第3章 第2節 夜の館の朝(第3項)
大浴場に羽毛を詰めた袋を持っていき、
下働きの労働者と共に掃除をしていた
フランジに預けた。
「あれはこの後、どうなるの?」
「羽毛は脂が多いので、
お湯と石鹸で洗い流して
獣臭も落とさないと使えません。」
「浴場を掃除する日のついでなら、
手っ取り早いからね。
わたしはそこまで考えてたよ。」
フランジは羽毛の袋に石鹸の欠片を入れて、
左右に振って遊んでいるように見える。
「サンサは業者に依頼した方がいいって
言ってたのに、休養日にしなくても…。」
「加工もするのね?」
「ここでは作らないよ。
工場に回される簡単なお仕事で、
棒に糸を巻いて羽柄を差し込んで、
羽が抜けないように膠で固めれば完成。
出来上がるのはなんだと思う?」
「…羽叩き?」
想像を働かせて完成した物は、
本でしか見たことのない掃除道具だった。
「正解。
埃取りに使うやつね。
市場でも売られてる低廉な品物。」
「低廉って…安いの?」
「埃取り以外には
用途はありませんからね。」
「鶏の羽根は色味が控えめだから、
そんなに需要はないかなぁ。
大陸の珍しい鳥の羽だと高くなるよ。
そこは人間の髪も同じだよね。」
「髪?」
「義髪のことですね。
市場でもたまに見かけますよ。」
「ニクスは疲れてて、
市場は見られなかったもんね。」
「そんなものまで売られてるんだ。」
市場に出た日は丘を降りただけで
わたしの疲労が出てしまい、
サンサとスーが目的としていた板や
箱を買っただけで外出が終わった。
ハーフガンに背負われたくはないので、
貧弱なわたしは半ばスーに頼って、
腕に抱きつきながら自分の足で館に戻った。
「それで、これはどうするの?」
「これから捌いて料理して貰うよ。」
「わたしが捌く、わけではないのよね?」
「頼めば捌かせてくれるかもね。」
スーの提案に首を横に振った。
わたしは鶏を入れた鍋を持ち、
3人で食堂の厨房に戻って来た。
「はい、ヤゴウ。
これを捌いて、
ニクスに見せてあげて。」
「おぉ…。なかなか丁寧に処理したなぁ。」
羽毛を失い裸にされた鶏を見て、
渋顔のヤゴウの口元が緩む。
下働きの少女、デーンが
彼を見て顔を顰める。
――ニースだわ…!
「ヤゴウっておもしろいよね。」
「ひとの顔で楽しんではダメですよ。」
レナタの言う通りだけれど、
彼は目を輝かせて笑うせいで、
わたしは愉快にはなれない。
「今度、捌くのやってみたいって。」
「言ってない。」
「解剖の良い勉強になるよ。」
「解剖がしたいわけでもないから。」
無口なヤゴウは頷き、わたしが
鶏の解体を見るのを許可してくれた。
しかし彼は包丁をまな板に置き、
鶏を鉄格子のような道具に乗せ、
窯の中に入れて体表を炙り始めた。
曲線構造の窯の口は、
わたしも立って入れるほどの大きさで、
奥行きがあってトンネルのようだった。
抜ききれなかった羽毛が窯の熱で舞い、
細かく燃えて煙は白から黒へと変化する。
間近に見ると、ヤゴウが褒めたほど
わたし達の下処理は丁寧ではなかった。
鶏を窯から出せば
羽毛の残っていた皮が焦げて脂が弾け、
香ばしい匂いが鼻孔を擽る。
まな板に乗せて仰向けにし、
まずは太い両足を包丁で落とし、
曲がった手羽を体から切り離す。
お腹を裂いて内臓を取り出した。
ヤゴウは解体に慣れていて、
流れるような作業は動きに無駄がない。
「見て見てぇ。
この骨が人間でいう鎖骨ねぇ。
大胸筋の塊と、細いのは小胸筋~。
綺麗よねぇ。
脂身が少なくて味も淡白で、
消化にも良いから、太りたくないのなら
この小胸筋はお勧めよ。
赤黒いのはみんなが知ってる肝臓~。
健康で新鮮なら、
生でも食べられる部位ねぇ。」
メノーがわたしの肩に顎を乗せ、
寄り掛かって胸を背中に押し付ける。
背中が重い。
「生のものは食わせねぇよ。」
と、ヤゴウが呟く。
気づけばスーとレナタは、
テーブルで朝食の用意を始めていた。
「おいしいからって
肝臓を生のまま食べて、
食中毒を起こすのよ。
それで死んでしまうひとが、
オーブでは後を絶たないわ。
死んでもいいほどおいしいって言うけど、
実際に死ぬほど苦しいのにねぇ。」
メノーはわたしの後ろに立ったまま、
まな板の上に切り分けられた部位を、
一つ一つ説明してきた。
「隣の円錐型のは血液を送る心臓で、
裏側が青白いのは筋胃、砂嚢ねぇ。
あぁ、これは雄なのねぇ。
雌の卵巣は金赤色で丸いから目立つのよ。
あの白くて長いのが雄の性器よ。
ふふっ、小さいわねぇ。
その隣の長い球体が精巣、
『ふぐり』は無いのよねぇ。
なにか気になる?」
――ふぐり…?
「砂嚢っていうのはなに?」
「砂嚢…、あれねぇ。
人間には無い器官なのよ。
鳥の食道、喉の奥にある筋肉ねぇ。
鳥は歯や大きな胃が無いからなのよ。
鳥が砂礫を食べるのは、
飲み込んだ種子を砂と共に、
石臼の要領で擦り潰す為よ。
砂肝なんて呼ばれ方もしてて、
妙な食感でお酒にも合って、
とってもおいしいわよ。」
メノーは間延びした独特の喋り方でも、
説明は丁寧でとても分かりやすい。
彼女は、赤い髪に似合う
派手な赤色のキャシュクを、
帯布も帯紐もせずに着ている。
キャシュクの下に肌着を着ていないのか、
大きな胸が露わになりかけている。
胸元に垂らした金糸の飾緒は、
彼女がドレイプであることを示している。
「苔みたいな緑色した奇妙な袋が胆嚢で、
隣の薄黄色くて細長いのが膵臓ね。
肝臓で作った胆汁を貯蔵するのが胆嚢。
胆嚢に貯めた胆汁を、
膵臓から流れる膵液と共に腸に流すの。
この胆汁、膵液の役割はなにかしら?」
「腸で食べ物の分解を促すものよね?」
疎覚えのわたしに、メノーは力強く頷く。
「ちょっと違うわねぇ。
胆汁は脂肪を乳化させて腸で消化、
吸収、それと排泄をしやすくする為。
膵液はお肉や豆類の蛋白質を分解して、
胃酸を中和させる別の役割があるのよ。
腸に繋がる臓器だから、
分解は促すわよねぇ。」
――頷いたのに…。
当然の指摘を受け、
知識不足に悔しさが滲む。
「胆汁はとっても苦くて
食べられないから、
捨てられるのよねぇ…。
破れたら肉の味を落とすのよ。
でも酔い覚ましに効くらしいって…。」
彼女は腕を伸ばし、
緑色の内臓、胆嚢を摘み上げた。
「どうするの?」
「ちょっと酔っ払いにあげてくる。
ふふっ、あははぁ。」
目を爛々とさせ、笑い声を放つと、
彼女は食堂を飛び出していった。
「おはよう、ニクス。」
「あ、おはよう。サ…サンサ…。」
「名前で呼び難いのなら、
お嬢様って呼んでもいいわよ。」
「呼ばないよっ。」
サンサが捓ってきた為、
わたしは語気が強くなる。
彼女の若い外見のせいで、
20歳以上も年上ということを忘れてしまう。
「メノーは詳しいでしょう。」
「…うん。とても。」
わたしは教え方の上手なメノーと、
もっと知識をつけて話をしたくなった。
「メノーの知識は偏っているけれど、
深いところまで研究しているから
これから教わればいいわ。
ニクスが自分で考えた上でね。
学ぶ楽しみが増えて、よかったわね。」
「おい、サンサ。」ヤゴウが呼び掛けた。
「分かってるわ。ルービィには内緒よ。」
サンサが厨房から出て行った。
彼女は食堂のテーブル席に座り、
朝食の支度が済むのをアルと待つ。
「ほらね。叱られた。」
スーがサンサの様子を見て言った。
「サンサはどうして?」
「あいつは厨房を、
実験の場だと思ってるからな。」
「調理器具を壊したり、
勝手に料理して片付けないんだよ。
それでオーナーに禁止されてるの。」
渋顔のヤゴウとは対照的に、
スーは本人の前で過去を笑いながら語った。
「ルービィのは単なる嫌がらせなのよ。」
サンサが抗議した。
「メノーの話は分かった?」
「ううん。難しかった。」
「みんな同じこと言うんだよ。」
「でも本より詳しくて、説明が巧いから。
なんだか、司書みたい。」
「司書官? なるほど。
それでニクスは、
思慮深く、聡明なんだね。」
「スーまで捓わないで。」
「勉強会が楽しみだね。」
サンサの言った通り
とは思いたくはなかったけれど、
それでもメノーから学べる機会が来るのを
わたしは楽しみにしていた。
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