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樹上の蜥蜴座(ラケルタ)  作者: 速水涙子


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11/30

4-α 我思う故に我あり(2/3)

 今の季節だとまだ日は高いが、時刻はそろそろ学校が終わる頃。あなたは顔見知りの生徒に会わないうちにと、ある場所へと向かっていた。


 そうしてやって来たのは、母が入院している病院だ。


 普段の放課後にも、あなたは大抵この場所に足を運んでいる。予定がなければ、休みの日だってそうだ。部活に入っていないのも、おそらくは母のことがあるからだろう。


 母が病に倒れたのは、私が記憶を失ったとされる事故が起きてからしばらく経った頃のこと。体調を崩したことで検査を受けたところ、膵臓に癌が見つかったのが始まりだ。


 そのときは手術で取り除くことができたが、やがては再発し、各所に転移していることが判明する。それからは主に薬での治療を行っているが、今では一進一退の日々を送っている、というのが現状だった。


 いつものように病室を訪れたあなたは、音を立てないようゆっくりとベッドへ近づいて行く。母が眠っているかもしれないからだろう。


 昨日に会ったときには、思いのほか長く話すことができたが、それも近頃では稀なことになっていた。十分に眠れないことも多いらしく、母は疲れた表情を見せることが多くなっている。


 この日の母はやはり眠っていた。せっかく寝ているところを起こすのも悪いと思ったのか、あなたはその顔をただじっと見つめている。


 いや――あるいは、そうではないのかもしれない。


 母を前にして、あなたは何かを迷っているようだった。もしかして、昨日に話していたことを打ち明けようとしているのだろうか。しかし、そうすることが、心労の多い母にとって、正しいことなのかどうか――


 そのときふと、ベッドの上の母が目を覚ました。


「理子」


 かすかな声。あなたは慌てて母の枕元へと近寄る。


「お姉ちゃんと仲良くしてね」


「どうしたの、急に」


 本当に、突然何を言い出すのだろう。驚いた顔をするあなたと同じように、私もまた、母の言葉をいぶかしく思っていた。


 嫌な予感でもしたのだろうか。あなたの視線が動いて、近くにあるナースコールの位置を確認している。


 不安を隠しきれてはいなかったが、それでも努めて普段どおりに振るまいながら、あなたは母に向かって話しかけた。


「どうかな。仲良くするよりも、私の方が自立しないといけないかも。お姉ちゃんには、その――甘えすぎてるみたいだから」


 姉に嫌われている事実を母に話すことはためらわれるらしく、あなたはそんな風に答えを濁した。そのことに気づいているのか、いないのか、母は笑みを浮かべている。


「そうね。お姉ちゃん、強がりだから。でも、これからは姉妹で助け合ってね。お母さんからのお願い」


 あなたは思わず顔をしかめた。母の声は今にも消え入りそうで、それだけでも心配なのに、どうしてこんな話をするのだろうと、内容よりもそのことで気が気でないようだ。


 途切れ途切れになりながらも、母はこう続けた。


「それに……お父さんのことも。あの人、仕事ばかりして、忙しくて、少し痩せ気味だから、理子からも、気をつけるように言ってちょうだい」


 母はどこか遠くを見つめている。起き抜けで意識が朦朧としているのかもしれない、と思ったが、それでいて母がこんな話をすることはなかったから、何だか不安になってくる。


 それでもあなたは、ただうなずくことしかできないようだ。とはいえ、こんな母にいったいどう声をかければいいというのだろう。


 母は細い腕を伸ばして、あなたの手をそっとつかんだ。


「お友だちを大切にね。理子はもう、好きな人はいるの?」


「そういうのは、その――」


 あなたは戸惑ったような声を上げた。それを聞いた母は、ふふ、と笑っている。


「いいのよ。いつかそんな人ができたなら、お母さんも会いたかったのだけれど」


 どうしてそんな言い方をするのだろう。母はもう先が長くはないことを悟っているかのようだ。そう思ってしまったことに、私は自分でも愕然としていた。


 そんな風に考えてしまったのは、あなたも同じだったのだろう。慌てたように話を逸らしている。


「お母さん。冬になったら、ふたご座を見よう。昨日、話していたでしょう。十二月にはね、流星群もあるんだよ……」


 母はその言葉には何も言わない。ただ、あなたの声に耳を傾けている。


「あのね。お母さん」


 あなたは何かを言いかけたが、何も言わずに口を閉じてしまった。それでも、母はその先の言葉を待つように、じっとあなたのことを見つめている。


 ――お母さん。大丈夫かな?


 私は心の中で思わずそう問いかけた。この声が聞こえたのか、あなたがはっとして身を強張らせている。


 そうだ。今なら声が届くかもしれないんだ。それなら。


 ――お母さんのこと、大好きだよ。


 私はありったけの力を込めてそう叫んだ。自分でも、どうやっているのか、いまいちわからないのだけれど。事故のときだって、私の声は他の人にも聞こえているのだから、やってみる価値はあると思っていた。すると――


「お母さんも、理子のこと大好きよ」


 母は確かにそう応えた。


「私……私は――」


 あなたはそう言って肩を震わせると、揺らぐようにその場で一歩後ずさった。何かを振り払うように首を横に振ると、それきりうつむいてしまう。


 どれくらいそうしていただろう。ふと病室にある時計に目を向けると、あなたは慌ててこう言った。


「そろそろ帰らないと。お母さん。また、明日来るから」


 あなたは母と視線を合わせると、逃げるように病室を去って行った。寂しげな母の視線が、じっとあなたを追っていることにも気づかずに。




 家に帰る気にはなれないらしく、あなたはその後も、帰路とは逆の方向へと歩いていた。


 そうしてたどり着いたのは山の上の神社。鳥居をくぐったあなたは、上へと続く階段をゆっくりと登り始める。


 時刻は夕日が沈んでいく頃合いで、照り返る光や空は、あざやかな赤に染まっていた。その分、落ちる影は黒々として暗い。神社の参道は左右を生い茂る木々で挟まれているので、ざわざわと音がするたびに、そこに何かがいるかのように思われた。


 小さな頃はこの辺りでよく遊んだものだ。虫などのおもしろい生きものがたくさんいたし、木の実や変わった草花を見つけては、それでいろいろな遊びをした。そんなことを、ふとなつかしく思う。


 拝殿までたどり着くと、あなたは手を合わせてから、それを横目に通り過ぎて行った。その先には、狭く控えめな石段がさらに上へと続いている。


 それは自然石を組み合わせて作られた階段だった。角度は急だし、木の杭にロープを渡したような柵しかない。苔むした岩の隙間からは、野草があちこちに伸びていた。


 険しい山道を登って行くと、そのうち少し開けた場所に出る。そこにあるのは、山中にぽつんとある巨石――御神体だ。五人くらいが手をつないでやっと囲えるくらいの平たい岩で、注連縄が巻かれたそれは、山の上から堂々と町を見下ろしていた。


 御神体の近くに誰かが座っている。その人はあなたのことに気がつくと、立ち上がりながら衣服についた砂を手で払った。


 あなたを待っていたのは、黒いスーツ姿の男――鳩村翼だ。


「来られるのではないかと、思っていましたよ」


 そう言って意味深な笑みを浮かべているわりには、そこにある彼の姿からはくたびれた印象を受ける。あなたを見て、どこかほっとしているような気もした。本当に来るかどうかは、自信がなかったのかもしれない。


 あなたは鳩村翼と向き合い、立ち止まる。どうしてこの男がここにいるのか――知っていたわけではないだろうけれども、あなたはそのことを驚きもしない。


「さて。あなたは自分が誰なのかを知りたい――と、そういうお話でしたね」


 あなたはその言葉にうなずいた。彼は珍しく神妙にうなずき返す。


「正直に申し上げますと、あなた自身を調べたわけではありませんので、私にも確かなことは言えません。ただ――」


 鳩村翼はそこで、ちらりと御神体の方を見やった。


「あなたの話を聞いてから、私もいろいろと調べてみたのですよ。それで、ひとつわかったことがあります」


 鳩村翼はそう言うと、あなたを無言で見つめ続けた。こちらの反応を期待しているのだろう。あなたは渋々と口を開く。


「……何がわかったんですか」


「テンコウさまの正体です」


 あなたの問いかけに、彼はすぐさまそう答える。


「テンコウさま?」


 あなたがそう問い返すと、鳩村翼はうなずく代わりに小さく肩をすくめてみせた。


「というより、気づいたときには、どうしてすぐにわからなかったのだろうかと頭を抱えましたよ。何せ」


「何ですか。もったいぶらないで、教えてください」


 鳩村翼の言葉をさえぎって、あなたはそう詰め寄った。


 しかし、彼はあくまでも悠然としている。そうして、ふいに人差し指を天に向けたかと思えば、鳩村翼はそれを高々と頭上に掲げた。


「その名によって、すでにそれが示していた、ということですよ。テンコウ――それはすなわち、天から降りたもの。天降(テンコウ)とは、すなわち隕石です! この地にあった予言する何かの正体は、天より来たるもの、だったのですよ!」

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