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 私は姉さんにしばしの別れを告げると、ジルの馬に無理矢理同乗し、ウィンドへ向かった。

 父さんたちが、また違う街へ行ってしまうかもしれない……!

 はやる気持ちを何とか抑え、林の中の道を進む。

 ウィンドはヨーデル村から王都方面に少し行った所にある小さな町だ。

 空高く茂る木々に挟まれた、細い道を走っていると、前方から騎馬が現れた。

 驚いてよく見れば、金糸の刺繍煌びやかな赤いその見慣れた軍服は、宮廷騎士団のものであり、馬上の人の顔を確認すると、私は絶句した。

 向かいからやってくるのは、誰あろう私の夫のイライアスであった。

 なんて間が悪い、と一瞬思った後、すぐに気がついた。


「ジル! わざと鉢合わせする道を選んだでしょう!?」


 馬の速度を緩めたジルが、首を引っ込めて力一杯叫んだ。


「申し訳ありません! さすがに、お一人でウィンドにお連れするのは……!」


 イライアスはそのまま速度を落とすことなく、私たちのもとへ駆けてきた。

 長いマントをなびかせ、完全に目が座っており、いつになく怖い顔をしたイライアスだった。


「ヨーデル村のご実家にいらっしゃいました!」


 私とイライアスの板挟みになった気の毒なジルが、努めて明るい優しい声でイライアスに報告する。

 イライアスは表情一つ変えず、ただ無言で軽く頷くと、じっと私を見つめたまま、ゆっくりと馬を私の隣に進めてきた。


「セーラ……。捜しました」


 私は答えず、馬の鞍につかまったまま、イライアスを睨んだ。

 イライアスの方も私を咎めるような目つきのまま、口を開いた。


「なぜ出て行ったのですか?」

「家出をするって宣言したでしょう?」

「セーラ。家出などするくらいなら、気が済むまで私を殴ってください」

「殴っても気は済みません!」


 私は反撃の狼煙を上げた。


「父さんと母さんは、ヨーデル村にはいないじゃないの!」

 

 私の怒りを示すために、目の前にある緑色の双眸をひたすら頑張って睨み上げた。


「私の両親がいなくなったことを、知っていたんでしょう?」

「……隠していました。すみません」

「母さんに口止めされていたの?」

「ええ。ですが例え口止めされていなくても、話していませんでした」


 あっさりとそう言われてしまい、拍子抜けする。

 どうして、と問い詰めてもイライアスは答えることなく、私を見つめていた。

 彼と視線を交錯させながら考えた。

 ……貴方の実家は住めなくなった。両親は宿を転々としているらしい。

 果たしてそんなことをイライアスが私に言えただろうか?

 私の実家がガルシア王の育った家だとバレたのは、私がイリリアからガルシアへ逃げたからだ。

 イライアスにはそんなこと、とても私には言えなかったのだろう。

 そう思うと長い溜め息が漏れた。

 どうしてイライアスが私にあの実家の様子を言えなかったか?


 ーーそんなことは、聞かなくても分かる。だって……夫婦だもん。


 ……貴方のせいではない。

 これは私に対するイライアスの口癖だった。彼は私がガルシアから帰国して依頼、しょっちゅうそう言っていた。

 私の家族の離散も、イライアスが宮廷騎士団長としての地位を失ったことも、彼の家が代々先祖から受け継いてきた広大な領地を没収されたことも。

 それら全てに私が責任を感じて塞ぎ込むたびに、彼は穏やかに微笑みながら、私にそう言ってのけたのだ。

 イライアスは私をただじっと見つめていた。その目はやや眉根を寄せていて、 厳しい表情だったが、よく見ればその奥には私に対する思い遣りが感じられる。

 私は両目を閉じて深いため息を吐いた。

 なぜイライアスが嘘をついてまで、私の里帰りを止めさせようとしたか?

 そんなのは明白だ。彼は私が自分をまた責めると思ったのだ。

 私は少し声を尖らせた。


「貴方はいつも自分勝手なんだから!」

「ーー貴方を驚かせたくなかったのです」

「何も知らないであの実家を見る方がよっぽど驚くでしょう!?」


 興奮し過ぎて、息が上がる。

 やたら粗く呼吸をしながら、再度イライアスを怒鳴りつける。


「だいたい貴方はいつも何の相談もなしに動いて、手段を厭わないし」


 イライアスはバツが悪そうに目を私からすっと逸らし、馬を少し動かした。彼が珍しく自信を失い弱気な表情を浮かべているのかよく分かる。

 イライアスが私に話せなかったのは分かる。でも、こんな風に事実を私から隠すのではなく、私はきちんとこのことを教えて欲しかった。私はもうどこかの人質ではない。

 彼の妻なのだ。

 夫婦だからこそ、辛いこともきちんと隠さず二人で乗り越えたかった。


「私が傷つくと思ったの? でも私は隠さず本当のことを教えて欲しかった。悲しいことがあったとしても、私にはもう支えてくれる人がいるもの。そうでしょう?」


 イライアスはその貴石のような緑色の瞳をあげて、再び私を見た。

 私は長々と溜息をついた。

 イライアスは過保護なのだ。私を傷つけるかもしれない情報全てから、私を守ろうとしている。


「イライアス、私は大丈夫だよ。貴方がいてくれれば辛いことも乗り越えていけるし、強くなれるよ」


 イライアスは脱力したように握り締めている手綱を少し下ろし、首を左右に振った。


「……貴方は、いつだって私が思っているより強い」


 私たちが見つめ合っていると、ジルがすぐ後ろからゴホンと咳払いをした。

 夫婦喧嘩に巻き込んでしまったことを、慌てて詫びる。

 するとジルは急いでイライアスに私の両親から届いていた手紙の件を報告をした。

 話を聞くや否やイライアスは馬首を後方に向けた。


「すぐにウィンドへ行きましょう」


 イライアスはジルの横を通り過ぎる瞬間に、手綱から手を離し、突然私の身体に腕を伸ばした。

 そしてそのまま強奪するみたいに、私を自分の馬の方へ引いた。突然のことに慌てふためく私をジルまで支えながら押し出したので、抵抗する間も無く私はイライアスの鋼のように力強い腕に抱えられて、彼の馬に乗せられていた。

 すぐさまイライアスの左腕が、私の身体に巻きつく。

 そうなるともう、おとなしく鞍に捕まっているしかない。

 彼の方向へしっかりと引き寄せられ、耳元で囁かれた。


「……貴方がいないと分かって、どれほどゾッとしたか」


 苦悩に満ちた艶のある低い声が脳天を直撃し、思わず怯む。


「どうしようもないほど、貴方を愛しているのです」

「イライアス……」

「貴方が絡むと、正常な判断が出来なくなるほど。ーーどうか、二度と出て行ったりしないで下さい」


 珍しく弱気なイライアスの声に、氷が溶けるように怒りが萎えていく。

 腕の中に抱えられて一緒に馬に乗っていると、もうそれ以上反論する気はなくなってしまった。

 声に少し甘えを乗せて、尋ねてみる。


「また家出しても、捜しにきてくれる?」

「……私の話を聞いていましたか?」


 私たちはそうしてウィンドへ向かった。




 ウィンドの街の規模は王都に比べればつましいものであったが、ヨーデル村から来ると大都会に見えた。

 木組みに白い漆喰のコントラストが可愛らしい家並みが並び、高い建物も多い。


 捜索には時間がそれほどかからなかった。

 ウィンドの街中の宿をイライアスとジルが手分けして、怒涛の勢いでしらみ潰しに当たったのだ。間も無く私の両親の居場所が判明した。

 宮廷騎士の軍服とイライアス個人の持つ威圧感は、宿の主人を良く喋らせた。

 宿の主人が提供してくれた有力情報によれば、私の両親は街の脇を流れる川で、頻繁に釣りをしているのだという。


 私たちは川へ向かう。

 街に接する林に入ると、私たちは落ち葉を巻き上げながら、斜面を下った。傾斜のある地を少し下った先に、小さな川が流れていた。

 そのまま川沿いに馬を走らせる。

 鞍にしっかりとしがみつきながらも、必死に目を彷徨わせて両親の姿を捜す。


 ーー父さんだ!


 思わずあっと声を出しそうになる。

 林を流れる川にわたされた簡素な橋の上に、父さんがいたのだ。

 父さんは釣竿を両手で持ったまま、突如姿を現した私たちの姿に怯えたように目を見開き、その場でたたらを踏んでいた。

 橋は丸太を三本並べただけの単純な作りのため、驚き過ぎて今にも川に落ちてしまいそうで怖い。

 川の向こう岸に渡ってしまおうか逡巡でもしたのか、父さんは左右どちらにも行けず、橋の上でまごついていた。

 私はイライアスが馬を止めるのももどかしく、地面に飛び降りた。土の上とはいえ、膝まで衝撃が伝わり、かなり痛かったが気にしていられない。

 すぐ後にイライアスが続く。


「父さん! どこに行ってたの!」

「セーラ!? どうしてここに……?」

「父さんたちを捜しにきたの。こんな所で何してるの!?」

「……晩飯を釣ってるんだよ。それより、どうしてこの街に!?」

「義父上」


 イライアスが父さんに近づきながらそう呼び掛けると、父さんはギョッと目を見開いた。

 川に垂らした釣竿はそのままの状態だった。


「お捜ししました。義母上はどちらでしょう? 折り入ってお話があるのです」

「そ、その義父上というのは、やっぱり私めのことですかな……?」

「勿論です」


 イライアスは父さんのすぐ隣に立ち、まごつく父さんを見つめた。

 父さんは私とイライアスを交互に見た後で、実にぎこちなく尋ねてきた。


「あー、その。二人は……もう夫婦で、やっぱりまだ夫婦なのか……?」


 おそらくそう聞くのが父さんには精一杯だったのだろう。今ひとつ要領を得ない父さんの質問に対し、イライアスは真摯に答えた。


「必ず、セーラを幸せにすると誓います」


 釣竿の先が水中に引かれ、不規則に左右に振れ始めた。

 どうやら今夜の晩飯が引っかかったようだが、父さんはそれを外す暇がなかった。


「父さん、母さんに話したいことがたくさんあるの」

「義父上。家族水入らずで、これから食事でもしませんか?」


 引かれる竿を必死に両手で持ったまま、盛大に困惑した顔で、父さんは言った。


「とても嬉しいけど、か、母さんととりあえず相談してからにしないと……」

「今さら何言ってるの! 凄く心配したんだよ。父さんたちから手紙の返事が全然こないから、私うちを飛び出して来たんだから」


 釣竿の引きが突然消え、細い竿の先がしなってから糸の先が川の流れに沿って揺れる。どうやら逃げられたらしい。だが父さんはそれを気にする様子はなく、ただ寂しそうにポツリと呟いた。


「セーラ、お前が『うち』と呼ぶのは、もう父さんのうちじゃないんだな……」



 私たちはその夜、ウィンドの街にあるレストランで夕食をとった。

 イライアスが選んだそのレストランは、ホルガー家には少し背伸びをした雰囲気の店だった。

 フィンガー・ボウルに浮かぶ白色と紫色の花びらを、母さんが度々見つめ、その姿にいつかの自分を思い出す。

 久しぶりに見る父さんと母さんは、寂しいけれど少し歳をとったように見えた。

 レースのカーテン越しに窓の外から淡く差し込む陽射しが、並んで座る二人に当たっている。皺がたくさん目立つようになった父さんと母さんが、けれど穏やかに笑うその光景は、とても印象的だった。

 私はガルシア王国で見てきた、アルの姿を飽きることなく語った。母さんもそれを時間が許す限り聞きたがった。

 私たちの話を黙って聞いていたイライアスが、口を挟む。


「以前もお話しましたが、実はガルシアのレスター王が、お二人を向こうに招待されています」


 父さんと母さんは顔を見合わせた。


「レスター王が、首を長くしてお待ちです。是非一度ご訪問下さい」

「父さん、アルがすっごく二人に会いたがってたよ。行けばきっとアルを誇らしく思うよ」


 父さんと母さんはしばし視線を交わし、思いを語り合う。


「……行ってみたいわね。あの子が、どんな男性になったかしら」

「みんなから慕われているし、相変わらず凄く綺麗だよ」


 笑顔でレスター王ーーかつてのアルを褒め称えてからチラリとイライアスを見ると、彼は苦笑していた。

 父さんは遠くを眺めるような目つきで、しみじみと言った。


「そうだね。……父さん、これからは行きたいところへ行って、見たいものを見るよ。たった一度の人生だもの。出来ることを出来るだけ、やってみたい」


 娘たちも立派に独立したものね、と母さんが独り言のように言い、私を見た。


「人生何が起こるか分からないものね」


 それを受けて私と父さんはどこか吹っ切れたように笑った。

 とても爽やかな笑いだった。

 和やかで暖かな食事会だった。


 後に私の両親は、アルに会うために生まれて初めてイリリア王国を出た。

 そうして、訪れたガルシア王国でその地の国王から爵位を叙され、ガルシアのホルガー伯爵家の祖となるのだがーー、それはまだこの時は思いもしなかった先の話である。



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