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1-β 唄を忘れたカナリヤは(3/3)

 鍋だ。どう見ても鍋――なんで鍋?


 そういえば、いつのことだったか、私は家にある手頃な鍋を焦がしてしまったのだった。たまに家まで来ておかずを作り置いてくれている姉は、そのことをよくぼやいていた――ような気がする。いつものことだと思って、私は軽く流していたけれども。


 両親があまり家にいなかったこともあって、かつては家事のほとんどを姉が一手に引き受けていた。それに比べて私がしてきたことは、せいぜいが子どものお手伝いといったところだ。出来のいい姉に比べると、私は明らかにダメな妹だった。


 そもそも、私たち姉妹は単純に仲が悪い。というより、姉は私のことを一方的に目の敵にしていた。


 理由はよくわからない。何が気に食わないのか知らないが、姉は昔から何かにつけて私の失敗をあげつらった。そのうえ、何をするにしてもいちいち余計な口出しをしてくる。それが嫌で何もしないでいると、それはそれで私のことを責め立てるのだからたまらない。


 いつからか、私は姉の顔色をうかがいながら日々を過ごすようになっていた。そうなると、主体性も何もあったものではなく、結果的にぐうたらな妹にならざるを得なくなったというわけだ。


 姉が結婚して家を出ると知ったときには、さすがに私も焦りはした。しかし、いなければいないでどうにかなるもので――というより、私は今でも、たまに帰って来てくれる姉に甘えているのだと思う。


 こうなると、姉の中にある、甘やかされたどうしようもない妹、という評価は、どうしたってくつがえることはないのだろう。姉は姉で、たとえ私のことを嫌いはしても、家を荒れるに任せておけるような性格ではない。そうした事情もあり、私たちは決して仲のよい姉妹ではなかったけれども、お互いに牽制しつつも共存しているのだった。


 姉の意図を汲むなら、この鍋は私への誕生日プレゼントではなく、この家への寄贈品といったところだろう。もちろん姉自身が使うための。この鍋を使って作られた料理が私の口に入るのだとすれば、私には何も言うことはない。


 これ以上、鍋とにらみ合っていても仕方がないので、さっさと台所に片づけようと私がそれを手に取った、そのとき――外箱に白い封筒が貼りつけてあることに気づいて、私はひとまず動きを止めた。


 手紙だろうか。外側には何も書かれていない。封筒を剥がして中を確かめてみると、そこには図書カードが一枚入れられていた。


 さすがに姉にも人の心があったのだろうか、と思うより先に、姉の夫――つまり義兄の顔が目に浮かぶ。気の強い姉とは対照的な、やさしく温和な男性だった。


 おそらくは、私のことを哀れに思い密かに用意してくれたのだろう。その気苦労を思って、私は涙を禁じ得なかった。


 よく見ると、封筒の中にはもう一枚、かわいらしい星のイラストが描かれたカードが同封されている。


 しかし、私にはそこに何が書かれているのかを判別することはできなかった。それ以前に、どちらを上にして見るのかすらわからない。


 しばらく四苦八苦した末に、私はそれを理解することを諦めた。これはおそらく、姉の娘であり、三歳になる私の姪からのメッセージだろう。その気持ちだけ、素直に受け取っておくことにする。


 字だか絵だかわからないそれをながめているうちに、私はふと、自分が三歳の頃はどんな子供だったのだろう、と思い返していた。


 十五年の時を生きてきたからには、当然、自分にも三歳の頃があったはずだ。しかし、私にはその記憶がない。十五年の時を生きてきたはずなのに――



 それは、私が五歳の誕生日を迎えた次の日のことだった。神社の境内で遊んでいた私は、あやまって崖から落ちてしまったらしい。


 らしい、という表現なのは、単にそのことを覚えていないから、というわけではない。私はそのとき、自分や家族の名前も含めて、それまでの記憶をすべて失ってしまったからだ。


 幸いなことに怪我の方は大したこともなく、病院で行われた検査でも特に異常は見つからなかった。記憶についても、そのうち思い出すでしょう、などと少々無責任なことを医者から言われながらも、私は早々に家へと帰されている。


 それ以前のことは全く覚えていない私だが、初めて――少なくとも私の認識ではそう表現して差し支えないと思うのだが――自分の家に足を踏み入れたときのことは、確かな記憶として残っていた。


 とはいえ、そのときの真っ白な私にとっては、知らない場所で知らない人たちに囲まれていた、というくらいの認識でしかなく、思い返してみたところで、よみがえってくるのは困惑の感情ばかり。新しく与えられたあらゆる情報を処理しきれずに、ただ呆然としていたことだけを覚えている。


 家族の方はというと、その頃はまだ医者の言うとおり記憶もそのうち戻るのだろう、とそこまで深刻には考えていなかったようだ。しかし、それは甘い考えだった。しばらくは能天気に日々を過ごしていたのだが、いつまで経っても記憶が戻る気配はなく、家族は徐々に焦りを覚え始めたらしい。


 いつからか、私は思い出の場所とやらに連れ回されるようになっていた。近所の公園。通っていた保育園。ちょっと遠方にある祖母の家。何度も遊びに行った遊園地。ときには、あの神社にも――


 休みのたびにあちこち連れ出されては、親に手を引かれながら、あのときはこうだった、ああだった、と私の中にはない思い出を熱心に話して聞かされた。何がきっかけで記憶を取り戻すかわからないから、ということらしいが、私にとって、それらはどこもかしこも見知らぬ土地でしかなく、語られるのも私の知らない少女の物語でしかない。


 しかも、その少女の影がちらつくせいで、どこに行くにしても、何をしていても、私は楽しめたためしなどなかった。


 今にして思えば両親の思惑は理解できるし、その行動をありがたく思わないでもない。しかし、当時の私にしてみれば、それはありがた迷惑でしかなく――思い出話をされるたびに、何だか責められているような気がして、幼心にも徐々にいたたまれなくなっていった。


 家族が私の中に見ていたのは、私の知らない少女だ。それでいて、私はどこにもいないような気がした。


 そうして考えてみると、あの頃の無力感が、今の私の原点でもあるのだろうと思う。


 私はいつしか、家族が語る思い出話から私という人物像を拾い上げて生きていくようになっていた。とはいえ、そんなことがうまくいくはずもなく、そうしてできあがったのは、不和をさけ、周囲の顔をうかがうような主体性のない人間だ。そう思うと、姉が私のことを嫌う理由も何となくわかる気がする。


 私とて、記憶を取り戻せるものならそうしたい。たとえ今の自分がいなくなってしまったとしても。そして、皆の望む者になりたかった。


 しかし、どんなに強く望んだとしても、その願いはかなわない。


 そのうち、母の病が明らかになったことで、家族は私だけにかまっているわけにもいかなくなる。


 私に対する違和感は後回しになり、記憶喪失という課題は残されたまま、私は私となっていった。当然、記憶が戻るということもなく、私はあのときより前の記憶を持たないままに、今へと至っている。


 私が記憶を失ったという事実は始めからなかったかのように忘れ去られ、失われた年月は新しく過ごした日々で上書きされていった。


 それでいい、と私は思う。


 失くしてしまったものを、いつまでも私の中に求められ続けるのはつらい。家族だって、あるはずのものが、いつまでも見いだせないのはつらいだろう。


 ただ、このできごとは私の中の深いところに、ずっとわだかまりとして残り続けていた。


 今でも、私は周囲の顔色をうかがうことで何かを判断することが多い。そうしていないと、どうにも不安になってくるからだ。


 時が過ぎて、記憶を失った直後のことすら忘れようとしている今であっても、ちょっとしたことで顔を出す少女の影に、私はずっと怯えていた。


 ふと、頭の中で声がする。


 お誕生日おめでとう。


 おめでとう? ありがとう。


 自問自答のような意味のないやりとり。何となく実感が湧かなくて、その言葉をくり返してみたけれども、その声は、けれども、本当のあなたはまだ十五年も生きていないでしょう? と笑っているように聞こえた。

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