70 カーバンクル
「待って!」
一瞬、無視して足を進めようかとも思った。
だが声の主が再度ティリアに害をなそうとする可能性を考えると……ここできちんと警告しておいた方がいいだろう。
アルヴィスは足を止め、振り返る。
「なんで……なんでお姉様なの!? 私を選んでよ!!」
愛らしい顔を歪め、そう口汚く叫んでいるのは……ティリアの異母妹であるバーベナだった。
彼女は憎悪に満ちた視線を、アルヴィスの腕の中のティリアに注いでいる。
「そんな無能より私の方が優秀なのよ!? お姉様なんて使用人みたいに下働きをするしか能がないくせに! 私の方がよっぽど公爵夫人にふさわしいわ!!」
喚き続ける少女に、アルヴィスはため息をつく。
「ねぇ、どうして!」
……彼女が答えを欲しているのなら、応えてやるべきだろう。
「……僕は、能力を見てティリアを選んだわけじゃない。ティリアだから好きなんだ」
淡々とそう告げると、バーベナはわけがわからないといった顔をした。
「……なにそれ。そんな無能の何がいいの? 何の役にも立たないのに!!」
「十年以上もティリアと一緒に暮らしてきて、そんなこともわからないのか」
「そいつは無能よ! 私よりも下!! 私の方が優秀だし皆に愛されているわ!! あなたは間違ってる!」
「なにも間違ってはいない。僕が誰と添い遂げるかは僕が決める」
「嘘よ! 嘘! 嘘!!」
バーベナは壊れた人形のように喚いている。
きっと今まで、彼女の思い通りにならなかったことなど何もなかったのだろう。
アルヴィスがバーベナではなくティリアを選んだことで、彼女のアイデンティティが揺らいでいるのかもしれない。
……だが、同情はしない。
彼女はずっとティリアを傷つけ続けていた。
そんな相手に優しくできる気はしない。これでも、アルヴィスは怒っているのだ。
……自分を律していないと、ティリアと同じ目に遭わせてやりたくなるほどに。
「お姉様に騙されたんでしょう? この卑怯者! 私がそこにいるはずだったのに!!」
なおも喚くバーベナに、アルヴィスは告げる。
「……君たちに警告する。今後二度とティリアと関わるな。もしもティリアに近づけば、徹底的に潰す」
「なっ!?」
「僕が君を選ぶことは未来永劫あり得ない。二度と僕たちに関わらないでくれ」
「嘘、嘘……」
憔悴しきった顔でぶつぶつとつぶやき続けるバーベナに背を向け、アルヴィスは再び出口へ歩き出す。
だがそこで、予想外のことが起こった。
「嘘よおぉぉぉぉ!!!」
空気をつんざくような叫びが耳に届いたかと思うと、背後に膨大な魔力を感じた。
「!?」
とっさに振り返り、アルヴィスは戦慄した。
先ほどまでヒステリックに喚いていた少女が、両の手に抱えきれないほどの巨大な火球を作り出し、憎々し気にこちらを睨みつけていたのだから。
……どうやら、本人が「優秀」だと自負するのも間違ってはいなかったようだ。
一瞬でこれだけの規模の火球を作り出せるのなら、間違いなく優秀な部類だといってよいだろう。
「そんな無能より……私の方が上なんだから!!」
バーベナは怒りに満ちた顔でそう叫ぶと、一気にこちらに向けて火球を発射した。
このままでは瞬く間に、アルヴィスたちは火だるまになってしまうだろう。
(何もしなければ、このまま見逃してやってもよかったのに)
だが相手が先に手を出した以上、見逃してやる道はなくなった。
「クルル」
静かにそう呼びかけると、足元で様子を伺っていたカーバンクルのクルルが軽快に返事をする。
「クルゥ!」
「……跳ね返せ」
指示はたった一言だけ。
それでも、この優秀な神獣は忠実に命を実行して見せた。
「クルァ!」
飛び上がったクルルが空中に光の壁を作り出す。
カーバンクルは光を操る神獣だ。
――「その光の力を使って鏡のような結界を張り、外敵からの攻撃を反射することも――」
かつてティリアに出会ったばかりの頃、そう説明したことがあった。
その時に言った通り……クルルの作り出した光の壁は、巨大な火球を見事に跳ね返してみせる。
「……は?」
憎き異母姉を焼き尽くすはずの炎は、反転して自分の方へと襲い掛かってくる。
きっとバーベナには、何が起こったのかもわからなかっただろう。