39 純白の巫女様
「暑っづい……! それにお腹も減った……!」
現在地――琅国の最西端に位置する江州。
その更に最西端に位置する広大な湖の前にて。
――ジリジリジリジリ。
頭上からカンカンと降り注ぐ日光で、汗をダラダラと流しながら、私は湖に釣り糸を垂らしていた。
「なぁ……もう半刻はそうしているが、いつまでやるつもりだ?」
「そりゃ、釣れるまでっしょ」
この近くには漁村があるようだけれども、宵越しの銭を持たない主義の私は(金遣いが荒いだけとも言える)、食べ物と交換できるものを持っていない。
故に丁度いい所に見つけた湖で、魚でも釣ろうと思った次第であった。
暑いと食欲が失せるとはいうが、空腹も限界まで達すると、夏バテの倦怠感よりも空腹が勝る。
「食べ物に困らないという点では、黒貪森の方がよっぽどマシだったよ……」
3年前――私がこの世界に来たばかりの時にサバイバル生活をしていた森は、弱肉強食の世界であるが故に、強者には優しい環境だったんだよねぇ……。
過酷な環境だったが、飯には困らなかったんだよナ~。
「(まぁ、戻りたいとは思えないけど)」
あまりにも釣り糸が動かないので、いったん竿を引き上げる。
釣り餌のミミズが水で浸されて、ブヨブヨになっているのがいけないのだろうか?
いっそもうこのミミズを食べてしまおうか……ってくらいお腹がペコペコだ。
しかし、21世紀の日本生まれのアーバンガール(八王子市)としての最後のプライドでなんとか持ちこたえる。
新しいミミズと交換して、再び釣り針を湖面にリフトオフ。
「俺サマもそろそろ空腹だ……婆さんや……飯はまだかのぅ?」
「爺さんや……飯は24時間前に食べたばかりでしょう」
膝の上に乗せたクロとコントを繰り広げながら、じっと湖面を見つめ続ける。
今の私から血を吸ったら、本当にお婆ちゃんみたいにシワシワになっちゃうよマジで。
「ていうかクロめちゃくちゃ熱吸収して熱いんだけど!?」
柄も刃も真っ黒で、金属製のクロは太陽の熱を吸収しており、膝に乗せているだけで火傷しそうなくらい熱を帯びている。
あごから垂れた汗がクロに落下すると、ジュッてなるし。
「くそー! 最終手段だ! クロ! 湖の水全部蒸発させて!」
――そう言ったその時。
――ピクンッ。
物騒な冗談が水中の魚に伝わったのか、釣り竿が揺れる。
「うおおおおおおお! ついにかかった!!」
立ち上がって、両手でしっかりと竿を握り、力いっぱい引き上げる。
「めっちゃ重い! 絶対大物だよこれ!」
――ざっばーんッ!
数十秒の格闘の末に、ついに獲物が水上へと姿を見せた!
――びたーんッ!
――びちびち。
「これは……鯉?」
『こりゃあ大物じゃねェか。このサイズの魚は黒貪森でも稀だぜ』
足元に引き揚げられた魚は、ヒレと尾をビチビチと動かしながら、地面の上を跳ねている。
模様のない純白の鯉であり、その大きさは1メートル程度。
鱗は太陽の光に反射して虹色に輝いていた。
そして――僅かに仙力を帯びているのを感じ取った。
「綺麗な鯉……こりゃ鯉界隈の傾国の美女だね」
鯉と言えば、私のいた世界では斑の模様で美しさを競う観賞魚だった。
しかし模様が一切ない純白の体は、穢れのない神秘的な印象を抱かせ、ブチ模様とはまた違った美しさがある。
「これは恐らくこの湖のヌシと見た」
『ギャハハ! これだけありゃ数日は飯に困らんな! それにコイツ、妖化寸前じゃねェか? 仙力の補給まで出来るときたもんだ。今夜はご馳走だぜ!』
「…………うーん。いや、やっぱ辞めよ。逃がしてあげよう」
『…………はァ?』
クロが、「信じられない」といった様相で、非難の視線を送ってくる。
そりゃ数日振りのちゃんとした食料だし、食いごたえもありそうだけど……。
「もうすぐ妖化するであろうヌシは食べらないよ」
動物は仙力を溜め込みながら長く生きることで、妖怪へと至る。
この鯉もそろそろ妖怪になるであろうだけの仙力を纏っていた。
妖怪と言っても、全ての妖怪が悪さをする訳ではない。
中には人間に協力的な妖怪もいる。
なので、むやみやたらに知性を持とうとしている生物を殺してしまうのは憚られた。
「偽善かもしれないけどさ」
まぁ――私は侠に生きる者。
法ではなく己の定めた正義に従って生きている時点で、侠も偽善も似たようなものだ。
少なくとも独善であることに変わりはない。
よっこいしょと鯉を持ち上げると、ぽーいっと、湖に投げ込むのであった。
「もしかすると、私が湖の水を全部蒸発させるとか物騒なこと言ったから、ヌシとして、自ら犠牲になろうとして湖を守ろうとしたのかもしれないね」
『全く。甘ちゃんな所は捨てきれてねェようだな』
さて。
となると、再び食料の心配をしなくてはならない訳で……。
どうしようかと思っていると。
「わぁ! ボク、始めて湖のヌシを見たよ!」
「ひょえっ!?!?」
いつの間にそこにいたのだろうか?
空腹で気付かなかった。
私の隣に、見知らぬ少女が目をキラキラと輝かせながら立っていたものだから、驚いて身をよじってしまう。
「うお……めちゃくちゃ美少女……!」
よく顔を見てみると、非常に整った顔立ちをしており、更に仰天。
歳は10歳前後だろうか?
腰まで届いた長い髪は、まるで絹糸のように純白に輝いていて、同じく白皙の肌は、陶器のように真っ白でつるりとしている。
着ている衣も、これまた白い袍衣であり、その生地には僅かな汚れもついていない。
見る者の視線を引き寄せて離さない魅力のある美貌。
このレベルの美少女は、桃蔡ちゃんにも匹敵するのではないだろうか?
桃蔡ちゃんが健康的な紅顔の美少女だとすれば、この子は力を入れたらヒビが入ってしまいそうな薄幸の美少女といった所か。
――しかし同時に違和感。
どこぞの御令嬢のように見えるが、ここは住民の99%が農業に従事しているであろう農村部。
にも関わらずこの乱世では都市部でも滅多にお目にかかれない程に、全身を丁寧に手入れされた美少女がいるのは、いささか不自然である。
ルッキズムに支配され、格安でスキンケアやメイク用品が買え、田舎にも美容皮膚科が乱立する令和の日本と違い――この世界でこれほどまでに身なりを整えて着飾っている少女は、それだけで超上流階級層であることの証明になる。
……もしかして、妖怪の類いか?
美女に変化した化け狐が人間を篭絡した末に食い殺すという話は、この世界では珍しい事ではない。
「ボクは琳晧。お姉ちゃんの名前は?」
「……白蘭」
「白蘭!? もしかして、〝白袍の白蘭〟さん!? 本物!? すごーい、ボク、大ファンなんだ! 握手してよ!」
白皙の美少女――琳晧ちゃんは、目をキラキラと輝かせると、私の手を握った。
小さくて柔っこい手は、外見のイメージ通りひんやりとしており、思わずドキドキしてしまう。
「(か、可愛いいいいいいい~~~~❤❤)」
妖怪かも? という警戒心は一瞬で吹き飛んだ。
別に妖怪でも問題ない!
こんなに可愛いのだから!
「(罠でもいい……! 構わん……!)」
「(お前いつか擬態型に殺されるぞ……)」
クロが呆れ声で何か言った気がするが、琳晧ちゃんの可憐さに夢中で、右から左へと流れていく。
こんな可愛いファンがいるなんて。
侠客やってて良かった……。
現状、侠客やってて良かったランキング一位が、桃蔡と一緒にお風呂に入った事。
二位に見事、琳晧ちゃんと握手した事がランクイン。
あわよくば琳晧ちゃんともお風呂に入りたいものである……ぐへへ。
「あ……何か落ちてる……これ、ヌシ様の鱗かな」
琳晧ちゃんはそう言うと、華奢な腰を折りながら、地面に落ちている物を拾った。
それは先ほど逃がした巨大鯉の鱗みたいで、太陽光の入射角によって、様々な色に光り輝くそれは、宝石のようであった。
「それあげるよ」
「本当!?」
「うん」
「嬉しい……でも、これはお姉ちゃんのものだから、大丈夫」
そういって琳晧ちゃんは、私の手に鱗を置いた。
「ボクが持ってても……意味ないから……」
その顔はどこか憂いを帯びていて、悲し気な目が少し気になった。
「君はどこの子? この先に漁村があるって聞いたけど、そこから来たの?」
「うん、そうだよ」
その時。
――ぎゅるるるるるるる~~~~。
と。
唸り声のような低音が鳴り響く。
獣が姿を見せたのではない。
私の腹の虫であった。
いくら琳晧ちゃんが絶世の美少女と言えども、顔の良さだけでは腹は膨れない。
これでも17歳の乙女なので、空腹の音を聞かれて、恥ずかしくなって頭をかく。
「お腹減ってるの?」
「えへへ……恥ずかしながら」
「それじゃあボクの村においでよ! ご馳走するよ!」
「それは嬉しいけど、お金ないんだよね。出せるものと言えばこの汚い剣くらいしかないけど……」
『おい』
冗談冗談。
しょっちゅう口喧嘩してるが、クロを手放すつもりはサラサラない。
小粋なジョークである。
「そんなのなくても大丈夫。ボクのお客さんなら、里正も無償で宴会を開いてくれるよ!」
人懐っこい笑みを浮かべながら、琳晧ちゃんは私の手を取る。
相変わらず柔らかい手だ。
血豆だらけで、剣道部にも負けないくらい硬くなってしまった私の手とは大違い。
「巫女様、探しましたよ。こちらにいらっしゃたのですね」
「あっ、珀姐ぇ……てへへ、見つかっちゃった……」
琳晧ちゃんが村へ向かって手をひこうとしたその時、湖の畔に、新たに1人の少女が姿を見せた。
珀姐ェと呼ばれたその少女は、十代後半くらいに見える。
明るい茶髪をアップスタイルに纏めた髪型で、垂らした長い前髪で片目が覆われている。
琳晧ちゃんには及ばないものの、整った顔立ちをしており、その大人びた表情と、憂いを帯びた目元は、私と同世代と思われるにも関わらず、どこか未亡人めいた色気を放っていた。
そして何より目を見張るのは、快晴にも関わらず傘を差している点だった。
いや、日傘……なのかな?
「珀姐ぇ! この人、半年前村に来た吟遊詩人が唄ってた〝白袍の白蘭〟さんだよ!」
「誠でございますか」
珀姐ぇと呼ばれる少女は、値踏みするかのようにジロリと――露出した片目で私を見つめる。
「ど、どうも……白蘭です」
「今晩ウチに泊まって貰おうと思うんだ。いいよね?」
「(数々の妖怪を退治したという女剣士……その逸話が事実なら……これはまさに……瑞兆……)」
「…………?」
「承知しました。巫女様のご客人とあらば、村までご案内差し上げます」
聞き取れなかったが確かに何かを、口の中で呟いた茶髪の少女。
私の人畜無害な善人顔を見て警戒が解けたようで、深々と頭を下げた。
「ワタシは巫女様の侍婢を務める、琳珀珀と申します。珀珀とお呼びくださいまし。どうぞよろしくお願い申し上げます」
巫女に……侍婢?
天下が二分されたこのご時世、税はどんどん重くなっている。
全村民が農業に従事しなければ食い扶持を維持できないのが農村の常だ。
にも関わらず、生産性のない役職を務める2人。
この乱世では珍しく、かなり景気のいい村なのかもしれない。
「(しかも、御令嬢ではなく巫女と来た)」
気になることは多いけど、出会ったばかりで根掘り葉掘り聞くのも無粋というもの。
雑談で交流を深めながら、少しずつ聞いていこう。
少なくとも、2人とも悪人にも思えないし。
そんな訳で――私は琳晧ちゃんのご厚意により、村へと招待されたのであった。




