カルヴェス
セラがカルヴェスの劇場へ向けて歩を進めていると、劇場前には長い列ができていた。
劇場の表口を先頭に、街路に沿って大勢の人々が並んでいる。先頭付近からは、首を伸ばしても列の果てを窺うことはできなかった。これだけの人数が並んでいると、いちばん後ろにいる者は並んでも切符を買うことができるかどうか怪しい。それでも諦めきれずに一縷の望みを賭けて並んでいるのだろうか。どうしても切符を手に入れたいと考えているであろう先頭付近の者など、ひょっとしてここで夜明かしをしたのではないかと思えるような装備だった。
列に並ぶ予定がないと、長い列には安心感しか湧いてこない。セラは安堵していた。このぶんだと、シェルフィアの舞姫としての復帰公演は、必ず成功できるだろう。
前座とはいえ、出演者だと気づかれると面倒なことになる。それでセラは劇場が近づいてくると、俯き加減に歩を進めていった。列に並んだ人々の噂話を聞きながら、出演者用の裏口を目指す。
「オーヴェリアの劇場、けっきょく解散が決まったみたいだな」
「当然だろ。下手な奴しかいなくて、金のために舞姫殺したんだ。当たり前だ」
「けど感謝しないとな。そうでないとルアンの振りつけで舞うシェルフィアなんて、絶対に見られなかっただろう」
セラは人々の暇潰しの噂話に平穏なものを感じながら、劇場の横の路地に入っていった。出演者専用の裏口の扉を開けて、劇場のなかに入る。
裏口のなかは狭い空間を隔ててすぐに舞台袖に繋がっていた。舞台袖には色とりどりの衣装や小道具が山と積みあがっている。これからセラが使う予定のあるものもあれば、セラには全く見覚えのない、何に使うのかも分からない道具もあった。他の出演者のものだろう。セラはそれらの衣装や小道具に接触しないよう、気を遣いながら慎重に舞台袖まで歩いていった。
今日の前座はセラが務めることになっている。セラの演技の終了をもって舞台は開演となった。セラの演技は最初でなければ難しいため、最初でないのなら必ず前座をお願いしている。前座とはいえ、最初の演技がつまらなければ観客の興も醒めてしまうから、セラは緊張していた。行列に並んだ観客の期待を、自分が損なってはならない。今日はシェルフィアが舞姫として舞台に復帰する最初の日なのだ。しかもオーヴェリアから移籍してきたルアンの振りつけで舞う最初の日で、同じくオーヴェリアから移籍してきたリセという舞姫がカルヴェスで初舞台を披露する日でもある。何がなんでも成功させねばならない。明日にはこの近くの湖で、同じくオーヴェリアからの移籍者であるサリという舞姫の、氷上舞も開かれるのだ。今日の公演が失敗すれば、その明日の公演にも影響してしまうだろう。
それでセラはいつになく緊張して舞台袖に入った。まだ幕の下りたままの舞台に、慎重に仕掛けとなる道具を運び入れ、調子を確認し、自分の行う奇術の手順を確認する。本番では火を使うのだから、一度だけでも試し演技をして、身体の調子を整えておいたほうがいいかもしれない。仕掛けの不具合がないかどうかも気になる。
――ここで、オーヴェリアの時のようなことはないだろうけど、確認は大事だからな。
セラはそう思いながら試し演技に備えて奇術の準備を始めた。シェルフィアたち舞姫たちも今頃は、もう楽屋で舞の最後の確認でもしているのだろうか。それとも衣装にも着替え終えて、静かに気持ちを整えているのか。
どちらにしても、今日が自分たちにとって待ち望んだ日だ。怠りなく準備をしているのは間違いないだろう。
ならば自分も、とセラは自分で考案した演目の通りに試し演技をしていった。動きながら、自分の所属劇場の舞台で行うことを前提に考案した演目を、この劇場の舞台でも行えるかを吟味していく。問題なく行えそうだった。細部の微調整は必要になりそうだが、それくらいはどこの劇場も同じだ。
セラは満足していた。試し演技にすぎなくても演技をしている自分に、心の底から喜びがあった。
――舞台は、奸智のあるべき場所じゃない。
セラは心からそう思った。
――舞台は徹底して表現者のものだ。商売人の道具になるべき場所じゃない。舞台でなければ表現のできない者たちの、立つべき場所なのだ。




