第50話 天より降る聖剣の雨
「これが……!俺の全力だァァァァァァッ!!」
光輪がさらに回転を加速させる。 咆哮が夜空を裂いた。
声に呼応するように、無数の光剣が一斉に震える。
勇者は、迷いなく聖剣を振り下ろした。
奥義《聖天星雨せいてんせいう》
夜空を埋め尽くしていた無数の聖剣が、天から降る流星群のように、一斉にルシアン目掛けて降下を開始した。
流星群。
一つ一つが軍勢を薙ぎ払うだけの威力を秘めた聖なる刃。
降り注ぐ光刃は止まらない。
一撃ごとに大地を抉り、爆ぜるたびに石畳を吹き飛ばし、白銀の嵐となって地上を蹂躙していく。
ルシアン・ヴァルグレイの瞳に焦りはなかった。
その端正な表情にも、一片の恐怖すら浮かばない。
まるで、眼前に広がる終末の光景さえ『解析対象』に過ぎないと言わんばかりだった。
しかし、その脳内では生死を分ける演算が高速で繰り返されていた。
(……これは、さすがに洒落にならんな。
回避だけでは間に合わない。
一閃・予断から派生して四閃・静断、八閃・天理を繋げても足りない。
虚式流奥義《十閃・終理》を解放しても突破率は低い……ならば演算だ。
《紅蓮未来演算》で数秒先の戦場を予測し、生存経路を確保、《紅蓮演算剣》で導き出した解を剣へ即座に反映する。そして解析が完了した瞬間、《紅蓮絶対解》で唯一の正解を導き出すしかない)
解析された最適解が、即座に細剣へ反映される。
ルシアンは細剣を一閃。
白銀の光刃が次々と弾かれ、軌道を逸らされる。
轟音が連続する。
巨大な衝撃波が訓練場を駆け抜けた。
やがて、光が消えた。
無数の光刃はすべて砕け散り、《聖天星雨》は完全に防がれていた。
静寂が戻る。
先ほどまで訓練場を埋め尽くしていた轟音も、衝撃波も、白銀の閃光も消えている。
残されたのは、無数の亀裂が走った石床と、崩れかけた石壁。
そして、その場に立つ二人だけだった。
「……」
アレンは動かなかった。いや、動けなかった。
「そんな……」
握り締めた聖剣が、わずかに震えている。
《聖天星雨》
自分が持つ最大級の奥義。
防がれた。
「俺の……奥義が……」
アレンが数歩後ずさる。
ルシアンはただ、静かにアレンを見つめている。
(……さて、ここで勇者アレン・ヴァルデンを亡き者にするメリットは何だ。
最大の利点は、勇者という不確定要素を排除できること。
物語の強制力によって、今後さらに強くなる可能性すらある。
ならば、今ここで芽を摘んでしまえばいい。
勇者がいなくなれば、王国の戦力は大きく低下する)
しかし。
(デメリットは……大きい)
ルシアンの視線が、アレンの聖剣へ向く。
(勇者は王国にとって象徴だ。
民衆にとって希望そのものでもある。その死は単なる一個人の死亡では済まない)
政治的混乱。
王家との関係悪化。
聖女エリアスへの影響。
勇者パーティの反発。
そして。
(私自身が、勇者殺しの公爵として扱われる可能性)
そこまで考えて。
ルシアンは一度、瞳を閉じた。
(……本当に、殺すのが最善か?)
ルシアンは、アレンの背後にある未来を思い浮かべる。
原作で描かれていた戦い。
アレンが仲間たちと乗り越えるはずだった試練。
魔王軍の侵攻。
王国を蝕む陰謀。
ルシアンが知っている情報だ。
これまでなら、その知識を利用して先回りできた。
原作アニメで描かれた展開を思い出せば、危険を避け、敵の策を潰し、必要な人物を救うこともできた。
だが。
(アレンを殺せば、その瞬間から……原作の情報は、ほとんど役に立たなくなる。
主人公が消えたことで、物語の流れは大きく変わる。
原作でアレンが選んだ選択によって成立していた未来は、すべて崩れる。
アレンが生きているからこそ、私は先の展開を予測できる。
彼が誰を救い、誰と戦い、どの場面で何を選ぶのか。それを基準に、未来を組み立てられる)
しかし、彼を殺せば。
(原作アニメの知識を元に、先回りすることができなくなる。
アレンの存在を前提に動いていた仲間たちは、予測不能な行動を取る。
敵もまた、勇者の死を知れば計画を変える)
まだ原作で描かれていない部分など、ルシアンには知りようがない。
主人公を失った世界が、どこへ向かうのか。
その答えを記した情報は、どこにも存在しない。
つまり、アレンを殺すということは……私が唯一持っている未来への地図を、自分から焼き捨てるということだ。
ルシアンの指が、細剣の柄の上で止まった。
(……大きい)
先ほど考えた政治的な損失など、まだ計算できる範囲だった。
王家との関係も。
民衆の反発も。
勇者パーティとの衝突も。
時間をかければ、対策を立てられる。
原作という未来予測の基盤を失うことだけは違う。
ルシアンがこの世界で生き残るために握っていた、唯一の絶対的な情報。
だからこそ。
本来ならば、ここでアレンを殺すという選択肢は取らない。
勇者アレン・ヴァルデン。
彼をここで消せば、そのすべてが崩れる。
(……殺すべきではない)
ルシアンはそう結論づけた。
ふと、別の顔が脳裏をよぎった。
長い黒髪。
冷静な眼差し。
軍服を纏い、誰よりも凛々しく戦場に立つ姿。
准将。
エレナ・フォン・ローゼン。
(……エレナ)
その名を思い浮かべた瞬間。
ルシアンの思考が、ほんの僅かに乱れた。
現世で何度も見返したアニメ。
その中で、彼女はルシアンに仕えていた。
忠誠を誓い。
命令を受け。
幾度となく彼の隣で戦っていた。
物語が進むにつれて、エレナは勇者アレンへ惹かれていく。
そして最終的には――。
(……私を裏切る)
その事実を思い出す。
ルシアンの灰色の瞳が、僅かに細くなった。
(…………)
理性が告げている。
アレンを殺すな。
原作の流れを維持しろ。
未来予測の基盤を失うな。
勇者を消せば、この世界の未来が大きく変わる。
それは危険だ、極めて危険な選択だ。
理解している、すべて理解している。
それでも、ルシアンの手が、細剣の柄を強く握り、胸の奥から理性とは別の感情が湧き上がり、灰色の瞳が、正面からアレンを捉える。
「勇者アレン・ヴァルデン。
お前には、ここで退場してもらおう」
ルシアン・ヴァルグレイは、静かに細剣を持ち上げた。
月光を受けた細剣が、ゆっくりと振り上げられる。
彼の意識は、完全にアレンだけへと向いていた。
――この男を、ここで消す。
だから。
気づかなかった。
背後から迫る巨大な気配に。
「おい……隙だらけだな。それで……いいのか?」
「……!」
ルシアンが振り向く。
「――なら、遠慮なくいくぜ」
ガイア・ブライトハンドが大剣を振り上げられた。
奥義《断界轟天》
ルシアンの灰色の瞳に、迫り来る巨大な斬撃が映る。
「……ッ!」
細剣を構える。
だが――。
《断界轟天》は、すでに目の前まで迫っていた。




