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金貨の娘  作者: 美穂
第1章 悪夢の檻

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第1章 第2節 鏡面の歪(第2項)

挿絵(By みてみん)



庭(にわ)の椅(い)子(す)で転寝(うたたね)をしているあいだに、

わたしはスーに毛(もう)布(ふ)を被(かぶ)されていた。



彼(かの)女(じょ)はわたしの手(て)足(あし)の

伸(の)びた爪(つめ)を切(き)り整(ととの)えて研(けん)磨(ま)し、

ブラシで爪(つめ)のあいだを綺(き)麗(れい)にしている。



揉(も)まれる指(ゆび)先(さき)がとても温(あたた)かかった。



お腹(なか)に落(お)とした歯(し)木(ぼく)は捨(す)てられ、

目(め)を覚(さ)ました頃(ころ)には

もう日(ひ)は落(お)ちかけていた。



まだ眠(ねむ)り足(た)りずに欠伸(あくび)を堪(こら)えると、

わたしの思(し)考(こう)に灰(はい)色(いろ)の靄(もや)が漂(ただよ)う。



浴(よく)場(じょう)の近(ちか)くから、嗅(か)ぎ慣(な)れない

香(こう)ばしい匂(にお)いが鼻(び)孔(こう)を擽(くすぐ)った。



「あ、起(お)きた?

 お腹(なか)空(す)いてる?


 夕(ゆう)食(しょく)までまだ少(すこ)し時(じ)間(かん)があるから、

 これ食(た)べてていいよ。


 お客(きゃく)さんからの頂(ちょう)戴(だい)物(もの)。」



彼(かの)女(じょ)の言(い)うお客(きゃく)さんが誰(だれ)を示(しめ)しているのか、

わたしには分(わ)からない。



円(えん)形(けい)のテーブルの上(うえ)の蔓(つる)草(くさ)で編(あ)んだ籠(かご)には、

溢(あふ)れるくらいに果物(くだもの)が積(つ)まれている。



天(てん)板(ばん)は色(いろ)のついた石(いし)が埋(う)められ、

これにも甲(こう)虫(ちゅう)の背(せ)中(なか)らしき図(ず)柄(がら)が

描(か)かれていた。



――邸(てい)宅(たく)の繍(しゅう)旗(き)に似(に)てる。



青(あお)色(いろ)の石(いし)で中(ちゅう)央(おう)から少(すこ)し外(はず)れた位(い)置(ち)に

横(おう)断(だん)する列(れつ)と、その途(と)中(ちゅう)から直(ちょっ)角(かく)に

線(せん)が引(ひ)かれるように石(いし)が並(なら)べられる。



甲(こう)虫(ちゅう)を描(か)く青(あお)色(いろ)の石(いし)を境(きょう)界(かい)にして、

赤(あか)と淡(あわ)い赤(あか)と褐(かっ)色(しょく)の石(いし)が散(ち)りばめられ、

石(いし)の隙(すき)間(ま)をモルタルが埋(う)めている。



スーはテーブルの上(うえ)のナイフで黒(くろ)色(いろ)の果物(くだもの)、

マリセスの皮(かわ)を剥(む)き、薄(うす)黄(き)色(いろ)の果(か)肉(にく)は

細(こま)かくされて、歪(いびつ)な形(かたち)に盛(も)り付(つ)けられた。



挿絵(By みてみん)



塔(とう)で暮(く)らしていた頃(ころ)の乳(う)母(ば)達(たち)ほどではなく、

皮(かわ)には食(た)べられる果(か)肉(にく)が多(おお)く残(のこ)っていた。



足(あし)元(もと)の濃(こ)い影(かげ)を見(み)て、

地(ち)下(か)の暗(くら)闇(やみ)を思(おも)い出(だ)した。



それと同(どう)時(じ)にお腹(なか)が鳴(な)った。



「あはっ。お腹(なか)が返(へん)事(じ)したね。


 館(やかた)の決(き)まりも

 覚(おぼ)えて貰(もら)わないといけないね。」



自(じ)分(ぶん)の置(お)かれた状(じょう)況(きょう)に、

わたしは開(ひら)きかけた口(くち)を固(かた)く結(むす)んだ。



わたしの考(かんが)えを知(し)らないスーは、

皮(かわ)を剥(む)いて果(か)肉(にく)を自(じ)分(ぶん)の口(くち)に運(はこ)ぶ。



瑞(みず)々(みず)しい果(か)汁(じゅう)を啜(すす)る音(おと)がわたしの耳(みみ)を撫(な)で、

彼(かの)女(じょ)は細(ほそ)い顎(あご)を小(こ)刻(きざ)みに動(うご)かして噛(か)み砕(くだ)く。



彼(かの)女(じょ)の盛(も)り付(つ)けの見(み)た目(め)が悪(わる)くても、

果(か)実(じつ)の味(あじ)は損(そこ)なわれはしない。



欲(よく)を抑(おさ)えられなかったわたしも

果(か)実(じつ)に手(て)を伸(の)ばして、

薄(うす)黄(き)色(いろ)の果(か)肉(にく)を一(ひと)つ口(くち)にした。



マリセスの切(き)れの良(よ)い歯(は)応(ごた)えと、

口(くち)の中(なか)で唾(だ)液(えき)と果(か)汁(じゅう)が混(ま)ざり合(あ)い、

後(あと)から甘(かん)味(み)と仄(ほの)かな酸(さん)味(み)が広(ひろ)がった。



「決(き)まりを破(やぶ)ったところで、

 別(べっ)室(しつ)に送(おく)られて折(せっ)檻(かん)を受(う)けたりも

 しないから安(あん)心(しん)してね。


 たぶん。」



――折(せっ)檻(かん)…?



耳(みみ)を疑(うたが)い、目(め)を細(ほそ)める。



「ここには色(いろ)々(いろ)なひとが出(で)入(い)りするの。


 お客(きゃく)さんを饗(もてな)す場(ば)所(しょ)であり、

 共(きょう)同(どう)生(せい)活(かつ)の場(ば)所(しょ)だからね。


 サンサも『自(じ)分(ぶん)だけのお城(しろ)ではない。』

 って言(い)ってたもんね。


 自(じ)分(ぶん)の言(げん)動(どう)の結(けっ)果(か)はニクスだけではなく、

 他(ほか)の子(こ)に影(えい)響(きょう)を与(あた)えることになるし、

 他(た)人(にん)からの評(ひょう)価(か)、信(しん)用(よう)や信(しん)頼(らい)に繋(つな)がる。」



スーは思(おも)い出(だ)し笑(わら)いを浮(う)かべる。



「でも難(むずか)しくないから安(あん)心(しん)して。


 ゲップやおならは絶(ぜっ)対(たい)にダメ。

 特(とく)にお客(きゃく)さんの前(まえ)では。


 されたら気(き)分(ぶん)を害(がい)するでしょ?


 したくなったら離(り)席(せき)して、

 御(ご)不(ふ)浄(じょう)に行(い)ってね。」



言(こと)葉(ば)の意(い)味(み)は理(り)解(かい)できたので首(くび)を縦(たて)に振(ふ)る。



御(ご)不(ふ)浄(じょう)とは、およそ手(て)洗(あら)い所(じょ)を意(い)味(み)する。



ただの手(て)洗(あら)い所(じょ)を、

『御(ご)不(ふ)浄(じょう)』と呼(よ)ぶ習(しゅう)慣(かん)はない。



――なにを目(もく)的(てき)に訪(おとず)れる客(きゃく)なのかしら…。



重(じゅう)大(だい)な疑(ぎ)問(もん)が湧(わ)いても、わたしは

眠(ねむ)気(け)で考(かんが)えが鈍(にぶ)っていた。



「『下(げ)品(ひん)は禁(きん)止(し)』って覚(おぼ)えておいて。

 あ、それと欠伸(あくび)もダメだってさ。」



わたしが欠伸(あくび)を堪(こら)えた為(ため)に、

忠(ちゅう)告(こく)をしてきた彼(かの)女(じょ)も欠伸(あくび)をする。



「ふぁ…。

 欠伸(あくび)ってひとに伝(でん)播(ぱ)するから。


 お客(きゃく)さんが話(はなし)をしてるのに

 欠伸(あくび)なんてされたら、

 退(たい)屈(くつ)と思(おも)われるもんね。」



「ごめん…。」



「長(なが)旅(たび)で眠(ねむ)たかったんだよね。


 分(わ)かりきった話(はなし)って、

 演(えん)説(ぜつ)みたいで退(たい)屈(くつ)だもんね。


 レナタからはこのお喋(しゃべ)りで

 耳(みみ)が疲(つか)れるって言(い)われるけど、

 気(き)になるようなら言(い)ってね。


 眠(ねむ)たかったら寝(ね)ててもいいよ。」



指(し)摘(てき)されてまた眠(ねむ)るのは気(き)が引(ひ)けた。



「昔(むかし)は欠伸(あくび)のことを

 『ひとを操(あやつ)る呪(のろ)いだ。』

 って禁(きん)じてたんだって。


 迷(めい)信(しん)にもほどがあるよね。


 かれらは分(わ)からないことを

 調(しら)べようとはしなかったんだね。」



彼(かの)女(じょ)は口(くち)元(もと)を緩(ゆる)ませ、

綺(き)麗(れい)な碧(へき)色(しょく)をした目(め)を見(み)開(ひら)いて、

わたしに欠伸(あくび)をされても喜(よろこ)んだ。



「ちなみに欠伸(あくび)をする理(り)由(ゆう)は、

 空(くう)気(き)を取(と)り込(こ)む行(こう)動(どう)だったり

 緊(きん)張(ちょう)を和(やわ)げる為(ため)だとか。


 サンサが言(い)うには、

 欠伸(あくび)を真似(まね)するのは

 言(げん)語(ご)の一(ひと)つなんだって。


 この説(せつ)、どう思(おも)う?」



わたしはサンサの仮(か)説(せつ)には

興(きょう)味(み)がないので、率(そっ)直(ちょく)に訊(たず)ねた。



「その、ここはなんの邸(てい)宅(たく)なの?」



垢(あか)を削(そ)ぎ落(お)として風(ふ)呂(ろ)で丁(てい)寧(ねい)に洗(あら)われ、

なにもせずに服(ふく)や食(た)べ物(もの)を与(あた)えられている。



つい数(すう)日(じつ)前(まえ)まで、地(ち)下(か)の牢(ろう)檻(かん)に

閉(と)じ込(こ)められていた身(み)分(ぶん)だった。



それが牢(ろう)檻(かん)から出(だ)されたと思(おも)えば、

連(つ)れ出(だ)した獣(けもの)の男(おとこ)はわたしを置(お)いて、

サンサから金(きん)貨(か)を受(う)け取(と)って去(さ)った。



この館(やかた)には他(ほか)にも沢(たく)山(さん)の子(こ)供(ども)がいる。



わたしと同(おな)じ裾(すそ)の短(みじか)いキャシュクに、

股(また)布(ぬの)を履(は)いて足(あし)を露(ろ)出(しゅつ)している。



――スーも買(か)われた子(こ)なのよね。



庭(にわ)から見(み)える外(そと)廊(ろう)下(か)には、

常(つね)に数(すう)人(にん)の子(こ)供(ども)が掃(そう)除(じ)道(どう)具(ぐ)や布(ぬの)を運(はこ)び、

いまは浴(よく)場(じょう)の隣(となり)の大(おお)部(べ)屋(や)に入(はい)っていく。



「あれ? ここが『夜(よる)の館(やかた)』って…

 誰(だれ)からも言(い)われなかった?


 レナタからも?」



スーはマリセスを

もう一(ひと)口(くち)食(た)べて、嚥(えん)下(げ)する。



「夜(よる)の館(やかた)っていう名(な)前(まえ)の娼(しょう)館(かん)だよ。


 娼(しょう)館(かん)っていうのは、お客(きゃく)さん、

 ほとんど男(おとこ)のひとを相(あい)手(て)にする場(ば)所(しょ)。


 貴(き)族(ぞく)や大(だい)農(のう)場(じょう)主(ぬし)がドレイプに会(あ)う為(ため)に、

 稼(かせ)いだお金(かね)を積(つ)む館(やかた)ね。



わたしは両(りょう)の唇(くちびる)を軽(かる)く噛(か)んで目(め)を逸(そ)らした。



――あぁ…。思(おも)った通(とお)りね。



 美(び)貌(ぼう)と叡(えい)智(ち)を持(も)つドレイプは、

 私(わたし)はそう呼(よ)ぶんだけど――、

 気(き)に入(い)ったお客(きゃく)さんを部屋(へや)に招(まね)いて、

 上(じょう)品(ひん)に言(い)えば『肌(はだ)を重(かさ)ねる』のが仕(し)事(ごと)。


 娼(しょう)婦(ふ)って言(こと)葉(ば)は聞(き)いたりしない?」



――ニースだわ…。



背(せ)筋(すじ)が冷(つめ)たくなって、

わたしは椅(い)子(す)から立(た)ち上(あ)がった。



「どうしたの?」



強(きょう)烈(れつ)な不(ふ)快(かい)感(かん)が全(ぜん)身(しん)に触(ふ)れ、

眠(ねむ)気(け)はどこかに吹(ふ)き飛(と)んだ。



「あのっ…手(て)洗(あら)い所(じょ)…。」



「御(ご)不(ふ)浄(じょう)なら、階(かい)段(だん)上(のぼ)って

 浴(よく)場(じょう)のお隣(となり)の奥(おく)ね。


 大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)?」



テーブルが揺(ゆ)れ動(うご)いて、

椅(い)子(す)の背(せ)に手(て)をついた。



介(かい)助(じょ)と案(あん)内(ない)をされて手(て)洗(あら)い所(じょ)に入(はい)り、

自(じ)分(ぶん)の置(お)かれた状(じょう)況(きょう)を考(かんが)えた。



水(みず)が豊(ほう)富(ふ)にあって清(せい)潔(けつ)にされていても、

暗(くら)く、悪(あく)臭(しゅう)のする場(ば)所(しょ)が牢(ろう)檻(かん)に似(に)ていた。



――こんな館(やかた)に居(い)てはいけないわ…。

  あの地(ち)下(か)に帰(かえ)ろう…。



わたしはすぐに、

この館(やかた)からの脱(だっ)出(しゅつ)を決(けつ)意(い)した。




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