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樹上の蜥蜴座(ラケルタ)  作者: 速水涙子


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10-α 自由の刑に処せられて(1/3)

 夕食の出来は上々だったようだ。


 そうして和やかに流れていたひとときの中で、姉はあなたに向かって、唐突にこんなことをたずねた。


「高校に入ったら、あんた何するの?」


 思いがけない問いかけに、あなたは驚きのあまり何も答えられずにいる。真っ先に乗っかかったのは義兄だ。


「部活とかいいんじゃないかな。理子ちゃんは、どういったことに興味があるんだい?」


 あなたはしばし考え込んだ後、恐る恐るこう答えた。


「星、とかかな」


「じゃあ天文部だな」


 父はうれしそうにそう言ったが、となりでは姉が顔をしかめている。


「そんな部、あの学校にあったかしら……」


 そもそも受験はこれからで、まだ進学が決まったわけでもない。少し気が早い気もするが――とはいえ、そんなことをたずねたからには、姉にも何かしら思うところがあるのだろう。


 思えば、姉が高校生のときには、母のことも家のことも、多くを姉に任せっきりだった。姉が高校生活を自由に楽しむことは、難しかったのかもしれない。


 もう一人自分がいたら、という姉のひそかな願い。あなたにかかっている期待は、思いのほか大きいのではないだろうか。


「なければ、作ればいいんだよ」


 義兄は無責任にそんなことまで言い出したが、そう簡単なことではないだろう。あなたは困ったような表情を浮かべている。


 とはいえ、私の方は、それもいいかもしれない、とも思っていた。それはそれで、なかなかどうして、おもしろそうな未来ではないか。


 夕食が終わると、小瑠璃が眠そうにしていたので、姉一家は早々に引き上げていった。


 後片づけをしていると、一緒に食器を洗ってくれた父が、おいしかったよ、と声をかけてくれる。あなたは父の顔を見返すと、意を決したようにこう告げた。


「あのね、お父さん。私、嘘をついていたの。それで、本当のこと、お母さんに最後まで言えなくて……」


 父は驚いたように目を見開いたが、こわばったあなたの顔を見ると、すぐにやさしげな笑みを浮かべた。


「大丈夫。お母さんはわかっていたさ」


「そうかな」


 不安そうなあなたに、父はすぐさまこう返す。


「きっとそうだよ」


 根拠のない言葉だと断じてしまえばそれまでかもしれない。しかし、父がそう言うのなら、もしかしたらそうかもしれない、という気もしてくる。


 あなたの言う嘘についてはたずねもせずに、父はこうくり返した。


「きっと全部わかっていて、理子の言うことをちゃんと許してくれたよ」


「そうかな」


 父がゆっくりとうなずくと、あなたの表情はふっとゆるんだ。


「そうだといいな」


 後片づけを終える頃には夜も深まり、家の外はすっかり暗くなっていた。あなたは自室でひとり、窓から空を見上げている。


 今日は晴れていたが、ここからでは星はあまり見えない。ただ、ぼんやりと浮かぶ月の光が、辺りをやさしく照らしていた。


「どうだった? 肉じゃが」


 あなたがそう問いかけるので、私は机の上に置かれた鉱石ラジオを通して、こう答えた。


 ――まあまあかな。


 それを聞いたあなたは、苦笑いを浮かべている。


「ところで、どうして肉じゃがだったの?」


 今夜の夕食が肉じゃがに決まったのは、私がリクエストしていたからだ。あなたが料理に挑戦するというので、普段からよく食べているものから選んだのだが……


 ――だって私、お姉ちゃんが作る肉じゃが大好きだから。


 私がそう答えると、あなたは笑いながらうなずいた。


「私も」










「ほら、やっぱり眠いんでしょう? 小瑠璃にはまだ早いわよ。今からでも、おうちに帰って寝ましょ」


「やだ!」


 ぐりぐりと眠たそうに目をこすっている小瑠璃を、姉がやさしく説得している。姪は姪で、何度も首を横に振っては、かたくなにそれを拒絶していた。


 季節は冬。夜も深まれば凍えるような寒さで、そうでなくとも小さな子どもが起きているのはつらい時間だろう。


 何枚も重ね着をした上で、帽子に手袋に耳当てにマフラーにと、重装備に身を包んだ姪は、覚束ない足取りで歩き出した。義兄になだめられた姉は、仕方なく連れ帰ることを諦めると、今度は転ばないよう手をつないで小瑠璃に寄り添っている。


 そのとき、誰かがくしゃみをした。


「お父さん! だから言ったじゃない。もっと暖かくしないとダメだって」


 姉に怒られた父は縮こまるように肩をすくめると、取り出したカイロでごまかすように暖をとっている。小瑠璃はそんな父にかけ寄ると、自分のマフラーを差し出した。


「おじいちゃんあげる」


「いやいや。大丈夫だよ。小瑠璃ちゃん」


 そう言って、父は小瑠璃にマフラーを巻き直した。


 ほほえましく思いながらも、あなたは姉の元へと近寄って行く。それから、顔をしかめている姉に向かって、小声でそっとささやいた。


「お姉ちゃんも。あんまり大きな声出すと、近所迷惑だよ」


 はっとした表情になった姉は、気まずそうに口を閉じている。


 家族で連れ立って向かう先は、郊外の高台にある公園だ。何かの施設があるわけでもなく、夜になるとよりいっそう暗くなるような場所だが、それが逆に天体観測にはうってつけだった。


 懐中電灯で足元を照らしながらの道行き。特別な道具は何もない。ただ純粋にこの目で星を見るだけの、本当に簡単な観測会だった。


 小瑠璃がふらふらと危なっかしいので、見かねた義兄が抱き上げている。小さな姪はあなたと目が合うと、にんまりと笑みを浮かべた。


「ながれぼし、みられる?」


「どうかな。今年はちょっと条件が悪いかも」


 そんなあなたの返答は、姉によって、今日はお星さまも眠たいんだって、みたいな感じに訳された。親子の会話に耳を傾けながらも、あなたは広い夜空に白い息をはいている。


 空はよく晴れていて、雲ひとつ見えない。ただし、月が出ていることもあり、星を見るにはあまりいい日とは言えなかった。


 それでも、今日ここに来た理由は流星群が見たかったからだ。十二月に見ることができる、ふたご座流星群を。


 この日に向けて、あなたはひとりでいろいろ準備をしていたのだが、それが小瑠璃に見つかって、やがては姉夫婦が一緒について来ることになり、いつの間にか父まで参加することになった。こんな風に家族総出で天体観測なんて初めてのことだったから、私は何だかおかしくて仕方がない。


 一行はやがて、高台の開けた場所へと到着した。公園と言っても木製のベンチと小さな四阿(あずまや)、あとは頼りない街灯がいくつかあるだけの何もない場所だ。


 ただ、ここからは東の空がよく見えた。眼下には雑木林が広がっているので、街明かりも少ない。


 方角を確認して、あなたがひとり空を見上げていると、背後から不満そうな声が上がった。


「ちょっと、何か説明してよ」


 振り返った先には、家族からの期待のまなざしが並んでいる。急なリクエストに困ったような表情を浮かべながら、それでもあなたはうなずいた。


「えーと。じゃあ、わかりやすい星座から……」


 あなたはこほんと咳払いをしてから、上空の星を指差し話し始める。


 きれいに横に並んだ三つの星。それを中心にして取り囲むように輝く四つの星――これは、左上にある一等星の赤い星のベテルギウスから、時計回りに二等星、一等星の青い星のリゲル、そしてもうひとつの二等星、と交互に並んでいる。それから、それらの上にかすかに煌めく小さな星たち。


 これらはすべて、ひとつの星座――オリオン座を形成する星たちだ。特徴的な三つの星のおかげで、何気なく夜空を見ているだけでも見つけやすい。


 そのオリオン座の左上にあるベテルギウスから右へ視線を動かすと、白く輝く星プロキオンが見つかる。その二つの星を結んだ中間地点の下で、ひときわ明るく輝いている星がシリウスだ。この三つを結んで冬の大三角となる。


 三角形のちょうど上、プロキオンの上の方に並んだ二つの星。一等星のポルックスと二等星のカストル、これらを頭に見立てて寄り添うように輝く星たちがある。これが、ふたご座。


 ギリシャ神話で語られるこの星座にまつわる物語は、人間の子供である兄と神さまの血を引く不死身の弟のお話だ。仲睦まじい双子だったが、兄はあるとき矢を受けて死んでしまう。不死身であったために生き残ってしまった弟は、これを悲しみ、神さまに死なせて欲しいと願う。神さまはこの兄弟愛に深く感心し、ふたりをそろって天に上げて星座となった。


 それがふたご座の物語。


 全天で一番明るい星シリウスが八光年、ふたご座の一等星ポルックスで三十五光年、オリオン座の足元に輝く星リゲルなんて五百光年の彼方にある。


 これらの星がつながれて、こうして物語を紡いでいるのは、今私たちがこの地球という星の上で見ているからこそ。


 生きているうちは決してたどり着けないほどの彼方からの光。それらの星をひとつひとつ拾いながら、その物語を追っていると、宇宙に自分の意識が広がっていくような気がした。けれども、立ち返ってみれば、そこにはいつだって、それを見ている私という存在がある。


 静かに星をながめながら、私は夏から今までにあったことを思い返していた。

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