5-β 閑古鳥のヒナ(2/3)
待ち合わせに指定されたのは小さな喫茶店だった。
看板が出ているから営業はしているのだろうけれども、いざ入ろうとするとためらってしまうような、そんな目立たない店だ。中学生には少し場違いな気もするが、ここならクラスメイトに見られる可能性は低いだろうから、そういう点では安心かもしれない。
私は恐る恐る店の扉に手をかけた。
開かれた店内は薄暗く、流れている音楽はゆったりとして穏やかだ。外観がそうであるように、内装やそこにある調度品もずいぶんと古めかしい。どこか重々しい空気の中、室内に満ちた濃いコーヒーの香りに圧倒されながらも、私は待ち合わせの人物を探して周囲を見渡した。
カウンター席で新聞を読んでいる老人が一人。明るい窓側の席でおしゃべりをしている年配の女性が二人。目当ての人物は、店の奥まったところにある席にいた。
突飛な発想と共に、私の思考を散々に引っかき回してくれた人物――鳩村翼。
葬儀があった次の日、私は彼に電話をした。相談したいことがあると伝えると、こちらの都合に合わせてすぐに決まる。そうして指定されたのが、この場所だ。
鳩村はこの日もまた、初めて会ったときと同じ服装だった。黒のスーツに大きなビジネスバッグ。他所から来ているようなことを言っていたが、ちゃんと着替えているのだろうか。
そんな余計なことを心配しながらも、私は彼の方へと近づいた。しかし、そこにあるものに気づいた私は、この場に来たことをひどく後悔することになる。
「おや。思ったよりもお早いお越しでしたね」
このまま逃げてしまおうか、と考えていた矢先に気づかれてしまった。仕方がないので、私は平静を装いながら向かいの席へと座る。
しかし、視線はどうしてもそこにあるものに釘づけになった。イチゴがたくさん盛りつけてある大きなパフェに。
店員がやって来たので、私はアイスティーを注文する。その間にも、目の前の男は一心にアイスクリームやイチゴを自分の口へと運んでいた。
成人男性が中学生の前でひとりパフェをむさぼっている。どういう状況だ。
器から落ちそうになっていたアイスクリームをひとまず始末すると、鳩村は私に向かってようやくこうたずねた。
「で、ご用件はなんでしょう? 恋愛相談? それとも進路相談?」
「どうしてそうなるんです」
私は苛立ちを隠すこともなくそう言った。
本当に、どうしてこんなところに来てしまったのだろうか。私は内心で大きくため息をつく。
そうでなくとも、今の私の中にある混乱は、そもそもの始まりからして、無責任に話したいことだけを話して去って行った、この男のせいではないか。そう思うと、さらに苛立ちが増してしまった。
「どうして私のことを放っておくんですか。私が普通の人ではないと知っているなら、無理にでも調べればいいじゃないですか。もしかしたら、危険かもしれないでしょう? 害があるとわかってからじゃ、遅いんじゃないですか」
そんな八つ当たりのようなことを、私は一方的にまくし立てた。
「何ですか? 人生相談ですか?」
私の形相に気圧されて、鳩村は大きく目を見開いている。彼は右手に持ったスプーンをゆらゆらと揺らしながら、しばらくうーんとうめいていたが、そのうち、あらたまったように姿勢を正すと、こう話し始めた。
「言ったじゃないですか。そんなあやしげな研究施設なんてないんですよ。そうでなくとも、私は別に、あなたについて害だの何だのといった心配はしていません。あなたが故意に何かをしたわけではなさそうですし、今のあなたにこれ以上の危険があるとも思えませんし。そう焦らなくてもいいと思いますけどね」
私は釈然としないまま黙り込んだ。鳩村はこれ幸いと、もりもりとパフェを貪り始める。
そうしているうちにも注文したアイスティーが運ばれてきたが、私はそれに手をつける気にはなれなかった。パフェを粗方平らげてから、さすがにこれで終わるわけにはいかないと思ったのか、鳩村はこう問いかける。
「あなたは、カッコウをご存知ですか?」
突然のことに、私は思わず首をかしげてしまった。
「かっこーかっこーって鳴くやつです。鳥のカッコウですよ。閑古鳥とも呼ばれますね。カッコウはまったく違う種類の鳥の巣に卵を産みます。生まれたヒナは早くに孵化して周囲にある卵を落としてしまう。そうやって別の鳥に子育てをさせるんです」
それが何を示しているのかは、私にもすぐにわかった。
私はカッコウのヒナだ。無遠慮に他人の巣に入り込んで、ヒナを落として成り代わった。確かに存在したひとりの少女を、無意識にせよ何にせよ、表から消してしまったのはこの私だというのだろう。
とはいえ、鳩村は何を考えてそんな話を持ち出したのだろうか。私は恐る恐るこうたずねた。
「……どうしてそんな話を? 私がカッコウのように残酷なことをしているということを言いたいんですか?」
鳩村は肩をすくめてこう答える。
「カッコウは、別にあやしげな研究施設に隔離などされてはいませんよ。他の生物の生態を人の基準に当てはめるなんてナンセンスです。カッコウの話をしたのは、あなたを見ていて、ふと思い出したからでして。カッコウはね。ただそうあるだけなんです。ですから、あなたも鷹揚にかまえていればいい。自然の中にあるものは可能な限りそのままにしておく、というのがうちの方針でもありますから」
私が釈然としていないことに気づいたのか、鳩村はこう続ける。
「もちろん。何か困ったことがあるなら、こちらもできる限りのご協力はいたしますよ。うちはそういったことには慣れていますので」
そういえば、この男はそもそも消えたテンコウさまを調べるということで、この町にやって来たのだった。どうしてそんな話がこの男にもたらされたのかは知らないが、宮司からの依頼だと言うし、唐突に応声虫など持ち出すし、とにかくこの人が常識外れだということだけはよくわかる。
とはいえ、そんな鳩村に問題ないとお墨つきをもらったところで、納得などできるはずもなかった。
確かに、カッコウであれば、生まれたばかりのヒナが他の鳥の卵を落としたとしても、生物の生存本能という話で済むのだろう。しかし、私の存在はそう単純なものではないはずだ。
そう思って、私はこう言い返した。
「私はカッコウとは違います。私は――私のことすらわかっていません。今このときにでも、私はあなたの体を乗っ取ってしまうかもしれませんよ」
私がそう言うと、鳩村はおもしろそうに瞳を輝かせた。私がうろんな目で見返すと、鳩村は苦笑する。
「それはそれで、おもしろそうですけどね。できないんでしょう? まあ、そうなったとしても、そのときはそのときですよ」
鳩村はそんな無責任なことを言う。私はむっとしてこう言い返した。
「あなたは、こんな得体の知れないものを野放しにしておけるんですか? 世間に公表するとか――専門外かもしれませけど、私はある意味、あなたの探している新しい未知の生きものではあるんでしょう?」
鳩村はけげんな顔をする。
「世間に公表? 何を公表するんですか。まだ何も調べていないのに」
そう言ってから、彼は珍しく困ったような表情を浮かべると、こう続けた。
「しかし、お若いですねえ。世の中、わからないものはわからないものとして、棚に上げておくのも、ひとつの手ですよ?」
調子のいい彼の発言に、私は思わずむっとする。
そんなことが言えるのは、きっと彼が当事者ではないからだ。彼は私の中にある声を聞いてはいない。あまつさえ虫だと思っていたのだから、それを哀れむということもないだろう。
無知は人を傷つける。しかし、彼の場合はおそらく無知でも無邪気でもなく無神経なのだ。
私は思わずこう言った。
「それでも私は、あのとき母に語りかけたあの声を、そのままにしていいとは思えないんです」
母と最後に言葉を交わしたとき、確かに聞こえた声のことを思い出す。
彼女の存在が心の通わない空虚なものだとは思えない。だとすれば、彼女はきっとまだここにいるはず。
そのとき私はふと気づいた。考えることが多すぎて、自分のことばかりになってしまっていたが、この状況で何より気づかうべきは彼女の方ではないだろうか、と。
どれだけ後悔したとしても、過去は変えられない。今の私にできることは、私の中にまだいるかもしれない彼女を、本来あるべき形に戻すことなのかもしれない。たとえ、そうすることで私が消えてしまったのだとしても。
とはいえ、どうすればいいかについては、見当もつかないのだけれども。
何にせよ、知ってしまったからには、何も知らなかった頃の自分に戻ることはできない。鳩村の目を見据えると、私はあらためてこう切り出した。
「このまま何も知らないふりをして生きていくなんて、私にはできません。ですから、家族にだけでも、このことを話しておいた方がいいと思うんです」
鳩村はどこか呆れたような声でこう言った。
「なるほど。相談というのは、それですか? いいじゃないですか。話さなくても。今のところ、どうにもできないことなんですから。黙っていることが悪だとしても、どうしてすべてを明らかにすることが良いことだと思われるんです? とかく人は秘密を知りたがり、話したがるものかもしれませんが、秘密を知れば幸せになれるというものでもないでしょう」
私はすぐさま、こう言い返した。
「でも、それって――無責任じゃないでしょうか。真実を知っているのに、それを隠しているというのは」
鳩村はやれやれと肩をすくめながらも、諭すように問い返した。
「真実だからと言って、何も考えずに話してしまうのは無責任ではないのですか?」
この男がそれを言っても何の説得力もないのだが。それでも言っていること自体には一理あると思ってしまったので、私は何も言い返せなかった。
何だか、うまくやり込められているような気もする。今さらながら、私は彼に会いに来たことを後悔し始めていた。
また後悔だ。後悔ばかり。これだと決めたときには、それ以外にはないと思っていたことも、いざ現実に直面してみれば、どうしてあのときああしなかったのだろう、他に方法があったのではないか、と思い悩んでばかりいる。
黙り込んでしまった私を前にして、鳩村は平然とこう話した。




