第3章 第3節 労働の日(第1項)
「今日は勉強会の日だけれど、
座学ばかりでは退屈でしょう?
中には朝早くから館の仕事を、
手伝ってくれた子も居るわね。
それで前もって告知した通り
従業員がしてくれている館の仕事を、
入って間もないあなた達に
体験して貰おうという素敵な催しね。」
サンサがフランジの前に立って説明をする。
朝食を終えてわたしとスー、
それと他のフランジが
噴水庭園に並んで立った。
わたしと同じ年齢の少女達。
彼女達はわたしより前に、
孤児院からこの館に連れられてきた。
髪色や目鼻立ち、肌の色、体格は不揃いで、
スーのように肉付の良い子が多い。
勉強会とは違う催しなのに、
彼女達の表情は明るい。
――…下働きの仕事を喜ぶのかしら。
「労働を学ぶ良い機会ね。
中には、下働きのやる仕事と
思う子も居るでしょう。」
サンサはわたしの考えを見透かしている。
「ドレイプになるつもりなら、
そんな考えも悪くないわね。
わたしはこの仕事を通して、
あなた達にはこの館での正しさを
知識として身に付けて欲しいの。」
――正しさ…?
「あとでわたしも手伝うわよ。
ご褒美も用意するから、
みんな真摯に学んで欲しいわね。」
「ご褒美だって。
楽しみだね。」
「スーも一緒にするの?」
「ニクスの模範になる為に、
私はなにもしないよ。」
スーは相反することを平然と言う。
――なにもしないなんて、ニースだわ。
館の西側にあるフランジ棟で
寝起きする子達は、東のドレイプ棟にある
サンサの部屋で暮らすスーとわたしに、
興味を示して落ち着きがない。
空気が弾けた。
小さな手を勢いよく叩き、
フランジの注目を集めたのは
最年少のレナタだった。
「いつもは業者がやる仕事です。
ちょっとした不注意が、
ケガや病気の原因になりますから、
真摯に取り組んでください。」
参加した年長のフランジの協力もあり、
レナタの指示で作業する組が決められる。
みんなレナタよりも年上なのに、
彼女に素直に従う不思議な光景。
――レナタって実は、
この館の偉いひとなのかしら?
「ニクス。
今日はわたしと一緒に
全ての仕事を見て回りましょう。
なにか分からないことがあれば、
わたしが教えますね。」
彼女がわたしに向かって言った。
――スーが居るのだけれど…。
「困ったことがあったら、
すぐにレナタに頼ってね。」
浮かんだ疑問は本人に否定された。
わたしは他のフランジと同様に
首を縦に振り、レナタの指示に従った。
まずは緑の敷かれた二つの庭園。
班分けされたフランジは横列になって、
緑の上の落ち葉や伸びた南部草を抜き、
袋に集めていく。
繊維の原料になる南部草は、
温暖なこの庭園でも生え、
不要なので捨てられる。
草は乱暴に抜くと、
細く広がって根に絡み付いた土が、
緑の上に落ちて見栄えが悪くなってしまう。
落ちた土は箒を使って除去し、
最後は水で緑の下に洗い流す。
風に吹かれて低木の下に溜まった
落ち葉を取る時も、花を傷つけたり、
下手に揺すって散らしてはいけない。
簡単な作業でも、意識して行わなければ
庭園の景観を損ねてしまう。
高い木は濃い緑の厚い葉に覆われ、
外側には新緑を覗かせる。
わたしが館に来た時に
入り口に咲いていたカミーリャの花は、
全て無くなっていた。
「ニクス、見て。蛹見つけたよ。」
スーが緑の上で横臥して、
低木の中で枝に擬態した蛹を指示する。
「もう、スーってば、
なにもしないからって、
遊ばないでください。」
「レナタの部屋に持って帰ったら?
羽化が観察できるかも。」
「え?」誘惑にレナタの心が揺さぶられる。
「蛹は揺すったりしたら、
羽化せずに死んでしまうそうよ。」
「それで風が影響しない低木の中で、
羽化を待つんですね。」
「隠れて枝に擬態しないと、
鳥に食べられるもんね。」
スーは立ち上がって噴水を見る。
「レナタ。今日は噴水の掃除しないの?」
「今日はしませんよ。
夏前の休養日には噴水の水を抜いて、
中の掃除もしますよ。」
「大変な仕事ね。」
清流の噴水も、タイルの隙間に
深緑色をした苔が見える。
下働きの女達はなにも喋らない。
黙って落ち葉を集め、伸びた草を抜く。
袋に詰める手際も良い。
わたし達フランジは
細い草を抜くのも手間取り、
葉や茎だけが切れてしまう。
「掃除は大変だけど、
終わればその日は噴水で遊べるよ。
玩具の船を浮かべて競ったりね。」
「浮力の勉強なんて言って、
遊んでるのはいつもスーだけよ。」
「あら、テミニン。」
スーの隣に立っていた
年長のフランジがそんな指摘をして、
わたしに微笑を浮かべる。
「ミュパも遊んだりするよ。
あ、わたしからみんなを紹介するね。
彼女はミュパの部屋のテミニン、
隣はセセラの部屋のポワン。
カーミャ、ハーリャ、ボーシャの
三姉妹の部屋のシリィ。
もう変える名前は決まった?」
「秋にはドレイプになるからその時、
名前を変える予定よ。」
「わたしはポーラに変えるわ。」
「私は変えたよ。」と、スーが言う。
「知ってる。」
3人が声を揃えて言ったので、
庭に笑い声が響いた。
スーからは3人のフランジだけではなく、
仕えるドレイプの名前も一斉に紹介された。
スーから紹介された手伝い役のフランジは、
名前と顔がすぐに覚えられない。
彼女達はスーと同い年で、
3人共に背が高く、
立ち姿も大人に見える。
「それでは、ニクス。
彼女はどこの部屋の誰でしょう?」
2番目に紹介された銀髪のフランジ。
どこの部屋の誰かも、瞬時に出てこない。
「えーっと…ポワンだからセセラの部屋?」
「すぐに言えたね。」
「すぐには言えてないよ。」
「ポーラって呼んでいいよ。」
「気が早いなぁ。
私はドレイプになったら、
テオって名乗る予定なの。
よろしくね。」
「わたし、名前どうしよう。」
と、シリィだけが焦る。
「フランジもドレイプも、
名前は気にせず何度も聞けばいいよ。
知らなかったり疎覚えでも、
覚えててもね、興味を示してくれるのは
誰だって嬉しいんだよ。
みんな答えてくれるし、
新しい子はまだみんな覚えてないよね。」
「あとここにファウナが居たら、
成年のフランジが全員揃うのにね。
仕事で必要だとか理由を付けて、
買った本をベッドから出ずに、
昨日ずっと読んでたわ。」
「わたしはドレイプの名前、
全員覚えるのに苦労したわ。
ファウナなんてすぐに覚えたのよ?
自分の記憶力の無さに絶望したもの。
これではお客さんは、
お尻を向けるわって。」
「下品は禁止だよ。」
「わたしなんて姉達の他に、
ドレイプも増えていまは大変よ。
館に入った時なんて姉達が
服や髪型を交換して、
わたしに覚えさせてくれないのよ。」
お喋りなフランジが集まって笑う。
わたしはサンサとメノー以外の
ドレイプの顔を覚えていない。
関連を結び付けられずに、
会話の速度についていけなかった。
◆
従業員と年長のフランジに倣い、
新入りのフランジは仕事を始める。
洗濯、煤染め、花汲みの
3つに仕事が分かれて、
わたしはレナタに付いて歩く。
「洗濯は分かりますよね?
一番の力仕事です。」
玉石の敷かれた西の庭に向かうと、
従業員達はすでに仕事を始めている。
早朝のうちから石鹸を溶かした残り湯に
漬けていたシーツを、ブラシを使って
1枚ずつ丁寧に皮脂を落とす。
汚れを剥ぎ取る想像をしていたけれど、
ブラシの毛先で撫でるように洗わなければ
生地が傷んでしまう。
慣れた従業員は手早く行い、
不慣れなわたしは慎重にやっても、
力加減が難しくて荒くなってしまう。
同じ動作の繰り返しで布を擦るだけなのに、
水の抵抗を受けて腕が疲れる。
洗濯後に水を吸った布は重たくなり、
残り湯は冷えて指先が痛い。
水が汚れてきたらタライの中の水は、
サイフォンの原理で排水溝に流す。
井戸からポンプで汲み上げた冷たい水で、
シーツに残った石鹸水を濯ぎ、
水気を絞ってロープに干していく。
わたしはレナタと一緒に
ベッドシーツを絞ったものの、
布を捻る彼女の力に負けて
玉石に布を落としてしまった。
「ごめん。洗い直さないと…。」
「砂埃程度でしたら、
乾けばあとで手で払って落ちますから
なにも問題ありませんよ。」
わたしは年下のレナタよりも体力がないと、
いまさら自覚させられる。
大きな布は諦めて、小さな口布を絞った。
わたしの絞った洗濯物は、
庭に張ったロープに掛けると、
滴る水がしばらく流れ続けた。
「振り回して水を落とす、
って方法もあるよ。」
スーが洗ったキャシュクを片手に振り回し、
周囲に水滴を飛ばす。
フランジが濡れた冷たさに悲鳴を放つ。
「力に任せて絞っても、
布が傷みますからね。
スーのやり方も布が伸びるだけで、
正しくはありませんよ。」
スーは振り回すだけでは飽き足らず、
濡れた洗濯物を投げ飛ばし始めた。
冷たい水滴が飛散して降ってくる。
この粗暴な行為の結果、
投げられた洗濯物は
彼女の手元に戻って来なかった。
フランジ棟の2階、
外廊下の床に貼り付いた。
「…こうなるから、
ニクスは真似しないでね。」
「スーってば、もう!
早く取ってきて。」
レナタが頬を膨らませて怒るので、
スーは彼女を抱きしめて持ち上げた。
「無理よ。無理ぃっ!」
「レナタがもっと大きくならないと、
ダメだね。」
スーがレナタを膝程度の高さだけ
抱え上げたところで、
2階の床に手が届くはずはない。
「レナタがこのくらい大きかったら、
跳ねて取れたかもね。」
「スーッ! 早く降ろしてっ!」
レナタが金切り声で叫ぶ。
スーはレナタを抱え上げたまま
その場で何度も回ると、
二人は真直に立てなくなり
玉石の上に同時に倒れた。
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