第2章 第3節 羊皮紙の札(第1項)
興奮するマルフは鼻息を荒くして、
叩きつけるようにトレイの上に札を並べる。
時折、彼は横目でスーの様子を窺った。
テーブルに置かれた札を
書字板に記録しているスーは、
彼の視線に対して反応を示さない。
「今日こそは、勝たせて貰うぞ。」
気付けばマルフは傭兵殺害の件など忘れて、
目の前の札遊びに熱中している。
どちらが勝っているのか分からないけれど、
テーブルの端で拳を握る彼は自信を見せた。
「意気込みは良いわね。
それならなにか賭けようかしら。」
「わしは総督だ。
個人的な賭けに興じてはいかん。」
「あなたも相反するわね。
今日はお詫びのつもりで呼んだのよ。」
「詫びだと?
まさかこの布1枚で、
詫びとするわけではあるまいな。」
「いまならこの札も付けるわよ。
まだ劇場の権利を諦めてないのかしら?」
「その通りだ。」
――総督が権利を求めて、
娼婦相手に賭け事をするのかしら…。
サンサは彼の意気込みを気にもせず、
手にした札をトレイの上に伏せて
2枚の札を選んで抜く。
2枚を表にしてトレイの列に並べると、
テーブルの手前にある札から
2枚を選んで持ち手の中に加える。
片腕が無いというだけで、
札の出し入れの行う工程は倍に増える。
そんな彼女の姿に
マルフが苛立ちを顕わにし、
テーブルを指先で小突いた。
「おい、フランジの。」
反応しないスーを見てから、
マルフと目が合ったことで
わたしを呼んだことに気付く。
――わたしに呼び掛けたの?
「えっ…、あっ、はい?」
東側に座っているスーは成年でも
飾緒を持たないフランジで、
他の子供も全員フランジになる。
フランジと言ったマルフが、
わたしを呼んでいるとは思わなかった。
「さっきからなにを突っ立っておる。」
彼がわたしを叱責する理由が分からない。
スーにこの位置に立つように指示されて、
その理由も未だに分かっていない。
「サンサの扇持ちくらいせんか。
お前はサンサのフランジだろう。」
――扇持ち?
「言われんと動かんのか。」
興奮するマルフに対して、
ドレイプのサンサはなにも言わない。
――やっぱりニースだわ…。
改めようのないわたしは、
なにもできずに困惑させられる。
「マルフ総督…。
お言葉ですが、よろしいでしょうか。」
書字板に書き記して黙っていたスーが、
マルフに対して静かに呼び掛ける。
すると彼は曲がった背を伸ばし、
細い目を見開いた。
「なんだ、畏まって…。」
彼女の言葉遣いは、昨日浴場で
見せたおかしな喋り方とも違う。
スーは本当の使用人のように、
サンサの言葉を代弁する。
「サンサから説明のあった通り
彼女は昨日、ここに来たばかりで
この館の仕事をなにも知りません。
今日の仕事についても、
同席以外には言いつけてはいません。
こちらの手際にご不満があれば、
サンサのフランジの私に
遠慮せず言ってください。」
マルフは総督という、この都市では
最高位に等しい地位を持っている。
それにも関わらず、
彼は小娘相手になにも言い返せない。
言い返せないので、サンサに向かって
マルフは身体と声を震わせた。
「…サンサっ!」
「ふふっ…。」
マルフはサンサを責めているのに、
彼女は口元を札で隠して肩で笑った。
「手紙を出した時には、
この子が館を飛び出す
荒馬とは知らなかったもの。
これからはマルフも、
教育の口出しは控えた方が良いわね。」
「いや、分かってる。
この娘、確か夜の女神…、
あぁ、ニクスと名乗ったか。
言い過ぎた。
これをわしは、よくやってしまうんだ。
入ってきた生徒にも口を挟んで
妻にも叱られる。
悪い癖だな。」
「『言われる前に行動しろ。
勝手な行動はするな。』
でしょ?」
溜め息を吐くマルフをサンサが笑う。
「指導不足の指導者が
好んで使う呪いの言葉だな。
わしのような部外者が
言うことでもない。」
マルフは恥じて毛のない頭を撫で、
わたしに向かって頭を下げた。
地位の高い彼がスーに叱られ、
序列も関係なくわたしに頭を下げた。
目の前で起きた奇妙な状況に、
わたしは困惑させられる。
「どんなことでも行動するには
まずは考えなければならないけれど、
そこに目標がなくてはいけないわね。
はい、ニクス、これを持って。」
サンサの手から、
トレイにの上に裏返していた
彼女の持ち札が渡された。
羊皮紙で出来た札の裏面は、
紙の隅まで深く色が入っている。
「マルフに見せてはダメよ。
いまのあなたは、
わたしの扇持ちよ。」
――あぁ、扇持ちって…。
ネルタでは臣下を蔑む時に、
王を扇であおぐ従者に例える。
札の隅に描かれた紋標が見える位置に
札を開いて持つ姿から、
階級の低い職業を連想させた。
わたしは札を手に、少し考えてから
スーのように下女の真似をした。
「あの…ごめんなさい、お嬢様…。」
「ぶははっ! おじょっ…様っ…。」
わたしのその一言で、
マルフが息を吹き出して
太い声で哄笑した。
笑い転げて椅子から落ちて跪き、
堪えきれずに地面の緑を叩いた。
スーもサンサも笑う賑やかな庭園。
近くの厨房で働く使用人だけではなく、
他のドレイプやフランジまでもが
外廊下に姿を見せて庭を覗き見た。
――ニースだわ…。
状況に取り残されたわたしは、
居た堪れない気持ちになった。
▶




