35 姉と弟は並び立つ運命のようね
「今から席替えするぞ」
連休明けのホームルームでのことだった。担任の先生が生徒たちに告げた。その途端、教室中が騒がしくなる。
生徒にとって席替えはとても重大なイベントだ。席によっては、授業中の居心地の良さ悪さが天地程の差がある。
また、自分の席の周りに友達がいるかどうかも重要だ。
「和哉とまた近くなればいいな」
そう言ったのは俺の後ろの席にいる学だ。俺は後ろを振り返る。
「そうだといいけど、こればっかりはどうしようもないぞ」
「確かにそうだ」
学は教室の前に視線を向けて、苦笑していた。つられて俺も顔を前に向けると、先生が教卓の上に箱を置いていた。箱の上部には手が入るくらいの穴が空いている。
「出席番号順に前へ来て、1人1枚ずつ取るように。その後は紙に書かれた番号に移動だ」
そう言って、先生は自分の背後にある黒板を手の甲でコンコンと叩く。
黒板にはチョークで書かれた座席表があり、その席1つ1つに番号が振られている。
「神様、どうか沙優と同じ席になりますように」
後ろの席から縋り付くような声が聞こえてくる。きっと両手を合わせているに違いない。
「和哉も祈ってくれないか? 2人分なら何とかなるかもしれない」
「面倒くさいから、嫌だ」
後ろの席に振り返りながらそう答えると、何故かニヤニヤと笑っている学がいた。
「なんだよ?」
「いや、和哉は別のお願いしないといけないと思ってさ」
「別のお願い?」
「ほら、和哉のお姉さんだよ」
後半の小さな声はかろうじて聞き取ることができた。俺に配慮して、声を潜めているのはありがたいが、そこまでして言うことなのだろうか。
「うるさい、揶揄うな」
「でも、せっかくなら隣の席になりたいだろ?」
「そんなことは考えてないぞ」
同じクラスなだけで、バレる危険性があるのだ。隣の席になったら最後、どれだけリスクがあるのか想像もしたくない。
「けれど、険しい壁だぞ。競争率が激しいからな」
「まあ、そうだよな」
2年生になっても、変わらず結梨はクラスの中心人物だ。男女問わず人気があり、席替えで物理的に近づきたいと考える奴らは大勢いそうだ。
「頑張れよ、和哉。負けるな」
「どう頑張れって言うんだ。くじだから、どうしようもないだろ」
「だから、俺のように神様のお願いをしよう」
「そんなことするか」
俺は学からの揶揄いを躱すため、正面を向いた。そして、そっと教室のある方向へ視線を向ける。
視線の先には明るいベージュ色の髪をした女子が近くの友達と話をしていた。彼女は普段よりも大人びた笑顔を浮かべていた。
「次は菅田。前に来てくれ」
「和哉、出番だぞ」
「あっ、はい!」
先生と学の声が聞こえて、反射的に立ち上がる。思ったよりも大きな声が出てしまった。
少し気恥ずかしさを感じながら、教卓へと足を運ぶ。
「この箱から紙を1つだけ取り出してくれ」
「分かりました」
先生の言われた通り、俺は箱の穴に手を突っ込み、小さく折り畳まれた紙片を取った。
「取ったなら席に戻りなさい。まだ開いちゃだめだぞ」
「はい」
俺は席に戻った。学はいやに面白がるような顔をしていた。
「どうだ? 真剣に神様にお願いした?」
「どうだも何もあるか。お願いなんてするわけないだろ」
友達の軽口を適当に受け流すと、学は軽く笑った。
「次は田口だな。前へ来てくれ」
「分かりました」
学は爽やかに返事をし、席から立ち上がる。そして、俺と同じように教卓へと向かった。友達が歩いているのを横目に見ながら、俺は自分が掴んだ紙片をじっと見つめた。
***
まず、始めに言っておくと、本当に俺は神様にお願いしていない。日頃から善行に励んでいないし、そもそも席替えを知ったのは先程だ。何かをする時間などなかった。
「よろしくね、"菅田君"」
だから、これはただの偶然に違いない。俺の日頃の行いと何ら因果関係はない。
そう口で説明したかったが、そんなことはこの教室で言えるわけがない。特に、教室の端の方で仲良く隣同士で生温かい視線を送ってくるバカっプル達に。
「ああ、よろしくな、"野上"」
久しぶりの呼ばれ方に久しぶりの呼び方で俺と結梨は互いに挨拶を交わした。こうすれば、俺たちの関係性を知らない人は単なるクラスメイトとしか思わないだろう。
けれど、数ヶ月前までは普通だったそのやり取りに俺の口と耳は違和感を覚えていた。
担任の先生が教室から去って、生徒たちは授業が始まるまで各々の時間を過ごす。新しい席に一喜一憂する声が教室に響き渡る。
「菅田君、1限の授業は何だったかしら?」
机の引き出しから教科書やノートを取り出していると、隣にいる姉から声をかけられる。横を向くと、普段通りの笑顔を浮かべる結梨がいた。
「数学だ」
「ありがとう。貴方は予習はやってきた?」
「ああ、大丈夫だ」
「そうなのね、良かったわ」
結梨は露骨に残念そうな顔をした。恐らく予習をしていない俺に色々教えて、俺に『お姉ちゃん、すごい』などど言わせたかったのだろう。
思わずツッコミをしそうになってしまうが、ここが教室だと言うことを思い出す。
「かず、いえ、菅田君はシャーペンの芯の替えはある?」
今日は妙に結梨から話しかけられる気がする。どれも当たり障りのない内容だが、頻度が多い。それに姉は子供のように無邪気な笑顔を浮かべている。
あと、今、『和哉君』って言いそうになったな。ヒヤヒヤするぞ。
「持っているけど、それがどうした?」
「おね、いえ、私に1本だけくれない? 今日は家に忘れてきてしまったみたいなの」
「それぐらいいいぞ」
俺はシャー芯入れから1本芯を取り出すと、結梨に手渡した。受け取った隣の席の姉はそのままシャーペンに入れる。
今度は『お姉ちゃん』って言いそうになったぞ。誰かに聞かれているかもしれないと思うと気が気でない。
「かずや、いえ、菅田君、ありがとうね」
「どういたしまして」
おい、メッキがボロボロじゃねえか。とうとう俺の名前を全部口にしたぞ。
幸いにも誰にも聞かれていないようだ。その幸運に神様に感謝を捧げてしまう。どうかこの幸運が続くように心の底から願う。
***
学校からの帰り道、俺は途中にある公園に寄る。公園のベンチには今日席替えで隣の席になった姉がいた。
「よう、待ったか?」
「いいえ、待ってないわ。それじゃあ、帰りましょう」
結梨は遠足を前にした子供のような笑顔を浮かべていた。楽しそうでなによりである。
俺と結梨は公園を出て、駅に向かって歩き出した。恒例の一緒に帰る日だからだ。
「今日は危ない場面が何度もあったぞ。ヒヤヒヤさせるなよ」
「危ないことって何のことかしら?」
結梨は首を傾げて、心底不思議そうな顔をしていた。何を言われているのか分からないといった様子だ。
「自覚なかったのか……。ほら、何度も俺を下の名前で言いそうになったじゃないか」
その度に俺は周りの人に聞かれていないかどうかドキドキした。授業中にあれほど緊張感を覚えたのは初めてのことである。
「ああ、あのことね。しょうがないじゃない。普段の呼び方がそうなのだから」
「そんな誇らしげに言うことか」
クラスメイトである姉は胸に手を当てて、背筋を伸ばしていた。全く反省が見られない。
「でも、まさか本当に隣の席になるとは思わなかったわね。やはり、姉と弟は並び立つ運命のようね。もしかして、貴方が神様にお願いでもした?」
「そんなことしてないぞ」
「それもそうね。席替えでそこまでする人なんているわけないわ」
「お、おう。そうだな」
結梨のキッパリとした言い方に俺は何も言うことができなかった。俺の頭の中では必死に手を合わせている学の姿が思い浮かんでいた。
「何にせよ、これからよろしくね、和哉君」
「ああ、くれぐれも気をつけてくれよ」
「ええ、善処するわ」
そう言って、結梨は楽しそうに笑った。
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