第32話【名前のない悪意】
スマホを伏せても、眠れるわけではなかった。
部屋の天井を見つめながら、美緒は何度も寝返りを打つ。
下位妻グループ。
璃子。
莉央。
芽衣子。
頭の中で、いろんな名前が回る。
上ルート開通。
あの言葉が、まだ残っていた。
麻衣は冗談のつもりだったのだと思う。
でも、美緒はもう笑えなかった。
第1妻に気にかけられる。
それは、この場所では特別なことなのだ。
美緒は、ベッドの上でスマホを握った。
通知は増えていない。
でも、別のものが頭に残っていた。
古妻ノート。
見ない方が、精神的には楽よ。
芽衣子の言葉を思い出す。
あの時の芽衣子は、少しだけ本気っぽかった。
だからこそ、美緒は気になってしまった。
古妻ノート。
検索欄へ打ち込む。
すぐに、それらしい匿名掲示板が出てきた。
妻コミュニティの中ではない。
外部サイトだった。
黒い背景。広告。雑多なスレッドタイトル。芸能人。政治家。実業家。複数配偶制度を利用している著名人世帯について、好き勝手に噂が流れている。
【最近また増えたらしい】
【第5の子どもどっち似?】
【地方妻って実在するの?】
そういう断片が並んでいる。
美緒は、少しだけ息を止めた。
こんな場所がある。
外の人間が。
あるいは内部の誰かが。
こういう形で妻たちを見ている。
美緒は、画面をスクロールした。
その時だった。
【13番目、居酒屋勤務らしい】
心臓が、どくりと鳴った。
指が止まる。
13番目。
その数字を見た瞬間、美緒は分かってしまった。
自分だ。
誰の13番目かは書かれていない。
天城蓮の名前も出ていない。
そもそも、天城蓮に13人目の妻がいることは公表されていない。
だから普通の人が見れば、意味のない数字だ。
でも、美緒には分かる。
13番目。
それは、自分にしか当てはまらない。
第13配偶者。
佐倉美緒。
美緒は、画面を見つめたまま動けなくなった。
投稿は続いていた。
【名前呼びされたって自分で言ってた】
【第1さんに拾われたらしい】
【下から上がるの早】
呼吸が浅くなる。
誰。
誰が書いたの。
居酒屋勤務。
名前呼び。
第1妻。
全部、自分がどこかで出した情報だった。
でも、それを繋げられる人間は限られている。
下位妻グループ。
説明会。
中位妻。
少なくとも、この制度の内側を知っている人間。
しかも、「13番目」という表現を自然に使う人間。
美緒の背中が冷える。
これを外に書いた人は、自分たちの世界の中にいる。
その感覚が、匿名の悪意より怖かった。
【でも第1さん優しいからな】
【またお気に入り枠じゃない?】
お気に入り。
真帆の声が頭に戻る。
第1さん、またお気に入りを作ったんだ。
美緒は、スマホを握りしめた。
悪口ではない。
むしろ、どこか面白がっているだけ。
でも、その軽さが怖い。
名前は出ていない。
直接責められているわけでもない。
なのに、自分のことだと分かる。
しかも、書いた相手は、自分を知っている。
美緒は、喉の奥が乾くのを感じた。
ここって見てる人多いから。
莉央の言葉が戻る。
見ている。
本当に、見ている。
下位妻グループで送ったこと。
説明会でのやり取り。
第1妻との会話。
全部、誰かが見ていた。
美緒の頭の中で、いくつもの顔が浮かぶ。
麻衣。
千紗。
琴葉。
乃亜。
莉央。
芽衣子。
でも、誰も決定打にならない。
誰でもあり得る。
誰でも違う気がする。
その曖昧さが、余計に怖かった。
美緒は、スマホを閉じた。
胸の奥がざわざわする。
下位妻グループには戻りづらい。
中位妻たちは優しい。
でも、匿名の場所では、自分のことが話題になっている。
しかも、それを書いているのは、きっと内側の人間だ。
美緒は、ベッドの上で膝を抱えた。
誰が書いたのか分からない。
でも、一番最初に浮かんだ顔があった。
乃亜。
美緒は、すぐに首を振った。
違う。
乃亜は優しかった。
最初に話しかけてくれた。
下の方同士、気楽にやろって言ってくれた。
でも。
蓮さんから、お話は聞いています。
あの時、乃亜は聞いていた。
椅子を動かしていた手が、一瞬止まった。
美緒は、目を閉じる。
乃亜を疑いたくない。
そう思いながら、乃亜の顔が最初に浮かんでしまった。




