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 一枚の呪符が激しく燃えて、周囲一帯に暗いモヤを広げた。

 相手を深い眠りへと落とす妖術。

 蔵六が好んで使う定石の戦法だ。


『ふむ。お前にこれは通じぬか』


 この定石は天曽木には通じなかった。

 檜扇の末裔はお札やら数珠やらをびっちりと身につけ、お守りマニアのような風体になっていた。

 見た目こそ滑稽だが、どの道具も蔵六の妖術に抗うだけの力を持っている。


「眠り! 毒! マヒ! 呪縛に弱体! お前が得意とする、ありとあらゆる卑劣な搦手には、ばっちり対抗策を取ってありますからね! 負けを認めるのなら、今のうちです! 怨霊よっ、観念なさい!」


『哀れだな。大人しく睡魔に呑まれていれば、苦しい思いをせずに済んだものを』


 鬼火に包まれた刀を呼び出す。

 天曽木に聞こえぬほどの小声で、蔵六はボソリとつぶやいた。


『……まあ、一人が寝つけばそれで良い。こんな世界、しる必要はないからな』


 妖術への抵抗などまったく備えていないジュンは、深い眠りに落ちていた。


「すかー……。むにゃむにゃ」


 茂みがジュンの体を隠している。

 天曽木は蔵六との戦いに集中しすぎていて、ジュンの気配には気づいていないようだ。


「成敗!」


 闘気をまとった天曽木の錫杖の一撃は、結界によって阻まれる。


 蔵六の結界術は強固だ。

 天曽木の持つ力では、この結界を傷つけることなど、とうてい不可能なのだ。


『檜扇の末裔。正義感を燃やすのは勝手だが、熱気のあまり目が曇っておるようだ。彼我の力の差が、わからないのか』


「……くっ!」


 そもそもが結果のわかり切った勝負だ。

 だが天曽木は果敢に錫杖を構えて、その戦意を失うことはない。


 そんな一方的な戦いが、しばらく続いた。




『いい加減に退け。お前は弱すぎて話にならん』


 自分を消しにきた相手、それも因縁ある檜扇の末裔の小娘に、こんな警告をするとは。

 蟲毒の怨霊もずいぶんと丸くなったものだ。

 以前なら蔵六が不機嫌になったその時点で、天曽木は無惨に殺されていただろう。


『ただ己の霊力を錫杖に乗せて振るうだけか。お前は一族お得意の蟲毒の呪法さえあつかえぬ三流の未熟者と見える。その程度の腕で、単身で俺に挑むとはな。殺されにきたとしか思えんぞ』


「使えないのではなく、使わないのですよ。他者の命を犠牲にして、その魂を道具とする呪法など、私は許しません」


『ご立派なことだ。悪辣なる祖先共も、お前の心意気に泣いて感動していることだろうなぁ』


 蔵六はふと思った。

 この正義感に富んだバカ正直な娘が、もっと早く檜扇一族の元に産まれていたら。

 そうしたら自分にはもっと別の未来があったのかもしれない。

 蟲毒の壺にとじこめられた荒ぶる怨霊ではなく、静かな深山の淵でのどかに息づく水神としての自分を想像する。


『……』 


 檜扇一族の強さは、その禁術にあった。

 呪いをたっぷり染みこませた生きものの霊魂を傀儡のように操るのだ。

 傀儡の術を使わなければ、檜扇の一族といえどもただの人と大差ない。少々霊感が強い傾向にあるが。


 目の前で杖を構えている少女は。

 決意と覚悟をみなぎらせた眼差しをむけている娘は。

 本当はただの人でしかないのではないか。


「私は……、多くの命を傀儡に変えてきた祖先の非道を許せません」


 天曽木の持つ錫杖がリンと鳴る。


「そして、檜扇の禁術で産み出された忌まわしい存在など、認めるわけにはいかないのです。全身全霊をかけ、地の果てまでも追い詰めて、お前の存在を滅します!」


 あらゆる威嚇はおこなった。

 脅しつけ、牽制し、多少の痛い目に合わせてみても、檜扇天曽木の意志は不屈であった。


 らちが明かない膠着状態。


 打開するには、このオカッパ頭を跳ね飛ばすだけで済む。

 体力を消耗した天曽木は隙だらけで、蔵六は刀の一振りでそれを実行できた。


 蔵六は鬼火混じりのため息をつく。


『凡人を殺すのは気が進まん。悪霊退治に明け暮れる暗い青春など見限って、今からでも平穏な日常を生きるが良い』


「ッ! ふざけるな、怨霊!」


 天曽木の瞳が、怒りに染まる。


 凡人。

 蔵六が発したその言葉には、悪意よりも慈心が多く含まれていた。


 だが、そんな心中の機微まで天曽木がしるよしはない。


「そうまで私を侮るのなら……。お望みどおり、檜扇の傀儡の術を使ってみせましょう!」


 天曽木はシュピッとムダに格好良い動作で、片手で持てる大きさの小壺をかかげた。


「他の命を犠牲にすることはできません! よって、術に使うのは……、この私自身の生霊です!」


『はっ!? ……お……、おい? ……本気か?』


「私はいつだって本気ですとも!!」


 壺の中に、天曽木の霊力が急激にそそぎこまれていく。

 もともとは蔵六を再封印するつもりで、用意したものだろう。


 つけ焼刃の無謀な術だった。

 こんな無茶をするなんて、通常なら考えられない。

 そもそも、自分で自分の魂を支配しようという発想がおかしいのだ。ぶっ飛んでいるのだ。


 天曽木の行動のあまりの突拍子のなさに、蔵六の対処が遅れた。


 術者の生命力を吸った小壺は、ふわりと宙に浮き上がった。


「はぁ、はぁ……。や、やったーっ! 成功です! 悪を憎む私の正しい心は、奇跡さえ起こすのです!」


『なんということか……。信じがたい』


「蟲毒の怨霊、サカキの蔵六! 今さら怖気づいても、遅いのですよ!」


『あきれているんだが』




 壺から噴き出たおぼろな影が、形をおびていく。

 完成したのは、天曽木と瓜二つの少女だ。


 檜扇の傀儡の術は対象を使役すると同時に、大幅に強化する。

 術者本人の天曽木よりも、生霊は力を持っていた。強い力を。


『っ!』


 速攻で放たれる黒い一閃をすんでのところでかわす。


「さあ! サカキの蔵六を滅ぼしなさい!」


 指示より先に、攻撃がきた。

 天曽木がそう命じるよりも先に、生霊は蔵六に攻撃をしかけている。


『ずるいですよね』


 天曽木の生霊は、長く伸びた自分の髪を操っていた。

 白と黒の触手がうごめく。


 林から小鳥が飛び立つ。

 生霊の髪がぞわとうごめいたかと思うと、次の瞬間には奇妙な塊が地に落ちる。

 何本もの鋭い髪の針で射抜かれた、鳥の死骸。


 天曽木は自らが作り出した傀儡の所業に目をむいた。


「何を……!?」


『不愉快なんですよね』


 本体を無視し、生霊はまた触手のような髪を伸ばした。

 今度の標的は池の魚たちだった。

 針のように硬質化した髪に体を貫かれて、ぷかり白い腹を見せて水面に浮き上がる死屍累々。


『憎らしいんですよね。……普通に生きている者たちが』


「あなた……。いえ、私は何をいって……。くっ! 悔しいけれど、この術は失敗です。戻りなさい!」


『穢れた邪神でありながら、今さら平穏な日常がほしいだなんて。虫が良い話じゃありませんか。ねえ? ああ……、ヘドが出る。サカキの蔵六。お前だけ、幸せになんてさせるものですか。私は……、檜扇の末裔に産まれた私には……、そんな暮らしは許されなかったのに!』


「戻せない……っ! 術が、制御、できな……い!?」


 生霊の感情が高ぶるにつれて、天曽木本人の霊力がどんどん壺に吸いこまれていく。


『私は産まれ落ちた時から、先祖が犯した罪を背負ってきました。それがどんなに暗澹とした人生だったか……。忌むべき怨霊。お前を。罪を。あやまちを。全てキレイに消し去らないと……、私は普通の人間にはなれないんですよ!!』


 怒りに満ちた絶叫と共に、針と化した髪が四散する。

 手当たり次第に周囲のものを突き刺していく。

 同時に天曽木の体が硬直した。力を失い、どさりと大地に崩れ落ちる。


『分身に自我を喰われたか。自分の術を暴走させ、手に負えぬ事態を招くとは。これだから三流だというのだ』


 とっさに展開した三人分の防御結界を維持しながら、蔵六は苦々しくつぶやいた。

 自分の分。意識をなくした三流術者の分。それから眠りの妖術をかけられて、のんきに寝ている普通の女子高生の分。


『……』


 ジュンを深い眠りに落としたのは、失策だったかもしれない。




 致命傷を避けながら、敵の攻撃を引きつけるという芸当は、思っていたよりもはるかに難しい。

 こんな風に戦うのは初めてだった。


 相手の息の根をとめる。自分の身だけ守る。

 戦う時に意識するのは、この二つで充分だったのだが。


 今は三つに増えていた。大事な者を守る。

 無力になった天曽木の体も勘定に入れれば、四つになる。


 天曽木は慣れない術を使って暴走したが、蔵六もまた不慣れな状況の中で窮地に立たされていた。


 生霊の髪は、千変万化だ。

 刃のように鋭利な、線の斬撃。


『ッ!』


 それを結界で受け流すと、刺突の針に襲われる。点の攻撃は威力が集中しており、結界を貫通しやすい。


『……ぐっ』


 貫かれた蔵六の左腕から、赤い血がしたたることはない。

 代りに黒い霧のようなものが、じわじわと傷口ににじんだ。


 自在にうごめく生霊の髪は、一瞬で平面にもなれば、線にも変わる。

 厄介な相手には違いないが、蟲毒の壺の中を生き抜いた蔵六の勝てない相手ではない。

 従来どおりの自分一人のことだけを考えた戦い方に専念していれば。

 

『……』


 ここではジュンのいる茂みに近すぎる。

 少し移動した方が良いのではないか。

 だが、あまり離れすぎてはいざという時に対処できない。

 そんなことを考えて、蔵六はどんどん焦っていく。


『うわの空ですね』


 黒と白でからみ合った髪が渦を巻きながら突進してくる。


 避けるべきか、刀でいなすべきか、結界で防ぐべきかの一瞬の判断の躊躇。

 大蛇のごとく疾く重く力強い女髪の一撃に、体を弾き飛ばされる。


『注意散漫ですよ。気になるものでもあるんですか?』


 生霊の視線が周囲の林や茂みにむけられる。

 その目がある地点で止まり、邪悪な三日月型に細められた。

 ついに感づかれてしまったらしい。


『おやおや。何かと思えば。昨日会った一般人の娘さんじゃありませんか』


 天曽木の生霊は髪を伸ばし、ジュンの体を自分の足元へと引き寄せた。

 妖術の影響で、ジュンは深い眠りに落ちている。まだ目を覚ます様子はない。

 生霊は、三流の悪党じみた笑みを浮かべる。


『これは良いものを見つけました。さて、どう使いましょう?』


 そういって、錫杖の先でジュンの頭をコツコツ叩く。


『やめておけ。そいつはてんで使えないぞ。凡人以下のバカ女子高生だからな』


 なるべく無関心を装って、蔵六は冷たく吐き捨てる。

 演技は見抜かれてしまっただろうか。

 無防備なジュンの頭がいつ砕かれやしないかと、内心気が気ではない。


『バカとハサミは使いよう、とはよくいうもので』


 この生霊は、天曽木本人の潜在意識や抑えていたエゴの現れだ。

 ひたむきに正義を追う少女が密かに抱えていた、心の闇だ。

 どんな陰惨なことをしでかすか、わからない。




 このままでは負ける。と本能が叫び、計算高い理性もそれに賛同した。

 ちょうど良い、ジュンを囮に利用しろ。とたった一人で生きてきた外道と修羅がほのめかす。

 それでお前はどうしたい? とセーラー服を着た灰髪の少女が尋ねた。




『すまんな、ジュン』


 四つも三つのことに気を取られていれば、自分は負ける。

 意識するのは、自分とそれ以外。ずっとそうやって戦ってきた。




『体を借りるぞ』


 憑依している間ならば、一時的に一体なる。


『お前っ! 小娘の体を……!?』


『ああ。乗っ取った』


 動揺する生霊の不意をつき、術がかけられた小壺をジュンの手を借りてつかむ。


『逃しはせん』


 その手をゆっくりと放す。

 小壺は空中で停止していた。非常に狭く、堅牢な結界に閉じこめられて。


『とらえた』


 壺を用いて、新しく術を施す。

 無の壺、と呼ばれる強固な封印術。

 天曽木の生霊は、これで壺から出られない。中でどれだけ暴れたところで、ムダな抵抗。

 かつて自分がとらえられた経験で、蔵六はこの術にとらわれた者の末路をしっている。一条の光すらささない閉鎖された牢獄で、ゆっくりと魂をすり減らして弱っていくだけだ。


『よもや自分の命を奪った術を、末裔に返すとはな。まことこの世は因果なものよ』


 小壺を片手に、よどんだ池へと視線をむける。


『ふむ。どう始末してくれよう。暗く冷たい水の底に沈めてやろうか』


 意識をなくし、倒れたままの天曽木の体を見た。


『いっそ本体も殺めておこうか。結局長い目で見れば、それが一番後腐れがなく、さっぱりするのだろうから』


 水面に映し出された、ジュンの口を借りてしゃべる己の姿が目に入る。

 とぼけたような気の抜ける顔だ。だが愛嬌がある。

 この顔に、始末だの殺すだのの物騒な言葉は似合わない。


『……やめておこう。過剰防衛は考えものだと釘をさされていたのだった』




「にへへ……。うふふ……。えへへへへ……」


 今、ジュンはとっても良い感じの夢を見ていた。

 大切な者のピンチに駆けつける! 自分の秘められた力が唐突に覚醒! そんで大活躍してハッピーエンド! だいたいそんな内容だ。


「おい」


 おや。これはどうしたことだろう? ジュンに救われて満面の笑みで感謝していた美少女が、急に不機嫌顔になり恫喝してきたではないか!


「起きろ、バカが」


 頬を軽くはたかれたような感触があったが、まだ意識は曖昧だ。


「チッ! ああ、もう……クソッ……! …………ジュン、お願い、起きて」


「!」


 甘く艶やかなささやきにバチリと目を開ければ、そこには灰髪の少女がいた。


「蔵六ちゃーん! ヘイ! 助けにきたよ……ぉお? ここ、どこ? なぜ、森?」


 ジュンが状況を認識するまで、しばらくの時間を要した。


「えーと……」


 認識完了。


「わぁああああーっ!? ダメじゃん! そこで寝るとか! 何してるの、私は! ヘタレか!」


「ん、んん……。ま、まあ、そう自分の失態を責めることはないと思うぞ……。結果が良ければ、それで良いではないか。そうだろう?」


 なぜか気まずそうな調子で、蔵六がそうフォローを入れる。


「うー。……私、邪魔だった?」


「足手まといだったが、とても役に立った」


「結局どっちだし」


 蔵六はしばらく真剣に思案した。


「……人と寄り添うて生きていくとは、こういうことなのだろうな」


 と、一人で納得し始めた。


「?」


 ジュンはポカーンとしている。


「つ、つまりだな……。こう、ともに苦楽をわかちあ……」


「あ、天曽木さんだっ!」


「……」


 ジュンは、地面に倒れ伏している人影に走り寄る。

 後からゆったりした足どりで、蔵六がやってきた。


「死んではいないが、壺にだいぶ生気を奪われたようだ」


「壺ってことは、なんか不思議な術みたいなのを使ったの?」


 蔵六は鷹揚に頷く。


「俺が壺にとらえた天曽木の生霊は、強制的に本体へと戻してある。それでも目覚めないのなら、本人の気力の問題だ」


「細かいことはよくわかんないけど……。それならきっと大丈夫だよ! 天曽木さんは強い人だから!」


「……どうかな」


 蔵六はふいと顔をそむけた。


「げほっ……」


「あ、気づいた! 良かった、気づいたよー!」


「ああ。良かった、良かった。めでたし、めでたし。それでは帰るぞ」


「ええーっ? ちょっとそんなー。天曽木さんを手当てしなきゃさー」


 あからさまに冷たい態度をとる蔵六に、ジュンはちょっとだけ非難めいた眼差しをむけてみる。


 だが、意識を取り戻したばかりの天曽木は、より深くどす黒い敵意に満ちた目で、ジュンと同じ背中を見ていた。

 泥に汚れた手で、天曽木は錫杖をにぎりしめる。


「天曽木さん? 何してんの? 体動かしちゃマズイって。今は休んどきなよ」


「サカキの……蔵六……っ」


 目の奥に怒りをたぎらせ、ふらつきながらも檜扇天曽木は立ち上がった。


「まだ、終わって、ませんよ……」


 闘志は尽きずとも、天曽木の体力はすでに限界をこえている。

 杖と札を構えたままで、膝から崩れ落ちた。


 そばにいたジュンがあわてて天曽木の体を支え、抱きとめる。


「あの怨霊を……この手で消して……私ははじめて、普通の日常を得るんです」


「やめときなって! これ以上無理したら本当に死んじゃうってば!」


「私は、普通に……、なりたいんです……! だから、奴をこの手で……消し去ってやる!」


「このわからずや!」


 ジュンは天曽木の体を力づくで押さえつけた。

 そしてその険しい顔を、血走った目を、真っ直ぐに見つめる。


「普通の人は、そんな目をしたりしない。今の天曽木さん、めちゃくちゃ怖い顔してるよ。悪霊と見間違えちゃうぐらいだ」


 こわばる左手で、天曽木は自分の顔に触れる。


「ふ、ふふっ……。それは、一本取られましたね……。はは……」


 力ない乾いた笑いをこぼし、天曽木は固く目を閉じた。

 やがて意を決したように、にぎりしめていた拳を開き、ぽとりと杖を手放した。


「ふうっ……。う、……うわぁあああんっ! ひっぐ……ぇ。ああああぁあ!」


 そうして檜扇一族の娘は、子供のように大声で泣いた。

 大粒の涙を一つ落とすごとに、彼女が抱えこんでいた思いも溶けていくようだった。




 古代の怨霊と現代の女子高生。

 てんで奇妙な取り合わせの二人は、こうしてまたいつもの日常に戻ってきた。


 自室の机の前で、ジュンは長らく黙っている。


「何を考えている?」


「んー。蔵六ちゃんと天曽木さん。二人があんなにほしがってた平凡な生活ってものを、このままだらだらーっと浪費してても良いものかなー、と」


「ジュン。お前にしては殊勝な態度だ」


「あっ! でもさ、私が全力全開で人生街道を爆走しちゃったら、このキュートな蔵六ちゃんはいなくなっちゃうわけ? それは嫌だなー」


「使われずに余っていたお前の力を俺が束の間借りていたにすぎない。あくまでも実体を作る活力の源がなくなるだけだ。俺の存在自体がこの世から消滅するわけではない。もとよりお前の人生だ。望む道を好きなように進めば良かろう」


 真っ当な意見だ。


「すっげー! とても怨霊がいうこととは思えなーい」


「ただ……。俺がお前に、望みを託しても許されるのなら」


「はいはぁい! なんでしょー? 可愛い蔵六ちゃんのお願いとあらば、どんーなお願いでも叶えてしんぜま……」


 ふざけた言葉はそこで途切れた。

 肩に蔵六の体温と重みを感じた。柔らかくて、温かくて、心地良い。

 しっとりとした髪からは、深い森と清浄な水の香りがするようだ。


「修羅に染まることもなく、狂気に呑まれることもなく。ゆるぎないお前の日常を築いていけ」


「基本的なことっぽいのに、なんか壮大な願いごとだね」


「……もし俺がどちらかに落ちそうな時は、お前が引っぱり上げてくれ」


「なかなか責任重大な役目じゃん。おうよ! その役目、引き受けた!」


 ジュンは、前でゆるく交差された華奢な腕に触れてみた。

 細くしなやかな指が、ジュンの手に優しくからまる。




 蔵六が実体化することは少なくなった。

 あらゆることに手を抜いてきたジュンだったが、最近は身の回りのことに何かと興味を持ちはじめ、余剰な生命力なんてものはない。

 せわしない生活だが、ジュンは楽しそうだ。


 それでも二人の縁が途切れてしまったわけではない。

 霊体のままでも会話をしたり、ジュンを見守ることはできる。

 もはや怨霊というよりも、これではまるで守護霊だ。


 それに、ジュンはくつろぐこと、だらけること、遊ぶことをやめてしまったわけではない。

 休みの日ともなれば、こんなお誘いがかかる。


「ねえねえ、蔵六ちゃーん。今度このお化け屋敷にいこーぜー。すんごく怖いんだってさ!」


『俺がお化け屋敷に? くだらん。学校の友人と連れ立っていけば良いだろう』


「ええー。つれないお言葉。友達じゃなくてさ」


 ジュンはふわふわと漂う霊体の頬の辺りをそっとなでる。


「蔵六ちゃんといっしょが良いんだよ」


『……』


 しばらく口をモゴモゴさせた後、蔵六は観念したかのように灰髪の美少女へと姿を変える。


「これで良いんだろうっ」


「うんうん! 最高ー。はー、可愛いー」


「べ、ベタベタくっつくな」




 お化け屋敷がある遊園地へとむかう道すがら。

 二人はあの娘と出会った。


 アスファルト道路の白い線からちょっとはみ出し道を歩く、いたってシンプルな服装をした少女。

 ショートヘアーにゆるやかなワンピースのシルエット。

 生地は白と黒が織りなすギンガムチェックで、遠目で見れば色が合わさり灰色っぽく見える。


 檜扇天曽木だった。


「あ、これはこれは。いつぞやは、どうもとんだご迷惑をおかけしまして」


 蔵六の姿を見ても、攻撃をしてくるつもりはなさそうだ。

 不意打ちをしてくる様子もない。


「天曽木さん、イメチェンしたねー」


「はい! 普通の人になるべく! とりあえず形から入ってみました! いかがでしょうか」


 着ているものはだいぶ一般的だが、天曽木の生来の身体特徴は変わっていない。

 白と黒とがハッキリとわかれた頭髪。

 目の虹彩だって、左右で色が違っている。


 ジュンが下した判断は。


「あー。わかるー。原宿とかになら普通にいそーな感じかも?」


「おお、ハラジュク! なんて懐の広い街でしょう」


 しらーっとした視線をむける蔵六に、天曽木も気づいたようだ。

 くるりと振り返る。


「サカキの蔵六。そういうわけです。自分の心の安寧を得るために、他者を打ち倒していく生き方は改めます」


 だが、完全に悪霊退治をやめてしまう気はないらしい。


「しかぁし! 悪霊、生霊、魑魅魍魎に人々の平和が脅かされた時! この檜扇天曽木は日本全国どこへでも見参する心意気です!」


「燃えてるねー。ファイトー」


「また心に毒をたらふく貯めこんで、暴走するなよ」


 天曽木は快活に微笑む。


「大丈夫です! これからは背負った定めの贖いとしてではなく、私個人の趣味と実益と生きがいとストレス解消として悪霊退治をしていきますから!」


 そういって、彼女はガッツポーズをしてみせた。




 手を振って、天曽木とわかれる。


「さぁて」


 進むのは見慣れた道。

 このまま真っ直ぐいけば、駅につく。

 ジュンは蔵六の細い手をぎゅっとにぎる。


「そんじゃ二人で、ありふれた、ありのままの、ありがたい日常を堪能するとしましょっか」

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