は島北部に多数存在する。
エルテル領には、
杖を持つ牧者の姿が描かれている。
指導者ソーマを開拓者と呼ぶ場合も多く、
杖の先に鎌や鍬が取り付けられた姿もある。
南のオーブ領では
弓矢を構える射手の姿で、
猟師のソーマとも呼ばれる。
モザイク画には、ソーマが洞窟港で
布袋を背負った肉体労働者の姿もある。
北部入植記録、東部開拓史、
ゼズ島冒険記など、ソーマの活躍が
書かれた本は多くても、彼の死以外で
統一された記録はなかった。
指導者ソーマは旅の果てに死んでいる。
◆
入植暦60年の頃。
災害が開拓拠点のエルテル領を襲う。
川の水が溢れて、
作物、家畜、建物までもが流された。
大水害の水が洞窟港にまで到達し、
記録は300年以上経っても残っている。
灌漑による水の奪い合いで
川の水が真赤に染まった争いを、
この大水害と捉える思想家も居た。
新たな水害を防ぐ為に、
指導者ソーマと後のカヴァの氏族が
西方から流れる川の治水工事を行った。
かれらが工事を行い、
川を遡れば分岐点に辿り着いた。
南から流れて来た川の水は
北のゼズ山脈に衝突し、
島の中心で東西に分かれる。
本流になる南の地には、
天蓋山が聳えていた。
独立峰の山頂は常に雲を戴くので、
山に畏敬を込めてそのように呼ばれた。
川の分岐点には
治水で集まった人々の街が築かれる。
これが分水街の始まり。

分水街という名前は、
後年になって付けられた。
治水工事には大陸北方からソーンの奴隷、
中央のエンカーからは肉体労働者や娼婦、
南方のクレワからは口減らしの移民など、
大陸の人間が多く集められた。
労働環境は劣悪で治安は悪く、
盗みや殺しの犯罪が横行する。
丘の上で処刑された罪人の記録が残る。
処刑の場を赤土の丘と呼び、
この頃には街は刑場とまで呼ばれた。
それが最初の公共の娯楽になり、
街が重罪人を東部3領や洞窟港から
運んで来るほどだった。
これより後の時代になると、本を持ち、
法を司るソーマの石像が作られる。
分水街での治水工事が済むと、
その事業を主導していたカヴァの氏族は
西の荒れ地に王座を作った。
島に初めて、
カヴァの氏族による国家が誕生した。

カヴァはメーニェの領地ではなく、
国家として王座を作った変わり者の土地。
東のエルテル領から
西の山間にあるカヴァは遠く、
人々の関心を集めなかった。
カヴァは分水街とも交流をせず、
盗賊の拠点との噂が広まった。
そんな遠くの国でも行商人が往来し、
東西を結ぶ街道が作られ、村落もできた。
盗賊の拠点と噂を広めた隊商は、
カヴァで作られた金属製の食器や工芸品、
装飾品などを大陸製と偽って財を成した。
カヴァの氏族は手先が器用で、
こうして精巧な細工を作って暮らす
変わり者とされた。
かれらは街との交易の為に独自の通貨、
オル銅貨を作り、これを分水街に与えた。
カヴァが治水で分水街を発展させ、
通貨を共有したところで友好とは限らない。
寒冷なカヴァは水と沃土を求めて
分水街との境界で対立が起き、
何度も威嚇行動を起こしていた。
カヴァには剣を掲げるソーマの像が作られ、
カヴァの民衆を鼓舞する。
南部のカヴァとオーブより南は山に囲われ、
その地より南は崖峭になっていた。
コートを靡かせるソーマの像は、
冒険家として描かれた最後の姿。
ソーマは分水街から南の水源を目指し、
川に沿って天蓋山の麓に向かう。
一行は深い森と、広大な湖を見つけた。
『緑に覆われ、土豊かで、水清く、
鳥魚群れなすオルタの対。
この地において
ひとであることは、
神より賜りし罰である。
我が魂が訴える。』
メーニェ島の狭く浅いオルタの窪地から、
正反対の湖は『ネルタ』と名付けられた。
ゼズ島の未開の南側に行くには、
天蓋山の麓を迂回しなければならない。
崖峭に阻まれる島の南側には、
誰も辿り着けなかった。
指導者ソーマが遠征で死亡した為に。
いくつもあるソーマを記す本は、
彼の死についてのみ統一されていた。
ソーマは禁足地と呼ばれる森の中で、
雷によって死んだ。
彼の死因は『雷霆』と特殊な記述がされ、
いまもその単語と共に語り継がれている。
原語で書かれた本には、
『管理者』と名乗る者が登場する。
管理者の容姿や存在は不明瞭にも関わらず、
ソーマは森の中で落雷に遭って死んだ
という記述のみが共通していた。
エルテル領はソーマの足跡を辿る為に、
禁足地へ調査隊を何度も送ったものの
帰還した者は僅かだった。
調査もせずに報酬を持ち逃げした者や
道中で盗賊に襲われ壊滅したという記録は、
民衆に公開されず図書館の保管室で眠る。
管理者が発したとされる
『ニース』という言葉がある。
その単語がなにを意味するのか、
照らし合わせも統一も流行もせず、
オーブ領では畏怖や鄙言として残った。
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