貴公に感謝を
お互いの手を握り合うヴィクトリアとラインハルト。
すると扉が勢い良く開いた。
「待たせてごめんね~。そろそろ夕食を食べに行こっ……か……」
勢い良く扉を開けたのはレベッカだったが、目の前には互いの手を取り合う男女の姿。
それを見たレベッカはゆっくりと扉を閉めようとする。
「あ、お取り込み中に邪魔してごめんね~。夕食はモニカと寂しく二人で食べるから、どうぞごゆっくり~」
モニカが何を言っているのか分かったラインハルトは急いでヴィクトリアの手を離した。
そして閉めようとする扉を掴む。
「誤解ですよ、モニカさん! 決してモニカさんが想像している様な事はしてませんし、しませんから」
「否定しなくても大丈夫よ。お姉さん、そういう事は有りだと思うから安心して。でも皇族の……しかも、あのアルムルーヴェを選ぶなんて中々に君も勇気があると言うか……ひょっとして死にたがり? ま~確かに麗しのアルムルーヴェを体現したような綺麗な子よ。でもアルムルーヴェを選ぶなんて……クク。ごめんなさい、お腹痛くなってきた」
次第におかしくなってきたのか、お腹を押さえて笑いを堪えるレベッカ。
どうやらラインハルトが知らない、アルムルーヴェにまつわる噂や伝説は数多くあるらしい。
笑いを堪えるレベッカにヴィクトリアが近づいて来た。
「レベッカ上級生。何を勘違いしているのか知らないが、貴女が思っている様なものではないぞ。あれは信頼の証と言って、ラインハルトの国では普通だ……であります」
所々に上から目線の口調になっていたのに、最後の部分は言い直した。
皇族の、しかもアルムルーヴェとはいえ軍隊においては身分は関係ないし、レベッカはヴィクトリアの上級生だ。
「ふ~ん。じゃこうしても大丈夫よね。そういう関係じゃないなら」
不意にレベッカがラインハルトの体を引き寄せて抱き締めた。
「え!? レベッカさん!?」
ラインハルトの腕に、何か柔らかいものが当たる。
思わずラインハルトの頬が紅くなり、仄かに優しい花の匂いが、ラインハルトの思考を鈍らせた。
僅かながらヴィクトリアの視線が鋭くなる。まるで獅子が哀れな獲物を見る様な視線を感じたので急いで振りほどいた。
「あの、レベッカさん。こういうのは……困りますよ」
「なんで?私は困らないわよ。何だったらお姉さんが手取り足取り教えてあげようか?」
「一応聞いときますが……あの教えるって何をですかね?」
ラインハルトのその言葉を聞くとレベッカはニヤリとだけ笑い、耳元で囁いた。
「あら、決まってるじゃない。年上のお姉さんが年下の男の子に教えるって言ったら一つだけよ。ラインハルト君も経験の無い子より、経験有りのお姉さんの方が良いに決まってるわよね?」
不意にラインハルトはヴィクトリアとレベッカ、両方を見比べてしまった。
片方は麗しのアルムルーヴェを体現した様な少女。
もう片方は容姿端麗な少女で、見ているだけで大抵の嫌な事は忘れられそうな癒し系だ。
「あの……僕の口からは何とも……」
何とも煮え切らない言葉が出た瞬間、またもや扉が勢い良く開いた。
「いい加減にしろー!」
大声の主はモニカだった。しかも顔を赤らめてだ。
「黙って聞いていれば、レベッカ!お前、下級生を可愛がるのは規則違反だぞ!」
モニカの指摘にレベッカは律儀に手を挙げて反論した。
「規則では互いに合意無き場合にのみ適用と記されているから、双方合意の場合は規則違反に当たらないと思うわ」
「喧しい! あの顔の何処に合意なんて書かれているんだ。見るからに哀れな仔犬だろ! だいたい、お前って奴は規則を――」
「はいはい、わかりました。ちょっと悪ふざけが過ぎましたよ。まったく口を開けば規則規則って、規則に縛られていたら良い指揮官にはなれないわよ。あ、それともヤキモチ?かわいい~」
「論点をすり替えるな! 帝国軍人らしく堂々と出来んのか」
「あら残念。私達は士官候補生だから、正確にはまだ帝国軍人じゃないわよ?」
「おのれ、減らず口を……」
モニカとレベッカが言い争って?いるとヴィクトリアが手を挙げた。
「モニカ上級生、並びにレベッカ上級生。急いで行かないと夕食の点呼に間に合わず、教官に怒られます。時間に正確ではないのは、仮に士官候補生と言えど、帝国軍人の恥と思われますが?」
ヴィクトリアの正論に二人はまるで鳩が豆鉄砲を食らった様な表情をしていた。
仮にも三年生が一年生……まして入学したばっかりのピカピカの新入生に言われたからしょうがないと言えばしょうがない。
そして誰のお腹の虫が鳴ったのか知らないが、何とも言えないタイミングで鳴ってしまった。
沈黙が流れているとラインハルトがお腹を押えながら言った。
「あはは……すいません。僕、お腹が空きました」
ラインハルトの何とも間の抜けた顔にモニカとレベッカは吹き出した。
「そうだな。腹が減っては戦は出来ぬと言うからな。今日は新入生歓迎もあるから、きっと豪華な夕食だぞ」
「うんうん。お腹が空いてるなら言ってよね。なんだったらお姉さんを食べる?」
「まだ言うか、お前は!」
仲が良いのか悪いのか二人して食堂に着くまでじゃれ合っていた。
ラインハルトが部屋を出ようとする瞬間、後ろからヴィクトリアが声を掛けた。
「ラインハルト。その……貴公に感謝を」
ヴィクトリアを見ると顔を赤らめながらお腹を押さえていた。
「何の事かな。生憎と僕のお腹は空気が読めない奴なんだ。それに早く行かないと、君の言う帝国軍人の恥になるし、せっかくの食事が冷めてしまうからね。僕の国では、もてなしを無下にする様な奴は恥知らずと言われるんだ」
ラインハルトの回りくどい言い方にヴィクトリアも思わず鼻で笑ってしまう。
そしてラインハルトはヴィクトリアに手を差し出した。
「だから早く行こう? 君のお腹の獅子が暴れだす前にね」
微かに笑いながら言うラインハルトの手を掴む。
「ナール。あれはラインハルトのお腹が鳴ったんだぞ! 断じて私ではないからな! いいな?」
「はいはい。そういう事にしとくよ。空気を読めないお腹の虫だからね」
年相応の少年少女みたく、無邪気に笑いながら二人は廊下を走って食堂まで向かった。
案の定。廊下を走っている所を他の教官に見つかり、こっぴどく怒られてしまい入学早々二人して不名誉な伝説を作ってしまった。
そして見事に夕食の点呼にも間に合わず、教官から模範生徒含め四人まとめて怒られしまったのは言うまでもない。