白亜の城のブラック労働
「――リーゼロッテ・ヴァイード! お前との婚約を破棄し、この国から追放する!」
また始まった。
王立魔導騎士団の本部大ホール。無駄に高い天井のせいで、第一王子ルファスの頭の悪そうな怒鳴り声が、キンキンと大理石の床に反響して耳に障る。騎士団長だかなんだか知らないけれど、今日も今日とて立派な金髪を振り乱して、相変わらず偉そうだこと。
彼の隣には、いかにも男受けを狙ったような、ピンクのふわふわした髪の男爵令嬢ミリアが寄り添っている。目が合った瞬間、彼女は勝ち誇ったように、ねっとりと口元を歪めた。
まわりを囲むエリート(笑)の魔導騎士たちも、クスクスと私をあざ笑っている。
無能の穀潰し、ね。はいはい。心の中で盛大にため息をつく。
「殿下、理由をお伺いしても?」
私は右手に持った、すっかりボロくなったモップを床についたまま、気のない声で問い返した。
一応、ヴァイード侯爵令嬢っていう立派な身分のはずなんだけど、今の私は色褪せて泥の染みがついたエプロンドレスに、よれよれの三角巾姿。手にはごついゴム手袋。どこからどう見ても、ただの下働きメイドだ。
「理由だと? すっとぼけるな! 聖女の家系に生まれながら、お前は攻撃魔法も回復魔法もロクに使えない! 毎日毎日、這いつくばって床を雑巾で磨くだけの無能が、次期王妃の座に居座るなど、我が国の恥さらしだ!」
ルファスは、私の相棒であるモップを、まるで汚物でも見るような目で指差した。言い草が本当に失礼。
「ミリアを見習え! 彼女は入団早々、あの美しい癒やしの魔力で、騎士たちの武器や防具の『穢れ』を払い、治癒の光をもたらしてくれたんだぞ。お前が何年もかけてダラダラ掃除していた場所も、ミリアの光魔法なら一瞬だ!」
「まあ、ルファス様。私、ただ皆様のお役に立ちたくて……」
ミリアがわざとらしく頬を染めて、ルファスの腕にしがみつく。まわりの男たちが「おお、なんと素晴らしい聖女様だ……」とか、鼻の下を伸ばしてため息を漏らしていた。うわ、集団でバカになってる。
(……はぁ。何も分かってない。この人たち、本当に目ついてるのかな)
私が毎日、朝から晩まで、睡眠時間を3時間とかに削ってこのバカみたいに広い本部を這いずり回っていた理由。
ただの埃取りなわけがないでしょうが。
この国の土地からは、絶えず目に見えない「瘴気」が、ドロドロと湧き出している。特に、血生臭い訓練を繰り返して、男たちの嫉妬やプライドが渦巻くここは、怨念みたいな精神的な汚れが一番溜まりやすいのだ。
放置すれば騎士たちは理性を失って暴走するし、武器は数日で錆びる。城の防衛結界だって腐り落ちる。
だから私は毎日、自分の魔力を特製の洗剤と雑巾に、それこそ吐き気がするまで練り込んで、文字通り命を削りながら床を拭いていた。私のこの地道な作業があって初めて、彼らの武器はまともに動き、結界は維持されていたのに。
だいたい、さっきミリアが放った派手な光魔法なんて、表面の埃を光で眩しく見せて誤魔化しているだけ。根っこの瘴気には一ミリも届いていないどころか、下手に刺激したせいで、中で汚れが余計に悪化して煮詰まっている。数日後には異臭がしてくるわよ、これ。
……まあ、もういいか。私の知ったことじゃないし。
「……分かりました。殿下のご意志、謹んでお受けいたします」
私は深く頭を下げた。
悲しさなんて、これっぽっちもない。むしろ、胸の奥から湧き上がってきたのは、言葉にできないほどの圧倒的な「解放感」だった。
(やった……! これで毎日、午前3時に起きて冷たい水でワックス掛けしなくていいんだ! 年中無休、サービス残業だらけの社畜生活から、やっとおさらばできる……!)
「ふん、殊勝な態度だな。だが、国を欺いていた罪は重い。今すぐ荷物をまとめて、隣国のガルザ帝国へ行け。あそこの辺境に、瘴気が強すぎて誰も住めない『黒の地』がある。無能のお前には、お似合いのゴミ溜めだろ」
ガルザ帝国の「黒の地」。
強力な呪いで草木も生えず、足を踏み入れただけで精神を病むと言われる最悪の未開拓地。そこを統治するのは、冷酷無比と恐れられる『黒騎士』アルベルト辺境伯。
「喜んで、今すぐ立たせていただきますね」
私は、今日一番の満面の笑みを浮かべて一礼した。
相棒のモップと、自作のマジック洗剤が入った重いバケツ。これだけあれば、私はどこでだって生きていける。後ろでルファスが「強がりおって! 今更泣き叫んでも遅いからな!」とかみっともなく吠えていたけれど、遠くで鳴いているカラスの声くらいにしか聞こえなかった。




