第2章 第2節 最初の客(第2項)
わたしの手前に置かれた西側の椅子には、
アルが座ってテーブルの上を見ている。
サンサは箱から取り出した札を、
テーブルに広げてから隙間に並べていく。
居場所のないわたしは、
サンサの右後ろに立って札を見る。
1から9の数字の書かれた札を左から右へ。
同じ数字と同じ図柄、紋標を横列で揃えて、
異なる紋標の札をその下に並べている。
――紋標って、たしか古語よね。
サンサが女の札と言った紋標には、
細長い道具が描かれている。
――矢と槍かしら?
裏返したトレイの手前、
テーブルの隙間に重ね置く。
トレイの上に0の数字の札を1枚だけ、
互いから見える位置に置いている。
もう1枚の0の数字の札を、
テーブル手前の左端に置く。
数字以外の記号の描かれた札も
端に寄せて整理した。
東側の椅子に座るスーは、
テーブルの網棚から書字板を取り出した。
彼女の書字板は、
板と枠の中に溶かして
平らに固めた蜜蝋が張られている。
鉄製の棒、スタイラスを使って
板の枠内で固まった蜜蝋を削り、
黄金色の蝋に文字を書いていく。
わたしも昔、同様のものを持っていた。
ネルタでは書字板に張る蜜蝋が用意できず、
木枠に粘土を埋めた代用品だった。
長く使えば当然、砂や髪の毛、
埃などの異物が多く混ざって
使う度に問題が生じた。
やることのないわたしは、
スーの後ろに回って書字板を見つめる。
後ろで見ていたわたしに
気付いた彼女は、なにも言わずに
指先だけでサンサの左後ろを示した。
――ここに立てばいいの?
わたしは指示された位置に立つと、
スーは笑顔を見せて頷いた。
「それで今回の件について、
まずはわたしから事情を説明するわね。」
「うむ。」
「手紙で伝えた通り、
昨日わたしは二人の男を殺害したわ。
場所はここから北西の通りにある
ルービィの館の近くね。」
わたしはサンサの札を見ながら、
彼女の言葉に耳を傾ける。
「二人の男は
このフランジに暴行を働いた。
始終を見ていた通行人が、
調査員に証言しているわ。
遺体は死体運びに依頼して、
病院にあとの処理を頼んだわよ。
法に従って警備に願い出て、
身元を確認すると西の傭兵だった。
雇い主のユヴィルには、
遺体返還の連絡を済ませたわよ。
でも引き取りを拒んでるわね。」
サンサは振り向いてわたしを手招きする。
わたしの肘を細い手で掴み、
右腕に濃く残った痣を彼に見せた。
「背中も見せなさい。
帯を外して。
肌着まで脱がなくていいわよ。」
「えっ…?」
彼女に命令されて仕方なく、
わたしは後ろを振り向き帯紐と帯布を外す。
わたしには自分の背中の傷は見えない。
サンサがキャシュクと肌着を捲ると、
擦り傷が空気に触れた瞬間
肌を突かれたように背中が痛む。
「若い娘が、
気軽に素肌を晒すものではないわね。」
と、脱がせたサンサが呟いた。
恥ずかしい思いで向き直ると、
マルフは皺の深い顔を険しくして
唸りながらさらに皺を寄せる。
「警備を経由してくれたおかげで、
ユヴィルからわしへ苦情が来た。」
「賠償金の支払いだけれど、
裁判所の指示には従うつもりで――。」
サンサの言葉の途中で、
マルフは手を出して遮った。
「これは賠償金の問題ではない。」
二人は会話をしながらも、
手にした札をトレイの上に並べていく。
サンサは左手にしている札を、
一旦トレイの上に伏せる。
テーブルの端に並べた札を2枚選んで、
トレイの札に加えて再び手に持った。
二人の横に座っているスーは、
トレイに置かれた札の数字や記号を
書字板に書き写していた。
わたしは帯布を巻き直しつつ、
テーブルの上を眺める。
札遊びの名前もルールも分からなくて
目で札を追い、会話の内容に耳を傾けた。
「殺した傭兵の一人が、
干し草と油瓶を持ってたのは、
保険屋経由で報告されてるわよね。」
「死んだ傭兵が連続出火の犯人だ。
とでも言うのか?」
「わたしの推論よ。」
「殺した相手はユヴィルの傭兵だ。
あの卑しい鼠共めっ。
こっちが非を認めれば、
幅を利かせるに決まっとる。
そもそもだっ! 夜にフランジが、
一人で出歩くなどが間違ってる。」
「この街に来たばかりの子よ?
連中を知らないのも当然よね。
それに治安が悪いのは、大人の責任だわ。
この子はきっと、
身元保証人のわたしが外出してしまって
心細かったのよ。
ねぇ。」
サンサに同意を求められ、
わたしは反射的に首を横に振りかけた。
「想像の意見など聞いちゃおらん。」
「手厳しいわね。
ねぇ?
聞いていたかしら?
あなたから理由とあの時の状況を、
マルフ総督に説明しなさい。」
呼び掛けられて、わたしは顔を上げた。
「あっ…。」
3人と1匹に見つめられ、
言葉が喉に詰まる。
「まずは名乗りなさい。」とサンサ。
「え…?」
――ニースだわ…。
名乗るべきではないと、
サンサはわたしに忠告していた。
「名前も名乗らない相手の話なんて、
聞くに値しないものね。」
サンサの提言に
マルフが鼻息で返事をするので、
わたしは踟って口を開いた。
「ナ、ナルシャのニクスです。」
『名も無き者』という意味の
ナルシャを騙ると、サンサが微笑する。
「夜の館だから、夜の女神を名乗るのか?
またわしを捓っているのか?
まさか、
本当にただの孤児ではあるまいな?
預かるだけの理由がどこにある?
なにを考えてるんだ?」
疑問の尽きないマルフに疑われ、
サンサは肩を震わせている。
――サンサが笑っているから、
わたしが疑われるんだわ…。
「ほら、叱られたわ。
マルフ。
これはただの償いよ。」
「償い?
奇妙なことを言う。」
「嘘ではないわよ。
もう…あなたまでわたしを疑うの?」
わたしが名前を名乗っただけで、
マルフに疑われるだけのことを
サンサは既に行っているのが察せた。
「さぁ、ニクス。」
サンサはトレイの端に札を伏せて置き、
テーブルを指先で小突く。
「逃げ、…逃げようとしました…。
その…この館から…。」
上擦る声で、背中に汗が滲む。
出自を明かせないわたしは言葉に迷う。
「なぜだ?」マルフが訊ねる。
この場で説明を促したサンサは
なにも言ってこない。
わたしに判断を委ねている。
「娼婦、という仕事が、その…、
卑しい仕事と知っているからです。」
「この館を知らずに来たのかっ?」
スーに説明を受けたいまでも、
館の仕事内容は聞かされていない。
「…はい。
よくは分かっていません。
わたしは、自分がこれから
なにをするのかも…。」
「話が逸れているわ。」
サンサに指摘を受けると、
口を開けて彼女への抗議の言葉を考えた。
「順を追って説明なさい。」
「昨日、わたしは…
元に居た場所に帰ろうとしました。
連れて来られた途中で見かけた、
西に建つ鐘楼を目指していたら、
彼らと身体が当たって…。」
「なにか言ったのか?」
マルフの質問にサンサを見ても、
彼女は救いの手など差し伸べてはくれない。
わたしは首を横に振る。
「それから、腕を掴まれました。
わたしが逃げようとすると、
塀に叩きつけられました。」
「ん? それだけか?
傭兵が、憂さ晴らしに、か?」
マルフが首を捻る。
ただそれだけで、
二人の男がサンサに殺される道理はない。
「わたしの服を剥いて、
フランジと呼びました。
犯し…娼婦にして売り飛ばす為に。
腕を掴まれたまま逃げられず――。」
「剣を佩いて暴行をする二人を、
館に戻る際に遭遇したわたしが
殺したわ。」
マルフは札を手にしたまま
項垂れて、丸い頭を抱えた。
「なんてことだ…。
サンサが私怨で
殺したわけではないのか。」
「人聞きが悪いわね。
そう惑わしたのはエイワズかしら。」
サンサの出した名前に
マルフは口を閉ざし、
小刻みに首を横に振った。
肯定はしなかったけれど、彼の表情は
答えを言っているようなものだった。
「放火と暴行に…、強姦未遂、
果ては人身売買が目的とは。」
「詳らかに報告した方が
良かったかしら。
マルフの懸念する西への嫌悪と、
敵対心を煽るだけね。」
サンサは言って微笑する。
「いや…だが…。」
マルフは悩み、答えが出せずにいる。
「死んだひと達は…。」
わたしは呟き、訊ねた。
「そいつらはユヴィルの傭兵だ。
娼婦や旅客に対しても法を犯して、
詐欺、強盗、恐喝をやっとる。」
「『闇の館』なんて俗悪な名前を名乗って、
夜の館を先に使っているこちらとしては
迷惑極まりないのよね。
存在するだけで営業妨害よ。」
「鐘楼の向こうに、
子供が近付いちゃならん。
西の街は、粗暴で危険な連中の集まりだ。
元はカヴァの傭兵団だと
言い回っておる。」
「カヴァが傭兵なんて雇うわけないわ。
20年前でも雇わなかったのよ?
向こうの元老院は、
膨らんだ腹を肥やすことしか
考えてない連中よ。」
「ユヴィルが集めた無法者だ。
真相はこの場の誰にも分からん。
街の許可を得ずに、西の娼婦から
徴税を行っておる無法者共だ。
東の娼婦が傭兵を殺したとなれば、
それだけで問題が大きくなる。
東西の対立…いや、ともすれば
カヴァとの戦争になりかねん。」
「いつにも増して心配性ねぇ。
こちらの徴税は
徴税人の仕事なのだから、
マルフは気にする必要ないわよ。」
「そこは問題にしとらん!
ネルタとの長い戦争が
終わったばかりだというのに、
カヴァと繋がりのある相手を
敵にすることになるんだぞ。」
「言ったでしょ?
これはただの残り火よ。
あの鼠達が火を放っても、
わたしがすぐに消してみせるわ。」
札を強く握るマルフを前にしても、
彼女は気にせず札で口元を隠して笑った。
根拠のない彼女の言葉は気休めに過ぎず、
マルフは焦燥する。
「いやしかし…、今回の件で
問題が西側全土に波及すれば、
次は必ずこの街が戦場になる。
冬に向けて備えねばならんぞ。」
彼の言葉を聞いて、わたしの背筋が
急に冷たくなって身体が細かく震える。
――戦場…。
――戦争が起きれば
このひと達は居場所を追われ、
家族を奪われ、尊厳を失う。
大きな穴の中に燃える服と赤い髪、
火の粉が昇り、灰と雪が降る。
立ち尽くしたわたしは、
誰かと共にそれを見下ろす。
わたしの思考に、灰色の靄が漂う。
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