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金貨の娘  作者: 美穂
第2章 白亜の館

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第2章 第1節 混迷の昼(第1項)

わたしが連(つ)れてこられた丘(おか)の上(うえ)の建(たて)物(もの)。



塀(へい)の中(なか)には緑(みどり)の敷(し)かれた広(ひろ)い庭(てい)園(えん)と噴(ふん)水(すい)。



健(けん)康(こう)で清(せい)潔(けつ)な身体(からだ)を維(い)持(じ)する目(もく)的(てき)で、

大(たい)量(りょう)のお湯(ゆ)を贅(ぜい)沢(たく)に使(つか)う大(だい)浴(よく)場(じょう)がある。



お湯(ゆ)は香(かお)り付(づ)けに花(はな)びらまで浮(う)いている。



『夜(よる)の館(やかた)』という名(な)前(まえ)の

この館(やかた)を訪(おとず)れる客(きゃく)は、娼(しょう)婦(ふ)と

『肌(はだ)を重(かさ)ねる』ことが目(もく)的(てき)の娼(しょう)館(かん)だった。



夜(よる)の館(やかた)では『ドレイプ』と呼(よ)ばれる娼(しょう)婦(ふ)と、

手伝(てつだ)い役(やく)の『フランジ』が生(せい)活(かつ)を共(とも)にする。



浴(よく)場(じょう)の隣(となり)には、館(やかた)で暮(く)らす女(おんな)達(たち)の

食(しょく)欲(よく)を満(み)たす厨(ちゅう)房(ぼう)付(つ)きの食(しょく)堂(どう)が備(そな)わり、

下(した)準(じゅん)備(び)などで大(おお)勢(ぜい)のひとが働(はたら)く。



挿絵(By みてみん)



――まるで城(しろ)みたいな場(ば)所(しょ)だわ…。



奥(おく)の厨(ちゅう)房(ぼう)には土(つち)色(いろ)の髪(かみ)の大(おお)男(おとこ)が居(い)る。



挿絵(By みてみん)



怒(おこ)って見(み)える渋(しぶ)顔(がお)で、

髭(ひげ)の剃(そ)り跡(あと)が目(め)立(だ)つ。



窯(かま)から焼(や)き立(た)てのパンを出(だ)す彼(かれ)の横(よこ)に、

大(おお)鍋(なべ)の火(ひ)加(か)減(げん)を見(み)る下(した)働(ばたら)きの女(おんな)達(たち)。



挿絵(By みてみん)



大(おお)男(おとこ)の横(よこ)に並(なら)んでしまうと、

女(おんな)は誰(だれ)でも細(ほそ)く小(ちい)さく見(み)える。



褐(かっ)色(しょく)の髪(かみ)をした一人(ひとり)は

わたしと同(おな)じくらいの年(ねん)齢(れい)の少(しょう)女(じょ)で、

彼(かの)女(じょ)も額(ひたい)に汗(あせ)して厨(ちゅう)房(ぼう)に立(た)って働(はたら)いている。



挿絵(By みてみん)



食(しょく)堂(どう)に3つあるテーブルには、

一(いち)度(ど)に18人(にん)ほどが食(しょく)事(じ)を共(とも)にできる。



わたしは後(うし)ろ手(で)に組(く)んだ右(みぎ)手(て)で、

小(しょう)指(し)と示(じ)指(し)を立(た)てて数(かぞ)えた。



下(した)働(ばたら)きの少(しょう)女(じょ)が

籠(かご)に入(い)れられたパンを分(わ)け、

金(きん)髪(ぱつ)のフランジにトレイごと渡(わた)す。



「館(やかた)に住(す)むひとは多(おお)いから、

 普(ふ)段(だん)はフランジが手伝(てつだ)うんだよ。


 ニクスは座(すわ)ってるだけでいいよ。


 今(こん)度(ど)、私(わたし)が教(おし)えてあげるね。」



金(きん)髪(ぱつ)のフランジ、スーは

顔(かお)ほどもあるパンを

まな板(いた)の上(うえ)で切(き)っていく。



挿絵(By みてみん)



不(ふ)均(きん)等(とう)な厚(あつ)さに切(き)られたパンは、

サンサとわたしの目(め)の前(まえ)に置(お)いた

木(き)皿(ざら)へと盛(も)り付(つ)けられる。



サンサに配(くば)られたパンは薄(うす)く、

わたしに配(くば)られたパンは逆(ぎゃく)に厚(あつ)い。



――フランジが使(し)用(よう)人(にん)で、

  ドレイプはご主(しゅ)人(じん)様(さま)という考(かんが)えって…。



そんなわたしの些(さ)末(まつ)な疑(ぎ)問(もん)は、

目(め)の前(まえ)の食(しょく)事(じ)ですぐに吹(ふ)き飛(と)んだ。



テーブルの上(うえ)のお皿(さら)にはパンの他(ほか)に、

焼(や)き色(いろ)のついた羊(よう)肉(にく)。



隣(となり)には刻(きざ)んだ野(や)菜(さい)と、

白(しろ)色(いろ)のソースまで掛(か)けられている。



黒(くろ)色(いろ)の艶(つや)のあるマリセスの果物(くだもの)が、

スーの手(て)で切(き)り分(わ)けられて、

薄(うす)黄(き)色(いろ)の果(か)肉(にく)が乱(らん)雑(ざつ)に並(なら)ぶ。



少(しょう)女(じょ)が置(お)いて行(い)った深(ふか)皿(ざら)のスープには、

根(こん)菜(さい)のネイプと刻(きざ)んだ葉(は)が泳(およ)ぐ。



表(ひょう)面(めん)には塩(しお)漬(づ)け肉(にく)の脂(あぶら)が溶(と)けて浮(う)かび、

湯(ゆ)気(げ)の中(なか)の香(かお)りが鼻(び)孔(こう)を擽(くすぐ)った。



挿絵(By みてみん)



この根(こん)菜(さい)のネイプ家(か)畜(ちく)の餌(えさ)とも呼(よ)ばれる。



不(ふ)思(し)議(ぎ)なことに、ネイプ特(とく)有(ゆう)の

青(あお)臭(くさ)さをスープからは感(かん)じない。



――今日(きょう)は誰(だれ)かの生(せい)誕(たん)祭(さい)ではないのよね?



父(ちち)であり王(おう)の生(せい)誕(たん)祭(さい)でも見(み)ない、

彩(いろど)り豊(ゆた)かで豪(ごう)盛(せい)な食(しょく)事(じ)に目(め)が眩(くら)んだ。



お菓(か)子(し)のネージを食(た)べたばかりなのに、

口(くち)の中(なか)に唾(だ)液(えき)が湧(わ)いて出(で)る。



わたし、スー、それからサンサと、

彼(かの)女(じょ)の膝(ひざ)の上(うえ)で上(じょう)品(ひん)に座(すわ)る黒(くろ)猫(ねこ)のアル。



3人(にん)と1匹(ひき)が近(ちか)くの席(せき)に座(すわ)る。



挿絵(By みてみん)



「ニクスは食(た)べててもいいわよ。」



サンサに促(うなが)されても、このテーブルで

一人(ひとり)だけ先(さき)に食(た)べていられるほど、

わたしは豪(ごう)胆(たん)な性(せい)格(かく)ではない。



他(ほか)のひと達(たち)は喋(しゃべ)りもしない。



大人(おとな)と子(こ)供(ども)が同(おな)じテーブルで、

同(おな)じ銀(ぎん)製(せい)のスプーンで、

同(おな)じ内(ない)容(よう)の料(りょう)理(り)が供(きょう)されていた。



テーブルの上(うえ)に並(なら)べられた料(りょう)理(り)には、

座(すわ)る者(もの)の階(かい)級(きゅう)や髪(かみ)色(いろ)に差(さ)別(べつ)がない。



わたしと同(おな)じ赤(あか)い髪(かみ)の子(こ)は目(め)立(だ)つ。



濃(のう)淡(たん)様(さま)々(ざま)な褐(かっ)色(しょく)の髪(かみ)、

黒(くろ)い髪(かみ)、銀(ぎん)髪(ぱつ)、金(きん)髪(ぱつ)…。



似(に)た顔(かお)をした姉(し)妹(まい)が居(い)ても、

目(め)鼻(はな)立(だ)ちはそれぞれに異(こと)なる。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)



金(きん)糸(し)の飾(しょく)緒(しょ)を胸(むね)に垂(た)らした娼(しょう)婦(ふ)、

ドレイプと呼(よ)ばれる大人(おとな)も

フランジもみんな同(おな)じ年(とし)頃(ごろ)の子(こ)で、

外(がい)見(けん)から年(ねん)齢(れい)に大(おお)きな差(さ)は見(み)られない。



こんなに大(おお)勢(ぜい)の、若(わか)い女(おんな)を見(み)たのは、

別(べっ)館(かん)の地(ち)下(か)に入(い)れられた時(とき)以(い)来(らい)だった。



サンサが一(いち)番(ばん)の年(ねん)長(ちょう)者(しゃ)のはずなのに、

大人(おとな)のドレイプよりも若(わか)く見(み)えて、

子(こ)供(ども)のフランジに紛(まぎ)れている。



――みんなここで働(はたら)いてるのよね。



娼(しょう)館(かん)で働(はたら)き、風(ふ)呂(ろ)に入(はい)り、

食(しょく)事(じ)を得(え)て、安(あん)全(ぜん)に眠(ねむ)れる場(ば)所(しょ)。



ここでは平(へい)穏(おん)を脅(おびや)かされる恐(おそ)れもない。



好(こう)奇(き)で周(しゅう)囲(い)を見(み)渡(わた)していたわたしは

一人(ひとり)の少(しょう)女(じょ)と目(め)が合(あ)い、

自(じ)分(ぶん)の恥(は)ずべき行(こう)為(い)に気(き)付(づ)いて俯(うつむ)いた。



その、一(いち)段(だん)と背(せ)の小(ちい)さな少(しょう)女(じょ)が、

わたし達(たち)のテーブルに近(ちか)付(づ)いてきた。



サンサと同(おな)じ黒(くろ)色(いろ)のチュニックを着(き)て、

肩(かた)から背(せ)中(なか)に掛(か)かる大(おお)きな襟(えり)が目(め)を引(ひ)く。



長(なが)い裾(すそ)に美(うつく)しい皺(しわ)が作(つく)られる。



挿絵(By みてみん)



「こんにちは、サンサ。スー。アルも。」



アルはミャオと鳴(な)いて丁(てい)寧(ねい)に返(へん)事(じ)をした。



「レナタ。

 この子(こ)は、今日(きょう)からサンサの部屋(へや)で

 私(わたし)と同(おな)じ、フランジになった子(こ)だよ。」



スーに紹(しょう)介(かい)されて、わたしは顔(かお)を上(あ)げた。



豊(ゆた)かな銀(ぎん)髪(ぱつ)に覆(おお)われた少(しょう)女(じょ)から、

深(ふか)い青(あお)と緑(みどり)の混(ま)ざった

藍(あい)色(いろ)の瞳(ひとみ)が向(む)けられた。



稚(いとけな)さの残(のこ)る口(くち)元(もと)に膨(ふく)らんだ頬(ほお)と

日(ひ)焼(や)けした細(こま)かな肌(はだ)で、

15歳(さい)のわたしよりも

さらにいくつか年(とし)下(した)の子(こ)供(ども)。



サンサがわたしを見(み)た時(とき)に

比(ひ)較(かく)した名(な)前(まえ)の子(こ)が彼(かの)女(じょ)、レナタだった。



「ニクスよ。ナルシャの。」



「メノーの親(しん)戚(せき)ですか?」



一(いち)度(ど)頭(あたま)を下(さ)げたレナタが、

疑(ぎ)問(もん)に思(おも)いサンサの顔(かお)を見(み)た。



わたしも『ナルシャ』の意(い)味(み)は分(わ)からない。



「もう、レナってば、

 勉(べん)強(きょう)会(かい)に出(で)てるなら

 あなたも知(し)ってるはずよ。」



レナタというのはよくある女(じょ)性(せい)名(めい)で、

サンサは彼(かの)女(じょ)のことをレナと略(りゃく)して呼(よ)ぶ。



レナでは、神(しん)話(わ)に登(とう)場(じょう)する絶(ぜっ)世(せい)の美(び)女(じょ)の

略(りゃく)称(しょう)と同(おな)じになる気(き)がする。



古(こ)代(だい)に語(かた)られる神(しん)話(わ)では

男(おとこ)達(たち)が彼(かの)女(じょ)との婚(こん)姻(いん)を求(もと)め、競(きそ)い合(あ)い、

奪(うば)い合(あ)い、戦(せん)争(そう)の元(げん)凶(きょう)として扱(あつか)われ、

果(は)ては『運(うん)命(めい)の女(おんな)』とも称(しょう)された。



わたしも危(あや)うく、勝(しょう)利(り)の女(め)神(がみ)の略(りゃく)称(しょう)の

『ニック』と呼(よ)ばれるところだった。



「人(じん)類(るい)学(がく)は勉(べん)強(きょう)会(かい)でも

 長(なが)い間(あいだ)教(おし)えてないから、

 フランジは誰(だれ)も知(し)らないと思(おも)うよ。」



「そんなに前(まえ)のことかしら?」



スーに指(し)摘(てき)されているサンサの隣(となり)で、

レナタは教(おそ)わったことを忘(わす)れているのに、

抗(こう)議(ぎ)して力(ちから)強(づよ)く頭(あたま)を振(ふ)る。



羊(よう)毛(もう)のような豊(ゆた)かな銀(ぎん)の髪(かみ)が揺(ゆ)れた。



「わたし達(たち)は同(おな)じ、

 ナルキアン(人)ではあるけれどね。


 スー、ニクスとレナに説(せつ)明(めい)してあげて。」



「ナルシャはゼズ島(とう)入(にゅう)植(しょく)前(まえ)に、

 私(わたし)達(たち)の祖(そ)先(せん)が名(な)乗(の)ってた

 海(かい)賊(ぞく)時(じ)代(だい)の名(な)残(ご)りだよ。


 知(し)らなくて当(とう)然(ぜん)だよね。


 『名(な)も無(な)き者(もの)』って意(い)味(み)ね。


 船(せん)員(いん)も奴(ど)隷(れい)も娼(しょう)婦(ふ)も孤(こ)児(じ)も、

 私(わたし)達(たち)はみんな同(おな)じナルシャ。


 大(たい)陸(りく)から見(み)たらナルキアン(人)ってことだね。


 遥(よう)遠(えん)代(だい)の言(こと)葉(ば)が由(ゆ)来(らい)で、

 『家(か)族(ぞく)』って意(い)味(み)が変(へん)化(か)したんだって。


 言(こと)葉(ば)に正(ただ)しさはなくて、

 意(い)味(み)は時(じ)代(だい)で変(か)わるんだよね。」



スーの話(はなし)を聞(き)きながら、

わたしは頭(あたま)の中(なか)で頷(うなず)いた。



彼(かの)女(じょ)は澄(す)んだ声(こえ)で、

説(せつ)明(めい)も淀(よど)みなく聞(き)き取(と)りやすい。



「話(はなし)が逸(そ)れてるわね。


 改(あらた)めて、ナルシャのニクスよ。」



「よく分(わ)かりました。


 館(やかた)では『出(しゅつ)自(じ)は訊(たず)ねない。』

 という決(き)まりがありますからね。」



「恥(は)ずかしがりみたいね。」



なにも言(い)わないわたしをサンサが捓(からか)った。



「いまはみんな好(す)きな名(な)前(まえ)を考(かんが)えて、

 ニクスに名(な)乗(の)りたがってますよ。」



「それはまた別(べつ)の機(き)会(かい)にしましょう。」



サンサは苦(く)笑(しょう)し、息(いき)を吐(つ)いて諦(あきら)めを見(み)せる。



「それに初(はじ)めて聞(き)きました。その話(はなし)。

 元(もと)は家(か)族(ぞく)なんですね。」



「でも、セセラあたりは知(し)ってる話(はなし)だよ。」



「レナはいつも、余(よ)所(そ)事(ごと)に夢(む)中(ちゅう)だもの。」



サンサにそんな指(し)摘(てき)を受(う)けて、

体(てい)裁(さい)の悪(わる)さを感(かん)じとったレナタは

別(べつ)のことを彼(かの)女(じょ)に訊(たず)ねた。



「…それでサンサは、

 今(こん)度(ど)はなにを企(たくら)んでるの?」



「人(ひと)聞(ぎ)きが悪(わる)いわね。


 わたしは迷(まよ)える仔(こ)羊(ひつじ)を保(ほ)護(ご)した、

 ただの牧(ぼく)者(しゃ)なのよ。」



「牧(ぼく)者(しゃ)は羊(ひつじ)の群(む)れを操(あやつ)る為(ため)に、

 犬(いぬ)を嗾(けしか)けるひとのことですよね。」



レナタの言(こと)葉(ば)にサンサが笑(わら)う。



「ふふっ。

 そんな悪(わる)い風(ふう)に教(おし)えたのは誰(だれ)かしら。


 でもニクスのことは、

 ルービィにも説(せつ)明(めい)済(ず)みよ。」



「ルービィはこの館(やかた)のオーナーだよ。」



隣(となり)でスーが説(せつ)明(めい)してくれる。



「脱(だっ)走(そう)しても、最(さい)低(てい)限(げん)の責(せき)任(にん)は取(と)るわよ。


 それともご主(しゅ)人(じん)様(さま)らしく、

 偉(えら)そうにするのがお望(のぞ)みかしら?」



「あははっ。ご主(しゅ)人(じん)様(さま)だって。」



サンサの言(こと)葉(ば)にスーが哄(こう)笑(しょう)した。



――ご主(しゅ)人(じん)様(さま)、ね…。



頭(あたま)の中(なか)で呼(よ)んでみても、

外(がい)見(けん)が若(わか)く小(こ)柄(がら)なサンサに

『ご主(しゅ)人(じん)様(さま)』は似(に)つかわしくない。



サンサはこの館(やかた)のオーナー、

ルービィと呼(よ)ばれる人(じん)物(ぶつ)に

雇(やと)われているという。



――館(やかた)の主(あるじ)でなければ、

  この場(ば)合(あい)は『お嬢(じょう)様(さま)』なのかしら。



「サンサってば、おかしなこと言(い)うから。」



レナタがずっと黙(だま)っていたわたしを見(み)た。



「ニクスは思(し)慮(りょ)深(ぶか)く、聡(そう)明(めい)なのよ。」



「…どういう意(い)味(み)ですか?」



サンサの冗(じょう)談(だん)に、

レナタが首(くび)を捻(ひね)ってわたしに訊(たず)ねる。



当(とう)然(ぜん)、わたしは驚(おどろ)くしかない。



「ニクスは分(わ)かるかしら。」



「…わたしからは説(せつ)明(めい)できない。」



「言(い)わないのが正(せい)解(かい)だね。


 誰(だれ)だって自(じ)分(ぶん)への賛(さん)美(び)なんて

 口(くち)にしたくないもんね。」



スーが救(すく)いの手(て)を差(さ)し伸(の)べてくれ、

サンサがわたしを捓(からか)ったことに

レナタも気(き)付(づ)いてくれた。



「サンサってばダメよ。

 また意(い)地(じ)悪(わる)して。


 あぁ気(き)分(ぶん)を害(がい)してないかしら。

 サンサはいつもこうなの。


 自(じ)己(こ)紹(しょう)介(かい)が遅(おく)れてしまいました。


 ここではメノーのフランジをしている、

 レナタといいます。」



「あっ、初(はじ)めまして?」



「あんなに騒(さわ)いでたのに、

 覚(おぼ)えてないのかしら。」



サンサが声(こえ)を弾(はず)ませて言(い)った。



彼(かの)女(じょ)の隣(となり)に、赤(あか)い髪(かみ)の寝(ね)惚(ぼ)け眼(め)をした

大人(おとな)の女(おんな)がいつの間(ま)にやら座(すわ)っていた。



「だって無(む)理(り)もないわよねぇ。


 昨日(きのう)騒(さわ)いでたのは、

 あなたの酔(よ)っ払(ぱら)いだもの。」



赤(あか)い飾(かざ)り布(ぬの)を肩(かた)に掛(か)け、

淡(たん)黄(おう)色(しょく)のキャシュクの胸(むな)元(もと)を開(ひら)いた

緩(ゆる)い格(かっ)好(こう)をしている女(おんな)。



彼(かの)女(じょ)は薄(うす)白(じろ)く柔(やわ)らかな手(て)で、

サンサの膝(ひざ)の上(うえ)に座(すわ)るアルの

額(ひたい)から尻尾(しっぽ)の根(ね)元(もと)までを指(ゆび)先(さき)で撫(な)でた。



アルが喉(のど)を鳴(な)らしてミャオと小(こ)声(ごえ)で鳴(な)く。



キャシュクを着(き)る彼(かの)女(じょ)の豊(ほう)満(まん)な胸(むな)元(もと)には、

1本(ほん)の飾(しょく)緒(しょ)が垂(た)れている。



この館(やかた)では娼(しょう)婦(ふ)、ドレイプのみが

飾(しょく)緒(しょ)をこうして身(み)に着(つ)ける。



挿絵(By みてみん)



「こんにちは、ニクス。

 お互(たが)い初(はじ)めましてで、いいわよねぇ。


 わたしはメノー。

 1番(ばん)部屋(べや)のドレイプよ。」



「初(はじ)めまして…?」



「昨日(きのう)は、浅(あさ)ましいところを

 見(み)せたわねぇ。」



「議(ぎ)長(ちょう)の野(や)外(がい)酒(しゅ)宴(えん)で、

 賑(にぎ)やかでしたからね。」



「遠(とお)回(まわ)しな嫌(いや)がらせなのよ。」



二人(ふたり)の会(かい)話(わ)で確(かく)信(しん)に至(いた)った。



酔(よ)っ払(ぱら)いを蹴(け)倒(たお)した赤(あか)い髪(かみ)の女(おんな)、メノーと、

瓶(かめ)の水(みず)を浴(あ)びせた少(しょう)女(じょ)、レナタ。



レナタは白(しろ)目(め)の青(あお)がまだ濃(こ)く残(のこ)る、

湖(みずうみ)のような藍(あい)色(いろ)の目(め)が輝(かがや)く。



昨日(きのう)わたしを安(あん)全(ぜん)な館(やかた)の中(なか)まで

案(あん)内(ない)してくれたのがレナタだった。



礼(れい)を失(しっ)していたわたしは、

急(きゅう)に恥(は)ずかしくなって縮(ちぢ)こまった。



「昨(さく)夜(や)、寝(ね)てる時(とき)に身体(からだ)を見(み)たけれど、

 右(みぎ)腕(うで)は大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)? もう痛(いた)くはなぁい?」



「え…、はい…。」



右(みぎ)腕(うで)に触(ふ)れると、いまも痛(いた)い。



「なにかあれば、わたしの病(びょう)院(いん)に

 連(つ)れて行(い)ってあげるわよ。」



メノーは間(ま)延(の)びした妙(みょう)な喋(しゃべ)り方(かた)をする。



耳(みみ)にすると独(どく)特(とく)の心地(ここち)良(よ)さがあった。



「このくらいすぐに治(なお)るわよ。」



「また病(びょう)人(にん)が出(で)たら大(たい)変(へん)だわ。」



「ウラは風邪(かぜ)が治(なお)らないから心(しん)配(ぱい)だね。」



スーが言(い)ってまたパンを切(き)り分(わ)け、

メノーとレナタの食(しょっ)器(き)に配(くば)る。



「お昼(ひる)はまた、メノーとわたしで

 病(びょう)院(いん)に行(い)くつもりです。」



「昨(さく)夜(や)の件(けん)で、館(やかた)の周(まわ)りに

 怪(あや)しいのが歩(ある)き回(まわ)ってるから、

 護(ご)衛(えい)は多(おお)めにつけてね。」



言(い)ってサンサは、

自(じ)分(ぶん)の食(しょっ)器(き)に盛(も)られた果(か)実(じつ)を

わたしとレナタに配(くば)る。



「さぁ、挨(あい)拶(さつ)はもういいでしょ。


 食(しょく)事(じ)にしましょう。」



サンサの言(こと)葉(ば)に、

わたし以(い)外(がい)が揃(そろ)って目(め)を閉(と)じて顎(あご)を引(ひ)く。



軽(かる)く握(にぎ)った手(て)を胸(むね)に当(あ)てて、

祈(いの)りの略(りゃく)式(しき)姿(し)勢(せい)を取(と)る。



わたしも以(い)前(ぜん)は、

彼(かの)女(じょ)達(たち)と同(おな)じ姿(し)勢(せい)で祈(いの)っていた。



祈(いの)りの対(たい)象(しょう)はネルタの王(おう)であり、

父(ちち)でもあるケイロウか、天(てん)蓋(がい)山(さん)になる。



いま、ここに王(おう)は居(い)ない。



困(こん)惑(わく)しているわたしに気(き)付(づ)いたのか、

サンサが瞼(まぶた)を上(あ)げて

銀(ぎん)色(いろ)の瞳(ひとみ)で見(み)つめてきた。



「新(しん)入(い)りのニクスは

 まず、他(ほか)のひとを見(み)て、

 形(かたち)だけでも真似(まね)すればいいわよ。


 分(わ)からなければ、分(わ)かる部(ぶ)分(ぶん)と

 自(じ)分(ぶん)が分(わ)からない部(ぶ)分(ぶん)を考(かんが)えて、

 わたしかスー、分(わ)かるひとに聞(き)きなさい。


 分(わ)からない部(ぶ)分(ぶん)は教(おし)えてあげるし、

 仮(か)説(せつ)を立(た)てた場(ば)合(あい)なら検(けん)証(しょう)も必(ひつ)要(よう)ね。


 どんなに高(こう)名(めい)な学(がく)者(しゃ)様(さま)だって、

 最(さい)初(しょ)はなにも知(し)らないものよ。」



彼(かの)女(じょ)は、科(か)学(がく)の5段(だん)階(かい)法(ほう)のようなことを

言(い)っている。



「生(き)娘(むすめ)だからって、

 そんなに不(ふ)安(あん)がる必(ひつ)要(よう)はないわよ。


 あなたは思(し)慮(りょ)深(ぶか)く、聡(そう)明(めい)だもの。」



驕(きょう)奢(しゃ)な食(しょく)事(じ)を前(まえ)にして、

サンサの助(じょ)言(げん)も最(さい)後(ご)の一(ひと)言(こと)で

不(ふ)安(あん)だけがわたしの口(くち)の中(なか)を支(し)配(はい)した。



「ニクス。

 館(やかた)で食(しょく)事(じ)をする時(とき)は、

 5個(こ)の感(かん)覚(かく)を使(つか)うんですよ。」



サンサの意(い)見(けん)など無(む)視(し)して、

レナタが胸(むね)を張(は)って食(しょく)事(じ)について言(い)う。



「5個(こ)?」



「大(だい)体(たい)、五(ご)感(かん)のことだね。


 ニクスは知(し)ってる?」



スーが説(せつ)明(めい)する横(よこ)で、サンサとメノーが

レナタを見(み)て笑(わら)いを堪(こら)えている。



「え、と。味(み)覚(かく)、嗅(きゅう)覚(かく)、視(し)覚(かく)、

 聴(ちょう)覚(かく)とあとは…触(しょっ)覚(かく)?」



母(ぼ)指(し)を立(た)てて口(くち)に触(ふ)れる。



鼻(はな)を示(じ)指(し)で、目(め)を示(じ)指(し)と母(ぼ)指(し)で、

耳(みみ)を中(ちゅう)指(し)だけで触(ふ)れ、反(はん)対(たい)の手(て)のひらを

立(た)てた中(ちゅう)指(し)と母(ぼ)指(し)で触(ふ)れる。



「これで5個(こ)ね。痺(しび)れや刺(し)激(げき)は?」



さらに示(じ)指(し)を立(た)てて言(い)うと、

サンサはわたしの疑(ぎ)問(もん)を理(り)解(かい)して頷(うなず)いた。



「食(しょく)事(じ)の時(とき)に意(い)識(しき)するのが、

 主(おも)にその5個(こ)というだけよ。


 温(おん)感(かん)、冷(れい)感(かん)、平(へい)衡(こう)感(かん)覚(かく)なんかも感(かん)覚(かく)よね。


 温(あたた)かさ、冷(つめ)たさは料(りょう)理(り)によるし、

 痛(つう)覚(かく)や平(へい)衡(こう)感(かん)覚(かく)は食(しょく)事(じ)に必(ひつ)要(よう)ないわ。


 ここでの食(しょく)事(じ)はまず料(りょう)理(り)を目(め)で見(み)るの。


 彩(いろど)りや手(て)触(ざわ)り、匂(にお)いを楽(たの)しんで、

 咀(そ)嚼(しゃく)、食(しょっ)感(かん)を耳(みみ)で感(かん)じるの。」



――なんだか、ニースだわ。



サンサの説(せつ)明(めい)に納(なっ)得(とく)させられ、驚(おどろ)かされた。



「口(くち)を開(あ)けて噛(か)んだり、

 咀(そ)嚼(しゃく)音(おん)を周(しゅう)囲(い)に聞(き)かせるのは、

 下(げ)品(ひん)だからダメだよ。」



スーの忠(ちゅう)告(こく)に、わたしは普(ふ)段(だん)通(どお)り

口(くち)を閉(と)じたまま腸(ちょう)詰(づ)め肉(にく)を噛(か)む。



挿絵(By みてみん)



噛(か)むほどに肉(にく)汁(じゅう)が口(くち)の中(なか)に広(ひろ)がり、

肉(にく)の甘(あま)さと香(こう)辛(しん)料(りょう)の辛(から)さが交(まじ)わる。



「これって、なんですか?」



「それは…。」



レナタがわたしを真似(まね)して指(ゆび)を立(た)てた。



物(もの)を数(かぞ)える時(とき)に使(つか)う指(ゆび)の動(どう)作(さ)に

説(せつ)明(めい)を求(もと)められても、

言(こと)葉(ば)にして伝(つた)えるのは初(はじ)めてだった。



「手(て)の指(ゆび)を母(ぼ)指(し)から順(じゅん)番(ばん)に立(た)てて、

 立(た)てた指(ゆび)の場(ば)所(しょ)で数(すう)字(じ)を把(は)握(あく)するの。」



母(ぼ)指(し)、示(じ)指(し)、中(ちゅう)指(し)、環(かん)指(し)、小(しょう)指(し)。



右(みぎ)手(て)の母(ぼ)指(し)から順(じゅん)に立(た)て、

折(お)ってから次(つぎ)の指(ゆび)が立(た)つ。



動(うご)きを見(み)せても、レナタは首(くび)を捻(ひね)り、

理(り)解(かい)されなかった。



「2進(しん)法(ほう)ね。


 ドレイプがお客(きゃく)さんに送(おく)る招(しょう)待(たい)札(ふだ)にも、

 実(じつ)は入(はい)ってるわよ。」



「見(み)たことありません。」



「認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)の仕(し)事(ごと)でしか

 知(し)る必(ひつ)要(よう)がないもの。


 ボナとセセラ、ポワンにも教(おし)えたわね。」



「ファウナも知(し)ってるよ。」と、スー。



「あの子(こ)は教(おし)えなくても、

 見(み)ただけで仕(し)事(ごと)を覚(おぼ)えてたわよ。」



隻(せき)腕(わん)のサンサがレナタに向(む)けて手(て)を開(ひら)く。



「1、2、4、8、16という順(じゅん)ね。


 10歳(さい)のレナを表(あらわ)すと、

 環(かん)指(し)の8と示(じ)指(し)で2。


 ニクスは15歳(さい)だから、

 16の小(しょう)指(し)以(い)外(がい)を立(た)てれば15になる。


 あなたも珍しい数(かぞ)え方(かた)、使(つか)うわね。」



「本(ほん)で読(よ)んで、便(べん)利(り)だから…。


 鳥(とり)を数(かぞ)える時(とき)とか…。」



この食(しょく)堂(どう)にいま居(い)る人(にん)数(ずう)も、

指(ゆび)を数(すう)字(じ)の束(たば)として覚(おぼ)えておけば、

立(た)てた指(ゆび)だけですぐに把(は)握(あく)できる。



「複(ふく)雑(ざつ)な数(かぞ)え方(かた)ねぇ。」と、メノー。



「…おかしなの。」



表(ひょう)情(じょう)に不(ふ)満(まん)を見(み)せるレナタは、

メノーと顔(かお)を見(み)合(あ)わせて笑(わら)っていた。



――ニースではないのに。



わたしは厚(あつ)いパンを口(くち)にして、

頭(あたま)の中(なか)で不(ふ)満(まん)を呟(つぶや)いた。




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