番外編 感謝祭は皆に幸せを 前編
ジークフリートからの静かなる追及から逃れられたラインハルト。
温泉に長く浸かり過ぎてしまい、完全にのぼせ上がってしまった。
ラインハルトが部屋に戻るとヴィクトリアやフィリーネは既に席に着いており、テーブルの上には夕食が並べられている。
「遅いぞ、ラインハルト。せっかくの料理が冷めてしまう」
「ごめんごめん。怖い尋問官に問い詰められてたから」
「怖い尋問官?」
ヴィクトリアが怪訝な表情を浮かべているが、ラインハルトは「只の比喩的表現だよ」と言って席に着く。
感謝祭、しかもアクアの料理はどれも四季国の料理で手が込んでいる。
四季国では当たり前の生魚の刺身。野菜に白身魚の切り身や茸が入った鍋料理。
ラインハルトが席に着いて間も無くジークフリートが戻って来て席に着くと、フィリーネが酒精を注ぎながら訊く。
「ジーク、あんまりラインハルト君を虐めちゃ駄目よ。将来、私達の可愛い息子になるんだから」
どうやらフィリーネは二人の長風呂の内容を察しているらしい。
「人聞きが悪いな。ちょっとした男同士の話だ。それに愛娘と君の言う可愛い息子との進展具合は君も気になるだろ」
「確かにね。で、二人の仲は――」
フィリーネが聞き出そうとした瞬間、ヴィクトリアとラインハルトが同時に咳払いをする。
「母上に父上、せっかくの料理が冷めてしまいます! だろ!? ラインハルト」
「そ、そうですよ! ほら、鍋なんか食べ頃ですよ。フィリー……お義母さん!」
その言葉を聞いた瞬間、フィリーネが体を乗り出して問いただす。
「ラインハルト君……いまなんて言ったの?」
「ご、ごめんなさい! とざくさに紛れてお義母さんと! フィリーネさんと呼びます!」
ラインハルトが手を振りながら謝るが、当のフィリーネは瞳を輝かせている。
「いいわね、お義母さんって響き。なんだか新鮮だし、これからはお義母さんって呼んで貰おうかしら」
フィリーネの意外な反応に安堵するラインハルト。
相手はヴィクトリアの母でもあるが、帝国軍艦隊司令長官。
まかり間違えばラインハルトを標的艦と一緒に的にして、海の奥深くに沈められてしまう。
それからはお義母さんと呼ばれて気分を良くした、ほろ酔いフィリーネからラインハルトは酒精を飲む様に頻りに勧められてしまうが、横に座るヴィクトリアが制止する。
「母上、ラインハルトに酒精を勧めるのはやめて下さい! 私達には、まだやる事がありますから!」
「ちょっとくらい平気よ。そうよね、ラインハルト君?」
フィリーネがラインハルトを見ると苦笑いして返し、見かねたジークフリートがフィリーネの首根っこを引っ張って自分の方に座らせる。
「余り娘達を困らすな、愛しのフィリーネ。酒の相手なら私がしてやるから」
「あら、優しいじゃないの。じゃあ愛しのジークには艦隊司令長官である、私の愚痴を朝まで聴いて貰おうかしら」
愚痴を朝まで聴いて貰おうかしらと言われた瞬間、ジークフリートの顔からため息が漏れた。
艦隊司令長官と言えば艦隊勤務の頂点でストレスとは無縁かと思われるが実際は違う。
皇帝陛下からは言われないが、横からは参謀総長と軍務長官から言われて、下からは配下の艦隊司令からの要望を突きつけられる。
もっとも参謀総長と軍務長官には艦隊司令長官としての要望を突きつける場合があるから相子なのだが、部下と皇帝陛下だとそうはいかない。
特に艦隊は開戦時に壊滅的被害を被った為に、只でさえ少ない艦数で遣り繰りしているのだ。
新造艦を急造してはいるが、いかせん時間がかかる。
おまけに乗員の訓練にも時間がかかり、艦隊は猫の手も借りたいぐらいに忙しいのだ。
そんなフィリーネの愚痴を聞いてやるのも、ジークフリートは自分の役目だと思い、静かに耳を傾けながらお酒を口にする。
あれから食事を楽しんでいると不意にヴィクトリアがラインハルトに声を掛けた。
「ラインハルト、そろそろ時間だ」
その言葉にラインハルトが部屋にある時計を見ると時刻は二十二時を迎えようとしている。
「そうだね。そろそろ行かないと間に合わないからね」
ヴィクトリアとラインハルトが立ち上がると、さっきまでほろ酔いだったフィリーネが二人に何かを投げ渡した。
「可愛い愛娘に可愛い愛息子、くれぐれも気を付けてね。二人とも初心者なんだし、借り物なんだから」
「わかっています、母上。それにラインハルトは知りませんが、私は大丈夫ですよ」
フィリーネから渡された物をラインハルトにも渡しながらヴィクトリアが自慢気に言うと、ラインハルトが抗議した。
「僕だって大丈夫だよ。少なくともヴィッキーよりは安全だって教官に言われたし」
二人が睨み合っているとフィリーネが手を叩いた。
「ハイハイ二人ともそこまでよ。早くしないと間に合うものも間に合わないわよ」
フィリーネに促され二人は自分の部屋に戻って準備することに。
真冬の夜。感謝祭に騒ぐバーデンの街明かりがアクアの玄関に立つ二人を照らす。
二人の格好はデートを楽しむ格好には程遠く、頭にはヘルメットに風避けのゴーグル。
紺色の軍用コートに、コートと同色の軍服だが襟には階級章が無い。
いつぞやの時と同じみたいにちょっとマヌケだ。
そんな二人の格好をフィリーネは手を叩いて喜ぶ。
「やっぱり私の娘だけあって艦隊の軍服がよく似合うわね。ラインハルト君も似合うわよ。ジークの若い頃を思い出しちゃったわ」
フィリーネの感想に、横に居たジークフリートが抗議した。
「失礼だな。君の言葉を借りるなら私も君と同い年だから十分に若い筈だが?」
「あら未来の息子にヤキモチ? ジークったら可愛いんだから。心配しなくてもあなたが一番よ、愛しのジーク」
不意にフィリーネがジークフリートの頬に口付けした。
「やれやれ、君は相変わらずだな」
フィリーネに口付けされてまんざらでも無さそうなジークフリートを横目にヴィクトリアがラインハルトの背中を押す。
「行くぞ、ラインハルト。私達は邪魔者らしいからな」
「あはは……そうだね」
二人の向かった先には回転灯が付いた憲兵隊仕様の電動二輪車が二台ある。
しかもサイドカー付きと来た。
二人がフィリーネから受け取った物はバイクの鍵だったのだ。
バイクに股がり鍵を差し込んでは捻る。
するとバイクのメーターが静かに起動し、ライトを付けてはゴーグルを装着する。
今にも出発しそうな二人にフィリーネが別れの言葉を掛ける。
「二人とも、バイクも軍服も借り物だからね! くれぐれも壊さないように!」
フィリーネの言葉に二人は親指を立てて返事した。
「準備はいいか、相棒?」
「ああ。お前の方こそ、ちゃんと私に付いて来るんだぞ!」
「上等! じゃあ行くよ!!」
アクセルを開けて二人が従える小さな愛馬が咆哮を上げて走り出す。