36 お姉ちゃんが手取り足取り教えてあげるわ
5月も中旬に入り、少しずつ日々の暑さが増してゆくこの頃、ある行事が近づいてきた。
「では、球技大会に出場する種目を決めたいと思います」
学級委員の女子生徒が教卓に立ち、教室にいる生徒たちに呼びかける。その後ろにはチョークを構えた学級委員の男子生徒がいる。
毎年5月、ウチの学校ではクラス対抗の球技大会が行われる。その名の通り、学年に関係なくいくつかの球技で対決することになる。
「各自出場したい種目を選んでください」
学級委員は横にずれて、俺たちから黒板が見えるようにしてくれた。黒板には、球技大会の種目が書かれている。
「種目はバスケ、バレー、ソフトボールです。それぞれ出場できる人数に限りがありますので、希望者が多い種目は人数を絞りますが、まずは各自の希望を聞こうと思います」
学級委員がそうクラス全員に言い渡すのを聞きながら、俺はどの種目に出場しようか迷っていた。
俺は運動が苦手ではないが、かといって、運動部でもない。足を引っ張りはしないが、それほど戦力になるわけではない微妙な存在だ。
「菅田君はどの種目にするの?」
隣の席から聞き馴染みのある声が聞き慣れない呼び方で俺の耳に届く。横に目を向けると、明るいベージュ色の髪をした結梨と目が合った。
「迷っているところだ。野上は決まっているのか?」
「私は去年と同じでバスケにするわ」
結梨はどこか誇らしげにそう答えた。確かに去年のことを思い返すと、結梨はバスケを選択していた気がする。
バスケ部でもないのに、クラスの女子を率いていた姿が印象に残っている。
「菅田君は去年どの種目をやっていたの?」
「俺もバスケだったな」
特に理由もなくバスケを選んだが、今思えばこれがきっかけで学と仲良くなった気がする。彼もバスケを選択したからだ。
「なるほど。バスケね」
俺の答えに結梨は何故か顎に手を当てて考え込んでいた。何故そんなことをしているのか分からないが、どことなく気になってしまう。
「それなら丁度いいわね」
「え?」
結梨が何やら呟いたが、言っている意味は分からなかった。その姉はやがて顔を上げて、こちらを見た。その瞬間、俺の首筋がヒヤリとした。
「菅田君、バスケにしましょう。その方がとてもいいわ」
とても楽しげな笑顔で結梨は俺に告げた。俺を何かに誘う時の笑顔とそっくりだった。
すなわち、結梨によってまた何かに巻き込まれるということだ。それだけは絶対に避けなければならない。
「いや、去年と同じよりは、別の種目の方が」
「いえ、バスケがいいわ」
「でも、ほら、バレーとかでも」
「バスケがおすすめよ」
「あ、はい」
かつてないほどの圧力を感じながら、俺はクラスメイトである姉に屈した。弟にとって最も恐ろしいのは姉からのプレッシャーである。かつて淳史から聞いた言葉を俺は心から実感した。
***
「それで、どうして、俺がバスケをやらないといけないんだ」
学校からの帰り道、俺は隣で歩く姉に問いただした。あの後、俺は難なくバスケに決まってしまった。
その瞬間、隣の席の結梨が小さくガッツポーズをしたのが見えた。あの圧力といい、結梨が俺にバスケをやって欲しいのが明らかである。
「球技大会の話になった時に思ったのよ」
結梨は髪をかきあげながら、自供を始めた。犯人ながら中々堂に入った仕草である。
「和哉君が私と同じ種目を選んでくれたら、貴方と一緒にいる時間が増えるでしょう?」
「まあ、そうだな」
球技大会当日は他の種目に出場する人たちを応援することもあるが、どちらかといえば、同じ種目に出る人と行動を共にすることが多いだろう。
「そうなれば、私がバスケで活躍して、和哉君から『お姉ちゃん、すごい! かっこいい!』と言われると思ったからよ」
「そういうことか。というか、何か要望が増えてないか?」
真相は結梨のいつもの暴走だった。この姉が日頃から弟(俺)に尊敬されたいと考えていたことは知っていた。だから、腑には落ちた。いや、納得は全くしていないが。
「それだけじゃないわ」
「まだあるのか?」
姉からの補足に俺は戦々恐々する。さらなることに俺は巻き込まれるかもしれないのか。
「私たちが出るのは同じ種目でしょう? それなら、一緒に練習ができるわ。お姉ちゃんが手取り足取り教えてあげる」
「そんなことをして、誰かに見られたらどうなると思っているんだ」
姉モードの結梨が俺にバスケを教えている。そんな場面を学校の誰かが目撃すれば、あっという間に俺たちの関係が校内に広がるだろう。
「せっかく同じ種目で出場するなら、和哉君と一緒に練習したいわ」
「そうはいうけど、俺は学たちと一緒に練習するつもりだぞ」
「え?」
去年と同じように学もまたバスケに出場することになっている。学を含めたクラスメイトたちと昼休みや体育の時間で練習するつもりだ。
「だから、悪いけど、一緒に練習は、って、どうした?」
結梨との練習を断ろうとしたところ、彼女は悔しそうな顔をしていた。
「お姉ちゃんとしては弟の友達を邪魔してはいけないと思っているのだけれど」
「お、おう」
「けれど、それでも悔しいわ。貴方はお姉ちゃんよりも友達を選ぶのね」
「そうは言われてもな」
姉はまるで面倒くさい彼女のようなことを言っていた。
「私だって、田口君に負けないぐらい教えられる自信があるわ」
結梨は拳をぎゅっと握りしめる。その目は熱く燃えているように見える。
「何を張り合っているんだよ」
「こうなったら、田口に決闘を申し込みましょうかしら。どちらが和哉君にバスケを教えるのが相応しいのかをはっきりさせましょう」
「それはやめてくれ! 大事になるだろ!」
クラスの教室で結梨が学に決闘を申し込む場面が頭の中で思い浮かんだ。その後のことは想像すらしたくない。
「それをやるくらいだったら、結梨姉さんにも教えてほしい」
最悪な事態を避けるため、俺は腹を括った。ここで止めておかないと、この姉がどこまでも暴走する恐れがあるからだ。
「ええ、分かったわ!」
「ただし1つ条件がある」
「条件?」
頭を傾げる結梨に俺は「ああ」と頷く。
「なるべく人が集まらないところで練習したい。特に学校の奴らが集まりそうなどころはダメだ。そういう場所があれば練習しよう」
「なるほどね。お姉ちゃんとの2人きりの時間を誰にも邪魔されたくないと」
「語弊がありまくる言い方はやめろ」
俺としてはただ結梨と練習しているところを誰にも見られたくないだけである。
「分かったわ。私が見つけてみせるわ。そういう場所があれば、バスケの練習を一緒にやるのね?」
「まあ、そうだな」
「それなら、お姉ちゃんに任せて。和哉君のために頑張って探してくるわ」
「おい、さも俺が結梨姉さんと練習したいみたいな言い方はやめろ」
「ふふっ、どこにしようかしら?」
俺の言葉は熱意に燃える姉には届かなかった。
***
結梨がドリブルをしながら、ゴールに向かう。彼女がゴールの下に入ると、ボールを手に取って、高く飛んだ。
そして、最高到達点に達すると、ボールを手から放した。ボールは吸い込まれるようにゴールネットに入っていく。見事なレイアップシュートだ。
「どうかしら? お姉ちゃんのお手本をよく見てくれた?」
「ああ、すごいな。バスケ部でエースの活躍ができるんじゃないか」
「ふふっ、私はお姉ちゃんだからね」
俺の言葉に結梨は嬉しそうな笑顔を浮かべた。彼女は普段と違い、髪を後ろで括っている。
「さあ、和哉君もやってみて。コツはさっき説明した通りよ」
「ああ、そうだな」
「そんなに不思議そうな顔をして、どうしたの?」
レイアップシュートを決めた姉からそう聞かれて、俺は周囲を見回す。
俺と結梨がいるのは屋外のバスケットコートだ。硬いコンクリートが敷き詰められ、コートの両端にはバスケットゴールが設置されている。
「よくこんなところを見つけたなと感心しているだけだ」
「お姉ちゃんなら弟の期待に応えるのは当然よ」
そう言って、結梨は胸に手を当てて誇らしそうにしていた。今俺たちがいるバスケットコートは結梨が見つけてくれたものだ。
場所は結梨の家からほど近いところにある公園だ。彼女曰く普段全く人がいない穴場の公園らしい。
約束通り練習する場所を見つけた結梨から連絡を受け取った俺は、日曜日の昼下がりにこの公園に来ていた。
ちなみに、俺も結梨もジャージに着替えている。
「さあ、やってみてちょうだい」
「いいけど、レイアップなんてあんまりやったことがないんだよな」
「それほど難しくはないわ。大事なのはジャンプするタイミングと、ボールを投げるというより優しく置くということよ」
すっかりバスケを教えるモードになった姉は想像以上に色々アドバイスしてくれる。以前料理を習った時にも感じたが、結梨は教えるのが上手だと思う。
「分かった。やってみるよ」
「お姉ちゃんが近くで見ているから安心して」
安心できるか分からないことを言いながら、結梨はコートの外に出ていく。
「よし、行くぞ」
姉から見守られながら、俺はバスケットボールをドリブルしながら、ゴールへと走り出した。
***
「ふう、疲れたな」
「ふふ、お疲れ様ね。はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
結梨からスポーツドリンクを受け取ると、すぐさま口に含んだ。水分と塩分が体に染み渡り、生き返ったような心地になる。
「とても上手にできていたわね」
「結梨姉さんの教え方の方が上手かったぞ。まあ、あんなに色々やるとは思わなかったけど」
レイアップシュートから始まり、ドリブルやパス、シュート練習等がっつりとバスケの練習を行った。一瞬俺はバスケ部員だったのかと錯覚するほどだ。
「こんなに頑張ったから、球技大会は活躍できそうね」
「まあ、せっかく姉さんが教えてくれたからな。頑張ってみるよ」
俺がそう言うと、結梨は満足そうな笑みを浮かべた。
「お姉ちゃんも応援するわ」
「……節度を守った応援の仕方で頼むよ」
「当日は『和哉君、頑張れ!』と書いたうちわを持ってくるわ」
「節度を守ったって言っただろ!?」
この姉が本気を出したら、どんな応援をするだろうか。少なくとも悪目立ちすることには変わりないだろう。
「冗談よ。みんなからバレないように応援するわ」
「本当に頼むよ」
「ええ、任せておいて」
そう言った結梨はとてもやる気に満ちた顔をしていた。そんな姉を見て、俺はとても心配になった。




