#334 Aims世界大会観戦旅行二日目その一 『朝イチのハプニング』
水面に浮かぶような、半分夢の中の感覚。
身体のどこかが誰かと触れていて、それが温かく、心地よくて──。
朝の光がぼんやりと瞼を透かしても、まだ現実に戻りたくなかった。
「ふあ…………」
緩く息を吐いた瞬間、すぐ傍で誰かの寝息が聞こえた。
ぼんやりとした意識のまま、無意識にその音を追ってしまう。
……ああ、そうだ。昨日は、旅館に泊まって。
それから……どうしたんだっけ?
昨日の出来事を思い出す為、ぱちりと目を開くと、視界に飛び込んできたのは思い人──渚君の寝顔だった。
「!?!?!?!?」
瞬間、眠気は一瞬にして吹き飛んだ。確か、雷人さんや紫音ちゃん達を遊んでいる最中に眠くなってしまって、寝落ちしてしまったのだった。それからどうして、こんな事に。
しかも、今自分は彼の背中まで手を回して抱きしめている状態。いつもはぬいぐるみを抱きしめて寝ているから、何も無い違和感を覚えて、無意識の内に抱きしめてしまっていたのだろう。
すぐさま手を引き抜き、布団から起き上がる。
「ん……」
ばさっと毛布が動いた事で、一瞬渚君が目を覚ましそうになったが、すぐにまた寝息を立て始める。
私が抱きしめた時、渚君は起きていたのだろうか。もしそうだったとしたら、渚君は……どう思ったのだろうか。
だが、寝ている彼にそれを問う事は出来ない。……寝ている、彼に。
「……まだ起きないよね……?」
心の中で顔を出した小悪魔が、バレなければ問題無いと囁く。
どきどきと高鳴る胸を落ち着けるように息を吐き出してから、ぽつりと呟く。
「……失礼します」
そう宣言してから、再び寄り添うように、彼を抱きしめる。
彼の胸に顔を埋めた瞬間、ふわりと鼻をくすぐるにおいに気づいた。
石鹸と少しの寝汗、それに彼だけの体温が混ざった、妙に落ち着くにおい。
昨夜よりも近い距離で、それを吸い込むたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
――この匂い、好きだな。そう思った瞬間、離れがたくなってしまった。
「……もう少しだけ、このままで……」
きっと彼が起きてしまえば、こんな事はさせてくれないだろうから。
彼の背中に回す手に込める力を少し強め、溢れ出しそうな思いを消化していく。
「ふぅ……」
数分経ってから、彼の温もりから離れて、ゆっくりと起き上がる。
少し名残惜しく思いながらも、これ以上欲望に正直になってしまっては彼に拒絶されてしまうかもしれないから……そう自分に言い聞かせ、顔を振る。
ふと、先ほど彼のにおいを嗅いだ時に気付いた事を再確認するように、自分のにおいをすん、と嗅いでみた。
「……やっぱり、汗かいちゃってる」
もう九月の半ばだが、それでも暑さは続いている。部屋の空調は効いているが、密着して二人で夜を明かしていたのだ。汗をかいてしまうのは仕方ない事だろう。
もう一度彼の顔を眺めて、しばらく起きそうに無いなと思い、傍に近付くと。
「ふふ、可愛い寝顔」
あどけない表情で眠る彼の頬につん、と指先で触れてから、浴室へと足を向けた。
◇
「んあ…………」
いつの間にか寝ていたらしい。小鳥の囀る音、そして窓の外から注ぐ日光を見るに、既に朝になっていたようだ。寝ぼけ眼を擦りながら、現在の状況を確認するべく身体を起こした所で……。
「やばっ、大会の時間はっ!?」
慌てて付近に置いてあったARデバイスで時刻を確認するが、現在時刻は朝の9時。大会は12時半からで、旅館のバスは11時に出るからまだまだ余裕はあるので、安堵する。
一瞬焦りで目が覚めかけたが、昨日の睡眠不足が響いている為、すぐにあくびが出てしまった。
「……クソ眠い……」
もう一度布団にダイブしたい気持ちを堪えながら、部屋の中に視線を彷徨わせる。
紺野さんの姿が見当たらず、どこかに出かけているようだった。もしかしたら、朝食を食べに行っているのかもしれないな……。これは俺が寝坊したのが悪い。
「ひとっ風呂でも浴びて目ぇ覚ますか……」
眠い時はシャワーで無理矢理目を覚ますに限るよな。朝食から帰ってきた紺野さんが風呂に入る可能性を考慮し、万が一のハプニングに備える為、一応持ってきていた水着を引っ張り出す。
更衣室に入り、ぼんやりとしながら浴衣を脱ぐ。そして、水着に着替えてから浴室の扉を開けると────
「………………………え」
「え?」
客室露天風呂の扉を開けると、タオル一枚越しの紺野さんの姿が視界に飛び込んでくる。
湯気の向こう、紺野さんの肌は雪解けのように白く、淡い光を纏っているかのようだった。
胸の主張こそ控えめだけれど、タオルに包まれたその繊細な輪郭が、かえって目を離さなくさせる。
ただ水の滴る音だけが響く中、紺野さんの新雪のような白い肌がゆっくりと赤みを帯びていき──
「ひゃあああああああああああああ!?」
「ご、ごめんなさい!?」
紺野さんの悲鳴で時がようやく動き出し、すぐさま浴室の扉を閉める。
思わず敬語が出てしまうぐらいに動揺してしまった。薄いタオル一枚越しに見る思い人の姿に、心臓が口から飛び出しそうになった。
というか、こういうハプニングに備える為に水着を持ってきたんじゃなかったっけ!? なんで着てないんだよ!? まさか寝起きでぼんやりしていて着忘れたってか!?
扉を背にしてしゃがみこみ、真っ赤に染まる顔に手を当てていると……ひたひたと浴場の方から裸足で近付いてくる音が聞こえる。
その音は、俺にとっては死神が迫ってくる音のように聞こえた。
「あの……渚君…………?」
「…………ハイ」
震える声音で声を掛けられ、こちらも何とか掠れた声で返答する。
終わった。俺はこの先一生覗き魔としてのレッテルが貼られ、紺野さん達から軽蔑される日々が始まる。
いや、普通に警察に通報されて性犯罪者になるのがオチか。どちらにせよ、俺の人生はここで終わりを告げるというのは間違いない。
死刑判決を待つ犯罪者の気持ちになっていると、扉の向こうから判決が下される。
「…………水着」
「…………え?」
「……私の水着を、キャリーバッグから持ってきてもらって良いですか?」
WaitWhat?
脳内がバグり散らかし、大量の?で埋め尽くされる中、紺野さんは恥じらうような声で言葉を続ける。
「覗いた罰として、私と一緒に温泉に入って下さい」
あっ、俺、今日死ぬんだぁ。
あんたはここで、唯と死ぬのよ。




