64 もしもあの日に
(早く、ここから出ないと……)
開かない部屋の扉を前に、ティリアは焦燥に唇を噛んだ。
この部屋へ閉じ込められて、もう何日も経っている。
窓のないこの部屋では、時間の感覚さえも曖昧だ。
日に二度、不服そうな顔をしたバーベナが食事を運んでくることだけが、ただ一つの変化だった。
それ以外に部屋の扉が開くことはない。
厳重に鍵がかけられており、手が傷だらけになるまで試しても開けることはできなかった。
この部屋に窓はない。他に脱出できそうな場所もない。
日に日に、ティリアの精神は追い詰められていくようだった。
(アルヴィス様や、皆は、どうしているかしら……)
いなくなったティリアのことを探してくれているだろうか。
それとも――。
(使用人一人いなくなっただけだって、私のことを忘れてしまったら……)
あの優しい彼らが、そんなことを言うはずがない。
そう頭ではわかっていても、弱っていく心は嫌な想像ばかりしてしまう。
もしもここから出られたとして、リースベルク邸に戻っても……もう、新しい神獣の世話係がいたとしたら――。
「嫌……」
あの場所を、手放したくはない。
なんとしてでも、あそこへ帰りたい。
(……もう一度、探してみよう)
もう何回も……何十回も何百回も室内の確認はしたが、もしかしたら何か脱出に役立つものが見つかるかもしれない。
そう自分を奮い立たせ、ティリアが立ち上がろうとしたとき――。
――ガチャリ、と。
部屋の鍵が開く音がした。
(……おかしい。まだ食事の時間には早いはずなのに)
いつもとは違う行動に、ティリアは警戒しながら扉が開くのを見守る。
果たして、そこから姿を現したのは――。
「……アントン?」
扉の向こうに立っていたのは、暗い顔をした幼馴染だった。
彼は何も言わずに、するりと部屋の中へと足を踏み入れる。
そして後ろ手で静かに扉を閉めた。
(バーベナは一緒じゃないの……?)
耳を澄ませたが、外からは足音も人の気配もしない。
どうやらバーベナと一緒に来たわけではないようだ。
ここに連れてこられてから、このようにアントンと一対一で対峙するような機会はなかった。
自然と体がこわばり、一歩足を引いてしまう。
「ティリア……こうして二人で話すのは久しぶりだね……」
あからさまに警戒するティリアに対し、アントンは薄ら笑いを浮かべながら一歩一歩距離を詰めてくる。
「アントン、何を……」
「やっと、機会が巡って来たんだ……。ティリア、僕はもう間違えない!」
「っ……!」
急にアントンに手首を握られ、ティリアは思わず「ひっ」と息をのむ。
「あの日をやりなそう、ティリア!」
アントンの目は情熱的に輝いている。
それが、ティリアには恐ろしくてたまらなかった。
「僕は愚かだった。爵位に目がくらんで、君を傷つけて……何度あの日の行動を悔やんだことか。だからこそ、こうしてやり直せる日が来たのかもしれない」
(この人は、何を言ってるの……)
呆然とするティリアに、アントンは熱っぽく告げた。
「今度こそ二人でここを出て、新しい人生をはじめよう。ティリア!」
幼馴染の口から飛び出てきた言葉に、ティリアは眩暈がするようだった。
(あぁ、この人は……)
結局、何も変わっていないのだ。
ティリアの意志など二の次で、自身の決定が正しいと、ティリアなら賛同するはずだと信じて疑わない。
(もしもあの日に、同じことを言ってくれていたら……)
ティリアは彼の手を取っていただろう。
だが、今は違う。
ティリアがともに人生を歩みたいのは、目の前の幼馴染ではないのだから。
「アントン……それはできないわ」
はっきりと拒絶の意を示したティリアに、アントンは目を見開く。
「ティリア……? 何を言っているんだ」
「あの日……伯爵家を出たあの日から、私は変わったの。お父様の前で言った通り、婚約している方がいるのよ」
「そんなの! 遊ばれてるだけに決まってる……!」
「違うわ。アルヴィス様はそんな人じゃない」
静かにそう返すティリアに、アントンは表情をゆがめた。
「……よく考えるんだ、ティリア。このままだと君は、伯爵のなすがままにどこかへ嫁がされるんだぞ!?」
「それでも……私はアルヴィス様を信じるわ」
本当は、恐ろしくてたまらない。
だが、この先に待ち受けるであろう望まぬ結婚を回避するために、アルヴィスを裏切るような真似を――目の前の幼馴染の手を取ることはできなかった。
ティリアの言葉を受けて、アントンは唇を噛んでうつむく。
「…………して」
「アントン……?」
「どうして、君はっ……!」
アントンが顔を上げる。そこに現れた表情に、ティリアは戦慄した。
幼馴染は今まで見たことないほど、苛烈な怒りをあらわにしていたのだ。




