2-α 安楽椅子の哲学者(1/3)
昨日が私の誕生日だから、今日はあなたの誕生日。本当のところはわからないけれども、誕生日はないよりあった方がいい、と私は思うから、そういうことにしようと思う。
とはいえ、一年に一度だけ訪れる特別な日も、過ぎてしまえば案外あっさりとしているものだ。そこから先はもう、いつもと変わらない日々が続いていく。
学校の昼休み。教室に並んでいる机をいくつか寄せ合って、それぞれのお弁当を囲みながら、あなたは友人たちと顔を合わせている。どうやら次の休日の予定について、遊びに行く先を話し合っているらしい。
「だからあ。やっぱり見るなら今話題のやつの方がいいよお」
ちょっと語尾が間延びしたような話し方をしているのは、どこかふわふわとした少女。名を菅原憂と言う。
「あんたがよくても、あたし、恋愛ものはダメだって。すぐ寝ちゃうもの」
そう言ったのは眼鏡をかけていて、どことなく固い印象を受ける少女。彼女の名は平賀千代。
外見からしても、その主張するところからしても、見事に対照的なふたりだ。だからというわけではないが、こうして意見が分かれるのはいつものことだった。
提案が受け入れられなかったことにふてくされたのか、菅原憂はくせっ毛のある髪をいじりながらこう返す。
「それでいいじゃない。ひらっちょは。ぐっすり眠れるよ?」
ひらっちょ、というのは眼鏡の少女のあだ名だった。真面目を絵に描いたような少女に、ずいぶんとぼけた呼び名がつけられたものだ。とはいえ、少女というものは、時によくわからないセンスを発揮するものだろう。
菅原憂の言葉をはいはいと受け流しつつも、平賀千代はあなたの方へと話を振る。
「理子、あんたはどうなの?」
机の上に広げられた雑誌に目を落とし、考えるふりをしているけれども、あなたの答えはおそらく決まっている。
「どれでもいいよ、二人が見たいもので」
平賀千代はため息をついてから、呆れたようにこう言った。
「あんたいつもそれよね。決まらないじゃない」
対照的なふたりに挟まれて、あなたはいつもどっちつかず――いや、友人たちとのやりとりに限らずとも、あなたは常にそうかもしれない。あなたはどうも、何をするにも他人の目を気にしてしまうようなところがあるようだ。
とはいえ、この教室の中には、同じような制服を着た同じような年の学生たちが、同じような机の前に座って同じような日々を送っている。誰も彼もがこの学校という囲いの中で、学生たれと望まれたとおりにそうであるのなら、あなたが誰かの望みどおりであろうとすることと、どれほどの違いがあるというのだろう。
周囲に合わせて生きるというと、主体性がないことのようにも思えるけれども、結局のところ、皆何かしら、こうあれという期待に添って生きているのだから。
ともあれ、そんなあなたの受け身な性格には友人たちも慣れたものなのか、それ以上強いて答えを求めるようなこともない。そうして、特に意見するわけでもなく、提案するわけでもなく、休日の予定がどうなるのかの成り行きを、あなたは静かに見守っている。
映画なら、この前にテレビのCMか何かでちらりと見かけた中で、少し気になっているものが私にはあったのだけれど――こういうときに関わり合いになれないことを、私は少しだけ寂しく思う。
ぱらぱらと雑誌のページをめくっていた平賀千代は、ふいにとある映画の見開き特集ページを指差した。
「あたしはこっちの方が気になるんだけど。評判もいいし」
そこにある映画のタイトルは、私も何度か耳にしていたものだった。紙面にはでかでかと大げさな宣伝文句が踊っている。少なくとも、先ほど話題になった映画よりはおもしろそうだ。
しかし、菅原憂は乗り気ではないらしく、あからさまに口を尖らせている。
「どうかなあ。ひらっちょが見たい映画って、難しそうだし」
「何よそれ。ただのミステリーじゃない。エンタメよ。エンタメ。これでも妥協してあげてるんだから。こっち推すよりは、ましでしょう?」
そう言って平賀千代が指し示したのは、いかにもマイナーな外国の歴史映画だった。雑誌の片隅に、タイトルと簡単なあらすじがかろうじて掲載されている程度で、どうしてこの映画に彼女が惹かれているのか、私にはよくわからない。
菅原憂にもわからなかったようだ。
「え……ひらっちょは、これ、見たいの?」
「だからミステリーの方でいいって言ってるじゃない。ほら。あんたが前に、好きだって言ってた俳優も出てるみたいだし」
雑誌の紙面にある出演者リストには、確かに人気俳優の名がいくつか並んでいる。しかし、どれが菅原憂の好きな俳優なのかは、私にはわからなかった。彼女の主張はころころとよく変わるからだ。
ともかく、菅原憂はそれを見て考えをあらためたらしい。まあいいかあ、などと呟いて、ころっと態度を変えてしまった。平賀千代が肩をすくめて目配せすると、黙っていたあなたも苦笑いを浮かべながらうなずき返す。
「いいよ。じゃあ、それで」
こうして、少女たちの予定は決定した。
あなたの視線がふと、広げられた雑誌の片隅に吸い込まれていく。そこにあるのは宇宙を題材にしたドキュメンタリー映画の紹介記事で、小さくはあるがきれいな星空の写真が添えられていた。
見たいのかな? 見たいなら、見たい、って言えばいいのに。まあ、このメンバーでは、ちょっと難しいかもしれないけれど。
休日の朝。
待ち合わせの時間に遅れないように、あなたは早めに家を出た。左の手首には、誕生日プレゼントである腕時計を身につけて。
住宅街を抜けて大通りまで出ると、人や車の往来は多くなる。ここから待ち合わせ場所である駅までは、およそ十分。特に何があるわけでもない、いつも通る道のりだ。しかし――
あなたはふと、横断歩道の一歩手前で立ち止まった。信号の色は青。それなのに、あなたは呆然としたまま、歩き出す気配もない。何かあったのだろうか。
こんなとき、あなたの考えが読めればいいのに、と思う。あるいは、私の考えをあなたに伝えることができたなら。
幸か不幸か、そんなことができたことは一度だってなかったけれども。
同じものを見て、同じものを聞いていても、他人の心なんて、やはりわからないものだ。しかし、だとすれば、人というものはどうやって他人を理解しているのだろうか。
ともあれ。
――行かないの?
私は思わず、あなたにそう問いかけた。心の中で、だったけれど。
しかし、あなたは急にはっとした表情になると、なぜか周囲をきょろきょろと見回し始めた。届くはずがないと思っていたその声が、あたかも聞こえたかのように。
そのときちょうど、立ち止まっているあなたの横を、小さな男の子を連れた女性が通り過ぎて行った。そのことに気づいたあなたは、戸惑ったようにそのふたりの姿を目で追っていく。すると――
どこか遠くから近づいて来るのは、唸るような大きな音。それは甲高い音を交えながら、目の前の横断歩道を目指してものすごい速さでやって来る。
――危ない。
私がそう言い終わらないうちにも、突如として現れた乗用車は、道の向こう側にある電柱へとぶつかった。耳をつんざくほどの大きな音を立てて、車はその場で停止する。
幸いなことに、事故に巻き込まれた人はいないようだ。しばしの静寂の後、小さな男の子は火がついたように大声で泣き始めた。周囲からも、徐々に人が集まってくる。
目の前で起こったできごとに唖然としていたあなたは、急に力が抜けたかのように、その場で地面にへたり込んだ。




